ビル街の光景は、昔、写真集で見た南極の風景とよく似ている。ノエルはいつもそう思う。硝子張りの美しい直方体は、冷たい空気の中に冴え冴えと建ち並んでいる。
昼間、通った時にはあまり気にならなかったのだが、確かに街路樹や店舗のショーウィンドウには一様に青や銀色の電灯が下がっていた。光が溢れかえる波のように見える。商業施設のショーウィンドウも宇宙や星をテーマに様々な装飾がしてあった。駅へと向かいながら、ノエルは彼方此方の店を覗いていった。
その窓に目を留めたのは、どうしてだろう。
時間から取り残されたような古いビルの隅。小さな喫茶店の窓。硝子の向こう側に小さなテーブルが置いてあった。客を座らせるためのものではなく、細い足に小さな天板がついたもので、椅子もない。上には、繊細な造形のランプが蜜柑色に灯っている。そのランプの下に、2体の人形があった。
工芸風の人形ではなく、現代の作家が作るような人形だ。実際の人間と似た、しかしやや重たげな丸い頭。金色のモヘアの髪と、ノエルを見上げる虚ろな硝子の目。頬に変わった図形が書き込まれ、紫と水色の色違いのドレスを着ている。
寄り添う彼女達の足元に白いカードが立てられている。おそらくは人形達の名前だろう。
「……violet et hortensia 」
父親の故郷の国の言葉だということはすぐに分かった。懐かしい響きだった。
しかし、ノエルの表情は曇る。
「……クソが」
この国で自分が蔑まされるのは、父親の血の為だと、彼は充分に理解していた。
苦しげに眉を歪め……しかし唐突に、ノエルは不思議そうな表情になった。
人形のすぐ上、硝子越しに映る自分の顔を見つめる。ノエルの影もまた、不思議そうな顔でこちらを見つめ返した。
……いや、そうでは無い。
確かに窓硝子にはノエルの顔が写っていた。しかし、それだけではないのだ。もう1つの顔がノエルを見つめていた。喫茶店の中にいる人物がノエルを見ていたのだ。
「……」
変わった格好の人物だった。ノエルと同じ背格好の若者だったが、スラックスとシャツ、ジャケットの上に豪華な毛皮で縁取られたコートを羽織っている。胸元に飾られた赤い、巨大な宝石が、ランプの灯りを受けて妖しげに光っていた。髪はノエルのそれと同じように明るい。
…そう、ノエルの髪のように。
ノエルの目は驚きと恐怖で見開かれた。若者の風貌は見れば見るほど自分とそっくりだったのだ。若者の眼の色は、なぜか左右で色が違っていた。また、両頬に不思議な図形を書き込んでいた。
それでも、彼はノエルとそっくり同じ顔をしていた。
二人はどれくらい、見つめ合っていたのだろうか。若者の口元が何か言いたげに動いたのが見えた瞬間、ノエルはさっと窓から離れた。歩道の端まで後ずさりし、一目散にそこから逃げ出した。
ギターケースのベルトが肩に食い込み、肺が痛みを訴えても尚、駆けるのを辞めない。自分のそれと同じ目で見つめられるのは、恐ろしい体験だった。
駅の入り口の階段を駆け上り、改札を走り抜けてプラットフォームに急ぐ。早く。一秒でも早く、あの眼差しから逃れたい。焦ったノエルは行き先も確かめず、止まっていた電車に飛び乗った。
電車が走り出す。窓から見える街の灯りが後ろへ流れていく。そこにいた時は気づかなかったが、空のずっと上、暗いところで星が瞬いているのが見えた。