白翼の守護者   作:綾海しろ

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隊長アヤミがバースセイバーとなり、隊長に就任するまでの過去のお話です。


サブストーリー 私たちの幸せな世界

物心ついたころから、あたしは絵を描くことが好きだった。

真っ白なスケッチブックにひとたび線を走らせれば、そこには無数の夢が広がった。

キャンパスの中ではあたしはなりたい自分になれたし、見たい風景をめぐり世界を旅することもできた。

美術講師をしている父とハンドクラフトが趣味の母のおかげもあるのだろう。

ありがたいことにあたしは物づくりの才能に恵まれ、幼い頃から絵を描くことにおいては神童ともてはやされるほどだった。

絵という武器があったおかげで友達を作る事もとりわけ苦労しなかったし、あたしは少し天狗になりながらも優しい両親に見守られて、絵を描くことが大好きな、ただの普通の少女として育った。

 

絵を描くことはとても楽しい。

自分の思い描いたものを形にできる喜び。

技術が向上したときのなんとも言えない高揚感。

そして作品が完成したときの心地よい疲労感と達成感。

何よりあたしの描いた絵を見て、まわりの人が喜んでくれる事が嬉しかった。

幼いあたしの小さな幸せは、確かにそこに存在していたのだった。

 

だけど、そんな幸せだった毎日に亀裂が走ったのは六歳の頃。

小学校にあがり、始めてできた友達のあかりちゃんの一言から始まった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「アヤミちゃん。なんだかこのお姫様によく似てるね!」

 

いつものように学校の休み時間に、机の上であたしは大好きなお姫様の絵を描いていた。

フリフリのフリルとレースをまとった、白い肌にかわいらしい口紅を引き、頬を染めたお姫様。

あたしの理想を詰め込んだ少女の絵を描いてた時、隣で絵を描くあたしを見ながらあかりちゃんがそう言ったのだ。

 

「え? お姫様に?」

 

最初はあかりちゃんが何を言っているのかさっぱりわからなかった。

お姫様はあたしの憧れの存在であって、あたしではない。

あたしの髪の毛はボブカット。

この白い紙の上でほほ笑むお姫様のように長くてくるくるとした綺麗な髪なんてしていないし、一般的な日本人よろしくたいして色白でもない。

お姫様になってみたいと思ったことは数あれど、自分なんかがこんな可愛い子になれるだなんて思ってもみなかったのだから。

でも自分では気づけなかっただけで、この時点で確かに小さな異変は起きていたのだ。

休み時間が終わり始業ベルと共に教室に入ってきた先生が、あたしの顔を見るなり顔をしかめてこう言った。

 

「青澄さん。青澄アヤミさん、どうしたんですかその顔」

 

そう言って目の前で足を止めた先生が、驚いたようにあたしの顔を覗き込んだ。

 

「アヤミさん、お化粧に興味を持ってしまう気持ちは先生にもわかりますが、こういう事はまだあなたの歳ではちょっと早いですよ。それに学校はお勉強をする場所です。おしゃれはおうちに帰ってからにしましょうね」

 

そう言ってポケットから取り出したハンカチで、先生はあたしの唇をそっと拭った。

そこにはうっすらと桜色の口紅のようなものがついている。

 

――ありえない事がおきている。

 

突然の出来事にさっと血の気が引くのを感じながら、あたしはぱくぱくと何も言えないまま、暫く口を開け閉めした。

それを見た先生が何も聞き取れなかったのか、そっと隣に膝をつく。

その先生の耳に向かって、あたしはしどろもどろになりながら声を発した。

 

「あ、あの。でも先生。あたしお化粧なんてしていません! おうちでも学校でも。お化粧道具だって持ってないし」

 

何が起こっているのかわからなかったけれど、幼いあたしは必死に弁明をした。

確かにお化粧に憧れはあったけれど、だからといって幼い自分がしても良いものではない事ぐらい、常識的に考えてわかっている。

そもそも化粧道具なんて持っていないのだし、誰かに顔をいじられた記憶もない。

朝起きて自分で顔を洗って、そのままその顔で学校までやってきたのだ。

自分には咎はないのだと精一杯の言葉で伝えたつもりだったが、先生は顔を横に振ると困ったように笑った。

 

「とは言っても、現に口紅がついてましたよ。先生に怒られると思って焦っちゃったのかな?」

「…………」

 

どんな反論を持ってしても、そのハンカチがすべてを物語っている。

先生にもはや言い返す術を持たず、あたしは黙って俯いた。

それを見て先生はあたしが反省しているとでも思ったのだろう。

 

「こういう事もありますよね。でも次からは気を付けてくださいね」

 

そう言うとそれ以上咎めるような事はせず、教室の注目の的となってしまったあたしから視線を解放すると、そのまま今日の授業へと入っていった。

 

何が起きたのかわけがわからないまま授業が進んでいく。

だがあたしの耳にはその内容の一切が入ってこなかった。

途中、ふと思い立ちペンケースの内蓋についている小さな鏡でそっと自分の顔を覗き込んでみて驚愕した。

そこには確かに思い描いた自分の顔とは少し違う、お姫様に少し似た風貌の顔の輪郭があったからだ。

あかりちゃんの言っていた事は正しかったのだ。

 

教室の片隅で震えが止まらなくなったあたしは、授業中にもかかわらず机の上にスケッチブックを広げると、先ほど描いていたお姫様の絵をがむしゃらに消しゴムで消した。

うっすらと描いた跡が残るその上を、消しゴムで削りつくす勢いで。

お姫様の痕跡すら残らないほどにスケッチブックを削りきった頃、授業の終わりを告げるベルが鳴った。

恐る恐るもう一度ペンケースの鏡を覗き込んでみるとそこには普段の見慣れた自分の顔があり、あたしはほっと息を吐いた。

 

それから半日、学校にいる間の記憶はほぼ無いも同然だった。

ただ早く家に帰ってこの現象をもう一度確かめてみたい。

その一心で授業が終わると大急ぎで掃除を済ませ、普段とは見違えるほど機敏な動きで教室から飛び出した。

途中、あかりちゃんからの放課後の遊びのお誘いを受けたけれど、それにも曖昧な返事を飛ばし、全速力で家へ帰った。

 

家に着くなり洗面所の鏡でじっくりと自分の姿を覗き込んでみたけれど、そこには変わらずいつものあたしの顔がある。

安堵したのもつかの間の事、次には新たな疑問がわき出てくる。

 

「それじゃあ昼間のあの顔は一体なんだったのよ……」

 

あかりちゃんが言う、お姫様のような顔。

思い当たる節があるとするならば、それはもう一つしかない。

あのスケッチブックに描いた絵だ。

あたしは洗面所から出る際に手鏡を隠し持ったまま、リビングに顔を出してテレビを見ているママに「宿題をするからお菓子はいらない」と言い残すと、一目散で階段を駆け上がった。

そして二階の自室に入り、とりあえず内側から鍵をかけた。

これでもし何があっても暫くは時間を稼ぐことができる。

ランドセルを勢いよくひっくり返し、中から飛び出したスケッチブックを開くと、あたしはひとつ呼吸を整えてから空いているページにシャープペンシルを走らせ始めた。

 

――あの時のように、もう一度お姫様の絵を描こう。

 

事件を再現してみるのだ。

そうすればきっと、理由は何にせよ今日起きた事の裏付けが取れるはずだから。

緊張と恐怖に震える手をなんとか押さえつけながら、あたしは西日が差し込む夕方頃、お姫様の絵を描き上げた。

教室で描いた時よりも腕が震えて少しお粗末な仕上がりになってしまったけれど、あたしの見立てが正しければ今鏡を覗き込めば、そこには少し歪なお姫様の顔があるはずだった。

だがしかし。

 

「なにも変わってないじゃないのよっ!」

 

手鏡の中にあったのは、いつもと変わらぬ自分の顔。

拍子抜けもいいところで、何ならいつもよりも少し間抜けな顔すらしている。

それが妙に腹立たしい。

 

恐ろしさもあったけれど、確かな期待感もあったのだ。

自分が描いた絵のように自分がなれる。

そんな夢描いた理想を現実にできる力があたしの絵にはあるんじゃないかって。

バカげた話もいいところだけれど、この頃のあたしはまだ六歳。幼かった。

そんな魔法のような事を一瞬でも信じてみようとしてしまうぐらいに、心も純粋そのものだった。

だけどそんな清らかな心も、こうして一つずつへし折られて大人になっていく。

 

「アホらしい。普通にお絵描きしよっと」

 

持っていた手鏡をぽいとベッドに投げ捨てて、あたしは普段通り趣味の絵に集中することにする。

あかりちゃんの言葉の意味や、先生のハンカチについた口紅の出どころを考えてみたけれど、今のあたしには見当もつかない。

何か偶然、勘違いや見間違えでもしたのだろうと結論付けて、ママに夕食に呼ばれるまで宿題をそっちのけでスケッチブックに新しいお姫様を描くことにした。

あかりちゃんに見せた時よりも、もっと髪が長くて綺麗で、瞼は二重、長いまつ毛にくりくりとした瞳。

誰がどう見ても美少女と呼べる、そんな可憐で美しいお姫様を夢想しながらあたしの腕はどんどんとシャープペンの線を重ねていく。

こうして好きなものを創造する時間は心がときめくような気がする。

恋なんてまだしたことないけれど、まるで恋でもしているような、そんな夢現な気分に。

 

幻想の世界からふと我に返った頃には、スケッチブックの上に今までで一番綺麗なお姫様の姿があった。

会心の出来だ。

あかりちゃんに見せる前に、まずはママに見せてみよう。

そう思って満足げに立ち上がったあたしの視界に、金色のくるくるとした長い髪が揺れるのが見えた。

 

「え……?」

 

一体誰のものだろうと思い、無意識に手を伸ばしそれを掴む。

掴んだ金の髪の先は、信じられないことに自分の頭皮へと繋がっていた。

 

「…………っ」

 

驚きで声が出せぬまま、慌ててさっきベッドに放り投げた手鏡を取りに走る。

鏡に映ったその姿は、先ほどまで描いていたお姫様の姿そのものだった。

 

「なんで……どうなってるのよ!?」

 

驚き叫びだしてしまった所で、とっさに両手で口元を抑えた。

階段をぱたぱたと駆け上がってきたママが、軽くドアを叩いてドア越しに声をかけてくる。

 

「アヤミー? 何か言った?」

「……ううん、なんでも。の、喉が痛くて声がでるか試してたの」

「あら、風邪かしら?」

「そう、かも? 食欲ないから今日はこのまま寝るね。ご飯はいらないから!」

「大丈夫? お薬もってこようか?」

「大丈夫! 一晩ぐっすり寝たらきっとよくなると思う……多分」

 

希望的観測だが、この状況はかなりまずい。

どうにかなってくれなくては困ると思いながら、とりあえず扉の外のママをやり過ごす。

 

「じゃあ具合が悪くなったらいつでも声かけてね。声が出なかったらママの携帯を鳴らしてくれてもいいから」

 

心配そうな声でそう言い残してママは階下へと降りていく。

足音が完全に聞こえなくなったのを確認してから、あたしはようやく大きく息を吐いた。

 

「助かった……」

 

家に帰ってすぐに絵を描いた時は何ともなかったはずだ。

なのにどうして、今度はこんな姿になってしまっているのだろう。

もう一度おずおずと覗き込んだ手鏡には、やはり金の髪をしたお姫様の姿が映っている。

 

「参ったなあ」

 

そう独り言ちながら、これからどうするべきかあたしは悩んだ。

せっかく憧れのお姫様の姿になれたのに、正直なところ元に戻れるのかが心配でちっとも楽しめそうもない。

それどころか普段のちんちくりんなボブカットの自分の姿が、既に若干恋しくなっていた。

人間とはどんなに恵まれた環境に身を置いたとしても、けして満足なんてしない生き物なのだという事を齢六歳にしてこの時悟ったのだった。

 

それからのあたしは、なんとかして元の姿に戻ろうとあれこれ検証を繰り返した。

学校でやったように一度描いたスケッチブックを消しゴムで消してみたけれど、なんとなくお姫様感は抜けたものの、まだ完全に元の自分の姿へは戻らなかった。

消し去ったスケッチブックの上を、クレヨンでゴリゴリに塗りつぶしてみたけれど、これもそんなに効果はなかった。

なんとなくお姫様みが薄れているような気はするものの、まだ髪は長いままだ。

あんなに長くてきれいな髪に憧れたのに、今のあたしはもはや素っ気ないボブカットが恋しくて恋しくてたまらない。

神にすがるような思いでスケッチブックにボブカットの自分の姿を描いてみることにした。

その頃には夜中の二時を回っており、幼いあたしは既に睡眠不足と疲労困憊で泣きそうな状態だった。

 

――あたしは、本当の姿を取り戻したい!

 

そう願って心を込めて描いた絵が完成するなり鏡を覗き込む。

そこに映っている姿を見て、あたしは人生で一番安堵した。

 

「……おかえり、あたし」

 

そこに居たのは、いつもの見慣れたちんちくりんのあたし。

しかし自分の姿を取り戻せた安堵感でいっぱいで思わず頬ずりさえしたくなる、そんな愛しい自分の姿だった。

 

この夜を境に、あたしの絵には何かよくわからない「力」があることに気づいた。

何かまずいことが起きてからでは遅いと、あたしは徐々に人前で絵を描くことはしなくなり、もっぱら自室に籠って家族の寝静まった夜にこっそりスケッチブックを開くと、その「力」にはどんな法則性があるのか検証を続けるようになった。

朝方まで姿が戻らず、仮病を使って学校を休んだりしたことも幾度となくある。

その度にあかりちゃんがお菓子を持ってお見舞いに来てくれたのが、申し訳なくも嬉しかった。

 

そんな事を何年も繰り返していたものだから夜行性なのはデフォルトとなり、育ち盛りの幼少期に一心不乱に絵を描き、食事も満足に取らずにブロック栄養食なんかで飢えを凌いでいたものだから、背丈もたいした伸びないひょろひょろの姿のまま、あたしは気づけば中学校に入学していた。

相変わらずあかりちゃんとは仲が良かったし、その他にも2、3人親しくする友人ができた。

それでも彼女たちの前で絵を描いたりすることはないまま部活にも入らず、授業中に日ごろの寝不足を解消するべく転寝をして過ごし、そして夕方になると誰よりも早く家へと帰り、スケッチブックを開く生活を続けていた。

 

そんな生活を続けていて、だんだんとわかってきた事がある。

あたしの持つこの異能は、基本的に絵を描くことによって起こっているのだという事。

ただ何も考えずに描いた落書きや、授業中などの課題でだされたものをただ黙々と描いているだけではおそらく異能は発生しないという事も、六年を費やし分かった事の一つだった。

この異能が発動するのは、あたしが何かに刺激を受け、大なり小なり何かを願いながら絵を描いた時。

おそらくそれがトリガーとなっている。

こんなお姫様になりたいという憧れから描いた絵は、あたしをお姫様のような姿にしてくれた。

寝不足続きで学校を休んだ日、あかりちゃんと会いたいと思ってあかりちゃんの絵を描けば、あかりちゃんがいつもお見舞いに来てくれた。

久々にお菓子じゃなくてご飯が食べたいとママがカレーを作っている姿を描けば、ママが夕食にカレーを作ってくれたからあたしは夜中にちゃっかりそれをいただいた。

何日かぶりに食べたママの手作りご飯はとても懐かしくて、美味しかった。

夜中に減ったカレーを見て、朝起きたママが泣きながら喜んでくれていたっけ。懐かしいな。

 

――そんな感じに。

 

あたしの絵は、あたしが望み、願い、出会いたい、叶えたいという気持ちに応えてくれる。

それは驚くほど便利で心が躍る不思議な力だったけれど、ふと幼い頃描いていたスケッチブックを眺めていた時にその思いは反転した。

 

古ぼけたスケッチブック。

まだ3歳か4歳かそこらの頃に、おそらくあたしが初めてまともに描いた一冊。

その中に見たことのある一人の女の子の姿を見つけたのだ。

今よりもずっと幼い顔をしているけれど、それでも何年も近くで見ていて、毎日学校で顔を合わせてきたからわかる。

あかりちゃんだった。

さらに一年後に描いたスケッチブック――ちょうど小学校に入る少し前に描いた絵にも同じ少女の姿はあった。

平仮名を覚えたばかりの頃だったようで、少々歪んで間違えながらも女の子の絵の下に書き添えられた言葉がある。

 

「おともだちがほしい!」

 

力強くクレヨンで描かれていた文字を見て、あたしは確信した。

あたしはあかりちゃんと出会うべくして出会っていたのだ。

幼い頃からもう、無意識にこの「力」を使って。

 

気づいた瞬間、吐き気がこみ上げた。

小学校からの仲のいい友達だとばかり思っていたあかりちゃんは、あたしがこの絵を描いた事で生まれたのだろうか?

そんな馬鹿な事、あっていい訳がない。

そう思いながらも疑惑が拭えないのは、この六年もの間に自分の力を嫌というほど検証してきた結果だ。

あたしはもう、この「力」にかなり確信めいたものを感じてしまっている。

 

「はは……一体どこからが現実……?」

 

もうどこからがその境目なのかすらわからない。

友達は自分の妄想から生まれた存在だった。

じゃあ親は? 先生は? クラスメイトは? 近所の人は? 親戚のおじさんは?

どれも、何も信じられない自分がいる。

 

自分が今まで気づいていなかっただけで、あたしは無意識に自分が望む存在を描き、この世に生み出してしまっているのかもしれない。

こんなに毎日顔を合わせていたあかりちゃんでさえ、気づくのに六年もかかったのだ。

次に気づけるのは一体何年先になる? 

もしかしたら気づく事さえできないのかもしれない。

自分にはもう、気づける自信がなかった。

自分が描いた絵は何度も何度も見かえしてきた。

描きあがった瞬間はとにかく満足げに。

そして少したってからもスキルアップの為に、今まで以上に良い絵を描くために。

そうやって過去の絵から悪かった所を浮かび上がらせる為に、あたしは何度も繰り返し自分の絵を見かえしてきた。

なのに気づけなかったのだ、今の今まで。

 

優しいパパとママに育てられ、友達もいて、幼いあたしは幸せだった。

その幸せは確かにそこに存在していると思っていたのに、もしかしたらそれは全て仮初で、ただの理想であり、夢想した結果の都合のいい現実。

そんな夢を見ているだけなのかもしれない。

 

――そもそもこんな可笑しな「力」を持っている、あ た し が 可 笑 し い !

 

地球の日本に住む、ただのしがない一学生。

それがあたし。

そのはずなのに――!

 

「誰か助けてよ……あたしは誰なの、何なの……あたしのこの力は、一体何だっていうのよ!」

 

怒りに任せてスケッチブックを投げ飛ばすとその衝動でページがめくれ、まだ何も描かれていない真っ白な一ページが姿を現しあたしの前に鎮座した。

まるでそこに、何かを描けと言いたげに。

結局絵しか描いてこなかった自分にはこれしかできないのだ。

あたしは力なく立ち上がるとスケッチブックを拾い上げ、祈るように一人の男の姿を描いた。

誰だっていい、あたしをこの絶望から救い出してくれるのなら、なんだって。

 

普通の人間はこんな「力」を持ってはいない。

そんなこと、六歳の頃から薄々気づいてた。

でもずっと今まで見て見ぬふりをして生きてこれたというのに、どうして今になってこんな形で我に返ってしまったのか。

気づきたくなかった、知らなければよかった。

あたしは地球の、日本の、一学生の当たり前の現実に則していない。

この《世界》にとって、最も現実的ではない存在はあかりちゃんでもママでもパパでもない。

あたしなのだ。

 

「あたしがただの人ではないっていうのなら、別にいいよね。こうやって、誰かに助けを求めたって」

 

完成した一人の黒いスーツ姿の男の絵。

それを力なく抱きしめたまま泣きはらした目の先に、まばゆい光が広がるのが見えた。

普通じゃない事が起きているのはこの時点でわかってはいた。

けれどもう、それを検証したり立ち向かう勇気も気力もこの時にはなくなっていて、このまま自分という存在が消えてなくなってしまうのなら、それはそれでいいような気さえしたからその光に抗う事をしなかった。

ただ、ちょっと眩しいな……なんて思った矢先、そのまばゆい光の中に黒く大きな亀裂が入り、部屋の空間が一瞬大きくひしゃげた気がした。

直後、身体に言い表せられぬ負荷と浮遊感を感じ、次の瞬間、そこから一人の男の人が現れてあたしは思わず目を丸くした。

 

「……君は?」

 

黒いスーツのような制服を着た、すこぶる長身の大男が驚いたような顔をしてこちらを見ていた。

まるでこんな事を予想してはいなかったとでもいった具合に戸惑い、額に薄っすらと汗すら浮かべている。

だが本当に驚いたのはあたしの方だ。

助けてほしいと願い、誰かも知らない男の絵を描いた。

でも今までこんな風に、まるで魔法みたいに突然その描いた人物が降って湧いた事なんて一度もない。

 

「そ、そういうあなたは一体誰なのよ……普通先に自分から名を名乗るものじゃない?」

 

精一杯の虚勢を張ってそれだけを答えると、男は暫し一考したあと頷き、私の前に膝をついて小さく頭を下げた。

 

「それはとんだ失礼をした。私の名前はシリウス・ウォード。ダーザインで臨時職員をしている。君は?」

「……あたしの名前はアヤミ。青澄アヤミ。ただの絵を描くことが趣味な日本の女子中学生だけど。――っていうか、ダーザインって何?」

 

怪訝そうに聞いたあたしに、彼はひと際驚いた顔をしてからその長い人差し指で回りを指さす。

 

「ダーザインとは今君がいるここだ。この場所だ。ダーザインは《世界》間のトラブルを解決する互助組織であり、本部を"中央世界"カノニカルに置いている。ここはダーザインの感染対策課の医務室なのだが……見覚えは?」

「ないわね……っていうかここ一体どこなの? あたし、確かに自分の部屋にいたはずなのに」

 

男に促されるように起き上り周囲を見渡してみると、そこは見知らぬ白いベッドの上で。

あたしはスケッチブックを抱えたまま、この世のどこにも見たことがない医務室のような清潔な部屋に居た。

 

「日本の女子中学生と言ったか。では君は【T=M-】テラスフィアから来たバースセイバーか」

「バースセイバー? 何それ? 新しく始まった戦隊ものか何か?」

「……何も知らないのだな、君は」

 

男の物言いにムッとしそうになるのを堪えきれず、あたしは拗ねるように唇を尖らせた。

 

「だって訳わかんないんだもん。部屋で絵を描いてたはずなのに、気づいたらこんな知らない場所に突然移動してて」

「絵?」

「うん、これ」

 

男に向かい腕に抱えていたスケッチブックを差し出すと、男は一瞬びくりと身体を強張らせた。

しかしその後は何事もなかったかのようにそのスケッチブックを開くと、その男そっくりな黒いスーツ姿の男性の絵を見つけ、感心したように顔を上げた。

 

「これは私か? よく描けている」

「それはどうも。まあ……おそらく貴方なんだと思うわ。わたしは何も知らずにただ絵を描いただけなんだけど」

「無意識にVS能力を使ったのだろうな。このスケッチブックに、君の青い力の色がまだ微かに残っている」

「VS能力って?」

「簡単に言うと、異なる世界の法則に影響されず、自身の法則を保ち、他世界を汚染させない防御能力と、その世界を認知する認識能力の事だ」

「ぜんっぜん意味がわからないわ……ごめん、お手数だけどもう少しわかりやすく説明してもらえない?」

「そうだな……この世には異なる法則を持つ《世界》がいくつも存在しているんだ。普通に暮らしている者達は気づきもしないだろうが、だが君はなんとなく分かっていたんじゃないだろうか。君の持つ力がテラスフィア……君の知る地球という《世界》では普通ではないという事を」

 

いきなり確信を突くような話をされて、あたしは思わずドキリとした。

それと同時に、やはり自分は普通の人間ではなかったのだ……と腑に落ちる感覚に軽い眩暈を覚えた。

 

「……確かにそうかもね。あたしはただの地球人のつもりだったけど、あの《世界》では普通じゃなかった。あたしにはヘンテコな力があってさ。願いを込めて絵を描くと、それがなぜか実現するの」

「前向きな思い込みやボジティブな発想で、理想達成への道を強くする者はどの世界にも居る」

「ああいや、そういうんじゃあなくて……うーん。なんて言ったらいいのかな。信じてもらえないかもしれないんだけど……魔法みたいに必要な人がわたしの前に現れたりするのよ。まるで今、あたしが貴方と出会ったように」

 

彼のいう事が正しければ、地球の自室に居たあたしは、ダーザインだかが存在する中央世界カノニカルという世界に突然転移している。

そしてこうして異世界人と話をしていることになる。

これは前向きな思い込みやポジティブな発想でどうにかできるような話ではない。

魔法的な何か不可思議なものが働いたとしか思えないこの力は、やはり地球には存在しないものだ。

 

「なるほど。つまり私は、君のVS能力でここに呼び出されたという事か」

 

今までにこりとも笑わなかったその男が、ふと小さな笑みを浮かべる。

今さらながらまじまじとよく見ると男はとても整った顔だちをしており、目にかかりそうな黒髪も、髪と同じ色をした墨色のスーツのような制服も、すらりとした長身によく似合っていた。

それこそ一瞬、思わず見惚れてしまうほど。

 

「どうした? 顔が赤いぞ。どうやら君は己の力で無理やり《穴》をこじ開けてここまで辿り着いたらしい。それだけでも大層な事だが《世界》を跨いで移動した際にも《感染》した形跡がない。やはりVS能力を持っているという事だろうが、それでもさすがに無理やりこじ開けた《穴》からの移動は消耗しただろう。少し休むか?」

 

ちらりと男がベッドの方を見るが、あたしは首を横に振った。

 

「ううん、いい。今はわからないことが多すぎて、頭がパニックになっているから寝れそうもないし。それよりも色々教えてもらえない? ダーザインのこととか、《穴》?の事とか、VS能力を持っているとどうなってしまうのか、とか」

「パニックになっていると言いつつ、ずいぶんと落ち着いているように見えるが」

「落ち着いてなんかないわよ、わかんない事だらけでむしろ知らないほうが怖いってだけ」

「……本来ならば、異世界の存在は秘匿されていて、君のように偶然出会った少女に教えるようなものではないのだがな」

「でも貴方は、あたしの為にここに現れてくれた人なんでしょ?」

「君の言う事がすべて正しければ、そうなんだろう」

「じゃあ、一から全部話すからそれを聞いて判断してよ。あたしが何者なのか。あたしはこの世界に居ても許される存在なのかを」

 

地球に未練がない訳ではないけれど、このまま自分の持つ「力」を曖昧にしたまま元の暮らしには戻れない。

それにあたしは、地球とは異なる《世界》がある事を今日知ってしまった。

こんなあたしが地球に戻り絵を描いて、今度こそ取り返しのつかない事を引き起こしてしまってはそれはそれでマズい。

今必要なのは正確な情報と、そこから推測できる結論と対策だ。

 

「お願い。あたしは自分がどんな人間なのか知りたいの。この「力」が世界にどんな影響をもたらすのか、慎重に検証を重ねながら生きてきた。貴方の話をきいたら、それが少しわかりそうな気がするんだ」

 

嘘偽りない心からの言葉。

それを今日初めて会ったこの男に信じてもらえるかはわからなかったけれど、あたしは今度こそ絵にも「力」にも頼らず、ただ自分の口で紡いだ言葉で懇願した。

彼の緋色の双眼をそらさずに見つめ続ける。

やがて根負けしたのか、彼は小さく息をつくと降参だとでも言いたそうに立ち上がった。

 

「――君の意思はわかった。だが私一人で結論を出せるものではないな。君の力は話を聞いた限りとんでもないものだ。VS能力があるのは確かだが、紙と鉛筆があれば何をしでかすかわからない。だからひとまずこのスケッチブックは一旦没収だ。そして君を一度本部へ連れて行く。そこで話を聞き、必要な事があれば教え、そしてもし何も知らない状態で地球に返した方がいいと判断したときは記憶処理を行う」

「記憶処理?」

「つまり、今ここで起こった出来事すべての記憶を消し去る、という事だ」

「……そんな事までできるっていうの? この《世界》は」

「ああ。ダーザインではよく用いられる手法の一つだ。《世界》の均衡を保つためには致し方ない事もある。だが――」

「だが?」

「進んでやるような事でもない。どうせVS能力を持つ者が現れたのならば、その者を味方に引き入れ管轄下に置いたほうが早いからだ。ヘンテコで、強大な力を持つ者ならばなおさらだ。……言っている事はわかるな?」

「場合によっては、あたしをダーザインの仲間に引き入れたい。そういう事ね?」

「君はずいぶんと幼い割に理解が早い。そういった所も評価に値するだろう。」

「そりゃあ貴方から見たら十二歳なんてまだまだ子供でしょうけど。でもあたしは六歳の頃からこの「力」についてずっと悩んで検証を続けてきたわ。幼くったってなんだって、それが自分に関わる事であれば誰だって一度は真剣に向き合うものよ」

 

男の年齢は定かではないが、およそ2mは超える長身と大人びた口調を聞いていれば嫌でもわかる。

この人はあたしよりも一回りは年上なのは間違いないって。

だから経験で勝てる見込みがないのはわかる。

でもとにかくどこか頭角を見せ、自分が何かの役に立つと思わせられなければ彼の言う記憶処理にかかってしまうかもしれない。

味方にしたいと思わせられる武器があたしにあるとしたら、それはこの「力」ぐらいのものだ。

そこを積極的にアピールしようとした矢先、彼はぽかんとした顔をして動きを止めた。

 

「何……どうしたの?」

「いや、失礼。君が十二歳というのは本当か?」

「そうだけど?」

「すまない、てっきり5歳ぐらいかと……」

「は、はぁ~~~!?」

 

とんでもない事を口走った男に、あたしは思わず掴みかかるように目を向ける。

 

「貴方ねぇ!? いくらなんでもあたしの事を馬鹿にしすぎていない? どこにこんな流暢に物を喋る五歳児が居るっていうのよ!?」

「いや、本当に済まない。おかしいとは思ったんだ、こんな落ち着いてしっかりした5歳なんてずいぶん珍しいと……」

「当たり前でしょう!? 5歳なんてあたし自分の「力」すら自覚していないわよ。全く失礼しちゃう!」

「申し訳ない……いい訳がましいかもしれないが、私の生まれた《世界》では5歳児はちょうど君ぐらいの身長をしているんだ。十二歳になる頃には男女共に身長170㎝を超えているのが普通でな。とても君はそうとは見えなくて」

「たしかに日本人の平均身長よりは少し背が低いわよ、でもねこれでもれっきとした十二歳、中一なんで! チビで申し訳ないですが認識を改めていただけますかっ?」

 

チビで発育が悪いのはあたしも自覚している所はある。

でもいくらなんでも、こんな間違い酷すぎる。

あたしはぷりぷりと怒りながらその男をねめつけると、彼はばつが悪そうに眼を瞑り、やがて大きく頷きながら息を吐いた。

 

「……肝に銘じるとしよう、アヤミ」

「ありがとうございます、シリウスさん。で、あたしは一体どうすればいい?」

「共に本部へ向かおう。道すがら、君の今までの生い立ちを聞く。それでいいか?」

「了解。あたしの事ももちろんだけど、貴方の話も聞きたいわ」

 

ちらりと彼の顔を見上げてあたしが言うと、シリウスはしょうがないなと言いたげに小さく微笑んだのだった。

 

「君はずいぶん弁が立つ。質問攻めに合いそうだな」

「かもね。でもあたしの事ばかり貴方が知る事になるなんてフェアじゃないでしょ? それにどうせ、マズい事があればあたしの記憶は消せる訳だし。なら何も問題ないじゃない。せめて貴方がここで何をしてる人なのかぐらい教えてよ」

「あまり自分の事を話すのは得意ではないんだが……私は医師だ。ここダーザインの臨時職員として感染対策課に派遣されてきたバースセイバーでもある。普段は祖国で戦争に参加している軍人だ。次の戦までにまだ暫く時間があったからな、臨時職員として一週間ほどこちらに派遣されたばかりだった」

「じゃあ、来てすぐにあたしが現れたってこと?」

「そういう事になるな」

「へぇ……これは運命的なものを感じちゃうわね」

「君がその力で私を呼び出したのだとしたら、君は自分の力で運命を切り開いている事になる。理由があって俺を呼び、そしてはるばるダーザインまで己の身を転移させてきたのだろう。それが君が心から望んだことだったのだとしたら、おそらくそう悪いことも起こるまい」

 

これからダーザインで何が起こるかわからないと、少し緊張気味だったあたしを元気づけようとしてくれたのかもしれない。

それでもこれから先に待っている出来事が、もしかしたらあたしにとってより良い出来事になるかもしれないと思えるのは嬉しかった。

 

「ありがとう。実はあたしはね、自分の持っている「力」がどんなものかわからなくて、知りたくて、そんな自分を助けてほしくて、気づいたら貴方の絵を描いてたの。出会ったこともないのに、不思議よね。あたしのこの「力」って、本来なら存在しなかったはずの人間を、自分の望みを叶えるために無意識に生み出してしまうものなんじゃないかって……ずっとそういう心配をしていたの。もしそうなら、あたしの力は《世界》に対してずいぶんと悪影響を及ぼしてしまいそうだったから。……貴方はそうではないわよね?」

 

恐る恐る問うと、彼は大丈夫だと大きく頷いた。

 

「私は君が望むよりもはるかに昔に生まれている。君の望みを叶える為にこの世に生まれ落ちた存在ではない」

「そっか。そりゃあそうよね」

「だが先に言っておく。君の話を聞く限り、その「力」は君の望みを叶えるための能力である可能性は極めて高い」

「……うん」

「だがそれは君が望みを叶えるために、利己的に存在しないはずの者を生み出している訳ではないことは私の存在で既に証明されている。考えられるとすればもっと別の事象……例えば自分と他人の絆を紡ぐような、そんな形の能力であるのだろう」

「絆を紡ぐ……」

「そうだ。もしかしたら人ではなく、別の《世界》との絆を紡いでいる可能性すらある。君の暮らすテラスフィアでは考えもつかないような法則・規則で構成された《世界》。そこには君の知らない、別の常識が存在する。《世界》と《世界》を跨にかけ移動を行っても《感染源》とならなかった君には少なくともVS能力が備わっている。それならば、本来とは異なる《世界》に意識的に手を伸ばし、その法則の片鱗を得てテラスフィアで行使出来ていたとしてもおかしくはない」

「そういうものかしら」

「可能性はある、という話だがな」

「うん。……でも絆を紡ぐ、ってなんかいいかも。もしそれが本当だったとしたら、あたしは《世界》を壊している訳じゃない。ただ見えない《世界》と《世界》を、人と人とを繋いでいただけなんだって、少し前向きに思えるから」

 

一時は何が現実なのかすらわからない恐怖があった。

でも、この世に起きている事すべてが本当に実在する《世界》のものであるとしたら。

あたしは何もわからない訳ではなくなる。

もっとたくさんの現実を知る事ができているだけなんだって、そんな風に考えられるから。

 

実際にそれが本当かはまだわからないけれど、隣を歩く長身の男が齎したその考え方は、崩れかけたあたしの心の中に一つの大きな支えを作ってくれた。

自分の中で壊れかけた現実が、違う色を帯びて再構成されていくような不思議な感覚。

まだまだこの《世界》は分からない事ばかりだけれど、それでも新しい色を帯びた現実は意外と悪くはなかった。

 

「……ありがと、シリウスせんせ」

「礼を言うのはまだ早いぞ。本部で君はこれから質問攻めに合うだろう。すべてはそれを乗り切ってからだ」

「――そうね、まずはあたしの事を知ってもらって、話はそれからだわ」

「俺がしてやれるのはここまでだ。あとはアヤミ。君が自分の手で運命を切り開け」

 

本部に連絡がつき、ほどなくして案内の者が駆けつける。

あたしの心を救ってくれた彼との別れも近い。

 

「ねぇ、シリウスせんせ」

 

別れ際、あたしは彼の手を取ると囁いた。

 

「もし……もしもよ。あたしがバースセイバーになったとしたら、またせんせに会えると思う?」

 

せいぜい半日の付き合いだったというのに、離れがたいと思ってしまったその大きな手を揺すりあたしは彼に言った。

 

「あたし、もう一度貴方に会いたい。会えたら、あたしがこの《世界》で知った事、この「力」の事でわかった事、全部伝えたいの。無理……かな」

「さて……どうだかな。バースセイバーはあらゆる《世界》に配属される。任務で一緒になる事ももしかしたらあるかもしれないが、私は祖国で戦争があれば国に戻り戦に赴かなくてはならない。必然的に暫くバースセイバーとしての任務は休止となる故、偶然また出会える可能性はそう高くはないだろう。君が任務でものすごい成果をあげ有名になるか、それこそ一部隊を任せられる隊長ランクにでもなるか……。それぐらいすれば、君は隊長権限を使って私の事を呼び出すぐらいはできるかもしれないがな」

 

彼はそう言うと手を離し、そのかわりあたしの瞳を見つめて言った。

 

「私は君のように《世界》の事を考えられる人間が上に立ってくれればと、いつも思う。そうすれば、祖国の戦争もきっとなくなるだろうにな」

「……え」

「健闘を祈る」

 

そう言い残して、彼は踵を返すと颯爽と姿を消した。

 

「隊長、か」

 

見上げれば異世界であるカノニカルの地にも、街の片隅に桜のような淡い薄紅色の花が咲いていた。

その時見送った黒くて大きな背中と、散りゆく美しい花びらの姿を、あたしは今でも鮮明に覚えている。

一度も振り向くことがなかったその背を、それから暫くあたしは我武者羅に追いかけ続ける事になる。

 

――気づけば2年が経ち、あたしは14歳になっていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

二年後。

十四歳になったあたしはバースセイバーとして精力的に活動をしていた。

色々と調べてもらった結果、あたしの持つ能力はせんせが言ってたものによく似たもので、非常に珍しい上に一歩使い方を誤れば《世界》を混沌の海へと落としてしまいかねない危険なものであると判断された。

故にあたしは、絵を描く右腕にアームガード型のリミッターを施される事になった。

十星ともなれば体の至る所にジャラジャラとリミッターを付けなくてはいけないようだが、あたしはたった一つだけ。

でもこれがある限り、あたしのVS能力は制限がかかりそう簡単に問題が起きることはないらしい。

こんな便利なものがあるのならもっと早く知りたかったと思うほど、それからの生活は快適だった。

もうあたしは、この「力」に怯えて過ごす必要がなくなったから。

 

テラスフィア――地球にも《門》と呼ばれるものがあり、そこを通る事でカノニカルへと行き来が可能であることを知ったあたしは、普段はテラスフィアの中学校に通い、週末やまとまった休みになると両親にはオタ活と称してカノニカルへ渡り、バースセイバーとして活動する。

そんな多忙な日々を過ごしていた。

頻繁にオタ活に出るあたしをパパとママは少し訝しげに初めは見ていたけれど、家に引きこもり朝昼逆転の生活で絵を描き続けていた昔を思えば、今はまだ外に出てアクティブに活動しているだけマシだと思っているらしい。

何より日に日に元気になり、ご飯もある程度しっかり食べるようになったあたしを見てパパとママは安堵したようだった。

 

(心配かけてばかりでごめん)

 

そう思いながら、それでもカノニカルへ通う事はやめれないのにはいろいろと理由がある。

地球以外にも色々な《世界》があるのだと知ってしまった今となっては、地球に固執する意味がそこそこ失われてしまったというのもあるし、バースセイバーとなった今、自分の持つ「力」を使って人や世界を救う事ができる事に誇りや生きがいのようなものを感じていた。

それに、あたしのように異能を持ってしまった事で悩み、苦しみ、心を失いそうになってしまう人だって、まだまだどこかに居るかもしれない。

そんな人々の救済窓口の一つとなるのがダーザイン……しいてはバースセイバーという存在だとあたしは思う。

少なくともあたしは、バースセイバーになれてよかったと思っている。

だからこそあたしは異世界での活動をやめる気はなかった。

 

《門》までの交通費は、バースセイバーとして稼いだPOSを日本円に変換して渡してもらい使用している。

どういう理論でそんな事ができるのかあたしにはわからなったけれど、バイトをする時間も取れないような目まぐるしい日々を過ごしていたこともあり、この措置は大変ありがたかった。

 

そんな折、界賊の手により荒れ爛れた《世界》の法則を正し、復興する為にあたしの「力」を使われる事になった。

リミッターを外し久しぶりに全身全霊で絵を描いたあたしは、描き終わった直後3日間、泥のように体が動かずただひたすらに倒れこむように深い眠りについた。

その間に修復を受けた《世界》は瞬く間に再生を開始し、あたしが長い眠りから目を覚ました頃、その《世界》は目覚ましい復興を遂げていると喜びの連絡が入った。

一度は恐れ、不安に駆り立たれたこの「力」。

それがどこかの《世界》の誰かの役に立ったという事が、何よりも嬉しかった。

 

幸運な事にその功績からあたしの力は本部に認められ、中学卒業と同時に新設される部隊の隊長を任される事になった。

風の噂によると、一部からはまだ幼く早すぎるのではという反対意見もあったようだけど、どこかの誰かがその意見をねじ伏せてくれたらしい。

来期より新しい部隊の隊長に就任するという決定はあたしが中学を卒業するよりも前に下り、学生としての最後の冬はあかりちゃん達仲良しグループと学生生活を満喫しつつ、旅行へでかけたり地球での生活を心ゆくまで堪能した。

 

15歳になり中学を無事卒業したあたしは札幌の実家を出て小さなワンルームを間借りし、ついでにカノニカルにあるダーザインの所有する敷地の一角にある、感染対策課の寮の一室に実際に暮らす住居を設けた。

寮の一室に実際に暮らす住居を設けた。

単身寮であるその部屋は、独身寮と比べても少しだけ広々としていて間取りにゆとりがあり、画材やキャンバスを置いてアトリエ代わりにも使えるスペースを用意できそうで、独身にもかかわらず多少ダーザインに無理を言ってその部屋を使わせてもらう事にした。

そうして親が様子を見に来た時にだけテラスフィアに戻り、暫し両親と一緒に過ごした後、また普段はカノニカルで部隊長業務をする。

そういうプランで生活を始めることに決めた。

先の功績で条件付きでリミッターの解除も許可してもらえるようになったものの、まだこの「力」を誰彼構わず教える事は怖かったので、あたしは暫く自分の「力」の事は隠し、カノニカルで活動を続ける事となった。

 

だが、テラスフィアとカノニカルでの二重生活は思ったよりも大変で忙しい。

それは2年のうちによくわかっていたので、あたしは本部に許可を得て、アームガードを外し一枚の絵を描いた。

 

――あたしをそばで支えてくれる、姉のような存在が必要だわ。

 

「力」を持つが故の苦悩を理解してくれて、そんなあたしを傍で叱咤激励してくれる。

そんな人にそばにいてほしい。

甘やかすだけでは駄目だ。

優しいけれど、時に隊長である自分の尻を叩き、諫め、正しい方向に導いてくれるような、そんな芯が強い人。

そんな人との絆を紡ぐために、あたしは右手に筆を執った。

そうしてあたしの設立した部隊「Fizz」に一人目のメンバーがやってきた。

桜色の長い髪をたなびかせた、修道女のような姿をした美しい女性、シャルトリーゼだった。

彼女のおかげで新しく設立される部隊の準備も整い、いよいよ明日から、あたしの新しい生活が始まろうとしている。

ドキドキとワクワクが入り混じり、胸の高鳴りが止まらなかった。

気づけば窓の外には、あの日見た美しい薄紅色の花が咲いていた。

いつからだろう、この「力」を使う事に抵抗がなくなってきたのは。

まだ少し恐ろしいと感じる部分もあるけれど、それでもこれは人と人との絆を紡ぐ「力」だ。

そう教えてくれたのは、あたしを絶望の淵から救ってくれた、あの長身の先生だった。

 

「待たせたか」

「やっほ、せんせ。呼び出しちゃってごめん。でもあたし、明日部隊長になるんだよ」

 

彼と別れてから、ずっとこの日を夢見ていた。

彼と再び出会える日を。

あたしは明日、名実共に部隊長となる暁に、彼をこの感染対策課の医務室へと呼び出している。

あたし達が初めて出会った場所は、今まさにここだった。

あたしはあの日居た白いベッドの上でだらしなく胡坐をかいて座ったまま、入り口付近に立ち止まったままの長身の男に向けてニシシと笑ってみせた。

 

「ねぇ、せんせ。あたしの部隊に入ってよ。あたし、せんせに話したいことがいっぱいいっぱいあるんだから」

 

忘れたとは言わせない。

あたしが隊長となったのは、彼の望みでもあるはずだ。

彼の言葉が、存在が、あたしの運命を大きく変えた。

だから次はあたしが、この人の運命を変える番だ。

 

「私に拒否権はないのだろう?」

 

コツコツとゆっくりと足音を立てて、彼がこちらへと歩いてくる。

その懐かしい黒髪が揺れるのを見つめながら、あたしは生意気そうに答えた。

 

「そうね。これ、たいちょーめーれーだからっ」

 

窓の外には優しい花びらの雨が降っている。

その温かい日差し差し込む医務室のベッドから、勢いよく彼に向ってジャンプした。

一瞬だけ彼が慌てたような顔をしたけれど、次の瞬間にはその大きな体がしっかりとあたしの身体を受け止めてくれる。

 

「2年も経てば少しは大人になったと思ったのだが……」

「見た目だけだった?」

「そうだな。中身は退化している気さえする」

「それはどうも。中身はってことは、見た目は少しは女らしくなったと受けとっておくね」

「……相変わらず弁が立つな、君は」

 

少し困ったように顔をしかめた彼を見て、あたしは有難うと呟いた。

 

「せんせでしょ? あたしが隊長になる事を後押ししてくれたの」

「……気づいていたのか」

「確証は何もなかったけどね、ただそんな気がしただけ。感謝してるわ、あたしに隊長権限を与えてくれて」

「いつか言ったはずだ。君のような人が隊長になってくれればいい、と」

「そうね。だからなっちゃった。隊長に」

「お手並み拝見、だな」

「あら、手となり足となり働いてもらうわよ? それこそ隊長命令ってやつで」

 

二人顔を見合わせ笑い合う。

 

「任されよう。それが君の意思だというのなら」

 

あたしの身体をそっと床へ下すと、彼は普段の生真面目な顔をして頷く。

さっきは確かに笑ってくれたはずなのに、出会った頃からそうだ。

優しいけれど生真面目で不愛想で。

そしてちょっと距離が近づいたと思ったら、そうやってすぐに線を引く。

 

――悔しいけれど、あたしはせんせの事が好きだ。

 

彼から見ればあたしはまだまだ幼くて、ちんちくりんもいいところだと思うけど。

それでも一歩一歩、距離は近づいてはいっているはずだ。

変わっていくはずだ、生きている限り。

 

あたしは変わる。

貴方も変わる。

人も、《世界》すらもきっと。

 

「本当の事を言うとね、せんせと出会う直前まではもう死んでもいいって思ってたの。でも今は違う。生きていてよかったと思ってるわ、あたし。バースセイバーになれてよかった。知らないはずの《世界》を見て、おかげで少し、変わることができた。全部せんせのおかげだと思ってる。ありがとう、生まれてきてくれて。あたしの前に現れてくれてありがとう……」

 

あの日伝えられなかった感謝を口にすると、感極まって思わず涙が零れた。

今日という日に辿り着くまで、本当に色んなことがあった。

その全てが全て幸せな記憶ではなかったとしても、それでも全ての出来事には意味があると、今では思う。

この場所に辿り着くまでに必要な事だったのだと思えるのなら、あたしの人生はトータルで見て幸せだったのだろう。

 

――だってあたしは今、最も望んだ《世界》に立っているから。

 

「これからも傍で支えてもらえない? あたしの事も、部隊の事も」

「君は自分が思った以上にちゃんとしている。私の支えがなくとも、おそらくあの時も自分の足でどうにか先へ向かい歩いていっただろう。だが――」

「……だが?」

「私が望んだんだ。君のような隊長を」

 

穏やかな黒みがかった緋色の双眼が、少しだけ薄く微笑んだ。

それだけでもわかる。

この人はあたしという存在を喜んで受け入れてくれているんだって。

 

「だから力となろう。共にバースセイバーとして」

 

差し出された大きな右手。

それに自分の右手をそっと重ねる。

 

「……うん! 今までも、そしてこれからもどうぞよろしく!」

 

その温かな手を握り返しながら、あたしは今日一番の笑顔でほほ笑んだ。

この手を取ることが出来た今の自分を、宇宙一誇りに思う。

 

幼い頃から、あたしは絵を描くことが好きだった。

優しいパパとママと友達に囲まれ、その世界は小さいながらも幸せだった。

でもきっと、幸せの形すらもきっとこうして変わっていく。

あたしはあたしで、自分の力でこれからも幸せな《世界》を見つけていくんだ。

絵を描くだけじゃない。

言葉で、行動で、そしてこれから出会うであろう、他の新しいメンバーたちとも一緒に。

 

一人でスケッチブックに向かっているだけじゃ得られなかった幸せが、ここにある。

人との関りを持つことで初めて生まれ得る幸福を今、あたしは実感している。

人や《世界》だけじゃない。

一時期は恐れ慄いたこの「力」さえも愛して生きていく。

それがこれからのあたしの生き方だ。

 

――それが、あたしの望む幸せな世界だ。

 

 

 

                                    【Fin】

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