…バラキエル=フォン=アルビレオ (帝国暦1163~帝国暦1251)
士官学校での生活は、表向きには驚くほど平穏に進んでいた。
だが、バラキエルの内心は、常に焦りと計算に満ちている。執務机と化した自室のテーブルには、例の日本語で記された手帳が、重々しい存在感を放ちながら開かれている。そこには、びっしりと書き込まれたリシテアの個人情報と、その全てのページを呪うかのように、赤文字で記された『寿命問題』の四文字。
「ベレト先生もまた、リシテアを救うことができる存在だ……だが、ゲームで二つ目の紋章を解除する描写は、無かったんだよな……」
命に関わる問題だ。解決の可能性があるなら、一刻も早く明かすべきかもしれない。
しかし、ベレト自身、まだこの時点では女神ソティスとの関係や、己が持つ力の真髄を理解していないはず。そんな状態で紋章の真実を明かしたところで、混乱を招くだけではないか。
リシテア本人も、この秘密を誰にも話してほしくないと強く願っている。彼女との約束は、彼女の未来のためならいつでも反故にする気でいるが、タイミングは慎重に選ばなければならない。
「……まずは、信頼関係の構築からか。となれば、『
お茶会。
それは、原作ゲームに実装されていた、生徒との交流を深めるための重要機能だ。
やる気を上げ、好感度を高め、和やかな時間を過ごす。第二部で血みどろの戦争を繰り広げるとは思えないほど、平和なコンテンツだった。
プレイヤーだった頃はリシテアを誘いまくり、彼女の様々な表情を鑑賞していたものだが、現実となった今、それは目的のための布石となる。
「……丁度いい。部屋の茶葉が切れそうだった」
かつては断然コーヒー党だった彼だが、リシテアとリアルでお茶会を重ねるにつれ、紅茶の奥深い嗜みも理解できるようになっていた。バラキエルは手帳を閉じ、気分転換も兼ねて修道院内の市場へと向かった。
市場は多くの人々で賑わっていた。様々な品を扱う露店が並ぶ中、彼は行きつけの茶葉の店で、いくつかの茶葉の香りを吟味する。
「うーん、悪くはないが……緑茶やウーロン茶が欲しい。あと欲を言うなら、訓練の後に飲む用のアク〇リアスが欲しい……」
フォドラの茶文化は紅茶が主流で、発酵させない茶葉の製法はまだ確立されていない。スポーツドリンクなど夢のまた夢だ。いつかアルビレオ商会で飲料革命を起こしてやると密かに誓いつつ、ふと視線を感じて顔を上げる。少し離れた場所で、一人の男が同じように茶葉の棚を、ただ呆然と眺めていた。
「ベレト先生?」
声をかけると、凪いだ瞳がこちらを向いた。
お茶会に無縁そうな彼が、どういうわけか紅茶の店に来ていた。
詳しく聞いてみると、生徒たちから「お茶会に誘ってみてはどうか」と勧められ、茶葉を買いに来たのだという。
「ははっ! 考えていることは私と一緒ですね、先生!」
バラキエルは楽しそうに笑った。
「よろしければ、私が選定をお手伝いしましょう。茶葉の選び方から、相手に合わせたティーカップやポットの調達まで、リシテアさんに叩き込まれた基本がありますので」
この好機を逃す手はない。
バラキエルはお茶会の準備から開催までを共に行う中で、先生の身辺事情や、どの生徒と親しくしているかなど、さりげなく、しかし徹底的に情報を引き出していった。
◇◇◇◇◇
先生による初めてのお茶会が、つつがなく終わった翌日の朝。
バラキエルは情報整理も兼ねて、例の日本語で書かれた手帳のメモを確認しながら、修道院の敷地を散策していた。
昨日の先生との一件で、最優先事項であった「主人公との信頼関係構築」の第一歩は踏み出せた。次の手は、未来の戦乱を生き抜くための駒――もとい、仲間を確保することだ。
彼の足は、自然と馬小屋へと向いていた。そこには、一頭の美しい栗毛の馬が静かに佇んでいる。バラキエルは、脳裏の『攻略本』の記述を思い返していた。
マリアンヌ=フォン=エドマンド。彼女の紋章は、動物と心を通わせる力を持つ。そして、この馬――ドルテと心を通わせるシーンがあったはずだ。
「馬と直接触れ合うのは、初めてでしたね……」
アルビレオ商会の商品として取引することはあっても、自ら世話をしたり乗りこなしたりする機会はなかった。
バラキエルは手帳を懐にしまうと、おっかなびっくりドルテに手を伸ばす。だが、彼の緊張が伝わったのか、ドルテは警戒するように鼻を鳴らし、少し後ずさった。
「おっと……上手くいかないな…馬だけに」
「ブルルルッ!」
「ゴメンて…そんなに怒る事ないだろう…?」
苦し紛れのダジャレは当然のようにスベり、むしろドルテの機嫌を損ねてしまったらしい。
どうしたものかと困り果てていると、背後からか細く、消え入りそうな声が聞こえた。
「あの……」
振り返ると、そこにマリアンヌがいた。影のように気配を消し、俯きがちにこちらを見ている。
「マリアンヌさん?」
バラキエルが声をかけた瞬間、彼女はびくりと肩を震わせ、踵を返した。
「い、いえっ、ごめんなさい……!」
「待ってください!」
逃げるように去ろうとする彼女の背中に、少しだけ強い声で呼びかける。マリアンヌの足が止まった。
「私には…この馬と仲良くする方法が、どうにも分からなくて。もしご存知なら、教えてはいただけませんか? 貴女には、この子の心がわかるのでしょう?」
沈黙。まるで時が止まったかのような、長い沈黙が流れる。やがて、マリアンヌは小さな声で答えた。
「…ドルテ」
「え?」
「その子の名前は、ドルテと言います。……とても、優しい子です」
そうして、奇妙な交流が始まった。マリアンヌは遠巻きに、しかし的確に指示を出す。バラキエルがその通りに、ゆっくりと手の匂いを嗅がせ、優しく首筋を撫でてやる。すると、ドルテは先程までの警戒心をすっかり解き、気持ちよさそうに目を細めた。
「ありがとうございます。お陰で挫折したまま逃げ帰らずに済みました」
バラキエルが礼を言うと、マリアンヌは少しだけ顔を上げて問いかけた。
「あの…何故、ドルテと仲良くなろうと?」
「そうですね……」
しばし、悩む素振りを見せてから、彼は答えた。
「動物達は、実は私にとっては癒しなのですよ」
「癒し……ですか?」
「えぇ。商人をやっていますと、どうしても騙し合いが起こるんですよね。彼らと触れ合っている時は、その疲れを忘れられる……猫やウサギなんかは特に大好きでしてね」
「そう、なんですか…?」
嘘を一切つくことなく、偽証に成功する。
「(第一段階は成功、か。彼女の専門分野で敬意を払い、頼ることで警戒心を解く。次は、ここを『安全な避難場所』だと認識させる段階だ)」
商人の世界が駆け引きに満ち溢れていることなど当たり前だし、バラキエル自身が猫やウサギが好きなのも事実。
だがこの男の真の目的は、一年後から始まる戦争に備え、優秀なヒーラーであるマリアンヌを確保し、自身の生存率を上げること。ただそれだけであった。
しかし、この男が考えるそんな冷たい計算を、どこに出しても恥ずかしくないほどのコミュ障であるマリアンヌちゃんが見抜けるはずもなかった。
「また…ドルテに会いに来ても良いですか? それから…もしよろしければ、貴女とお話も」
「わ、私に話せることなんて、ありません……でも、ドルテは…来てくれると、嬉しいと、思います」
彼女の言葉に、バラキエルは計画の成功を確信し、満足げにその場を離れた。
◇◇◇◇◇
その日の午後、バラキエルは温室で、一人キャンバスに向かうイグナーツの姿を見つけた。
アルビレオ商会とヴィクター商会。二人の実家は懇意にしており、入学前から仕事で何度か顔を合わせていた仲だ。
「……上手なものですね」
「わっ!? ば、バラキエル君! あ、こ、これは、その……!」
慌てて絵を隠そうとするイグナーツに、バラキエルは穏やかに続ける。
「失礼。ですが、イグナーツさんがこれほど絵が上手いとは知りませんでした。素晴らしい才能だ」
あたかも今初めて知ったかのように、感嘆の声を上げる。
褒められて嬉しいのか、イグナーツの頬が少し赤らんだ。だが、すぐにその表情は曇る。
「ありがとう。でも、家の意向で騎士を目指さなければならないから……。絵は、あくまで趣味の息抜きだよ」
一年後に大戦が勃発することを知っている身からすれば、その認識は悲しいほどに正しい。だが、同時に思う。
これほどの才に恵まれた人間が、血と鉄の臭いがする戦場に立たねばならない世界が、果たして正しいのだろうか…と。
「一つ、その絵を買ってもいいですか?」
「な、何を言っているんですか!?」
「見る限り、貴方には類稀なる画家の才能がある。戦争が近いかもしれない現状では夢物語かもしれませんが……よろしければ、私が貴方のパトロンになりましょうか?」
「えっ、な、ちょっ、怖い……じゃなかった!ごめんなさい、ごめんなさい!」
初っ端に褒めちぎり、あまつさえパトロンになると申し出る…そんなあまりにガチ過ぎる真剣な申し出に、イグナーツは本気で後ずさる。その純朴な反応に、バラキエルは怒るでも呆れるでもなく、ただ悪戯っぽく笑った。
「謝らなくて大丈夫ですよ。私はただ、これほど素晴らしい絵が、誰にも知られず埋もれていくのを見たくないだけです」
「だ、だとしても! お金なんて受け取れません! ましてや僕とバラキエル君の仲じゃないか!」
「真面目ですね。では、この絵は、貰ってもいいのですか?」
「え? ぼ、僕なんかので良ければ、いつでも……」
イグナーツから完成したばかりの、女神の塔を描いた水彩画を譲り受ける。その柔らかな筆致と色彩に、バラキエルは静かに感心した。
「(先生が
イグナーツは、その画才で戦後の復興の活力になって貰いたい。
ラファエルは、その腕力で復興事業の要となるだろう。
レオニーは、その実力が間違いなく戦争の勝利に繋がるはずだ。いずれ“壊刃の再臨”とまで呼ばれる彼女の武勇は伊達じゃない。
マリアンヌは、魔法の才だけに限らず、その優しさと動物への知識を活かせば、畜産業の発展に貢献できるはずだ。
そして、他の学級にも引き抜きたい生徒は山ほどいる。ベルナデッタ、イングリット、フェリクス、ドロテア、リンハルト………誰もかれもが逸材揃いだ。彼らを引き抜けば、それだけ生存確率は上がる。
ベレトがいるからこそ、こうして級友たちに何の躊躇もなく手を差し伸べられる。
もし、彼が他の学級を選んでいたなら―――リシテアを連れて
その冷徹な真実を、彼の隣で絵を貰ってくれたことに感激している心優しき友人は、当然、知る由もなかった。
う~ん、他のクラスの子も欲しい人材山ほどいるんだけど、優先順位大事よね^^
リシテアを助けるためにアイツ採って、生き残るためにアイツ採って、あの子も欲しいなぁ……
なぁんて考えていると、強欲で身を滅ぼすから、ほどほどにしなきゃな^^
バラキエル「私が誰をスカウトするか知りたいですか?…賭けてみるのはいかがでしょう?まぁ使える人間は、誰でも使いますがね」
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