「エイト、遅くにごめんね。まだ起きてる?」
夜更けすぎ、トレーニングを終えそろそろ寝ようとしていた私のもとにスズが訪れた。
寝付けないのだと言った彼女は、狭くも広くもない一人部屋の一室に布団を二枚並べて敷き、持ってきた自分の枕を私のすぐそばに寄せる。
幼い頃から何か不安な事があると、スズは大抵こうやって私の隣で眠りにつこうとするのだった。
「今日行った《世界》、本当にオラクルネストによく似ていたね」
「そうだな。あの森も湖も、昔見た風景そっくりで驚いたよ」
すり寄るスズの首元まで布団をしっかりかけてやりながら、今日の出来事を思い返す。
細部は勿論違うのだが、緑豊かな大地も、木陰に吹く風も、まばゆい日差しが差し込みきらきらと光る水面を湛えた湖も、確かにあの森は私たちの故郷によく似ていた。
違うとすればオラクルネストのほうがさらに高度な文明を築いており、豊かな大地と神託の他に、ナノオートマタ(小型機械人形)と言われる機械の瞳を搭載した白い小鳥型の人形が常に街のまわりを巡回し、有事の際など必要があればすぐにでも神の御使いの元へ集まり、防衛機構に姿を変えた所だろう。
ナノオートマタは神の御使いが有する光のエネルギーでのみ使役される。
神の御使いは生まれながらにプリスターと呼ばれる光のエネルギーを蓄積するための宝石のような物を体内に有しており、その宝石は幼少期に背中の羽の付け根あたりから姿を現し、やがて体から切り離され浮遊する。
それがまるで水ぶくれのようにも見え、プリスターという名がついたらしい。
プリスターは金色の金属のような物で覆われており、身体の成長と共に中の宝石も成長し、光のエネルギーを貯めこみながら姿を変えていく。
やがて神の御使いはそのプリスターの光のエネルギーを使い、ナノオートマタを使役し《世界》を護るのだ。
スズも青色の宝石を有したプリスターを所持しており、普段は体内にそれをしまい込んでいるが、その身に危険が迫った際は何よりも早くプリスターが動き出しその身を護る。
背中の羽も同様で普段は意識的にしまっておく事もできるようだが、有事の際は本人の意思に関係なく表に出てきてしまうらしい。
神の御使いを護る、一種の防衛本能のようなものなのかもしれない。
だがオラクルネストの神の御使いは年々その数を減らし、次第に稼働するナノオートマタの数も減り、沢山の鳥の死骸のようにナノオートマタが動きを止め墜落したあの日、“白翼神託世界"オラクルネストは《感染爆発》を起こした。
《感染爆発》の大元は、もちろんあの森で見た卵によく似た石である。
故に私たちは、あの卵に過剰に反応してしまう。
ただでさえ禍々しく、近づく事さえ拒否したくなるほどの負のオーラ。
それが引き起こした大惨事を知るからこそ、余計に気持ちは沈み、不安を隠せなくなるのだ。
私でさえ今も思い出すだけで胸がざわつく。
スズならば余計感傷的になってしまっても仕方ないのかもしれない。
「スズ、大丈夫か?」
腕にすり寄る彼女の髪を優しく撫でてやる。
柔らかな銀色の前髪を少しかき分けると、その隙間から覗くスズの青い瞳が私の姿を捉えた。
「大丈夫だよ、エイトがいてくれるから」
そう言っておすおずと私の手を握ったスズが、子犬のようにふにゃりとほほ笑む。
「エイトは出会ってからずっと、どんな時もわたしの傍にいてくれたよね。それがどんなに嬉しくて、心強かったか。言葉では言い表せないよ」
「それは私も同じだろう。あの時スズに出会えていなければ、私は今、きっとこんなまっとうな人間として暮らしていない。あの滅びゆくオラクルネストで自暴自棄になっていたか、一人無気力に死んでいた」
スズの手を握り返してやりながら天を仰ぎ見る。
言った言葉は全て本心だった。
* * *
忘れもしない。
ナノオートマタが突然動きを止め、森の畔が白い鳥の人形の死骸で埋め尽くされたあの日。
音もなく草花は枯れ、風は止み、川のせせらぎが消えた。
それを境に生命という生命がぷつりと糸が切れたかのように活動を止め、豊かな大地は急速にやせ細っていった。
やがてオラクルネストを飢饉が襲い、人々の体は痩せこけ、栄養を失った体を今度は疫病が蝕んでいく。
少ない食料を求め人々は争い、やがてそれは殺戮劇にまで発展し《世界》は混沌を極めた。
長い間神託による幸せを享受して生きてきた人々にとって、それらはまるで現実味を帯びておらず、思考は奪われ、どう生きることが正解なのかすらわからない。
それでも生きていかねばならなかったので、私は時に盗みを働き、そして時に暴力を振るってどうにか日々を生き繋ぐしかなかった。
私と同じように暴力で命を繋ぐ者は何人もおり、一時は生きるために徒党を組んで生活を共にした。
しかしそれも、わずかに残ったナノオートマタの巡回に捕らわれ粛清される。
生きるために行った行為は《世界》の幸福に直結するとは認められなかったのだ。
収容所では粛清と称して名前を取り上げられ、囚人番号で呼ばれるようになった。
「No.8」
収容所での私の名前はそれであった。
むなしく、それと同時に悔しさがこみ上げた。
収容所に入ってからしばらく、あり得ないほどの干ばつが続きオラクルネストからは沢山の命が失われた。
もうやめてくれと言わんばかりのころにやっと降った恵みの雨。
しかし今度はその長雨が、僅かな作物を腐らせ私たちの希望を無に帰してゆく。
何もできない収容所の中で、腹を空かせながら私はそれを眺めていた。
もはや生きる気力も湧かず、ただ無力なまま神託を待ち、救われたい一心で空を仰いだ。
空から零れ落ちる大粒の雨が、まるで救いを求める人々の涙のようで胸が痛んだのを今でもよく覚えている。
――白翼は、私たちを救ってくれるのではなかったのか?
白い翼をもつ有翼人。
彼らの祈りが届いたとき、オラクルネストには神託が下り《世界》は救われるのだと小さな頃から教えられてきた。
白い鳥は慈愛の証。神の御使いとも言われる白い鳥。
白翼はまさしくこの《世界》では救いの象徴であったにもかかわらず、無残にも私の目の前でまた一羽、白い小鳥は屍と化した。
その時だった。
久しく見ていなかった暖かな太陽のような光が一瞬、目の前を覆った。
眩しい、と思った瞬間にその光は弱弱しく消えさり、かわりに一人の少女が白い翼ひらめかせながら空から降りてきた。
「神の、御使い……?」
白い翼は王族の印。
神の御使いとも言われている有翼人が、人々の前に降り立つのは極めて稀である。
祭事の際に目にすることはあれど、自分のようなただの無翼人とはまるで接点のない存在。
それがなぜこんなところに……そう思いながら、いぶかしげに彼女を見やると、銀色の髪を雨に濡らしながら、その少女はほっとしたように微笑んだ。
「やっと………やっと見つけた……!」
――これが、私とスズの初めての出会いである。
もう5年近く前の事になるだろう。
まだ齢十三歳といった彼女は、その幼さの残る顔立ちには不釣り合いなほど真剣な眼差しでこちらを見つめて言った。
「神託がありました。《世界》を護るために、あなたの手をとるようにと」
「神託……?」
「天啓を得たのです。あなたを探せと。あなたが私の力になってくれる……そう神託が下り、ずっと探していました……!」
何を言っているのかわからなかった。
神託? 天啓?
有翼人たちは祈りでこの世を救ってくれるのではなかったのか?
たった数秒の間に、様々な思いが頭の中を駆け巡る。
「何かの間違いだろう。私には、貴方のような翼を持つ者とは違って、なんの力もない。《世界》を護ることもできない……ただ生きるために人を傷つけ、奪い、あげく収容所行きの人間だ」
これは事実だ。
当時徒党を組んで暮らしていた我々のアジトのすぐ近くには、孤児となった子供たちが瓦礫の片隅で暮らしていた。
その子供たちの飲み水を力で奪おうとした男が居たので、武力には武力でやり返した。
その時に子供たちからわずかばかりの水を分けてもらったが、子供たちが居なければ私はきっとその男を半殺しにして、水の他に食料も奪っていただろう。
――ただ生きるために。
そんな自分が世界を護るなど、なんと馬鹿げた話だ。
そう思ったのに、彼女は頑として自分の意思を曲げずただ首を小さく振った。
「それでもです……! わたしは神託が下りてからずっと、ナノオートマタの瞳を通してあなたの姿を度々追いかけ見ていました。子供たちを護る姿も見ていました。あなたはけして悪意を振りかざすだけの人間じゃない。生きるために、人を助けようとするために罪を犯しただけ。……過ちを犯さない人間なんていません。わたしだって神の御使いであるのに、こんなにも無力で《世界》を護れていない……これは……立派な過ちです」
弱々しくつぶやいた少女は、申し訳なさそうに俯き両手を握りしめた。
しかし。
「でも、最後まで諦めない。わたしはどんなに小さな可能性でも、それがある限り《世界》を救います……!」
この荒廃した世界で、一体どこからそのような強い決意と勇気が湧いてくるのだろうか。
自分よりも幼い少女が、今もなお折れることなく貫く決意。
ビリビリとまるで稲妻さえも発しそうなほど青く燃える彼女の瞳が、はっきりと私を射抜いていた。
「お願いします、力を貸してください。最後まで諦めたくないんです。この《世界》を。救いたい……!」
共に行きましょう。
そう差し出された右手が、小さく震えていたのを今でも鮮明に覚えている。
こんな小さな子供がまだ希望を捨てていないという事実を突きつけられて、もしかしたらこんな所で燻っていた自分にも、まだできることがあるのかもしれないという僅かな期待が胸を掠める。
そのほんの少しの希望を胸に、私は長考した後、結局腹をくくってその手を取った。
「――わかった。私にできることが…。それが天の意志であるというのなら」
どうせここに残っても、遅かれ早かれいずれ野たれ死ぬだけだ。
それならば共に少女と行き、最後にこの世で少しばかり善行を積んでもいいのかもしれない。
柄にもなくそんなことを思ったのだ。
「……! ありがとうございます……!」
先ほどまで人を刺さんと言わんばかりに真剣な眼差しをこちらに向けていた少女が、ふにゃりとまるで子犬のように微笑み、それと同時にがくんと膝をつく。
「大丈夫か!?」
「す、すみません……安心したら、気が抜けちゃって」
それに、いつの間にか年相応の幼い顔立ちで、人懐っこい笑顔を浮かべた彼女を見て思ったのだ。
この《世界》を自分ごときが護れるなんて思いはしないけれど。
――せめて、この幼い少女だけは護ってみせよう。
この想いは今でも変わらない。
* * *
だから彼女と共に、ほんの少しの可能性でも《世界》を救う力を得られるならと、カノニカルへつながる《穴》に飛び込んだ事に後悔はなかった。
故郷を護りきることはできなかったが、それでも私にはスズが居てくれる。
彼女はきっと命ある限り、それが故郷であろうとなかろうと、様々な《世界》をこれからも救い続けるのだろう。
絶望し、すべてを失いかけた私に新たな希望と、人間らしい生き方を与えてくれた少女。
そんな彼女の目的を護ることが、今の私の使命だ。
「神託を聞き、私を探しに来てくれたことに感謝している」
「こちらこそありがとう、エイト。あの時わたしの手を取って、一緒に来てくれて嬉しかった。オラクルネストは救えなかったけれど、エイトのおかげでやれることは全部やれたよ。……少しでも、万に一つの可能性でも《世界》を救えるならと《穴》に飛び込んだ時に思ったの。神の御使いなのに、わたしだけの力ではオラクルネストを救えなかった。でもその時抱いた悲しみや後ろ向きな気持ちはすべて一旦そこに置いてきて、少しでも多くの人を救おうって。だからわたし、これからも頑張るよ。あの《世界》も救えなかったオラクルネストの分まで護ってみせる」
「……そうだな」
「うん。だからこれからも力を貸してね、エイト」
「もちろんだ」
もう一度前髪を撫でてやると、スズは嬉しそうに眼を閉じて布団をかぶった。
「明日も頑張るからもう寝るね! おやすみエイト」
「ああ、おやすみスズ」
話したことで不安な気持ちが少し和らいだのだろう。
部屋を訪れた当初より頬を緩めたスズが、やがて小さな寝息を立てはじめる。
――あの小さかった少女が、もう随分と大きくなったものだ。
しみじみとそう思いながらも、幼い頃と変わらず私の腕をつかんだまま眠ってしまった彼女を見て、変わらぬものも確かにここに存在しているのだと、私も普段より少しばかり満たされた気持ちで一緒に眠りについたのだった。