【T=/M+】ニュートラル・ミスティックに降り立った私たちは、早急に卵を仮封印すべく森のほとりへと急いだ。
相変わらず樹木の根元に埋まっている卵からは、今日も禍々しいオーラが発せられている。
むしろこの間来た時よりもひどくなっているかもしれない。
リネットは前よりも少し近づこうとして右足を出した後、そのまま動きを止めて困惑気味に弥生を振り返った。
「ねぇ……あの卵、だんだんヒビが入ってきてない?」
「本当だわ、前見た時にはなかったのに」
弥生も顔をしかめながら、リネットの前に出て卵を凝視する。
「卵型の石だとばかり思っていたけれど、もしかしてこれは本当に卵だったりするのかしら……?」
「えっ、てことは中から何か生まれてきちゃうってこと!?」
リネットはあからさまに嫌そうな顔をして拒絶の意思を見せる。
確かにあの禍々しい物から生まれてくるのならば、中身もそれ相応の禍々しさを見せるに違いない。
こんな物が複数あるだけでも嫌だろうが、さらにそれが自立歩行した日には《感染爆発》どころの騒ぎではなくなるだろう。
《世界》は混乱を極め、衰退どころか滅亡するに決まっている。
「早めに卵を仮封印してしまおう。分析や調査はそれからでも遅くはないはずだ」
「そうね、エイト。それじゃあ始めましょうか。みんなは少し下がっていて。封印の儀に集中したいから、もし外部からの何か接触があった場合の対応はお願いすることになるけれど……」
「了解した」
私が頷くと、弥生は「よろしくね」と言い残して卵の方へ足を進める。
もうこれ以上は近づけないといった様子のリネットは、そんな弥生を見て
「わぁ……これが禊パワー」
と感嘆の声を上げていた。
斯くして弥生は卵の目まで来ると、両手を絡め、一度小さく何か印のようなものを結んだ。
そして卵から少し離れた地面に、懐から取り出した水のようなもので大きな星型のようなものを描いていく。
星型の中心に卵が鎮座する状態で水を引き終わると、今度は黄色い札を取り出して星型のそれぞれの頂点に一枚ずつ、小さな勾玉のような物を使って地面に張り付けていった。
「エイト、あれが前に言ってた霊水と、専用の封印符なのかな?」
「おそらくな」
儀式に興味深々なスズの横でちらりと周囲を確認すると、リネットがもう駄目だと言わんばかりにその場に蹲ってしまっていた。
「私あの卵苦手……近くに居るだけで、すっごい体力吸われてく感じする~気持ち悪い~~」
「リネット、大丈夫? 少し離れた場所に移動する?」
「そうしようかな、ヴァレリアの分まで頑張るって言ったのに……ごめんねスズ」
「気にしないで。あんまり近くに居てもきっと弥生の邪魔になっちゃうし、大丈夫だよ」
そう言うスズも、私の目から見ると心なしか具合が悪そうに見える。
やはり何かしら皆、あの卵から悪い影響を受けているのかもしれない。
私自身も弥生がここに居ろというので少し離れた場所でこうして周りを警戒して見ているだけであって、近づいていいと言われたところで不用意にそこへ近づこうとは思えないだろう。
それぐらいあの卵からは、不気味な気配を感じるのである。
「スズ、リネットと一緒に離れて湖の方へ行ってるといい。私がここで、弥生の周りの警備はしていよう」
「ありがとうエイト。何かあったらすぐ呼んでね」
「ああ。リネットの様子が酷くなるような事があればすぐ知らせてくれ」
今にも吐き出しそうなリネットを支えるようにしてスズが少し離れた湖の前に移動する。
そのころには弥生の儀式もあらかた終わったようで、数か所に草花を供えた後、弥生は荷物を片付け私のもとへと戻ってきたのだった。
「一応、仮封印は成功したわ。鬼門封じという普通より一回り強力な結界を結んでその身を拘束してみたわ。一週間ぐらいはなんとかなるんじゃないかしら」
「ではその間に本部に報告して、A級もしくはS級の部隊にあの卵の駆除を依頼しよう」
「そうね。なんだか日に日に嫌な感じになってきているから、可能ならS級部隊のほうが良いかもしれないわ」
「わかった。ちなみに、あの卵にできていたヒビは一体何だと思う」
「さっきも言ったけれど、石ではなく本当に卵か、それに準ずる生命体である可能性もあるわ。割れて中から嫌なものが出てきてしまったら……それはそれで危険ね。仮に卵が割れようとした時に負荷がかかって、封印そのものを破る可能性が無いとも言えないし」
弥生が困ったように息を吐く。
「こういう時、口惜しいわね。もっとバースセイバーとしての力を磨いていればどうにかできたかもしれないのに」
「仕方ないさ、たらればを語ってどうにかなる訳じゃない。それよりも私たちが今、できる限りのことをしよう」
「そうね。仮封印は行ったけれど、一応一日に一度は様子を見に来る方がいいかもしれないわね。何かあってからじゃ遅いでしょうから」
「そうだな。他の任務もあるだろから、私とスズ、リネットとヴァレリアのペアで毎日確認に来ることにしよう。申し訳ないが李白は暫く連れてこれないだろうから、弥生は彼を見ていてほしい」
「ええ、今の李白を卵に近づけるのは愚の骨頂だわ。できる限り距離を取って様子を見ることにするわね」
「よろしく頼む」
そのあとも一つ二つ事務的な話を済ませ、私と弥生もスズ達の居る湖の前に移動することにしたその時。
「た、大変だよ! 大変ーーー!」
リネットが片手を上げ、珍しく青ざめた顔をして駆けてきたのだった。
その後ろに、スズの姿は見当たらなかった。
* * *
リネットと共に森の湖の前に移動したスズは、芝生に蹲るリネットの背中をさすりながら、自分の中で何故か戸惑いや漠然とした不安感が大きくなっているのをうっすらと感じていた。
リネットのように気持ちが悪いとか、そういった類のものではない。
ただなんとなく精神的に落ち込んで、自分でもどうしていいのかわからなくなっているのだった。
しかしただでさえ今日は李白とヴァレリアが任務に同行出来ていないのだ。
体調を崩しているリネットの手前、しっかりしなければと己を奮い立たせる。
リネットと一緒に卵の元から離れる事が出来たのは、かえって良かったのかもしれない。
そんなことを考えながら、スズは輝く水面を前にリネットの介抱を続けていた。
その時、ふとあの夢の事を思い出した。
スズがこの漠然とした不安感を抱くようになったのは、あの夢で見た、あの少女の声を聞いてからだ。
「リネット、私少し湖を見てきていい?」
「うん、大丈夫だよ! なんだか少し楽になってきたかも」
そう言って、いってらっしゃいと笑いながら手を振るリネット。
それを見てスズは安堵すると、ほんの少し先にある湖の水面を確認するようにゆっくりと覗き込んだ。
そこには周りの木々が青々と映し出された清らかな水があった。
午後の日差しを受け、その水面はきらきらと輝いていてまぶしい。
穏やかな、まるで絵画の中のような風景がそこにある。
それなのにどうしたことだろう。
スズはその水面を覗き込んだ瞬間、背筋に走る悪寒を止めることができなかった。
ただひたすらに、今はその美しい風景を前に息をのむ。
――わたしはあなた、あなたはわたし。
あの夢で聞いた少女の声。
それと共に自らを映し出したはずのその水面には、なぜか自分とは違う少女の姿が映し出されている。
――みつけた、みつけた、ヤットミツケタ。
自分と同じ銀色の髪に、自分とは違う赤い差し色の髪を持つ少女。
それが本来自分の姿があるべき場所で、静かに揺らめいている。
――ワタシハ、アナタヲユルサナイ。
夢の中と同様、明確な悪意を込めた一言。
それを聞いた瞬間、スズは我に返ったようにその身を引いた。
「いや……っ」
咄嗟に拒絶の言葉を吐いたのに、それを許しはしないと言わんばかりに水面が大きく揺らめき、泡立つ。
その瞬間、誰かに手を引かれるようにスズの体は水面に沈んだ。
それと同時にプリスターがくるくると動き出し、背中の翼が反抗気味に大きく軋む。
プリスターも翼も、スズが生まれ持った防衛本能の一部だ。
彼らが己の意思とは関係なく作動するとき、それは己の身に良くない出来事が起こる前触れである。
しかし一体何が起こったのだろう。
息ができなくて苦しい。
驚きと戸惑いで目を見開くが、しかし身体はそれ以上言うことをきかない。
大きな不安が押し寄せるスズの脳裏に、またあの声が囁いた。
――また同じように一人だけ、辛いことから目を背けて逃げてみる?
嫌悪と嘲笑が入り混じった、酷く悪意に塗れた声がする。
何を言っているのか、スズには全く理解できなかった。
ただ、それを望んでいるかのような声色で囁く少女に、スズは反射的に反抗していた。
「……わたしは、今度こそこの世界を救うの…! だから、逃げたりなんてしない!」
ありったけの力を込めて、プリスターから光のエネルギーを放つ。
その瞬間。
「スズ……ッ!」
聞きなれたエイトの頼もしい声。
それが聞こえたのとほぼ同時に、力強い腕がスズの身を湖から引き揚げる。
「大丈夫か!? スズ!」
「……っ、エイト、だいじょ……ぶ……っ」
やっとの事吸えた空気は、喉の奥にたまった水と一緒に瞬時に吐き出されてしまう。
ゴホゴホと咳き込み時間をかけて水を吐き出したスズは、やがてゆっくりと体を起こすと、乱れた息を整え周囲を見渡した。
目の前には心配そうにこちらを見守るリネットと弥生、そして少々殺気立ったエイトの姿がある。
エイトに受け止められた自身の体は、全身ずぶ濡れであった。
「スズ、一体何があった…!?」
緊迫した空気の中、エイトが問う。
しかしスズは自分の身に何が起きたのか、最後まで理解することができなかった。
なぜ、自分があの少女に恨まれなければならないのだろう。
何より、あの少女は一体誰だったのだろう。
最後までわからずじまいのまま、それでもなんとか事実だけを絞り出す。
「……この湖を覗き込んでいたら、前に話した女の子の声が聞こえたの。その女の子が私に言ったの。わたしはあなた、あなたはわたし。わたしはあなたを許さないって」
言葉に出して思い出す、あの明確な悪意。
そういえば夢の中でもそうだった。
この悪意から逃れる術はないのだろうか。
スズは両腕を抱えたまま、得体のしれない何者かからの悪意に小さく震えた。
困惑した表情のエイトがスズの肩を抱く。
「……とりあえず帰ろう。このままここに居ては体が冷えてしまう」
「うん……ごめんね、エイト」
エイトがスズの体を抱き上げてくれたので、スズは申し訳なく思いながらもその体に縋った。
今はただ、何よりも一番傍にエイトが居てくれることが頼もしい。
冷えた体に伝わる彼女の体温が、スズに束の間の安心感を与えてくれた。
後ろからリネットと弥生が、いつまでも心配そうな顔をしたまま見守ってくれていたのが印象的だった。