血で血を洗う――まさに、それが相応しい戦場になっていることを、裏ビティは肌で感じていた。彼女は、神代コナンが戦場に姿を見せれば、どれほど最悪の事態になるかを理解していた。
だからこそ、必死に正気を保とうと精神安定剤を服用し、耐えていた。
近くにいたクラスメイトにも、無理やり口から薬を流し込んで落ち着かせる。普段温厚で、人助けが趣味の緑谷ですら、子供の泣き声を聞いただけで育児ノイローゼの母親並みにブチ切れそうになる。
つまり、普段から言動が危うい爆豪など、前を横切っただけで人を殺しているのではないか――そう心配になった裏ビティは、仕方なく電話をかける。
『あ、爆豪君。……こんなこと言いたくないんだけど、誰も殺してないよね?』
『は!? 俺がヴィランだとでも言いたいのか。さっきから、なんか異様にムカつくがこれはお前が原因なのか!? ……つまり、あれか。あれなのか。裏ビティ……“さん”、絡みなのか。こまけーことはいい。対策を言え』
裏ビティは、一瞬聞き間違いかと思った。
同級生の爆豪が、まさか“さん”と敬称をつけた。天変地異でも起きているのではないかと思うほどだ。天上天下唯我独尊ともいえる性格で、誰に対してもへりくだらない爆豪が、まさかの出来事だった。
『詳しくは言えないんだけど、インターン先が関係あるの。誰も殺したくないなら、殺してもいいヴィラン以外とはとりあえず接触しないで。私の方で、あの人には帰ってもらえるようにお願いしておくから。もう十分だろうし』
『ちっ。わかった。とりあえず、ヤバそうなヒーローはボコって、ヴィランはボコボコにして発散してやる。それと、まだ言ってなかった。レゼの件……ありがとな。裏ビティ……“さん”』
通話が切れる。
裏ビティという存在は、爆豪の中でどんな立ち位置にあるのだろうか――彼女は真剣に考える。AFOに次ぐ巨悪であり、神代真一を顎で使い、OFAを扱う緑谷を完封できる実力を持ち、日本政府にも伝手がある。緑谷から遺伝子(意味深)を受け取り、次代のOFAに最も近い女――そんな風に思われているなど、彼女は想像もしていなかった。
………
……
…
戦況が激化する中、裏ビティは必死に事態の収拾に奔走する。とりあえず、一番話が通じる神代真一に電話をかける。
『神代論理次官!! こんなのもうヒーローとヴィランの戦いじゃないよ。ただの殺し合いになってますって。一体、何人死んだと思ってるんですか』
『裏ビティさん。今、死なないでいつ彼らは死んでくれるんですか。いいですか、これが本来あるべきヒーローとヴィランの姿ではないでしょうか。今こそ、ヒーローの絶対数を減らすチャンスです。それに、本当に止めていいんですか? 薄々理解していると思いますが、どちらも大勝ちしたら困るんです。最終的にはヴィラン側に辛勝してもらい、疲弊したところで政府と手を組むというストーリーが欲しい』
雄英高校に入学できる学力だからこそ、裏ビティは理解してしまう。
確かに、そのストーリーは表裏が反転するに最も理想的な展開だ。しかも、殺人を犯したヒーローたちは世論によって合法的に処分できる。
また、勝利を収めた死柄木弔、ドクター、AFOの力は、日本を守るために絶対的に必要な存在となる。そうでなければ、日本は他国の食い物にされる。オールマイトがいない今、武力で日本を守れる存在は他にいない。
『人の心とかないんですか? こっちは、殺し合いの現場にいるんです。神代論理次官みたいに、遠くのデスクの上で書類で死体を数えてるわけじゃないんですよ!! こっちの身にもなってください』
『あぁ、そうでしたね。裏ビティさんは、今私たちがどこで何をしているのか知らなかったんですね。今、大使館前で逃亡するスパイたちを殺害中ですよ。あと、トップヒーローたちの家族を拉致しようとしているスパイも皆殺し中です。本当にそちらに向かってよいですか? とりあえず、麗日家の警備をそちらに回しましょうか?AFOの関係者、黎明卿の親しい中、日本政府の重鎮からも顔を覚えられるほどの貴方です……人質はさぞ有効でしょう』
裏ビティの携帯に数枚の写真が送られてくる。そこは、間違いなく麗日家の実家だった。
他国の諜報員の死体、異能解放戦線の異形個性持ちの死体の山。その死体の隣で、H・EROアカデミアの職員がピースしている写真。
裏ビティさんとも何度かペアを組んだ事がある顔見知り達だ。
つまり、遊んでいると思っていた神代真一たちは、別方面で日本を守っていた。大事な事だが、今まで戦っていたのは日本政府が用意した養殖のヴィラン。しかも、中身はヒーローだ。
今回の敵はテロリストでもある。つまり、身元が分かっているヒーロー達の家族を狙うなんて当たり前だ。
『なんで、なんで私だけこんな苦労をしなきゃいけないのよーーーー!! もう、ヴィランもヒーローも大嫌いだぁぁぁぁぁ。……よし、私は家族が大事。神代論理次官、不肖裏ビティ。これからも、頑張りますので両親をどうかお願いします』
『えぇ。では、ヒーローとヴィランを適度に減らして。最終的に際どい感じにヴィランに勝利を。それから、異能解放戦線の幹部級は面倒なので皆殺し。彼らがいたら、我々の価値が下がりますので。ちなみに、麗日さんの家族を拉致しようと計画したスケプティックという人物がそこにいます。今、座標を送りますね』
裏ビティには、日本政府公認の殺人ライセンスがある。
大好きな両親、大好きな彼氏、大好きなクラスメイトを守るため――裏ビティは覚悟を決める。誰かがきれいな道を歩くには、誰かがその道を整備しなければならない。
彼女は、その“整備する側”に立ったのだ。
AFOから与えられた装備、アーマード裏ビティ。
そして、神代コナンによる狂気をその身に取り込み、彼女は修羅を凌駕する。殺意に目覚めた裏ビティを止めるにはそれこそ、エンデヴァークラスのヴィランが必要になる。
………
……
…
ヴィラン連合と異能解放戦線は、当初は優勢だった。ヒーローたちの襲撃情報を事前に入手していたため、いくらでも対処ができる状況だった。だが、ある時を境に戦況の流れが変わり始める。
プロヒーローたちが前線に出てくると、異能解放戦線の同志たちが次々と苦しみ、もがきながら死んでいく。中には、いつの間にか地面に吸い込まれ、二度と浮かび上がってこない者もいた。その手口は多種多様で、誰が何をしているのかすら把握できない。
当初は、ヒーローたちがどこかで回収しているのではないかと考えられていた。だが、回収の気配すらない。
極めつけは、Mt.レディによる巨大な整地ローラーによる拠点の“物理的な”破壊だった。単純な手法ではあるが、その質量ゆえに対処できる個性は限られる。荼毘ですら、彼女の整地ローラーを前にしては逃げるしかなかった。
地下へと逃げるトガヒミコは、現状の“ヤバさ”を再確認する。
「ヤバいです。ヤバいです。ヒーローたちの空気が変わっています。弔くんは、まだなのですか?」
「確かに、空気が変わったな。これじゃあ、エンデヴァーがいる場所まで行けねぇな。あのデカブツは動かねぇのか?」
「弔かAFOの命令じゃなきゃ動かないらしいぜ。こうなったら、困った時の友達に助けてもらおう。俺のマブダチだぜ……ポチポチっと」
トゥワイスはスマホを取り出し、神代真一に連絡を入れる。
『元気にしてる? 神代く~ん』
『えぇ、ちょいと忙しいですが元気ですよ。先ほどぶりですね。どうしました?』
『実はさ~、なんかヒーローたちに結構追い詰められててさ。ギガントマキアってのが動かないせいで、俺たち逃げ場がないんだよね。何とかできないかなって』
『ははは、それは困りましたね。でも、ドクターの方も結構大変みたいですよ。とりあえず、その場から脱出するだけなら、良い駒を配置しておりますので、タクシー代わりにご利用ください。トガさんが大好きな裏ビティさんがお迎えに上がりますので』
触れた物すべてを重力から解放し、西へ吹き飛ばす女――漆黒のアーマーに身を包んだ“悪魔”が、その場に舞い降りる。彼女にかかれば、Mt.レディですら片手で地平線の彼方まで吹き飛ばせる猛者だった。
「きゃーー、お茶子ちゃん。素敵!! とっても、素敵!」
「くそーー、くそーーー。絶対に、これが終わったらこの仕事辞めてやるーーー!!」
その手を真っ赤に染めた裏ビティは、山荘の拠点からヴィラン連合とギガントマキアを連れて逃亡する。音速に近い速度で山荘の拠点からヴィラン連合とギガントマキアを連れて逃亡する裏ビティ。
漆黒のアーマーに身を包み、触れたものすべてを重力から解放して吹き飛ばす彼女の姿は、もはや“ヒーロー”でも“ヴィラン”でもなかった。
その場にいたヒーローたちは、彼女の存在を確認することすらできなかった。ただ、空気が一瞬で変わったことだけを感じ取る。そして、拠点の地形が“消えた”ことに気づく。
「……今、何が起きた?」
「誰かが……何かを“持っていった”」
Mt.レディは、整地ローラーを止めて空を見上げる。だが、何も見えない。ただ、地平線の向こうに、黒い閃光が走ったような気がした。