年に一度のビッグイベント――雄英体育祭。
全国放送されるこの祭典は、ヒーロー科の生徒たちが未来を掴むための“公開オーディション”でもある。参加する生徒たちは、それぞれの目的を胸に、意気込みを燃やしていた。
その中に、優しい世界の裏側に足を踏み入れた一人――麗日お茶子も例外ではなかった。「仕事さえこなせば、何をしていても自由」それが、神代真一の周囲に共有される暗黙の原則。
麗日お茶子は、その原則を理解し、図太い精神で誰にも悟られることなく、今まで通りの生活を続けていた。その胆力があるからこそ、神代真一は彼女を誘った。個性「関係履歴」によって、彼女が裏切らないことは明白だった。彼女が支えるのは、実家の建設会社だけでなく、そこに勤める社員やその家族にも影響する。
高校生でその決断を下した根性には、高い評価が与えられて然るべきだった。
「宣誓、俺が1位になる。せめて跳ねのいい踏み台になってくれ」
爆豪勝己による選手宣誓――それは、過去に例を見ないほど苛烈な物言いだった。正々堂々など微塵もない。ただ一言、No.1を取ると宣言した。
「恐ろしいな。時折、自分の個性を疑いたくなる。あれほどの暴言を吐いても、彼の正義心には一切の揺らぎがないのか……」
爆豪勝己は、全国放送を通じてヴィラン側からも注目を集めていた。この“下水を煮詰めたような性格”に加え、強個性。窮屈なヒーロー側より、自由なヴィラン側に来ないか――裏社会では、すでに彼のスカウト戦が始まろうとしていた。
それでも、教師陣営は動じることなく体育祭の運営を進める。
第一戦目は、障害物競走。
勝ち抜けられるのは、上位一割にも満たない。ここで大きく選別され、第二回戦、第三回戦へと繋がっていく。文字通り“手ぶら”の神代真一は、先頭を走ろうなどとは考えない。先人たちが突破したトラップを安全に回避して進む―― それが、常識人にとっての最適解だった。
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安全地帯を順調に進む神代真一。
彼の順位は“上の下”。だが、このまま進んでも次のステージには絶対に届かない。進めば進むほど、個性の差によって抜かされていく。
第一関門は、入学試験でも登場した巨大ロボット。あれを相手にできる個性持ちは、すでにプロの領域だ。轟焦凍は、それを真正面から破壊して突破した。ちなみに、このロボット一機のお値段はジャンボジェット級。数百億円の税金が投入されている。
その残骸を過ぎれば、綱渡り。第二関門――ザ・フォールと呼ばれる大渓谷。
「嘘だろう。命綱もなし、セーフティネットもない……雄英の安全基準はどうなっているんだ」
神代真一は、綱渡り用のケーブルが張られた渓谷の深さを目測で確認した。50メートルはある。落ちれば、死亡確定。近くにプロヒーローが待機している気配もない。“雄英生徒ならこの程度の状況は切り抜けろ”――そういうことらしい。
空を飛べる個性や貼りつく個性持ちは良い。だが、この関門に適した個性を持つ者は多くない。だからこそ、神代真一は“公平性”を担保するため、ある行動に出る。
ザ・フォールのスタート地点には、2本のケーブルが張られている。つまり、この2本のケーブルを落とせば、後続の生徒たちも全員迂回を余儀なくされる。マラソン勝負に持ち込めば、個性の差は縮まる。
神代真一は、近くに放置されていた建築資材から鉄筋を持ち出した。アイテム持ち込みは不可だが、施設設計時に残された資材を使うのは自由。彼の行動を理解した普通科やサポート科の生徒たちは、ヒーロー科に勝つために心を一つにした。
第二関門のケーブルを切断すれば、ヒーロー科との差は大きく広がる事は無い。
『ちょ、ちょっと待てぇぇぇぇーーー!! イレイザーヘッド、お前のクラスの生徒が第二関門のケーブルを壊してるぞ! 有りなのかよ!? 普通科もサポート科も協力してんじゃねーーよ!』
『合理的な判断だ。相手を同じ土俵に降ろすという点において、最適解だ。一部生徒にとっては意味をなさないだろうが、その他大勢には効果的だな』
敵も味方もない。同じ目的のために協力する。一人のスタンドプレーが、結果として連携を生む奇跡がここにあった。
「いいですね~。こうして別の科と一緒にやる作業ってのは。皆さん、ありがとうございます。では、ここからは正々堂々とやりましょう」
手伝ってくれた生徒たちを応援する神代真一。ヒーロー科に勝利できる可能性が生まれ、生徒たちの士気は最高潮に達した。普段は目立たない“縁の下の力持ち”たちが、脚光を浴びるチャンス。その気合は、ヒーロー科を凌駕していた。
この大混戦は、視聴者たちを喜ばせた。ヒーロー科一強など、つまらない。どんでん返しを期待する者たちも多くいた。
自分の順位を上げるのではなく、他者の順位を下げることで相対的に順位を上げる――神代真一の方法は、大多数が参加する体育祭のようなイベントにおいて、極めて効率的だ。
だが、その結果、彼が第二回戦に進める保証はなく……見事に一回戦敗退。1年A組で唯一の脱落者となる。
彼自身の成果は芳しくなかったが、全く違う科の者たちを同じ目的のために行動させたという事実は、評価に値した。彼の行動は、体育祭で褒められるものではない。だが、ヒーロー科に立ち向かう普通科やサポート科の者たちにとっては、間違いなく“有益”だった。
………
……
…
第二試合に進出した麗日お茶子。
彼女は、想定外の方向から“攻撃”を受けていた。女子同士、キャフキャフと喜び合う中―― 葉隠透が、彼女の耳元で囁いた。
「ねぇ、お茶子ちゃん。昨晩、偶然見ちゃったんだけど……神代君とファミレスで、何か話してたよね?」
「えっ!?」
見えない謎の圧。
麗日お茶子は、背筋が凍るような何かを感じた。普段、陽気で明るい葉隠透からは考えられないほどの“ドス”の効いた声。本当に同一人物かと疑うほどだった。
「私さ、コンビニに買い物に行ったんだ。偶然だけど、神代君を見かけて声をかけようと思ったんだけど…… お茶子ちゃんと楽しそうに話してたから。ねぇ、どうしてかな?どうして?」
「い、いや~……な、何のことかな?」
言えるはずもない。“両親に楽をさせるために、見栄もプライドも全部売りました。神代真一に顎で使われるようになりました”――そんなこと、口が裂けても言えない。仮に真実を告げた場合、もっとヤバい事態になると、女の本能が警鐘を鳴らしていた。
「お茶子ちゃん。私たち、友達だよね?お茶子ちゃんには、緑谷君がいるんでしょ。気になってること、私は知ってるよ。だけど、欲張りはダメじゃないかな……私が言ってることって、間違ってる?」
今こそ、クラスメイトの団結力で誰か助けてくれ――麗日お茶子は、心の中で叫んだ。そして、その願いを叶える“上司”が現れる。
「いやはや、不甲斐ない成果で申し訳ありません。A組の皆様が一回戦を通過したのに、私だけ。葉隠さんは、透明化の個性で私とほぼ同条件だというのに……恥ずかしい限りですよ。応援してますから、頑張ってください」
「うん!! 頑張るね、神代君。えへへ」
葉隠透の変わり身の早さに、麗日お茶子は思った。
チョロい。チョロすぎる。
きっと、遠くない未来に神代真一は女に刺されて重傷を負う――そんな謎の確信を麗日お茶子は得た。
「同じ学び舎で三年間一緒なんですから、仲良くやりましょう。学生時代の友達は、一生ものだと聞きます」
「そうだよね。お茶子ちゃん、一緒に頑張ろうね。私達、友達だもんね」
「うん!!」
麗日お茶子――自身が女であるにもかかわらず、初めて“女の恐ろしさ”を知った瞬間だった。