「神の教えは崇高だというが、ならば神の教えを知る前の我々の先祖は、神の教えを知らぬが故に全員地獄に堕ちたのだろうか?」
…バラキエル=フォン=アルビレオ(帝国歴1163~帝国歴1251)
フレン救出から一夜明けたガルグ=マク大修道院。騒乱の余韻が残る中、リシテアは足早にバラキエルの自室へと向かっていた。
昨晩、帰路の途中で彼が認めた隠し事………その片鱗を少しでも暴くこと、同時に彼と共に進めている己の研究の進捗を問い詰めること。
リシテアには、どちらも先延ばしにする気は無かった。
ノックもそこそこに扉を開けると、バラキエルは机に向かい、羽ペンを猛烈な勢いで走らせていた。
「今日も今日とて忙しそうですね、何書いているんですか?」
リシテアが背後から覗き込むと、バラキエルは顔も上げずに答えた。
「請求書です」
「請求書?」
リシテアの眉がぴくりと動く。嫌な予感しかしない。
経験上、この男が朝から機嫌よく何かを書いている時は、ろくなことがないのだ。
「先日、フレンさんの救出劇がありましたでしょう。その時にかかったコストを、セテス様に支払ってもらおうかと…」
「まぁ請求というより嘆願ですが」と言いながらバラキエルは、出来たての請求書をリシテアに見せた。
リシテアはそれを受け取り、一行目を読んだ。二行目を読んだ。三行目を読んで、深呼吸をした。
金銭の請求額は勿論のこと、消毒用酒精の販売規制の緩和。ベレトへの報酬。救出に関わったエドマンド家・コーデリア家・ヴィクター商会への配慮。その他諸々、びっしりと書き込まれている。
リシテアは一発で察した。
………こいつ、ふっかけてやがる。
これでは嘆願の体をしただけの恐喝状ではないか、と。
「何考えてるんですか! セイロス教の幹部相手に!」
「教義に反することは書いておりません」
事実である。アルビレオ家の人間は契約の際に法に反しないよう、セイロス教の教義や王国や帝国の法を隅から隅まで教え込まれている。バラキエルに隙はない。
だが、やや常識から外れているのも、また事実であった。
「そういう問題じゃないでしょう!相手は妹さんが攫われた直後のお兄さんですよ!!」
血も涙もないのか、と詰め寄るリシテア。
しかしバラキエルは、そこで初めてペンを置いた。
「誤解をしています、リシテアさん。セテス様は、フレンさんの兄ではありません。実の父親です」
「は!?」
リシテアは呆気に取られた。思考が数秒停止する。
「何を言って……。二人は兄妹だと公言しているじゃないですか」
「違和感を覚えなかったのですか? あの過保護ぶり、距離感。お二人がいくらでも並んで立つ場面はあったでしょう。あれは父が娘を案じる眼差しそのもの……セテス様とフレンさんは正真正銘の
「こ、こんな時にそんな適当を…!」
「証拠ならありますよ。ロディ海岸の聖キッホルの記念碑を調べれば判ります。あそこは、セテス様の奥様の墓でもあるのです」
聞いてもいない爆弾情報に酔いそうになる。
バラキエルはふらつくリシテアにトドメを刺すように、「これも任天堂から聞きました」と付け加える。
彼は決意したのだ。リシテアが「隠し事を話すこと」を求めるようになってからは、もっと積極的に情報を渡していこうと。これからはより一層セイロス教会の目や既に潜り込んでいる闇に蠢く者の耳に注意を払わねばならないが、仕方ないことだ。
「はぁ~~、聞いてもいないことを話さないでください。話を戻しますが、本気でこれをセテスさんに出すつもりなんですか!?」
「当然。商人はボランティアではありませんので」
「それ以前に今節の課題ですよ!? 課題の報酬を求める生徒とか、聞いたことありません!!」
「ダメですか」
「当たり前です!!!」
リシテアの怒号に近い即答に、バラキエルは肩を落とし、作り上げた請求書を力なく丸めた。
「……そうですか。エドマンド辺境伯には良い報告ができると思ったのですが。残念です」
「いいから、そんな紙屑はさっさと捨てなさい! 全く……あんたって人は、放っておくとすぐこれなんだから」
ぷりぷりと怒りながら椅子に座るリシテア。バラキエルは、丸めた羊皮紙を暖炉へ放り込みながら、どこか楽しげに口角を上げた。
「これからは、提出前にリシテアさんの検閲を通すことにしましょうか」
「……そうしてください。あんたの常識、商売の方に振り切りすぎなんですよ」
やれやれ、と肩をすくめるリシテア。
丸まった請求書が暖炉に投げられ、灰になるまで、しばらく沈黙が続いた。
リシテアは椅子に座ったまま、研究ノートを開いていた。バラキエルは新しい羊皮紙に向かっていたが、やがてペンを置いた。
「リシテアさん。昨日の戦闘で、ドーラΔを使いましたね」
「……ええ」
「あれだけの威力を、あの精度で。魔法の腕が上がっています。ここ数ヶ月で、明らかに」
リシテアは顔を上げなかった。しかしノートをめくる手が、わずかに止まった。
「……お世辞は結構です」
「事実の確認です。貴女の努力とベレト先生の授業との相乗効果もあるでしょうが、私との実験も無関係ではないはずだ。少なくとも魔力の精密制御という点では」
「……それは、認めます」
リシテアは苦い顔をしながらノートを閉じ、バラキエルを見た。
「それで? 褒めたのには理由があるんでしょう」
「鋭い」
バラキエルは机の引き出しから、小さな布包みを取り出した。リシテアの前に、静かに置く。
「昨日の戦場から回収したものです」
リシテアは包みを開いた。中には小瓶が二本。一本には暗い赤褐色の液体。もう一本には、より固形に近い何かが浮いている。
「……これは」
「この前の、闇に蠢く者の魔道士のものです。血液と、組織サンプル」
リシテアの手が止まった。
「戦場で……採取したんですか」
「ええ。死体を確認している体で」
バラキエルは淡々と言った。淡々としているが、目は逸らさなかった。
リシテアはしばらく小瓶を見つめた。それから、静かに問うた。
「……これを使って、私の呪いを分析するつもりですか」
「今はまだ」
即答だった。
「今はまだ、とは」
「適切な環境と、適切な協力者が必要です。現時点では、その条件が整っていない」
「…………教会の目ですか」
「その通り。異端の
闇に蠢く者共に関しても同じです。彼等の身体をバラす事が呪い解析の近道ですが、それは同時に奴等との敵対を意味する」
「……教会から距離でも取る気ですか?」
「教会と敵対する訳にはいきません。ただ……いずれ必要になる時が来る。その時のために、手元に置いておきたかった」
リシテアは小瓶を布で包み直した。その手つきは丁寧だった。
この時、リシテアの心の中では奇妙な信頼の芽が育っていた。
己の短命の治療をしようとしているのは知っていたが、その為に闇に蠢く者の魔道士を解剖し、サンプルを持ち帰る真似までするとは。
お節介は嫌いな性格ではあったが、身の危険を犯してまで手に入れた物を無碍にする程、彼女は子供ではない。
「……あんた」
しばらく間があった。
「地獄に落ちるわよ」
「地獄が存在すればね」
バラキエルは静かに答えた。
リシテアは少しの間、バラキエルを見た。それから、小さくため息をついた。
「それ、貰えますか?」
「良いのですか?」
「……今は私が持っておく方が安全でしょう。あんたの部屋、セテスさんに目をつけられてるんだから」
「それは、確かに」
バラキエルは頷いた。反論しなかった。
リシテアが小瓶をノートの間に挟んでいるのを見ながら、バラキエルは微笑む。
元を正せば合理的に物事を考えるリシテアであったが、己の目的のため……それを果たすための時間を作るため、闇うごの肉体を受け取った事は素晴らしい成長である。
◇◇◇◇◇
そんなやり取りがあった昼下がり。ガルグ=マク大修道院の、人気のない回廊にて。
バラキエルは一団の男たちに囲まれていた。
中心にいるのは、地方から巡礼に訪れたという恰幅のいい公爵だ。彼はグロスタール家やカロン家、フリュム家とも親交があると豪語し、その背後には教会の典礼担当司祭たちも物珍しげに控えている。
「バラキエル殿。この酒精の製造器だが……出来た酒精は、その、口にしても大丈夫なのかね?」
公爵が、わざとらしいほど無造作な口調で尋ねた。喉が鳴っているのが丸見えだ。
しかしバラキエルは、聖母のような慈愛に満ちた笑顔で答える。
「飲料用としてお求めですか?」
「ははは、まさか! 教義を重んじる我が領で、そんな破廉恥な。ただ、万が一の……
「左様でございますか。……この蒸留器は、あくまで
度数の高い酒の乱用は、セイロス教の教義によって戒められている。
それを破ろうとは罰当たり極まりない。
公爵がそう笑い飛ばすと、他の貴族や司祭も同様に「全くだ!」「我々にそんな不届き者はおらん!」「禁欲は美徳だ!」等とそれぞれ口にしながら笑っている。
「ですが、
「そうか!ならば、口にはせんようにしなければな!」
公爵を始めとした貴族たちが笑い声をあげた。
満足げに頷く中、今度は一人の司祭が熱心に身を乗り出した。
「バラキエル殿。その、作った液体を口にしない事以外にも気をつけるべき点はあるだろうか?」
「そうですね………蒸留器の抽出管は、使用後は必ず洗浄すること。作った酒精を、もう一度蒸留器に入れないこと………この2つは必ずお守り下さい」
「ほほう、なぜかな?」
「抽出管の洗浄を怠ると
「成程……そんな穴があったとは!危ない危ない、危うく嵌るところであったな!」
「最後になりますが、火元には十分ご注意ください。既存のものより燃えやすくなっております」
「あい分かった!感謝するぞ、バラキエル殿!」
「こちらこそ、この度は貴重なお時間を頂きありがとうございます。最後になりますが……誤った使用法によって
司祭やら公爵らは、まるでお宝を見つけた子供のような目で蒸留器を見つめている。
「……なるほど。注意点、か。それは気を配らねばな」
彼らは、満足そうな顔で去っていく。
バラキエルは、彼らだけに聞こえるくらいの声で、「どうかこれからも我が商会を御贔屓に」と告げた。
一週間後。地方の修道院や貴族の別荘から、医療用の蒸留器の注文が殺到したのは言うまでもない。
大量の注文を受けてホクホク状態のバラキエルだったが、シャミアに独自の情報網を張らせて、
そういったあらゆる準備をしつつもバラキエルは、「きっと
だが、バラキエルの
残念ながら、フォドラという世界……というかフォドラに限らず人間というものの理性は、時に欲望にあっさり負けうるからだ。
◇◇◇◇◇
グロンダーズ鷲獅子戦の日程が掲示板に張り出された日の朝。
食堂で盛大にため息を吐いた者がいた。リシテアだ。
「いくら伝統だからって、グロンダーズまで行って交流戦なんて非効率にもほどがあります。移動だけで何日かかると思っているんですか」
「確かに、毎年同じものでは飽きますよね」
バラキエルが、器用に果物の皮を剥いていく。
そして、皿に盛りつけたものを、テーブルに置いた。
綺麗に剥かれた果物の中に、ウサギのような飾り切りをされたものまで混ざっていて、彼の遊び心が光る。
「いっそ適当な病気を捏造するか、予定を被せてサボるというのはどうでしょう?」
「聞き捨てなりませんね。私は移動時間が勿体ないと言っているんです。
バラキエルとしては、グロンダーズ鷲獅子戦は絶好の隠れ蓑だと思っていた。
派手な戦いになるだろうし、勝者には栄誉が約束される。だが彼はそんなものに興味などない。
むしろそういったものを望む者に押し付けてでも、やるべきことがあると思っていた。
バラキエルと違って、リシテアは真面目なところは真面目ちゃんだ。良くも悪くも優等生としての矜持を捨てきれない。
「ならばこうしましょう。グロンダーズへの道中に、アルビレオ家ご用達の宿場町があるので、そこに行く、というのは」
「え、そんなものあったんですか?」
「現在、我が家はそこに拠点を構えて商売をしています。実は、こんな事もあろうかと手紙を送っておいたのです。今日あたり、返事が来ると思うのですが」
アルビレオ領は、コーデリア領のすぐ近くにあるのだが、他貴族に比べれば、その面積は猫の額ほどに狭い。その代わりに、あちこちに別荘……というか拠点を持っているのだ。
バラキエルはフレンの拉致が起こるよりも前に、父に一度会いに行く旨を手紙で送っていた。例のごとく、来る戦争のためである。つい先程、返事の手紙を受け取ったばかりだった。
「……無駄な寄り道なら、即座に帰りますからね」
「無理にとは申しません。ですが、例のサンプルを安全に解析できる設備の調達も兼ねています。検収をお願いしたいと思うのですが」
「…………そういう事なら、同行してあげなくもありません」
頼もしい返答をしてくれるリシテア。
無駄は嫌うが、紋章と研究に関わる事なら積極的に協力する。共犯関係は、既に完成しきっている。
――が、誤算は昼食後の食堂で起きた。
バラキエルが父からの手紙の封を切った瞬間だ。
父の筆跡は、相変わらず几帳面だった。商会の帳簿と同じ、無駄のない字だ。近況、領地の状況、アリアドネが元気にしていること。そして最後の一文。
『友人も、ぜひ連れておいで』
バラキエルは少し考えた。
社交辞令だろうか………いや、父は社交辞令でこういう書き方をする人間ではない。本気で言っている、と。
それはそれで、少し困る。
「あれれ〜? なんか楽しそうなこと書いてあるじゃん。誰からのお手紙〜?」
顔を上げると、ヒルダがいた。
いつの間にか隣に座り、バラキエルの肩越しに手紙を覗き込んでいる。反対側に逃げようとするも、別の誰かにぶつかる感覚。
「へぇ、『友人もぜひ』か。バラキエルの親父さん、なかなか太っ腹じゃねーか」
笑顔のクロードだ。口ぶりからして、肝心な部分は既に読み取られた後らしい。
「……お二人とも、人の手紙を盗み見るのは騎士道精神に反しませんか?」
「あたしたち、騎士じゃなくて生徒だし〜。それに、バラキエルくんが隠し事してるのがいけないんだよ?」
ヒルダが澄んだ目をして、恐ろしい論理を展開する。
「『友人も』ってことは、あたしも含まれてるよね? バラキエルくん、あたし行きたーい!」
「……ヒルダさん、貴女のことですから、どうせ我が家が取り扱う特産の宝石かお菓子が目当てでしょう?」
「正解!でもそれだけじゃないよ?」
「それは、どういう…」
「バラキエルくんみたいな可愛げのない合理主義者が、どんなお家で育てられたのか、あたし興味あるな〜。お姉さんもいるんでしょ?」
それは、バラキエルが想定していなかった答えだった。
ヒルダは時々、こういう正確な観察を何でもないことのように言う。知っていたつもりであったが、あまりに不意打ちだったようで、バラキエルは少しだけ返答に詰まった。
「クロードさんは……行く気満々ですね?」
「当たり前だろ。盟主の孫が自ら視察に行くんだ、光栄に思えよ。それに――」
クロードがリシテアの方を向いてニヤリと笑う。
「リシテアも行くんだろ? なら、俺たち抜きってわけにはいかないよな」
「……私は、最初からそういう段取りでしたから。あんたたちと一緒にされるのは心外です」
リシテアはツンと顔を背けた。
だが、その手はすでに落ち着きなくノートを整理し始めている。
完全に遠足前の子供である。紳士なバラキエルは、クロードやヒルダがそれについて言及してくる前に、自ら話を進めることにした。
「父の手紙には『友人も』とありますが、人数の指定はありません。ですが、これではただ遊びに行くみたいですね」
「決まりだな。いつ出発する?」
「五日前倒しにします。それ以上遅らせると鷲獅子戦に間に合わない」
バラキエルは即座に計算を終え、宣言した。
「早いね〜。バラキエルくん、そんなに実家が恋しいの?」
「準備リストを倍にする必要があるだけです。ベレト先生にも連絡をする必要がありますしね……出発は六日後になります。異論は?」
「ない!」
「大丈夫だ」
「ありません」
バラキエルは手紙を懐に収め、残っていた最後のリンゴを噛み砕いた。
アルビレオ家の人間―――特にバラキエルは、商売においては先を読む。しかし、他人の「善意」と「好奇心」という、不純物だらけの計算式を解くのは、まだ少し苦手なようだった。
「…ごめんなさいリシテアさん。私が迂闊でした」
「…ほんとに気を付けてください」
ひとまず、クロードとヒルダが去ったあたりで、巻き込んでしまったリシテアにひと言謝罪した。
次回、実家(実家ではないが)帰省編。
家族をどれくらいの塩梅で出すかが、むずいな。
訪れる運命の難易度は
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イージー
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ノーマル
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ハード
-
ルナティック