体育祭が終わった翌日。麗日お茶子は、黒塗りの高級車に乗らされていた。
同乗する神代真一と共に、ある場所に向かっている。彼女はこれから、他の生徒達より一足先に職場訓練を行う事になった。シートの肌触りは妙に滑らかで、心だけがざらついている。
休日に地下駐車場に呼び出されたと思えば、あれよあれよと乗せられた彼女。
「か、神代君。これからどこに行くの?」
「仕事なので、神代論理次官と呼んでください。優しい世界の裏側・・・の職場体験です。体育祭の時にお伝えしたでしょう。いいところに連れてくと。貴方は、既に対価を受け取っている。安心してください。難しい事は望みません。今回は、決められたタイミングで個性を発動すればいい」
その職場体験が不安で仕方がないと思っていた。せっかくの休みの日に呼び出されたと思ったら仕事とか、高校生の青春を何だと思っているのかと抗議の一つも言いたいところだったが、両親の笑い声が喉元で言葉を止めた。息を整え、視線だけを窓へ逃がす。
麗日お茶子は、両親が喜ぶ声を聴いていた。会社の経営を立て直すレベルの発注…それがどれほどのものなのか、雄英高校に合格するほどの学力を持つ彼女ならよくわかっている。重さはわかる、だから軽率には揺れられない。
「そ、そうだよね。神代論理次官、行先はどこですか?」
「内閣府直属機関『H・EROアカデミア』の訓練施設です。貴方には、今晩までに海自303式強化外骨格を着地のタイミングで浮かせて貰います。夜は、大空をダイブするので覚悟しておいてください。スカイダイビングの経験はありますか?」
麗日お茶子は、何を言ってんだこいつという眼で同級生を見ていた。何でそんな事がいえるか全く理解できない。胸の中だけ、現実の輪郭が少し歪む。
「ちょっとまって、全く理解できないんですけど」
「いえ、ですから日本国に潜入してスパイ活動し精子と言う個性因子を持ち去ろうとしている隣国諜報員がいるんです。それを包囲殲滅するのが、今回の仕事です。大丈夫ですよ、貴方は初任務ですので複座型を特別に用意しております」
個性因子は国家の財産。本来は、公安の領分ですが彼らも色々と手が回らない程に忙しい。そんな時にお鉢が回ってくる。トップヒーロー達の精子は、裏で高値で取引される。長い年月かけて育て上げた個性をただで持ち去るなど許されるはずもない。言葉は冷たいのに、聞いた後で手のひらが汗ばむ。
「え、私学生だよ」
「奇遇ですね、私も学生です。殺しの経験は、来週から始まる職場体験で経験させます。指名しますので、よろしくお願いいたしますね。表向きには、H・EROアカデミアっていう18禁ヒーローがやっている吉原の事務所ですから」
麗日お茶子は、職場体験で18禁ヒーローの指名に応え、人殺しまでさせられる事になるとは想像の遥か斜め上を行っており、泣きたくなってきた。だが、文字通り金払いは最高に良い。現実は、時に札束で怖さの形を変える。
「も、もし嫌だって言ったら・・・どうなるのかな~って聞いてみていい?」
「ははははは、面白い事を言うね。そうだね、今晩の仕事を見た後に答えを教えてあげるよ。夜空を高度10,000mダイブなんて高校生では、早々できない体験だよ」
優しい世界の裏側の一端に触れた麗日お茶子。彼女にとっての救いは、内閣府直属機関『H・EROアカデミア』に所属している人達は、基本的に優しかったことだ。若い女性と言う事もあり、色々と優しくされる。手短で、手際がよく、声の温度は適温だ。
だが、そんな彼等も仕事においては血も涙もない。引き金を引くことに躊躇しない。女子供であれ、任務の為なら容赦なく処理する。優しさと冷酷が同居する温度差に、胃が少し軋んだ。
………
……
…
高度10,000mを移動する軍用輸送機。そこに積まれている海自303式強化外骨格が6体。それらに麗日お茶子が触れた。これで、無重力化する準備が整った。後は、タイミングに合わせて能力を発動する。触れた指先から、役割が染み込む。
いまだに、ココが現実か判断できずにいる麗日お茶子。非現実的すぎて、彼女は夢の中にいるのではないかとすら思っていた。現実逃避しつつ、彼女は複座型に改修された海自303式強化外骨格に乗り込んだ。同乗する女性同僚からありがたいお声がかかる。
「初任務が気楽なのでよかったじゃん」
「全然!! 全然、良くありません。何なんですか。本当に理解できないです。これから人を殺しに行くんですよね」
内心こんな事に手を染めていいのか。だが、引くに引けない。既に、対価を前払いでもらっている。人として超えてはいけない一線を越えようとしている麗日お茶子。喉の奥で何度も線をなぞる。
「楽だよ。だって、殺すのは悪人なんだからさ。私の時なんて、初任務はサイドキックを水増し報告して不正に懐を肥やしていたヒーローだったよ。本当に、ヒーロー活動も大事だけどさ、犯罪はあかんよ」
「え、そんな理由で殺したんですか?そんなの警察に任せておけばいいじゃないですか」
「まだまだ、甘い。ヒーロー飽和時代なんだよ。真面目なヒーロー以外は邪魔でしかない。そういう悪い事をしたいならヴィランになってくれた方が嬉しいんだけどね。本当に、最近は“野生のヴィラン”が減りすぎて困っているんだから。午前に座学で教えた事は、本当の事だよ」
「し、知りたくなかった。酷いよ、あんまりだよ。」
世界は、アンバランスだ。その事実を突きつけられた女子高生の気持ちなど、誰も理解できない。だからこそ、彼女は心を殺して初仕事を遂行する。胸の内側で、音が一つずつ小さくなる。
誰かが、死ぬかもしれない。
誰かが、助かるかもしれない。
誰かが、不幸になるかもしれない。
誰かが、幸せになるかもしれない。
そのような思いを胸にしまい込み、作戦が開始される。
パラシュート落下の衝撃を麗日お茶子の無重力で完全に打ち消した。海自303式強化外骨格を無数に持ち上げたため、限界オーバーで麗日お茶子がリバースするが問題はない。彼女の意識がもうろうとする最中、同乗する先輩がトリガーを引く20mmマシンガンで人を紙屑のように死んでいく様子を見せつけられ、死に行く者達の阿鼻叫喚が耳ではなく骨に刻み付けられた。
………
……
…
帰りに車の中で、神代真一は憔悴している麗日お茶子に声を掛ける。
「良い仕事でした。これからも我々と一緒にヒーロー社会を裏で支えていきましょう。憔悴しているのは分かりますが、麗日さん。貴方、別に心を痛めていませんよね?割り切れるタイプであることは知ってます。私の個性は、そのあたりを機敏に読み取れます」
「っ!! そうよ、私自身驚いているの。何でこうも割り切れるんだろうって。ヒーロー社会を裏から支える事だって、分かっているから…分かっているから、悔しんじゃない。憧れのヒーローが虚像だったなんて」
彼女は割り切っている。そうしなければならないって理解している。だからこそ、今彼女はこの場にいる。そういった人材だけが、生き残れる現場だ。神代真一の眼で選び抜いた、強靭な精神力の持ち主だけがここに居られる。
「割り切りなよ、麗日さん。君ならそれができる。だから、君を誘った。君(の個性)が欲しいんだよ」
「神代君ってさ。多分、葉隠さんにそのうち刺されるよ。そんな女性を口説くような事を言っていると。巻き込まないでね」
少しだけ笑顔が戻った麗日お茶子。部下のメンタルケアも上司の仕事の内だ。適度にストレスを発散させ、仕事に前向きにさせる。年頃で多感な女の子のケアは、要注意だと神代真一も研修で習っていた。
そして、麗日お茶子の家から少し離れた所で彼女を下す。朝日が登ろうとする時間だ・・・深夜の仕事の後の学校の辛さを彼女はこれから知る。朝帰りする彼女に朝食を手渡し、神代真一もその場から歩いて自宅に帰った。
「そうそう、昨日確認していた仕事を拒否した場合だけどね。長生きしたいなら、お勧めしない」
「だよね。神代論理次官、これからもよろしくお願いします。後、おとんの会社の方も」
そういう図太さが大事だよと、神代真一は言い残し帰っていった。麗日お茶子の手には、彼から手渡されたサンドイッチの温度が今が現実だと誇張している。
その時、カランと空き缶が転がる音がしたが、そこには誰もいない。だが、麗日お茶子はなぜか身に覚えのあるような背筋が凍る程の寒気を感じていた。