実際の場所や団体・人物とは関係ありません。
川崎港・倉庫前
潮の匂いが重く漂う夜の港。
古びた倉庫の前に辿り着いた達也たちは、一歩踏み出した瞬間に、肌を刺すような異様さを感じ取った。
街の灯りも届かない暗闇。
波音が遠くに響く中、そこへ規則正しい靴音が迫ってくる。
最初は一つ。次に二つ。
やがて十数の足音が重なり、低い太鼓のように石畳を震わせた。
倉庫の影から現れたのは――黒いスーツとフラットキャップを揃えた一団。
ツイードのスリーピースは軍服のように整い、長いコートは鎧の裾のように揺れる。
革靴の音は乾き、赤く瞬く煙草の火が小さな狼煙のように浮かんでは消えた。
だが、その整然さの中に無造作な危うさが混じっていた。
散弾銃を片手で肩に担ぐ者。銃口をだらしなく下に向け、石畳を擦るように歩く者。
古びたリボルバーを指先で弄び、金属音をわざと響かせる者。
一人ひとりの仕草は雑然としていながら、足並みだけは揃い、軍隊の行進のような迫力を生んでいた。
――無秩序と統率が同居する異様さ。
ただのチンピラには到底真似できない威圧感だった。
その先頭に立つのは――マイルズ・ベイウォル。
黒のダブルコートを纏い、煙草を指に挟んだまま真っ直ぐに前を射抜く。
吐き出された煙は旗のように尾を引き、彼の歩みに合わせて漂った。
彼は群れの中心でありながら、誰よりも前に立つ。
その一歩ごとに重圧が広がり、背後の構成員たちは従属の影に過ぎなかった。
ただ歩くだけで、達也たちは悟った。
――この街では、この男の存在そのものが掟であり秩序だ。
マイルズの靴音が止まる。
冷ややかな声が夜気を切り裂いた。
「……なんの用だ」
声は低く、余計な力はない。だがその響きは命令と同義だった。
「十文字のお坊ちゃんに、千葉家のお嬢様。
それに――第一高校の優等生が四人か。豪勢な顔ぶれだ」
挑発に、エリカが反応する。
「……お嬢様、ですって?」
怒りで手が警棒へ伸びた瞬間――
ジャキッ。
黒い銃口が一斉に突きつけられる。
エリカの目の前には、太く短い散弾銃の口。
隣の構成員は古いリボルバーを握り、冷笑しながら彼女の胸元へ狙いを合わせる。
散弾銃は重々しく、リボルバーは不気味に静かだ。
「安心すんな。魔法師の防壁すら貫く弾だ」
乾いた声が夜に落ちる。
深雪が息を呑み、レオと桐原も反射的に身構える。
だがマイルズが低く一言。
「……下ろせ」
銃口は揃って下がり、沈黙が戻る。
その統率は、ただの無法者には出せないものだった。
マイルズは煙を吐き、淡々と告げる。
「ここで血を流す気はない。掟を犯すなら別だが」
指先で灰を弾き、背後に命じる。
「連れてこい」
倉庫の奥へ消えた構成員たちが、やがて半殺しのブランシュ残党を引きずってきた。
顔は腫れ、血にまみれ、呻き声だけが港に虚しく響く。
深雪が小さく呟く。
「……酷い」
残党のひとりが膝をつき、必死に言葉を吐いた。
「た、助けてくれ……情報をやる……金も出す……」
エリカが一歩前へ出る。
「待って! 話を聞くだけでも――」
十文字も前に出た。
「こいつらは――こちらに引き渡してもらう。
裁きは我々が行う。」
その言葉に一瞬の静寂が落ちる。
残党は必死に縋るような目を向け、深雪とエリカの肩から力が抜けた。
「助かるかもしれない」――そんな空気が漂う。
マイルズはわずかに視線を落とし、低く呟いた。
「……そうだな」
短いその一言は、独り言のようであり、同時に死刑宣告だった。
そして、その刹那。
マイルズの右手がコートの奥へすっと沈んだ。
黒光りする拳銃が静かに抜き取られる。
バン。
銃声は一発。
マイルズが放った弾は、残党の頭を撃ち抜いた。
赤黒い飛沫が石畳に散り、呻き声すら許さず死体は崩れ落ちる。
彼は口元に僅かな笑みを浮かべ、低く吐き捨てた。
「……慈善事業じゃない」
次の瞬間、背後から銃声が重なった。
バン、ドンッ、パン――!
散弾の重爆音。リボルバーの乾いた破裂音。
自動拳銃の連射が夜を裂き、残党たちは次々と撃ち抜かれていく。
悲鳴も断末魔もなく、ただ銃声と血飛沫だけが港を覆い尽くした。
数秒後、全員が沈黙したとき――石畳は赤と黒に塗り替えられていた。
潮の匂いに、鉄と硝煙が混じり合う。
十文字が怒声を上げた。
「今のは不要な殺しだ!」
マイルズは吐き捨てるように答える。
「不要か? 笑わせるな。
奴らは俺たちの港で武器を運んだ。俺たちの目の前で、だ」
声は冷えきっていた。
「俺たちは血と掟でこの街を守ってきた。
お前らは都合が悪くなれば背を向ける。
そんな連中が正義を語るか」
十文字は言葉を失い、エリカは顔を背け、深雪は震え、レオと桐原は立ち尽くした。
マイルズは拳銃を収め、ポケットから新しい煙草を取り出した。
――シュッ。
マッチを擦った赤い火花が、一瞬だけ彼の顔を照らす。
炎が揺れ、煙草の先端を朱に染める。
彼は何事もなかったかのように火を吹き消し、深く煙を吸い込んだ。
吐き出された煙が夜の港に滞留し、血と火薬の臭いに混じって重く沈殿する。
その仕草を見た深雪は、吐き気を堪えるように唇を押さえ、
エリカは奥歯を噛み締め、レオは拳を震わせる。
十文字の胸には、怒りと同時にどうしようもない無力感が重く沈んでいた。
「……もう終わりだ」
マイルズの声は淡々としていた。
「出ていけ」
退路は空いている。
だが正面に立つ男を越えて背を向けるしかなかった。
達也だけが視線を逸らさず、煙の向こうのマイルズを見据える。
誰も言葉を発せず、ただ靴音とタバコの匂いだけが残る。
その沈黙こそが、この川崎の夜を支配する存在を雄弁に物語っていた。
原作の暗く後味悪い感じが出てたら嬉しいです。