私たちが到着した先は、想像以上に自然豊かで緑溢れる場所であった。
【T=/M+】ニュートラル・ミスティックに存在していることもあり、工業の発展はそこそこながらも、ライフラインに関するものは魔法が主軸で構成されまずまずの繁栄をみせている。
けして高度な文明ではないが、人々が満ち足りた生活を送る分には特に支障もなく、《世界》そのものに充分な資源を蓄えているのも高評価のポイントとなるであろう。
以前は“大門世界”として多くの《世界》とつながっていた同じく【T=/M+】に存在する“閉門世界”ゲートディアのわりとすぐ近くに位置するこの《世界》は、ゲートディア同様、他の《世界》とも《路》や《穴》が繋がりやすいと言われていた通り、私たちもすんなりと現場に辿り着くことができた。
「こんなに綺麗な《世界》なのに、それでも《感染源》が現れているんだね」
スズがぽつりと零す。
だから我々一行は、今日ここまで足を運んできたのだ。
「ゲートディアに近い上に、あちらとは違い《路》も《穴》も開きっぱなしで繋がりやすいとあれば、やはり一見豊かに見えても《世界》そのものは安定はしていないんだろう」
「オラクルネストもそうだったのかな。あんなに綺麗な《世界》だったのに、荒廃するのは一瞬だった……」
「……そうかもしれないな」
同じ【M+】に存在していることもあり、緑豊かな風景と魔法が調和したこの《世界》は私たちの故郷とも重なる部分が多く、こうして眺めているとすこしばかり感傷に浸ってしまう。
「だったらなおさら、この《世界》だけでも救いたい。頑張ろうね、エイト」
「ああ、もちろんだ」
指定された場所まで辿り着いた私たちは、分担して《感染源》が確認された周辺の調査を始める。
そこは森の奥地で普段現地の人間でさえあまり出歩くことはなかった為、現時点では二次感染等は起きておらず、我々のような小隊にも調査の依頼が下りてきたのである。
普段からペアで行動をしていることもあり、今回も私とスズ、弥生と李白、リネットとヴァレリアの三手に分かれて行動を開始することにした。
「私とスズは北側を見てこよう。リネットとヴァレリアは南西を、弥生と李白は南東方面をお願いできるか?」
「オッケー、まかせて!」
「承知しました」
「小一時間見回って、問題がなければまたここに集合しよう」
「わかったわ」
そう返事をすると、弥生がまた懐から三枚の式紙を取り出しそれぞれに命を吹き込む。
式紙達はやはり白い小鳥に姿を変えると、一匹はスズの肩に、もう一匹はリネットの肩に静かに留まった。
「一応念の為、連絡用にこの子を連れて行って。何かあったらお互いに危機を知らせてくれるはずだから」
弥生の肩に最後の一匹が乗ったのを確認すると、一同は頷く。
こうして三手に分かれそれぞれ調査を開始したのだが、私とスズは森の中を歩くうちに、すぐに奇妙な既視感を覚えはじめた。
「なんだろうエイト……わたし、なんだか嫌な感じがする……」
隣を歩いていたスズが、不安そうに私の腕の裾を握った。
この段階ならば、気のせいだろうと一笑に付すことも出来たかもしれない。
しかしそうしなかったのは、皮肉にも私も内心同じことを考えていたからだろう。
森の北側に向かい少し歩いたその先に、視界が開けて大きな湖が姿を現した瞬間、私たちはほぼ同時にその場に立ち尽くしてしまった。
「……これは」
小さな森を覆うように広がる、美しい湖のほとり。
私たちはこれによく似た風景を知っていた。
忘れもしない私たちの故郷――“白翼神託世界"オラクルネストによく似た場所で、多くの人が死にゆく姿をこの目で見たのだ。
この美しい風景の一致は偶然だろうか?
しかし偶然で片づけてしまうには、あまりにも雰囲気が似すぎている。
思えはこの《世界》に足を踏み入れた瞬間から感じ取っていたそれを、私はどうしてもすぐには否定することが出来なかった。
そしてそれはスズも同じだったのだろう。
森の湖畔のすぐそばに、故郷の大地を荒廃させ、多くの人々を死の淵に追いやった《感染源》によく似た姿のそれを見つけて、彼女は声にならない悲鳴を上げた。
湖畔の周囲に聳え立つひと際大きな樹木の根元に、大きな卵型をした石のような物が静かに横たわっていた。
半身は土に埋まり、苔や土埃に塗れた卵の上半身は随分と古ぼけていて汚い。
そしてこれ以上近づかなくてもわかるほど、どこか禍々しいオーラを発していたのである。
「スズ、これ以上卵に近づいては駄目だ」
我々が探していた《感染源》はこれなのだろう。
すぐに皆を呼ばなければと思った時にはもう、スズの肩にいた小さな鳥は空へと羽ばたき、今来た道を風を斬るように戻って行った。
ほどなくして式紙から知らせを受けた弥生、李白、リネット、ヴァレリアの四人は、私たちが佇む卵のすぐそばで合流を果たした。
「これが今回の《感染源》か?」
ヴァレリアが首をかしげるようにして遠巻きに卵を覗き込む。
その横でリネットは本能的に卵を避けるようにしながら、少しのけ反った体勢で左手を前に突き出した。
「なんかちょっとヤバい状態なんじゃない!? すっごく禍々しいよこれ!」
実際に何か悪臭が漂っているという訳ではないのだが、これ以上近くの空気を吸っていられないといった感じにリネットは空いた右手で鼻をつまんでいる。
その横で相変わらずスズは神妙な面持ちのまま、どこか不安そうに私を見た。
「二次感染は出てないと聞いていたが、これだけ禍々しいオーラを発していれば、並大抵の人は危険を察して近づかなかった。そういう事なんだろう」
「そうね、健全な精神の人であればあるほど、これに近づくのは反対に厳しいと思うわ」
眉間に皺を寄せた弥生が、卵に向けて何度か軽く印を結び直す。
しかし卵には何の変化も見られず、彼女は小さく息を吐くとお手上げだと言わんばかりに両手を上げた。
「駄目ね、負のオーラが強すぎて簡単な結界じゃあ防げないわ。一時的にこれを封印するにしても、聖水や専用の霊符など準備してもう一度来ないと」
「えっ、じゃあこの禍々しい卵、暫くこのままにしておくっていう事!?」
リネットが信じられないといった様子で素っ頓狂な声を上げる。
「仕方ないのよ。それだけ強力な《感染源》なんだもの。今私たちが下手に手を出したら、反対に呑まれてどうにかなってしまう可能性だってあるわ」
「う……それは、やだなぁ……」
「だから後日、しかるべき準備をしてもう一度ここに来ましょう。それまでこの森一帯は立ち入り禁止区域に指定して」
弥生が確認をとるようにこちらを見る。
この中で最年長という事もあるだろうが、主に戦闘能力の面を買われ、統括であるジオリードから現地組の実質的なリーダー権を渡されていた私は、それしかないだろうと首を縦に振った。
「そうしよう、ジオリードに報告しておいてくれ」
「了解したわ、エイト」
ひとまず結論が出たことで本日の任務は終了となり、私たちは森の湖畔を後にする事にした。
弥生の隣でただ一人、李白だけが最後まで会話の輪に入らず、じっと卵の姿を見つめていたのだけが少し気がかりだった。
* * *
帰り際、スズはふと足を止めると湖の方を振り返る。
――置いていかないで。
気のせいだろうか、何か声が聞こえたような気がしたのだ。
――お願い、一人にしないで。
確かに聞こえた、幼い少女の声。
しかし誰一人足を止めることなく、皆は帰路を急いでいる。
少し前を歩いていたエイトが振り返り、一人遅れをとるスズに向かい手を差し出した。
「どうしたスズ。疲れたのか?」
労わるようにこちらへ差し出された手を取り、スズは一瞬躊躇いながらも口を開く。
「……あのね、何か声が聞こえた気がしたの」
「声?」
「うん、女の子の声」
やはり自分以外にあの声は聞こえていなかったのだろう。
瞬時に眉を潜めたエイトの姿を見て、スズは少しだけ落胆した。
悲しそうな、少女の声。
切実な願いが込められていそうなそれは、果たして自分にかけられた言葉だったのだろうか。
卵を見たショックで幻聴でも聞いているのではないかと思ったが、あの声が今も耳から離れない。
「どこかで聞いたことがある気がするんだけど……」
誰のものなのかは、わからない。
一体どこから、誰が発した言葉だったのか。
卵の件と相まってわからない事ばかりの一日だったが、いつもと変わらず隣で手を握ってくれるエイトの存在だけが、波打つスズの心に束の間の平穏をもたらしてくれたのだった。