サンダーボルト 作:れっどぱーじ
恐らく、十二年の人生の中で最も穏やかな時間を過ごしている。
一ヶ月経って着慣れた着物を着付けながら、石動カナタは鏡に映る自分を見返した。
真っ白な髪に、青白い肌。赤い引き攣りであるリヒテンベルク図形に、黒い着物。襷掛けをすれば、右袖の下からチラリと火傷痕の端が見えるか見えないかの位置にあるが、今はそれほど気にしていない。
着替えを終えて、カナタは客席スペースへ。
「おはようございます、ミカさん」
「ああ、おはよう。今日も早いな」
「表の掃除をしてきますね」
「ああ」
箒と塵取りを手に、店前の掃除へと向かうカナタ。
その背を見送って、ミカは笑みを浮かべつつ仕込みの最終調整を行っていく。
彼は勤勉で真面目だった。この一ヶ月で遅刻した回数は、0。朝も早くにやって来て、店内と店の周りの掃除を行い、さらに時間があればミカに習いながら料理の練習も行う。
半月ほどは、新しい環境に無理をしているのではないかと心配していたミカだが、元よりの気質であると知れた後は特に心配していない。
仕事は丁寧、覚えも速い。気も回る上に、マニュアルや基準を逸脱する事も無い。
酒カスの片鱗を見せつつあるダメ女さんや、天真爛漫と好奇心が天元突破したファーストリコリスと比べれば店への貢献度は中々のもの。
ミカからの評価を知る由も無く、カナタは店の外の掃き掃除を終えて、客席のテーブルを拭き、椅子を拭き、窓を拭いた所でドアベルが鳴る。
「千束が来ましたー!」
「おはようございます、千束さん」
「おっはー!カナタくん、今日もピッカピカじゃん!」
太陽のような輝く笑顔を浮かべる千束。その後に続いて頭が痛そうに眉根を寄せるミズキの姿があった。
そんな彼女が嬉々としてカナタへと駆け寄るが、しかしその前にミカの声が飛ぶ。
「先に着替えて来なさい、千束。カナタ君が掃除は終わらせてくれたから」
「おおう、カナタくんまっじめー」
「そこは先輩としての矜持を見せる所じゃないかしらー?」
「ミズキだって、私と同じぐらいに来てんじゃん!」
ギャンッ、と噛み付く千束とそんな少女を片手であしらうミズキ。
二人が更衣室へと消えた事を確認して、ミカは掃除をあらかた終わらせたカナタを手招きで呼び寄せた。
「今日もお疲れさまだな、カナタ君。ほら、いつものだ」
「ありがとうございます」
掃除に使った手を綺麗に拭ってから、カナタはカウンター席に着くと差し出されたカップを受け取った。
中身は湯気の立つココア。初めてこの店に来て飲んだ時から、彼のお気に入りだ。
よく練られたピュアココアに、砂糖の代わりに蜂蜜が使われホットミルクを加えた一杯は飲めばホッと息を吐きたくなる優しさがある。
「初めて来た時と比べれば、随分と慣れたもんだな」
「そう、ですね…………ここは、居心地がいいです」
「任務があっても、か?」
意地の悪い質問をしている自覚はあるが、それでもミカは問う。
対して、カナタは曖昧な笑みを浮かべた。
「荒事は、やっぱり好きじゃありません。でも、必要以上に相手の命を奪わなくて良いので、精神的には楽なくらいです」
「そうか」
「それに、リリベルに居た時にはできなかったような事が色々できますからね」
料理とか。そう言って、カナタはカップを大きく呷った。
リコリスが日常に溶け込む必要があるのに対して、リリベルに求められるのは只管に状況鎮圧能力。掃除洗濯料理などの家事技能よりも、戦闘能力や作戦遂行能力を求められた。
補足をするなら、特殊部隊として上層部は敢えてリリベルの動きを制限している節がある。コレは、作戦遂行時の余分なノイズを防ぐ役割もあった。主に体重増加などによる移動制限など。
カナタがココアを飲み干した所で、姦しい二人が戻って来る。
喫茶リコリコの開店である。
*
光があれば闇がある。
小さくとも、DAの支部の一つであるリコリコには定期的に任務が下される。
「カナタくん、準備オッケー?」
「うん。千束さんも大丈夫?」
「もっちろん!早く帰って、今日は映画パーティだよ!」
マガジンを装填し、チャンバーチェック。手慣れた様子の千束に対して、カナタもまた自身の装備の最終確認を行っていた。
石動カナタは、銃を使わない。正確には、
彼の体質上、下手に銃を使うと電気が意図しない方向へと散ってしまったり、或いはそもそも彼の静電気で暴発する可能性が付いてくるから。
銃の代わりの装備は、主に二つ。
一つは、腰の後ろに差した折り畳み式の特殊警棒。折りたたんだ状態だと、凡そ25センチ。腕のスナップで伸ばすと80センチ弱になる代物で特殊鋼材で作られた代物。
もう一つは、両腕に取り付けられた籠手のような装備。こちらは、とあるギミックが仕込まれておりカナタが誰かと任務を行う場合にはほぼ必須とされる代物だったりする。
実働部隊二人が装備点検を終えた所で、彼女らの耳に嵌められたイヤホンがノイズを発した。
『聞こえているか、お前たち』
「感度良好だよ、せんせ」
「大丈夫です」
『良し。目標は、港の倉庫内に居る。そこで行われている大規模な薬物取引の摘発が任務だ』
「はいはい、了かーい」
「何か、新情報などはありますか?」
『いや、特に報告は上がっていないな。何か、感じられたか?』
「いえ、確認しただけです。不確定要素は少ないに越した事はありませんからね」
籠手の感触を確かめながら、カナタは前を向いた。
サイレンの鳴り響く港。本来ならば、船の出入り予定なども無く、人の気配も感じられない場所だろう。
だが、二人の視線の先にある倉庫の一つ。その窓にはカーテンが閉め切られているが、僅かな隙間から中の光が漏れてしまっている。それでも今まで気づかれなかったのは、こんな時間に態々港へと近付こうとする者が居ないからだろう。
通信が途切れて、二人の子供は顔を見合わせた。
「それじゃあ、カナタくん。いつも通り、“いのち大事に”ね」
「敵も僕らも、ですよね。頑張りましょう」
「おー!あ、後また敬語になってるよ」
「…………気を付けるよ」
気の抜けるようなやり取りをしながら、二人は倉庫へと近付いていく。
倉庫の外観は二階建て。だが、その内部構造は中央吹き抜けで、二階部分は壁に沿うようにして足場が敷かれているだけ。
「僕が上から行きま…………行くね?」
「うん、それで良いよ。カナタくんが突入したタイミングで、私も突っ込むから」
「了解」
短いやり取りを挟んで、千束は倉庫の出入り口へと小走りに駆けていく。
彼女の背を見送って、カナタは右手を倉庫の屋根の方へと振り上げた。
瞬間手の甲の辺りから伸びる四本の細いワイヤー。
ワイヤーの先端にはアンカーが取り付けられている。その先端が屋根の上に消えた事を確認して、カナタは右腕を数度引っ張ってワイヤーが固定されたことを確認、倉庫の壁へと近付いた。
そのまま、まるで地面を歩くかのように垂直の壁を発って歩き始めるではないか。
原理としては、磁石。カナタの履くブーツには、踏み抜き防止用の鉄板が仕込まれている。この鉄板に磁性を付与して、更に自分の足場とする倉庫の壁にも同じく磁性を付与。互いを引き合わせて、両手を使わない登攀を可能としていた。
尤も、垂直の壁を立って歩こうとすれば、地面と平行にならざるを得ない。そうなれば、腹筋と背筋へのダメージは必至。仕事前に疲れる訳にもいかず、こうして本来の用途とは違うが籠手に仕込んだワイヤーの巻き取り機能を用いて疑似的なハーネスとしたのだ。
軽快な足取りで屋根まで上ったカナタは、腰の後ろに差した警棒を抜き腕のスナップと共にコレを伸ばしておく。
屋根には、明り取り用の天窓が一つ設けられていた。そこに近づいて、倉庫内へと影を落とさない様に気を付けつつ覗き込んだ。
(標的人数は…………うん、情報通り。千束さんも位置に着いただろうし、作戦開始だね)
内心で頷き、今度は影が落ちる事も気にせずカナタは警棒を振り上げる。
狙いは、窓。柄頭に搭載されたガラスを割る用のスパイクを勢いよく叩きつけた。
儚くも盛大な音と共に窓が砕け散り、倉庫内に明かりに照らされたガラス片がまるでダイヤモンドダストの様に降り注ぐ。
間髪入れずに、割った窓からカナタは躊躇いなく倉庫の中へと飛び込んでいく。
「な、なんだお前!?どこから来やがった!?」
「何でもいいだろ。さっさと始末して、帰ろうぜ」
騒ぐ男たちの一方で、冷静な者たちの銃口が着地したカナタへと向けられる。
銃規制の強い日本だが、輸入ルートさえ確立できるのなら意外と持ち込めたりする。
特に今回の薬物取引は、海外からの密輸である。そのルートに拳銃程度ならば乗せる事も可能だった。
引鉄が引かれる。既に、殺しを経験済みであった彼らにとって自分達の取引を見た者は、例え女子供であったとしても一切の躊躇なく
だが、
「――――残念ながら、僕に銃は基本的に通じませんよ」
カナタの右手が銃口を向ける男たちへと向けられて、電光一閃。
彼の手から走った複数本の細い電流が空中を不規則な軌道で突き進んだかと思えば、放たれた弾丸へとヒット。その螺旋回転のベクトルを真正面から完全に打ち崩して、迎撃、撃ち落としてみせた。
現実離れした光景に、銃を撃った男たちの思考に空白地帯が生まれた。そして、この隙を見逃す程カナタは甘くはない。
一呼吸の間に前へと距離を詰め、右手に握った警棒を振り抜く。
狙いは、突き出された拳銃の一つ。降り抜かれた警棒の先端が、銃口あたりを捉えて跳ね上げ銃身を撃ち砕いていた。
警棒に下から殴られて跳ね上げられた拳銃に付随するようにして、男の腕もまた跳ね上がる。呆気にとられて片腕を上げた姿勢。その懐へとカナタは飛び込むと、空いた左手の張り手をその腹部へと打ち込んでいた。
「ゴッ!?あばばばばばばばば!?」
バチバチと激しく電光が散り、張り手を打ち込まれた男は痙攣。数秒後には、仰向けに白目をむいて倒れてしまう。
何が起きているのか、周りからは分からないだろう。
そして、人というのは分からない状況を前にするとパニックを起こしてその場から逃げ出す場合が多かった。
「ち、チクショウ!逃げるぞ!」
「逃げるってどこに!?」
「何処だろうが関係ねぇ!とにかく、今は倉庫から――――」
「はーい、こっから先は通行止めー」
え、と誰かが声を漏らした瞬間、複数の発砲音。
赤い制服を着た少女が、特徴的なストライクフェイスのコンペンセイターを装着した拳銃を手に男たちの逃走ルート先に現れているではないか。
咄嗟に、銃を構える男たちだったが、その前にマズルフラッシュ。吐き出された弾丸が、瞬く間に男たちを
時間にして、五分と掛かっていないだろう。倉庫内に立っているのは、二人だけだ。
「こっちは終わりました。千束さんは…………」
「こっちも終わったよー。相手の装備が貧弱で助かったね」
「…………一応、日本でここまで拳銃を使う相手は珍しいと思いますけど?「敬語」…………思うよ?」
肩を竦め、カナタは
この場に居た犯罪者たちは、全員生きている。これは、千束の拳銃はゴム弾でありカナタの方はスタンガン程度の威力に抑えているから。
前者は兎も角、後者は中々苦労しているのだがカナタとて好き好んで人殺しをしたくはない、と数日で感覚を覚えて体現してみせた。因みに、その練習方法は自身にスタンガンを押し付けて只管その威力を覚えるというもの。電気に耐性があるからこそ可能な荒行の賜物だった。
昼間はリコリコの経営を。夜間は、人知れず犯罪を未然に叩き潰す。
それこそが、少年少女の仕事であった。
「カナタくんは、何が見たい?やっぱりアクション?それとも、一仕事終えたばっかりだしコメディで一笑いしちゃう?」
「その前に、クリーナーに依頼を出してこの人たちを連れて行ってもらおうよ。薬物にしても、DAの方に報告を上げないと」
「んじゃー、私がクリーナーに連絡するから、カナタくんは報告お願いね」
「はいはい」
だろうね、という言葉を飲み込んで、カナタはスマホを取り出すのだった。