スマホを届けたら、ギャルに付きまとわれるらしい 作:匿名希望
――あの日、スマホなんか拾っていなければ。
そう思うことは、今でもある。
けれど、そう考えるのはいつも無駄なことで。
後悔するのは、いつだって無意味なことだ。
過去を振り返れば、今は置き去りにされていて。
今を思えば未来はオレたちの知らぬ間に訪れる。
あの時声をかける機会がなければ……。
『マサくん!』
これは大学生の夏。
オレが彼女と出会った、忘れられない記憶だ。
―― ―― ―― ――
大学生とは、実に自由な生き物である。
高校を出て大学生に上がったばかりの俺が感じたのは、そんな野暮ったい考えだった。
高校に比べて授業のコマ数は少なく、空きコマがあれば友達とゲームをしたり、近くの24時間漫喫でカラオケやら読書やらで時間を潰したりすることも可能。
時間を与えられ、選択肢を増やされ、バイトなんかでお金を稼げば、好きなことを好きなだけできる。
なるほど、誰かが言った「大学生とは人生の夏休みだ」というのは言い得て妙だ。この名言を言い放った人間は、大学生という生き物を誰よりも熟知しているに違いない。
しかし悲しいかな。
この世には人生の夏休みとは別ベクトルの大学生活を送る者もいるらしい。
今俺の目の前にいる悪友こそ、まさにそうだろう。
「悪ぃ、正春……今日は一緒に帰れねぇ!」
4限目終わりの講義棟内。開口一番に飛び出した言葉がそれだった。
講義も終わり、あとは帰るだけとなっていた矢先、これである。
いきなりすぎて何事かと思ったが、どうやら事情は単純だった。
「さっき姉貴に呼び出されちまってさ。どうしても飲み屋街に送れって言うんだよ……」
「あー、あのパツキンのお姉さん?」
「そう、あの姉貴! だからほんと、悪ぃ! うちの姉貴、逆らったら容赦ねーからさ!」
そう言って顔の前で手を合わせ、土下座する勢いで頭を下げる翔。
流石は「どうも、家族ヒエラルキー最下位の長男坊です」と自己紹介する男だ。謝罪のこなれている感が全く違うかった。
実際問題、俺と翔は家の方向が一緒ということもあって、時間が合うときは、よく一緒に帰っている仲だ。
翔は車で通学をしているということもあり、それにじょうじて俺もコイツの車に乗せてもらう。普段は夜更かしで眠そうな翔の代わりに俺が運転を任されるのも、よくあることだった。
だが今日は、そうはいかないらしい。
「いいよ、気にしないでくれ。俺もちょうど駅前に寄りたいところあったし、今日は汽車で帰るわ」
「うぅぅ、ごめんなぁ、正春。今度ラーメン奢るからなぁぁ」
「いいって。お前の車使わせてもらってるのは、こっちなんだから。お礼は言っても、文句とか出ないよ」
俺はトートバッグの肩紐を直し、ぱんと翔の肩を叩いてやる。
「それより、ほら。早く出ないと渋滞に掛かるぞ。遅れでもしたら、お前のお姉さんすっげー怒るだろ?」
「はっ! そうだった! すまん、正春! 今度ちゃんと詫び入れるからなぁ!」
「おう、期待せずに待っとくよ」
詫びなんていらないのだから、期待することでもない。
俺は駆け足で駐車場に走り去っていく友の後ろ姿を見送りながら、そう思うのだった。
「さて、久々にバスも使うか」
俺も帰るためにぐっと背筋をのばしてから、歩みを再開させた。
―― ―― ―― ――
俺の通学手段は、翔の車を除けば、基本バスと汽車を使うことが多い。
このご時世に「汽車?」と思う人もいるかもしれないが、別にあの蒸気機関車のことを指して呼んでいるわけではない。俺の住んでいる街では電車なんてものは存在せず、ディーゼル機関車のことを汽車という愛称で呼んでいるだけだ。
本当は自転車だけでも通学しようと思えばできる距離なのだが、いかんせん今は夏。
地球温暖化の影響か、30度を超えることも珍しくなくなったこの現代の夏において、片道30分の自転車通学とは自殺行為と同義である。
それに、自転車で来てしまえば、翔と帰ることもできなくなってしまう。さすがに自転車を車で運んでくれとお願いするのは憚れるし、それなら俺が身一つで大学に来れば解決する話なのだから、自然と自転車での通学は無くなっていった。
「ん?」
べっとりと張り付くシャツの感触に顔をしかめながら、俺は大学内にある学生用バスへと歩みを進めていると、視界の端で、ちらりと気になる姿が映った気がした。
俺はその存在に惹かれるように、顔をそらし食堂側にあるベンチへと視線を向ける。
そこには木陰に置かれたベンチと、ひとり、長い髪を揺らしながら腰をかけている女子の姿。
「……あれは」
――視線を奪ったその彼女を、俺は知っている。
厳密には、俺だけでなく、同じ学部生なら誰しもが知っている人物と言うべきであろう。
――
それが彼女の名前だった。
あれは学部内での懇談会のときだったか。男女問わず誰もが目を奪われる存在感を放っていたのは、今でも記憶に新しい。
というのも、彼女の容姿は非常に整っており、それだけでなく非常に飛びぬけていた。
美人とあざとさを両立した顔立ち。出るとこは出て、締まるところは締まっているメリハリのついたボディライン。
高校生に上がったばかりの大学生なんて、どれも垢抜けていないものばかりの中、ひとりメイクを自然とこなし、あの特徴的な茶髪にピンクのカラーを入れた髪も相まって、目立たないわけがない。
それでいて、懇談会の終わり際、いかにも小学校からサッカーをしていましたと言わんばかりのイケメンから声をかけられるも、あっさりと「無理ー!」の一言で終わらしたのは、俺たちの学部内ではひそかな面白エピソードとして語り継がれているほどだ。
思い出してみても、彼女に意識を割かない人間なんて存在しないほど、あの場ではまるで異分子のような存在だった。
そんな学部生の間でも人気の彼女が、ひとりでベンチを腰かけなにをしているのか。
普段から、ひとりでいることすら見かけないというのに、奇妙さが際立っていた。