「いつまでそうしているのかしら、トゥーリ」
私は、お姉様の声に目を開ける。
聖堂には誰も居ない。
しかし、私は間違いなくお姉様に話しかけられた。
「お姉様、私は過ちを犯してしまいました。
気が昂ったあまり、ヨコタさんを押し倒して、ら、乱暴を……」
あの時のことは、本当に後悔している。
まさか同意も無く、襲い掛かってしまうなんて。
「赦しを請うのは神ではなく、あの人ではなくて?」
以前ヨコタさんの血を飲んだ時、彼の血脈に潜んでいたお姉様の血を一緒に飲んでしまった。
私の身体に、そのお姉様の血が消化されることなく巡っている。
それを通して、お姉様は私に話しかけてくるのだ。
それは異能と言うよりも、我々ヴァンパイアに備わった特性の一つ。
血を送り込んで相手を支配する、吸血鬼の能力だ。
しかし私はお姉様と同格の存在。お姉様は私を支配しようとしたことはないけど、それを拒むことが出来る。
「今は、合わせる顔がありません」
「そう。では彼が年老いるまでそうしていなさい」
「お姉様!!」
「トゥーリ。今日の夢の合間に、我が元に来なさい」
「それはどういう」
それ以上は声は聞こえなかった。
「私は、どうすれば……」
「妹様……よろしいですか?」
その時、聖堂の入り口から彼の声が聞こえた。
私の心臓が飛び跳ねた。
「何日も何もお食べになっていないそうですね。
幾らなんでもお体に障ります。何かお食べになってください」
「……わかりました。ごめんなさい、心配おかけして」
「いえ。料理長に何か食が細くても食べられる物を作って貰います」
「ありがとうございます……」
正直、食欲は殊更に失せた。
彼に何を言えば良いのか分からなかったからだ。
程なくしてから、オートミールのお粥を彼は持ってきた。
これなら食欲が無くても食べられる。
だが、半分も食べられなかった。
「……もういいです、下げてください」
「分かりました、断食してすぐに無理に食べるのもよくありませんからね」
「すみません……」
私は顔を上げた。
え、誰……?
「ヨコタさん、その姿は……」
「ああ、これですか? クリル様の戯れですよ。
私も一度でいいから女になってみたかったのです。それに、男の時分では分からぬこともありましたから」
「そんな!! もしや、私が襲ってしまったから、男の身体に嫌気がさして!!」
私はその事実に血の気が引く思いだった。
そして私は自分のことばかりで、彼の変容に気が付かなかったのだ。
「あ、いえ、あの時のことは、その、あまりお気になさらず……。
ああいえ恐ろしかったのは確かですが、その、個人的に男として自信がついたと言いますか……あ、今は女なのですけどね!!」
彼、いえ彼女は視線を明後日の方向にやりながら、言いずらそうにそんな風に言った。
「そ、それに、最後の方は、乱れる妹様も愛らしかったと言いますか……」
「やッ、止めてください!! 恥ずかしいですから……」
私は羞恥心で、顔が真っ赤になってしまった。
「もし、私に申し訳ないと思うのなら、私のお話を聞いてもらえますか?」
「……ええ、それは勿論」
そして、私達は長椅子に揃って座った。
それから彼女は、私に悩みを打ち明けてくれた。
「……そうですか、クリル様がそんなことを」
「お嬢様はそれを黙認しているどころか、肯定しているように思えるのです」
奴隷に無体を……それは人間には衝撃的なことでしょう。
「こう言っては何ですが、月の氏族は月天様を崇めています。
かの御方は狂乱を愛する狂気を司る者。その残虐を肯定なさるでしょう」
「そう、ですか」
「始祖様は何と仰っているのですか?」
「甘ったれるな、と」
彼女は顔を上げた。
やはり、既に始祖様に相談していたようだった。
「てめえが現状を変えてぇなら自分で行動しろ、と。
いやはや、手厳しい。常に自ら行動して勝ち取ってきた御方は言うことが違う……俺の本質を、一目で看破なされた」
「そうですか……」
始祖様は戦場を生き抜いてきた、武の神。
戦いでの酸いも甘いも知り尽くしている。
奴隷の戦場での扱いもまた。
「人間社会では、見て見ぬ振りは罪であると教わります。
いじめられている者が居て、その子に対して何もしないのは悪であると。
俺が悪だと言うのならその通りなのでしょう」
それは彼女の懺悔だった。
「しかし萌ちゃんは勇者を求めていた。
己が傷つくのも厭わず、常に正しく正義を胸に抱く輝かしい勇気を持つ者を……。俺は彼女の勇者には成れなかった。きっと、誰よりも強く願われていたのに!!」
「ヨコタ様。それの何が悪いのですか」
私は彼女を慰めるほか出来なかった。
「自らの身を守るために、不本意な悪に加担する。それは仕方のないことでしょう。リェーサセッタ様はそんなあなたを責めましたか?」
「いいえ、責めるよりよほど酷い仕打ちをなさいました。
よりにもよって、あんな変わり果てた姿の幼馴染を差し向けたのですから」
「……そうでしたね」
私は思った。
普通、そこまで神は個人に肩入れしない。
私は彼女が特別なのだと思った。それは決して、特異な力や境遇などではない。
偶然と偶然、その交差路に居合わせた、特異点として。
「リェーサセッタ様は、きっとあなたに自分を重ねておられるのでしょうね」
「……え?」
「あの時お目通りした通り、リェーサセッタ様は人間出身の女神。
その生涯は、怒りと憎しみに満ちておられました」
私は説法をするように、語りだした。
「魔法使いの家系に生まれたリェーサセッタ様は、ある時暮らしている街に聖騎士団が押し寄せ、虐殺の憂き目にあったそうです。
かの御方は両親の血で魔法陣を描き、巨大な邪竜を呼び出し事なきを得たとか。
しかし、その出来事は彼女を復讐の鬼へと変えた」
それから死ぬまで、かの御方は殺戮と復讐の限りを尽くした。
「しかし、死後自らが神であると気づいたかの御方は、自分が復讐の対象にしていた教義の神が、実在しないことを知ったのです」
「……まさにファンタジーだったんですね」
「リェーサセッタ様はそれ以来、その生涯からは想像できないほど穏やかな神となって、悪によって傷ついた者に寄り添うように成ったそうです。
これがその恩寵、心の苦しみを癒す信仰魔法です」
信仰魔法とは、特定の神を信仰する信者に与えられる魔法の系統のこと。
リェーサセッタ様はそれらの魔法以外にも、優れた召喚術の資質を与えて下さる。
私の使う魔法も、それらに依るものだ。
「どうですか、心の痛みは晴れましたか?」
「……大分マシになりました。冗談みたいに」
私はこれ以上見ていられなくて、魔法の力に頼ってしまった。
しかし、この力が正常に作用したと言うことは、彼女もまた神に憐れまれているのだ。
「俺の悲しみや苦しみは、神に癒される程度のモノだったのですね……」
「常に苦しんで生きる必要はありませんよ。ただ、時間がある時に振り返り、悼めばいいのです」
「……ありがとうございます。本当に楽になりました」
私は神官として、役目を果たしました。
だけど、彼は自ら心に決着をつけ、乗り越えなければならない。
今の魔法は、それまでの鎮痛剤でしかない。
「今日、お嬢様と話してみます」
「それが良いでしょう」
私は今日の終わりに彼女がすることに複雑な心境に成りながらも、こう言った。
「ありがとうございます。私達の名誉の為に、怒ってくれて」
私は彼女にそう言った。
優しい人。縁も所縁も無かった我々の種族の為に、本気で悲しんでくれている。
「あなたはあの魔王にも勝利してみせた、始祖様にも物申した。
もはや誰も、貴方に対して見て見ぬ振りしたなどと言えないでしょう」
「……ええ、そうですね」
「そんなふざけたことを言う輩がもし居たら、私が八つ裂きにしますので」
「そ、そうっすか……」
彼女はなぜかそそくさと、聖堂を出て行った。
§§§
聖堂の奥にある、私の私室。
本棚と机、ベッドだけが置かれている小さな寝泊まりだけする部屋。
この部屋より狭い部屋は、城内に厠ぐらいしか存在しないしないでしょう。
そこが私だけの領地だった。
お姉様から領地を頂いても、それは変わらない。
質素なベッドに横たわり、眠る私は彼を思う。
どうにか彼の苦痛を取り除きたい、和らげてあげたい。
それが彼をこの世界に呼び出してしまった私の、責務。
いつしか私は微睡みに落ちて、深層心理の世界へ向かう。
お姉様の血が、導いてくれる。
「お嬢様、どうか俺のお話を聞いてください」
赤い血の道を歩いた先には、ドアがあった。お姉様の私室だ。
そこから、ヨコタさんの声が漏れ聞こえる。
「貴方の言いたいことは分かっているわ」
「ならば、なぜ旦那様を止めないのですか!!」
「必要な事だったからよ」
ドアの隙間から、中を覗く。
そこにはベッドに側に立つヨコタさんと、ベッドに気だるげに横になるお姉様が居た。
「必要な事とは、何なのですか?」
「私と貴方、お互いに理解し合うことに」
「意味が、わかりません……」
「貴方は罪の意識に苛まれている」
お姉様は目を細めて、そう仰った。
「その傷口の全てを曝け出し、相互理解を成す必要があった」
「相互理解……」
「私達は一心同体よ、ほら」
お姉様が手を振るうと、室内の様子が変わった。
「こ、ここは!!」
明るい。人間の世界だ。
机が等間隔に並び、黒い制服を着た子供たちが大勢いる。
見たことが無いが、知識だけはある。ここは──。
「俺が中学の頃に居た、教室……」
男子が、女子が、寄ってたかって一人の少女に暴言を吐き、叩いたり蹴ったりしている。
容姿は異なるが、目で分かった。怒りと憎悪に満ちた魔王アキバ様、その人だ。
「萌ちゃん……」
彼は、当時の格好のままそれを遠巻きに見ていた。
「これはあなたの罪。唯一、魔王の誕生を阻止できた、ここに居る誰よりも重い十字架」
それは違うと、私は思った。
魔王の誕生を阻止できなかったことが罪なら、彼女を虐げた者はより大きな罪を背負うべきなのだ。
「ヨコタ、次に私の罪を見なさい」
「えッ」
風景が変わる。人間の世界から、吸血鬼の世界に。
「ジェイ、何があったの!!」
「お嬢様……お許しください、私が不覚を取らなければ、旦那様を」
そこは壊れた廃屋。
うちの騎士ジェイが血だらけで倒れていた。
「村一つくらったリーチどもが巨大化し、ひとつになり……旦那様は戦われ、なんとか勝利為されましたが傷を負い休まれております」
「お、お母様は?」
「あの怪物を倒す、その代償に旦那様が……」
「そんな!!」
知らなかった。
これはあの時の、お姉様の記憶だ。
お父様とお母様を失った、あの日の。
「私のことは大丈夫です、どうか旦那様を」
「わかったわ!!」
「お気を付けください。あの化け物は、まだ──」
場面が変わる。
お父様が、また別の廃屋のベッドに血だらけで横たわっていた。
「……リーリスか?」
「お父様!!」
「奴は、あのリーチは、普通ではない……。怪物だった。
私は妻を、彼女の血の全てを代償にしても、倒しきれなかった」
その言葉で、私は理解した。
十数年前から、ゲダモノはこの世界に現れていたのだと。
「リーリス。よく聞きなさい」
「はい、お父様」
「────トゥーリを、喰らうのだ」
「……え?」
お父様は、今なんと?
「あれはその為に産ませた子だ。
数代ほど前から、我が一族は親兄弟を糧に、異能を衰えさせぬ為にそうしてきた……」
「そんな、どうして、嘘です!!」
「私もそうした。最愛の弟を喰らった。当主の役目だ」
「イヤです、お父様!!」
「聞き分けなさい、リーリス。次のリーリスの名を継ぐのは、お前なのだ」
血を失い、朦朧とした中でお父様は言ったのです。
「そして、当主の継承の証に私をも喰らうのだ」
「あ、ああ、そんなッ」
「それが、我ら、ヴァンパイアなのだ!!」
お姉様は錯乱しつつも、覚悟を決めてお父様の血を貪った。
「あとは、任せた……」
死に際の父の顔は、安らかだった。
まるで自分の責務から解放されたことに、安堵するように。
「お嬢様……」
「私は父を殺した。
でもそれは当主の役目だったからじゃない」
お姉様の眼は、とても酷薄に父の遺骸を見下ろしていた。
「いずれ糧にするから、両親は妹を愛さなかった。
その事実が憎かった。恨めしかった。怒りでどうにかなりそうだった」
「お嬢様ッ、お嬢様ッ」
ヨコタさんは、怒りに震えながらも涙するお姉様を抱きしめた。
「我が一族は、血塗られ、罪を踏みしめ生きている」
「貴女が悪いわけではありません!!」
「ヨコタ。お前はその言葉を何度言われたのかしら。そして、それを受け入れたのかしら?」
「それは……」
「私は絶望したわ。こんな愚かな血筋は残すべきではない、そう思ったほどだった」
知らなかった。
お姉様がそこまで思いつめていただなんて。
「でも、そんな私の前に貴方が現れた」
「お嬢様……」
「貴方の血流と一体になり、貴方の血脈を巡り、悟った。
これこそが、我らヴァンパイアと人間の真の融和であると」
「……どういう意味ですか?」
「始祖様が、そう望まれたのよ」
お姉様は、おもむろにヨコタさんの胸に手を触れた。
そして、──その心臓を抉り取った。
私は思わず悲鳴をあげそうになった。
「ッ、!?」
「痛みは無い筈はずよ。ここは精神の奥底にある私の部屋。
でも、貴方の身体は私のモノ。現実でも同じダメージを受けている」
「……生きている? 俺の精神は、消えていない」
「言ったでしょう、一心同体だと」
まるで玩具のように、お姉様は心臓を元の位置に押し込んだ。
「私と貴方は、肉体と精神、そして魂をも共有した同一人物。
あなたも心臓が抉れた程度では死なないわ」
「そんな、俺はもう、人間では無いと……」
ヨコタさんは、ショックを受けていた。
呆然としながら、怯えたように震えている。
「ねえヨコタ。それの何の問題があるのかしら?」
「え……」
「貴方が言ったんじゃない。貴方は貴方であると。
貴方と言う人間は、心臓を失おうとも、自らの身体が別物に成り果てようとも、変わる者なのかしら」
「それは……」
「私達ヴァンパイアは、初めからこうなるように作られていた。
交配によって血が薄まるなら、お互いの血を混じり合わせ、一体となれば良い」
それはまるでDNAの螺旋のように、二人は抱き合い、捻じれて交じり合う。
「人間でありながら、吸血鬼と交じり合い、その力を得た貴方の自覚を促す必要があった。
私があなたを連合騎士団の副団長に推薦した理由を、理解したかしら?」
「……はい」
それは、究極の献身だった。
お姉様は全てをヨコタさんに捧げた。
今現実に存在しているお姉様は、複製された抜け殻なのだ。
ヨコタさんこそがお姉様の本体であり、その根源。
「しかし、なぜ始祖様は、こんな風に吸血鬼を──」
「それは簡単な質問でしょう」
ああ、始祖様はきっと、こう言うはずだ。
「最強の人間と、最強の吸血鬼を倒したら、次はそいつらが合体した超最強の吸血鬼人間を倒せば、俺はそいつらより強いってことだ!!」
なんで人間なのか、私は今理解した。
他の種族の血を持つどの吸血鬼の血ではダメで、人間の血が私達の本能を目覚めさせるのか。
私達吸血鬼は、元々人間の想像の産物。
だからこそ、人間と一体になるように作られていたのだ。
「ヨコタ。どんなに崇高で強い意思を持っていても、敗者であればそれは負け犬の遠吠えに成り下がる。
意志を貫くのならば、それを示す必要がある」
「お嬢様……」
「私は貴方よ。我が力を使いなさい。そして、共に歩き、光ある世界へと行きましょう。
人間の言う原初の聖人のように、共に十字架を背負いながら」
「はい、はいッ」
そして二人は、完全に一つになった。
……羨ましい。
ズルい、お姉様ばかり!!
いや、違いますわね。
つまり、ヨコタさんを手に入れれば、──お姉様も自動的に手に入ってお得ってことですわね!!
なんて、なんて素晴らしいんでしょう!!
私の愛する人が、二倍の密度になったってことなのでしょう!!
ああ、何たる狂気、何たる偉大な愛なんでしょう!!
始祖様、月天様、これが真実の愛なのですね!!
ならば、ならば!! その二倍の愛が三倍になって、四倍になって、それを繰り返して行けば、世界は愛に満たされるわけですね!!
ヴァンパイアだ!! やはりお姉様こそ、真の吸血鬼なのですわ!!
夢の世界が、遠ざかる。
きっと、私の中のお姉様の血が意味を為さなくなったから。
でも、不安は無かった。だって、私は本物の愛を知ったのだから。
きっと、私も同じことが出来る。マキナ様も、他の公爵家のご当主様たちも。
私は思った。彼女達を一つにすれば、それは吸血鬼の意思統一なのでは、と。
私の考えは証明される。
翌日、お姉様は皆を集めてこう言った。
「ゲダモノを討滅せしめた後は、私は公王を名乗りこのスカーレットガーデンに覇を唱えましょう。
安心しなさい、戦いは起こらないわ。その為の、連合騎士団なのだから」
初代リーリスは、謀略にも優れていた。
お姉様は、当然のようにその資質を受け継いでおられていた。
悲報:人間は吸血鬼の限界突破素材だった。
吸血鬼が極端な性能だったのは、そう言う理由だったのですね!!
次回はクリルくんちゃんかなぁ、或いは四章に突入するかもしれません。
感想や高評価等の反響があると作者が喜びます。よろしくお願いします!! ではまた!!
この作品に一番求めている物を教えてください。
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世界観や設定など
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キャラクター同士の掛け合い
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主人公の恋愛模様
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バトルや異能の描写
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主人公の毒舌(笑)