白翼の守護者   作:綾海しろ

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第4章 李白と不浄のもの

「ご苦労だったな。皆、疲れただろう」

 

弥生からの伝令を受け、事務所で待っていたジオリードが我々を労うように迎え入れる。

そのすぐ傍のキッチンでは、アイゼが人数分のコーヒーとココアを準備して私たちの帰りを待っていてくれていた。

感染対策課【Fizz】の面々が、こうして一堂に会するのは実に久しぶりの事である。

 

アイゼから熱々のコーヒーを受け取り喉に流し込むと、疲れた体に染み渡り少しだけ気が和らぐ。

事務所に戻りやっと卵の禍々しさから解放されたのか、他の面々も肩の荷が下りたと言わんばかりに体を大きく伸ばして寛いでいた。

そんな中、ジオリードは弥生から今日の報告書を受け取ると、シャツの首元を少し緩めゆっくりとソファーに腰を下ろした。

 

「卵型の《感染源》か……」

 

何か思うところがあるのだろうか。

報告書に視線を落としていたジオリードが、長い足を組みなおすと確認するように顔を上げる。

 

「エイト、言うまでもないだろうが《感染源》に触れた者はいないな?」

「ああ。一定の距離を取った上で目視で確認、皆触れずに撤退している」

「それならば良い」

「一応、弥生が何度か一時的な封印を施そうとしたが、それは上手くいかなかった」

「卵の力が想像以上に強くて。何度かいろんな形の印を結んでみたけれど無効化されたわ。だからジオリードさん、一時的にあの森を私たち以外、立ち入り禁止にしてもらえないかしら。あの卵を仮封印するにはある程度の準備が必要になると思うの。その間に一般人が《感染源》に触れる機会があってはならないわ」

 

そう言うと弥生は小さな瓶を袖から取り出す。

 

「私は明日、一度実家へ顔を出してこようと思うの。卵の封印には実家の裏手の泉に湧く霊水と、封印専用の霊符が必要になりそうだから。あの卵はおそらくB級程度のバースセイバーでは手に負えない存在よ。A級かS級の部隊に任せて最終的に除去してもらうにしても、対応を任せるまでの間を繋ぐ仮封印はしておく必要がある。六花家のすべての力をもって、私が対応に当たるわ」

 

彼女の家系は、先祖代々続くバリバリのバースセイバーの一族である。

封印術は弥生の家の十八番であり、彼女にもそれ相応の使命感のようなものもあるのだろう。

やる気に満ちた弥生を前に、ジオリードは苦笑気味に肩を揺らした。

 

「わかった、それではこの卵の仮封印は弥生に任せることとしよう」

「ありがとうジオリードさん……! それともう一つ。私が実家に戻る間、誰かに李白のことをお願いしたいの。今回は明確な理由があって実家に一時帰還するけれど……その…………封印の儀をきちんと行う為に禊も済ませてたくて……」

 

先ほどまでの威勢のよさは一体どこへ行ったのか。

珍しく顔を赤らめ恥ずかしそうに語尾をすぼめた弥生に、一同は目を丸くする。

禊とは神聖なる儀式の前に、霊水で穢れを払い、心身を清める事を指すのだろう。

 

「あー。つまり弥生は、お風呂に入ってくるってことだね!」

 

完全に理解したと言わんばかりに、リネットが得意げに人差し指を立てる。

 

「ばっ……お前、ちょっとは空気読めリネット! 風呂と禊を一緒にすんな!」

「えーっ、そんなに違うかなぁ……? たいして変わらないと思うけど」

「いいから、お前が話すと話がややこしくなる。黙っとけ」

 

リネットの口を後ろから両手で塞ぐヴァレリアの横で、李白は首を縦に振る。

 

「確かにそれは、今回ばかりは僕も同行できませんね。より高度な封印術を行う為に必要な事ですから、気にしないでください弥生」

「わ、悪いわね李白……そういう事だから、誰か李白の様子を見ておいてほしいの」

「それなら私とジオが面倒を見るわ」

 

普段から口数が少ないせいもあるが、コーヒーとココアを淹れたきり静寂を貫いていたアイゼが唐突に口を開いた。

 

「明日はどうせ事務所に居るし、彼を外に出さなければ《不浄のもの》が暴れたとしても問題ないでしょう?」

 

彼女がちらりと李白の様子を伺うと、李白は一瞬だけ思考したのちに目を細めて頷いた。

 

「そうですね、そうかもしれません。ええ」

「それなら決まりね」

「どうせだから《不浄のもの》に関する研究を進めるのもいいかもしれんな、アイゼ。これも立派な《感染源》の一つだ。何かの役に立つかもしれん。明日が楽しみになってきたぞ、フハハハハ!」

 

ジオリードが長い指をわきわきと動かしながら、不敵な笑みを漏らす。

 

「うわぁ、普段は大人っぽくてホストみたいにイケメンなおじさん! って感じなのに、なんかこういう時のジオリードさんはちょっと変態っぽいねぇ?」

「まあ、おっさんっていうのはこういうもんだ」

 

しみじみと感嘆の声を上げるリネットの後ろで、ヴァレリアがややドン引きした姿を見せる。

 

「フッ……イケおじの良さがわかるまで後10年といったところだな、別に悲しくなんてないぞ……」

 

対するジオリードは想像以上にショックを受け、大げさなほどにしょげていた。

 

「わ、わたしはジオリードさんの事好きだよ。親戚のおじさんみたいな感じで」

 

スズがフォローにならないフォローを入れ、リネットがそれに賛同するようにウンウンと頷く。

そんな様子を困ったように見守る李白に、もはや封印の事しか頭にない弥生。

段々と手を付けられなくなってきてどうしようかと思っていたところで、堪忍袋が切れたアイゼがうっすらと青筋を立てながらゆらりと立ち上がった。

 

「そこまでにしておきなさい貴方たち……これ以上、ジオを辱めることは私が許さない」

 

戦闘時に出す怒りのオーラのようなものを纏うアイゼの姿に、私たちは瞬時に肝を冷やした。

このアイゼという女性は普段は大変物静かなのだが、ジオリードの事となると途端にその身を豹変する。

それは恐らく、恋人を愛するあまりの行き過ぎた行動なのかもしれないが、周囲に居る人間から見ると少々厄介な存在だ。

ジオリードに仇成す人間を、アイゼはけして許しはしないし、容赦もしない。

それが私たちにとって、こうして裏目に出ることがある。

 

「ジオはね、少し研究馬鹿でギャグが寒い所を除けば、頭も顔も良く文武両道……自信家で愛情深く人間らしい最高の男なのよ…?」

 

くわっと目を見開き、スズとリネットを見下ろすアイゼ。

 

「わ、わぁ…! アイゼさん、おおおお落ち着いて……」

「知ってます、わかってます、ジオさんはと~っても素敵ですよね~!?」

 

オロオロするスズを庇うよう前に立ち、リネットが間髪入れずごまを擦る。

しかしそれは完全に彼女の気持ちを逆なでしてしまったようで

 

「あなたみたいな小娘に、ジオの何がわかるっていうのッ!」

 

完全に説教モードに入ってしまった般若の面を被ったアイゼを前に、スズとリネットは小一時間ほど正座をさせられ、ジオリードがいかに素晴らしい男性であるかを延々と説かれるはめに陥ったのだった。

 

一方その間。

 

「エイト、私はそんなにおじさん臭いか…?」

「さぁな、私はイケおじとやらとさして歳は変わらないからな……」

「ではヴァレリア、私のギャグはそんなに詰まらんのだろうか……?」

「ノーコメント」

 

面倒臭いジオリードをこれ以上刺激しないよう、残りの面々は当たり障りのない言葉でフォローを続けたのだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

アイゼの長いお説教とジオリードのだる絡みから解放された面々は、さすがに疲労困憊であったようで、一人また一人と気づけば自分の部屋へと引き上げていった。

そんな中、最後まで事務所に残り、今日の報告書を閲覧している一人の男の姿があった。

 

「私の《感染源》と卵は、何か密接な関係があるのかもしれない」

 

そう独り言ち、指でなぞるよう丁寧にそれを読み進めた李白は、やはり今日見た以上の情報を得ることは出来ず、深いため息をつきながら報告書を閉じた。

 

森の湖畔に佇む、卵のような形をした《感染源》。

あれをこの目で見た時、心の中がかき乱されてどうしようもない焦燥感に晒された。

普段はなりを潜めている、もう一人の自分。

以前《不浄のもの》に感染してしまった後、自分の中に現れたもう一人の人格が、確かにあの卵に反応したのだ。

 

「もし次の任務であの場に行くことがあれば何か、手掛かりが掴めるでしょうか……」

 

神妙な面持ちで李白が呟いたその時、自身の不浄の存在が突然脳内に語りかけてきた。

 

『クククッ……。アレが気になるだろう、教えてやろうか』

 

普段は感情が高ぶると、負の感情に飲み込まれ人格を乗っ取られるような形で顕在化する《不浄のもの》。

それが初めて自分を抑え込まず、こうして対話を試みてきたことに李白は動揺を隠せずにいた。

 

『今更なに驚いてやがる優男。長い間、一緒に暮らしてきた仲だろう? そんなことよりアレが何か知りたいようだから教えてやるよ。アレは俺の半身だ。俺はかつて偉大な存在としてあらゆる世界を行き来して、全ての《可能性》を食らって生きてきた。だが、お前らみたいな奴らが俺を驚異に思い、あろう事か俺様達を分割して封印しやがった。封印されたおかげで半身を探すことが出来なくなっていたが、どうやらツキが回ってきたようだな! ハハハッ!」

 

上機嫌で笑う《不浄のもの》を声を聴きながら、李白はこの状況に戸惑いつつも冷静に考えを張り巡らせていた。

 

――当然、あの場に行ってはいけないことは明白だ。

 

《不浄のもの》が言っていることが正しければ、卵と《不浄のもの》が合わされば、瞬く間に《感染爆発》を起こし、最悪の場合あの《世界》は消滅する。

しかし今回李白があの卵に触れなかったのは、もはや奇跡というしかなかった。

リネット達が傍に寄るのも耐えきれないと卵を遠ざけるすぐ傍で、李白だけはあの卵になぜか心惹かれ、最後まで目を離す事すらできなかったのだから。

 

――皆が居なければきっと欲望に負けて、自分はあの卵を掘り返していたのだろう。

 

ゾッとするような寒気を覚えながら、李白は己を少しでも落ち着かせようと拳をゆっくりと握りしめた。

しかし《不浄のもの》は冷静になろうとしている李白を更に畳みかける。

 

『おっと、つまらねえことを考えるんじゃあねえぞ。お前を乗っ取ってあの《世界》まで行けなくもないが、いつもお前に付きまとってる黒髪の女が来たら面倒だ。あいつの封印術は俺様にとって今は少しばかり面倒なものだからな。何、ちょうど明日は女が出かけて居ないんだ。朝、笑顔で女を見送ってから、知らないふりをしてまたあの《世界》に行くといい。そして卵に触れろ。そうすれば俺様は復活できる……ッ!」

 

李白はもはや呆然と立ち尽くす事しかできなかった。

 

『そうだ、俺様が復活したらお前の中から出て行ってやろう。元に戻ればお前なんぞ用無しだからな。あの女に迷惑をかける事なく、自由に生活がしたいだろ? ここで治療と称してモルモット扱いも疲れただろ? 全部解放されるぞ、クククッ! 半身を取り戻すことが出来れば、あの女程度の力じゃどうすることも出来ない。その後は俺様はお前らが干渉しない別の《世界》まで飛んで、自由を謳歌させてもらう。どうだ、俺にとってもお前にとっても悪くない条件だろう? 何もかもお前次第だ。俺様はいつまでも待っているぞ。クククッ! ハハハハハッッ!」

 

さっきまで消そうと思っても消えなかった不愉快な声が、それを境に脳内から去る。

静まり切った事務所の中で、李白は動揺を隠せずにいた。

 

――解放される? あの《不浄のもの》から?

 

李白を堕落させるための悪魔の囁きは、けして聞いてはいけないと分かっていても大変魅力的なものであった。

この《不浄のもの》に取り憑かれてから一体どれぐらいの時が流れただろう。

思わず唇をかみしめる。

 

五年ほど前。

十五の時に幼馴染の弥生の許嫁となった李白は、いずれ六花家に婿入りを果たし、彼女と一緒にあの家を護っていくのだと思っていた。

 

だが、ちょっとした好奇心から彼女の家の奥に祭られていた一本の竹笛に触れた瞬間、瞬く間に体を乗っ取られ《不浄のもの》にこの身の半分を明け渡す事となってしまった。

竹笛の唄口のまわりには小さな緑の勾玉がはめ込まれており、どうやらこの勾玉部分に《不浄のもの》の本体が封じられていたらしい。

《不浄のもの》はこの竹笛を肌身離さず持ち歩くよう、李白の体を度々乗っ取り拘束する。

奴の性格はあまりにも自分本位で、ふとした拍子に自由気ままに李白の自由を奪うばかりでなく、時には弥生まで弄ぶ。

 

あれ以来、《不浄のもの》はこの体を出ていかない。

弥生にかけてもらった封印術で、普段はある程度その身が表に出てこないよう抑える事に成功しているが、それでも感情が高ぶると《不浄のもの》は力を増し、勝手に表に出てきては暴れるのだ。

 

正直なところ、《不浄のもの》にその身を乗っ取られる事自体はまだ我慢出来た。

治療と称した実験の数々も、表には出さないが自分にとって過酷なものではあったがまだ耐えられる。

 

しかし奴は李白の体を乗っ取ると、大抵弥生に悪さを働く。

いじめるぐらいならかわいいものだが、いつかその身を手籠めにしようとするのではないかと冷や冷やする事もあり、李白はいつも気が気ではなかった。

出来るものなら《不浄のもの》と弥生を引き離したいが、弥生の封印術で奴を抑えてもらわなくては人間らしいまともな生活すら送ることができない有様だ。

現状としてはどうしても弥生に頼らざるを得なく、また正義感が強い彼女が《不浄のもの》を放り出してどこかに行くなんて事も、絶対にあり得ないとわかりきっている。

 

しかしもし《不浄のもの》からこの身が解放されれば、そのような心配事は全てなくなる。

弥生との自由な生活は李白にとって本心から望んでいたことであり、自分が解放されれば弥生も責務を果たす必要がなくなり二人穏やかな生活が始まるのだ。

そう考えると、どうしても心が躍る。

 

だが《不浄のもの》がこの身から出ていくということは、あの卵を喰らい、半身を手にすることを意味する。

あの《世界》は恐らく滅ぶであろうし、穏やかに暮らしている人々の《可能性》は無残に消え去るのだろう。

 

――己を犠牲にしてでも、あの世界を守る理由はあるのだろうか。

 

無限ともいえる苦悩を強いられ続けてきた李白は、ついそんなことを考えてしまう。

 

『なぁ、優男。楽になっちまおうぜ?』

 

消えたと思ったはずのいやらしい声が、また脳裏を掠める。

今にも表に出てきそうなそれを李白は必死に心の中で押さえつけながら、虚ろな瞳で感染対策課を後にした。

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