神代真一は、喫茶店「二道」の近くで待機していた。
レゼの逃亡による任務失敗とも思われる状況――だが、神代は自分の個性で“見たもの”を信じていた。だからこそ、この場所で待ち続けていた。苦労して準備したことを、無駄にしないために。
すでに爆豪は、喫茶店で待機中だった。
12時の待ち合わせだというのに、気の早いことに浜辺から帰ってすぐ、身だしなみを整えて店に入っていた。
「女性のために、すべてを投げ出せる君を、私は好ましく思っていますよ、爆豪君」
その時、神代のスマホが鳴る。画面には「裏ビティ」の名前が表示されていた。
『神代論理次官。レゼさん、山形行きの新幹線を見送ったよ。あと爆豪君から、なぜか“話したい事がある”って言われたんだけど……それもすごく真剣に。伝手を紹介しろって……奪ってもらいたい個性があるとか。これって、完全に私がAFOさんと繋がってると思ってるよね』
『え、事実でしょう。それと、繋がっているって……緑谷君がいるのにパパ活してたんですか? 彼の脳を破壊するつもりなんですか?……冗談ですって。分かってますよ。爆豪君の件はこちらで受け持ちます。ロシア諜報員を光堕ちさせるって、どこの世界の主人公なんですかね』
神代は電話を切る。
レゼが向かう先は――爆豪が待つ「二道」しかない。
………
……
…
新幹線を見送ったレゼ。本国に帰る手筈は整っていた。だが、今の便を逃せば、次の準備まで時間がかかる。それは事実上、日本政府に捕まることを意味する。
それでも、彼女の足は――身体は――ある場所へと向かっていた。電車を乗り継ぎ、走る。彼と出会った電話ボックスを通り過ぎ、いつもの裏道を抜けて、喫茶店が見えてきた。
だが、諜報員としての勘が、裏路地の先に“何か”を感じ取る。首のピンに手をかけ、いつでも能力を使えるよう準備を整えるレゼ。
透明化が解除され、姿を現した神代真一。それを見たレゼは警戒した。光学迷彩とかそんなレベルではない。完全に透明で何もなかった。日本はこのレベルまで光学迷彩を高めたのかとも勘違いする。
「私も田舎のネズミは好きですよ。側室の実家が田舎でしてね。休みには家族を連れて行くこともあるんです。芋掘りとか、タケノコ掘りとか、結構楽しいんですよ。つまり、私は平和主義者なんです」
「爆豪君と同じ年くらい……見たことある。確か、A組のクラスメイトで自主退学した生徒だったはず。神代真一――祖国でも素性が最後まで調べられなかった生徒」
以前に来たA組の同級生のように、爆豪の“彼女”を見に来たわけではない。それは空気から察せられた。ここで殺すにしても、派手になる。素手で制圧できるか――レゼは一瞬、計算した。
「なんで、私のような一般人の素性を皆さん調べるんですかね。私のような素性が知れないものこそ囮で、素性が調べきれた彼女こそ真にヤバい奴だとは思わないんですね。……ロシア諜報員レゼ。日本最古のヴィラン組織“黒の組織”に潜入し、ヴィラン連合が異能解放軍を吸収。ギガントマキアの存在を確認して、祖国より帰国命令が下る。その際、個性回収対象として爆豪君に目をつける。所有個性は爆弾。追加で、血液接種による再生。それと強靭。最後に、裏切り防止として植え付けられた“自爆”の個性……多分、現状から二日とせずに、あなたは消し飛びますよ」
「何の用なの?わざわざ出てきて話すってことは、用事があるんでしょう。祖国の情報を売れば、助けてくれるの?」
殺すだけなら、顔を出す必要はない。だからこそ、何かある――それが、この場を切り抜ける鍵。日本には、個性を奪えるAFOがいる。紹介でもしてくれるのか?“自爆”さえ消してもらえれば、鞍替えしてもいい――レゼはそう思っていた。
「今回に限り出血大サービスでタダでいいですよ。ロシアの情報は、もう抜かせてもらいましたからね。だから、あなたには――」
「神代ぉぉぉぉ!!てめぇ、そこで何をしてやがる。銃をレゼに向けて、何をする気だって聞いてんだ!」
勘の良すぎる爆豪は、外で話していたレゼと神代の気配を察し、喫茶店から飛び出してきた。
「爆豪君。情けは人のためならず……私は受けた恩は、恩で返します。“個性抹消弾”――数少ない完成品。爆豪君、レゼさん。私は、君たちには幸せになってほしいんですよ」
「神代、その言い方胡散臭さが半端ないからやめろ。それと、その弾は何処で手に入れた。どうしてお前がそれを持っている」
疑うのは当然。この状況だ。だったら、答えは簡単だ。
「裏ビティさん。実は、彼女と私は上司部下の関係なんです。つまり、そういうことです。私の個性なら、レゼさんの“自爆”の個性だけを、この弾で撃ち抜けます」
「信じられねぇ。このタイミング…どっかで俺たちを監視でもしてなきゃ、できねぇことだろ」
個性抹消弾は、個性を一つだけ消失させることができる。本来、個性を複数持つことは想定されていない。その事実を知っている者は少ない。複数ある場合、撃ち込む場所次第で消失する個性が変わる。
「簡単には信じられませんか。では、後で渡そうと思っていましたが、これも差し上げます。レゼさんの新しい戸籍と経歴です。しっかり頭に叩き込んでください。関係者たちにも、すでに話をすり合わせてあります。聞き込み調査でも漏れることはありません」
パスポート、マイナンバーカード、保険証、戸籍謄本、卒業証書、銀行口座、学友たちとの修学旅行写真――そして仮初の両親たち。必要なものはすべて揃っていた。それが入った封筒を受け取った爆豪。彼も逃亡のために色々調べていたが、これが本物であることはすぐに分かった。
「爆豪君。これ、本物みたいだね。……見返りはなに?」
「そうですね。二人の結婚式にでも呼んでください。私、人を呼ぶことはあっても、まだ呼ばれたことがないんです。お恥ずかしい話ですが」
「あるわけねーだろ。てめぇ、一体自分がいくつだと思ってんだよ。15歳で本妻、側室、愛人1号、愛人2号、彼女とセフレを抱えてる奴なんて、俺の周りじゃてめーだけだ……神代、信じてたぞ」
「えぇ、そのために私が来たんです。それと、ロシアを欺くために、後で少しコピーを取らせてくださいね。死体を浮かせないといけないでしょうから」
路地裏の奥には、全身黒尽くめの怪しいヴィランが待機していた。
二倍の個性を持つチート――このためだけに、高額の報酬で神代真一がヴィラン連合から一時的に借り受けた存在。身の安全を絶対保障するという条件付きで。
神代は、封筒の中身を爆豪に渡しながら、静かに言う。
「これで、レゼさんは“死んだ”ことになります。ロシアは、彼女を探す理由はなくなる。あとは、君たちがどう生きるかだけです。」
レゼは、封筒の中身を見つめながら、しばらく黙っていた。パスポート、戸籍、卒業証書、銀行口座、修学旅行の写真――どれも、完璧すぎる偽装だった。
それは“新しい人生”の入り口でもあった。
「……ねぇ、爆豪君。私、本当に逃げてもいいの?」
「てめぇが逃げたいなら、俺が逃がしてやる。その代わり、俺の前からは逃げんなよ」
レゼは、少しだけ笑った。それは、今までの“演技”ではない、素の笑顔だった。
神代は、二人のやり取りを見届けると、背を向けて歩き出す。その背中に、爆豪が一言だけ投げかける。
「神代。……ありがとな」
「友達を助けるのに理由はいりません。私はこれでも、物間君に怒ってくれた貴方に感謝しています。貴方が思っている以上に。それと、裏ビティさんにも感謝しておいてください」
神代真一が敬称を付けていう裏ビティと言う人物。
「神代。丸が…じゃなかった。裏ビティ…何者なんだ。」
「"さん"をつけなさい。”さん”を。それは、私の口から言えません。それが答えです」
それほどやべー奴なのか。爆豪は考えた。AFOの親戚筋か子供という考えたが、いったん深入りはしない事にする。
こうして、爆豪勝己は大人になる。そして、その夜に一人前の男にされる。幸せとは正しい事だけを行っても手に入らない。要するに、清濁併せ吞む事が大事だと理解し始めた。
翌朝、爆豪のいたるところに蚊に刺された跡がある事をエンデヴァー事務所の誰もが見て見ぬふりをする優しい世界がそこに産まれた。そして、なんとも幸せそうな顔をする爆豪の顔を見た緑谷は、心の中に何かどす黒い闇を抱える事になる。
ふぅ、これで閑話はいったん終了かな。