翌朝、私が朝のルーティンである筋トレを済ませた頃、スズはようやくぼんやりとした目を擦りながら布団から這い出てきた。
「……おはよう、エイト」
「おはようスズ。眠れたか?」
昨晩は悪夢にうなされていたこともあって、普段の朝よりもだいぶ眠そうにしている。
「あの後やっぱり浅くしか眠れなくて……ふわぁあ……」
ようやく深い眠りにつき始めた頃に朝になってしまったのだと、スズは顔を洗いながらまた小さな欠伸をした。
それでも歯を磨き、髪をいつものように二つに結わき終わる頃にはスズもしゃっきりとした姿を見せていたので、少し早いが二人そろって食堂へ朝食をとりに行くことにした。
スズは大の甘党なので、朝から焼いたトーストにイチゴジャムをたっぷりと塗り、口いっぱいに頬張っている。
「おいしい~~」
幸せそうに眼を細めたスズは、もうすっかり元気を取り戻したようだ。
何はともあれ良かったと思いながら、私はゆで卵に軽く塩を振ると鶏むね肉のサラダと一緒に口に運んだ。
「おはよー! 二人とも!」
そこに元気な挨拶と共に、リネットが嵐のようにやってくる。
後ろからはヴァレリアが先ほどまでのスズと同じように、眠そうな顔をして気だるげに食堂に入ってきた。
なんとも両極端な二人である。
「あーっ、スズおいしそうなの食べてる! 私も甘いトーストにしよっかなー」
「ふふ、美味しいよ。リネット達も一緒に食べよう」
「わーい」
一つのテーブルに、ガヤガヤと集まりだした感染対策課のメンバー達。
普段なら弥生と李白もそろそろ来る頃合いなのだが、次に食堂に辿り着いたのは弥生ただ一人だった。
「た、大変なの! 李白が……李白がいない!」
朝一番の会話だというのに、おはようの挨拶もなく弥生が声を荒げる。
几帳面な彼女らしくもなく、豊かな黒髪を珍しく風にはためかせ走ってきたのだろう。
髪は乱れ、ぜいぜいと苦しそうに肩で息をしていた。
「李白さんがいないって、どういう事?」
リネットが慌てて水を持ってくる。
それを受け取り一気に飲み干した後、弥生はようやく落ち着いたのかコップをテーブルに置くと、周囲を見渡しながら答える。
「いつも通り、朝起きて李白の部屋に様子を見に行ったんだけど、李白の姿がなかったの。普段は一緒に食堂に来る前に、一度《不浄のもの》に封印の重ね掛けを行っているのよ。なのにあいつったらもう……!」
一体どこへ行ってしまったのだと、弥生は頭を抱えている。
「朝は一番封印が弱まっているから《不浄もの》がどこかで悪さをしでかしてなきゃいいんだけど……残念ながら、ここには居なさそうね」
「うん。私もエイトも早めに食堂に来ていたけど、李白さんは見かけてないよ」
「食事もちょうど終わったところだ、私とスズも一緒に李白を探そう」
スズと顔を見合わせ頷くと、弥生は少しばかりほっとした様子で手を胸にあてた。
「助かるわ……!」
「わらひとハヘヒハも手伝ふよ!」
「お前は食うか喋るかどっちかにしろ。俺たちも李白を見つけ次第連絡するから、それでいいだろ弥生?」
「ヴァレリアもありがとう、恩に着るわ!」
そう言って弥生はいつものように式紙に命を吹き込むと、スズとリネットの肩に連絡用の小鳥を載せる。
ついでだと言わんばかりに、さらに三枚ほど式紙を取り出し呪いを唱えた。
「急々如律令! 李白を探して!」
いつもと違いやや雑な呪文だったが、それだけ急を要するという事だろう。
そういえば今日は実家へ戻ると言っていた。
朝から予定外のアクシデントが起こり、弥生も気が動転しているのかもしれない。
そんなことを思い、一足先にスズと一緒に李白を探しに食堂を出ようとした時。
「わぷっ……!」
スズが入口で長身の男とぶつかる。
見上げれはそこにはジオリードが立っており、スズはぶつけた鼻を抑えながら慌てて彼に頭を下げた。
「ご、ごめんなさいジオリードさん。ちょっと急いでいて」
「ふむ、周りの確認をしないで廊下を走ろうとするとは感心せんな。それはそうと、朝からそんなに慌てて一体どうした?」
スズの体を支えてやりながら、ジオリードがいぶかしげに首をひねる。
「あのね、李白さんがいなくなっちゃったんだって」
「李白が?」
「朝、《不浄のもの》に封印の重ね掛けをしに行ってみたら、部屋に李白がいないの!」
ジオリードの姿をみつけ、パタパタと走ってきた弥生が会話に加わる。
「今までこんなこと一度もなかったのに……ああほんとにもう! ジオリードさんももし李白を見つけたら、私のところに連れてきてくれないかしら」
「その李白ならここに居るわ」
ぬっとジオリードの後ろから顔を覗かせたアイゼが、猫の首を掴むかのように李白の服の襟元を掴んで前に突き出した。
「李白! あんた一体どこ行ってたのよ!?」
「すみません、弥生……少し早く目が覚めたので、寮の周りを散歩していたんです」
「一人で庭をふらふらしていたから捕まえて連れてきたわ。朝、封印の重ね掛けをしてるんでしょう?」
アイゼが飼い主に引き渡すかのように、李白を弥生に預ける。
「ありがとうアイゼさん、助かったわ…!」
「どうやら皆さんにご心配をおかけしてしまったようで……」
ばつが悪そうな顔をしてほほ笑む李白の頭を、ポカリと弥生が一発はたく。
「心配をおかけしてしまったようで、じゃないわよ! 大事になっていたらどうする気だったの!?」
「それは……本当に、すみません……」」
「無事でよかったわよ……本当に肝が冷えたわ」
大きなため息をつくと、李白の腕を取りくるりと弥生が周囲を見る。
「朝からお騒がせしました、食堂で大声をあげてすみません」
そういってぺこぺこと頭を下げる。
「ここじゃ人目につくわ、とりあえず感染対策課の事務所に移動しましょ」
朝の食堂はそろそろ人が溢れてきており、確かにこのまま入り口を封鎖していると迷惑になりそうである。
李白の腕をがっしり掴んだまま弥生が先に歩き出すと、引きずられるように李白が後を追う。
その様子を見てとりあえず安心した私たちは、同じく周囲に軽く会釈をすると二人の後ろを追ったのだった。
* * *
事務所に着くなり、弥生が李白の服に手をかけ胸元を広げる。
「きゃっ……」
それを見て驚いた声を上げたのはスズとリネットだ。
目を丸くしたまま動きを止めたスズと、一体何が始まるんだと言わんばかりに顔を覆い、それでも指の隙間から二人の様子を伺うリネット。
そんな二人の少女の姿などお構いなしに弥生は李白を自分の目の前の椅子に座らせると、胸元に手を置いて何か呪いを唱えた。
途端に李白の体に紋様が浮かびあがり、紫色の鎖のような煙が彼の体を一瞬だけ締め上げた。
そこに懐から取り出した式紙をぺたりと張り付ける。
「さ、これでいいわ」
李白の胸元をトントンと軽く指で叩いた後、弥生が立ち上がる。
「バタバタしてごめんなさい。李白に封印の重ね掛けを行ったから、これでもう大丈夫のはずよ」
「あ……今のってそういうのだったんだ。私てっきり弥生が李白くんを襲おうとしてるのかと」
「は、はぁ!? なななに言ってるのよリネット!」
途端に顔を真っ赤に染めて弥生が否定の声を上げる。
「あれは少しでも《不浄のもの》に近い部分に封印符を張り付けるためにしただけ! その方が効果があるの、ほら李白も何か言って……!」
「普段から封印の重ね掛けはこんな感じに行ってもらってるんです。お見苦しいところをお見せしました」
「いや、全然見苦しくはなかったんだけどね!? 李白くん綺麗な顔してるし!」
「そ、そうだね……」
「きょ、恐縮です……」
なんとも言えない顔をして頭を下げる李白と、大丈夫大丈夫と両手を振るリネットとスズ。
微妙な空気が流れる中、口を開いたのはヴァレリアだった。
「で、とりあえず李白が見つかったってことは一見落着ってことでいいのか弥生?」
「そうね、封印術の重ね掛けもちゃんと行えたし。これで安心して私も出かけられるわ」
「そりゃよかった。しかしなんだって朝からこんな人騒がせなことしてんだよ李白」
普段からヴァレリアは愛想がいい方ではないが、やや不機嫌なオーラを今も隠さずにいるのは、多分リネットが李白のことを「綺麗な顔」と言ったからだろう。
男の嫉妬は見苦しいとはよく言ったものだが、私も同じ疑問を抱いてはいたので特に口を出さずに様子を見ることにする。
李白は《不浄のもの》に取り憑かれているのいう事もあるだろうが、普段から周囲には人一倍気を配るタイプの人間である。
そんな彼が後先考えず、このような騒ぎになるようなことをするとは私も思えなかった。
「申し訳ありません……」
伏目がちにそう言った李白は、しかし黙りこくるようなことはせず、顔をあげると皆に説明するように口を開いた。
「実は昨日から《不浄のもの》が私の中でひどく暴れようとするのです。皆さんの前では必死にあの者が表に出てこないように頑張っていますが、一人の時にふと気を抜いた瞬間、奴が顔を出そうとすることがあります。今朝も気づけば部屋を抜け出し庭にいたのです。……ですから、少し僕のことを注意して見ておいていただけると助かります」
そう言って深々と頭を下げる。
「……私の封印術が上手くかかっていないのかしら」
「そういう事ではないんだと思いますよ、弥生。ただ、私の心が弱く、あの者に心をかき乱され翻弄されるのです」
悲しげに呟いた李白は、懐から竹笛を取り出して皆に見せる。
「ですので、今日は心を落ち着けるために庭で竹笛を吹いて過ごします。もしこの笛の音が聞こえなくなったら、その時は私を探してください。――何をしでかすかわかりませんから」
虚ろな瞳で、李白は竹笛についた勾玉を見つめた。
ジオリードが一歩前に出ると、李白に確認するように問う。
「それは警告、という事でいいんだな?」
「ええ。これは警告です。僕に用心してください。絶対に勝手なことをしでかさないように」
顔に見合わぬ真剣な瞳で、力強く頷く李白。
その様子に我々もただならぬものを感じ、確かにこれは李白からの謎の警告であるのだと悟った。
こんな不安定な様子の李白を残して実家に戻ることに弥生は最後までためらいを見せていたが、卵をあのまま放置しておくわけにもいかず、何度も私たちに李白のことを頼むと言い残し、弥生は渋々帰省したのだった。