「君主論に曰く、『民の支持は統治と治世を盤石にする』。私は、私の為に仏と悪魔を使いこなしたい。」
…バラキエル=フォン=アルビレオ (帝国暦1163~帝国暦1251)
ガルク=マク大修道院の植物園は、喧騒を離れた穏やかな時間が流れる場所だ。
バラキエルは次の講義までの合間、思考を整理するためにそこを訪れていた。ガラス張りの天井から降り注ぐ柔らかな光が、色とりどりの花々を照らしている。
ふと、その静寂を破るように、澄んだ歌声が彼の耳に届いた。
「も~ぞもぞ…♬」
「これは…!」
声の主は、青獅子の学級のアネット=ファンティーヌ=ドミニク。彼女はジョウロを片手に、花々に水をやりながら、楽しそうに自作の歌を口ずさんでいた。
「(……生で聴くのは初めてだ。CV悠〇碧も至高ですが、CV田中〇子もなかなか…)」
バラキエルは足を止め、柱の影にそっと身を隠す。
彼女の歌を生で聴くのは初めてだった。それは、少しだけ音程が揺れる、どこか拙い歌。だが、彼女の人柄が滲み出るような、ひたむきで、心から楽しそうな歌声だった。
彼女自身が楽しく歌い上げる、独特な歌は、耳に残る。だからこそ、ゲームにおいて、彼女をスカウトできた時は嬉しかったし、戦うしかない展開になった時は心を痛めた記憶がある。
やがて歌を一曲歌い上げ、満足げに息をついたアネットは、そこで初めて考え事をしているバラキエルの存在に気づいた。
「うわぁぁぁ!? い、いつからそこに!?」
「…フフ…いえいえ、今来たところです。楽しそうなご様子に、水を差すのは無粋かと思いまして」
「わぁぁ……恥ずかしいところ見られちゃった……」
顔を真っ赤にして俯くアネットに、バラキエルは「素晴らしい歌声でしたよ」と微笑みかける。
煽りスキルをAまで上げ切っている転生者のバラキエルは、「他にも素晴らしい歌をお持ちと聞きました。熊狩りの歌とか沼の怪物の歌とか。ぜひ聞きたいものです」などと言うこともできたが、大人の男でもあるためにそれを言わない心遣いも出来る。
そんな内心を知らず、ストレートに褒めてきたバラキエルに、「でも…」となおも歯切れの悪いアネット。そこで彼は彼女に、ある一つ提案をすることにした。
「アネットさん。そんなに恥ずかしいのであれば、こうしましょう。お詫びと言っては何ですが、私からも一曲。歌の交換と参りませんか?」
「え、そこまでしなくても…」
「遠慮は要りません。貴女の素敵な歌を無断で聴いた、私の自己満足です」
何を歌おうか一瞬、考える。「フレズベルクの少女」を歌うことも一瞬脳裏をよぎったが………やめた。確か、フォドラには既にミュージカルの曲にあったような気がしたからだ。そうでなくとも曲名を口にした瞬間、エーデルガルト本人やヒューベルトにどんな邪推をされるか分かったものではない。そして、あの歌を偽りの曲名で歌うことを許さない程度の誠実な美学も持っていた。
バラキエルは軽く息を吸い、心を切り替える。彼が選んだのは、同じく前世で愛した、別の歌。それはフォドラのどこにもない旋律、どこにもない言葉の響き。彼の歌声は、普段の理知的な話し声とは違い、どこか物悲しく、それでいて深い慈しみを湛えていた。
「海は見ている 世界の始まりも―――海は知っている 世界の終わりも」
彼は、フォドラの歴史という抗いがたい奔流を思い浮かべながら歌う。
これから、どんなことが起こるか分からない。エーデルガルトやヒューベルト、ドゥドゥーは切り捨てると決意したが、それが生き残る上で正しいのかも、分からない。
無限の可能性の歴史が待っているのが、ファイアーエムブレムなのだから。
無論、バラキエルに死ぬ気は毛頭ない。誰を利用してでも生き残る覚悟は、もう固めた。
だが……それでも100%上手く行かないのが常だ。ゲームですら敵の不意打ちで味方がロストし、天刻を使うハメになる場面があったのだ。現実なら猶更だ。
「恐れてはいけない あなたがいるから 怯えてはいけない 仲間も持つから 進まねばならない 蒼きその先へ」
歌い終えると、アネットは呆けた様子で、しかし心のこもった拍手を送った。
「初めて聞いたけど…すごく、綺麗で……なんだか、ちょっと寂しい歌。なんて歌なの?」
「『海導』といいます。私が知る中で、この世界に最もふさわしい歌だと思いまして」
「海の歌かぁ…私、海って寒いイメージしかないんだよね」
「ファーガスが北国だからですかね。南の方の海は、とても快適ですよ」
その歌が、本来は死にゆく海兵たちに捧げられる鎮魂歌であり、これから死んでいくであろうフォドラの全ての人々への祈りであったとは、彼は言わない。人の命があまりに軽く散っていくこのフォドラを皮肉った、彼らしい選曲だった。
バラキエルは、歌の交換という奇妙な交流を終えたアネットに別れを告げた。
帰り道、中庭で満面の笑みを浮かべるリシテアに出会う。
「どうしましたリシテアさん。随分と嬉しそうですね」
「先生のお茶会に誘われまして! メルセデスさんもご一緒で、とても美味しいお菓子をいただいたのです!」
その純粋な喜びに、バラキエルの口元も自然と緩んだ。
その日の放課後。バラキエルは、怪訝そうなリシテアを伴って、黒鷲の学級の寮へと向かっていた。目的は、ベルナデッタ=フォン=ヴァーリのスカウトの第一段階である。
「本当に、彼女が戦いの役に立つのですか? いつも部屋に引きこもっている方ですよね?」
「侮ってはいけません、リシテアさん。ベルナデッタさんは伯爵令嬢。貴女と同じ立場の人間です。引きこもりということは、それだけ警戒心が強く、相手の罠に容易に気づけるということ。隠密行動には最適任ですよ」
引きこもりの長所を無理やりでっちあげ、バラキエルは続ける。
「それに、彼女がそうなったのには、同情すべき理由があるのです。父であるヴァーリ伯爵から、才のない娘として虐待を受け続けてきた。唯一心を許した平民の従者も、『身分違い』という理不尽な理由だけで父親に追い出された……まぁ、その従者の正体がヴァーリ家失脚を狙う者たちが送り込んだ暗殺者だったので、伯爵の判断も無理からぬことではありますが」
「……その情報はどこから仕入れたのですか?」
「任〇堂です」
真実を告げるバラキエル。
そんな彼を疑うかのようなジト目のリシテアをスルーし、ベルナデッタの部屋の前に着く。
バラキエルは扉を優しくノックした。中から、ビクッと何かが跳ねるような音と、慌ただしい物音が聞こえる。返事を待たず、彼は扉越しに、静かで穏やかな声で語りかけた。
「ベルナデッタさん、金鹿の学級のバラキエルです。扉を開けなくとも結構ですよ。ただ、貴女の学友が心配していました。少なくとも、私は貴女を傷つけるつもりはありません」
ピタリ、と部屋の物音がやみ、息を殺してこちらの言葉を聞く気配が伝わってきた。
「先日お約束した通り、私の友人を連れてきました。リシテアさんです。貴女と同じ、甘いお菓子が好きな、とても優しい方ですよ」
「えっ、私!?」
小声で驚くリシテア。まさかここで自分が前に立って話すことになるとは思わなかったのだろう。
バラキエルリシテアに「お願いします。ちなみに、高圧的な態度と大声は彼女の地雷ですので、くれぐれもご注意を」と耳打ちした。
リシテアは「なんなんだこれは」と戸惑いつつも、扉に向かって優しく自己紹介をする。しばらくの沈黙の後、「……ベルナデッタ=フォン=ヴァーリ、です……」と、蚊の鳴くような声が中から聞こえた。自己紹介は成功だ。
「では、今日はこれで。また参ります」
「え、もう行くのですか!? まだ顔すら見ていませんよ!?」
「焦りは禁物です。少しずつ、慣らしていきましょう。ベルナデッタさん! 今度、いい刺繍糸が手に入ったので、持ってきますね」
扉の向こうの気配にそう告げ、バラキエルは呆気に取られるリシテアを促してその場を立ち去った。
そして、運命の鷲獅子戦、その昼下がり。金鹿の学級の作戦会議室は、緊張と興奮に包まれていた。「あんたが指揮官だ。まぁやらかしてくれるなよ?」というクロードの言葉に、ベレトが静かに頷く。だが、クロードは不敵な笑みを浮かべ、とんでもない提案をした。
「俺は俺で、やれることはやっておくか。ここはひとつ、あいつらの飯に腹痛になる薬を……」
「やめておけ」
ベレトが即座に却下する。だがクロードは、飄々と、だが分かっていると言わんばかりの笑顔でこう続けた。
「分かってる分かってる。先生は何も知らない。そういうことだな?
もし当日、他の学級の生徒達が医務室に駆け込むことになったって……質の悪い病が流行っただけってことになるさ」
ベレトの否定をGOサインだと勘違いしていることに、もう一言制止の言葉をなげかけようとしたところで。
バラキエルも、やれやれと首を振って、クロードを引き留めた。
「クロードさん、そういう策は、ここで言うべきではありません。第一、他学級で病が流行っているのに金鹿の学級だけ無傷…ということになっては、真っ先に貴方が怪しまれるだけですよ」
「へぇ? じゃあお前ならどうするんだ?」
クロードの試すかのような言動。それにバラキエルは、笑顔で答える。
「実は、先日青獅子のアネットさんと親しくなりまして。私が彼女に『頑張って』と激励の差し入れを渡す。親切な彼女ならば、きっとそれを自分の学級の皆に分け与えるでしょう。そうすれば、万が一何かあっても、ただの食中毒か流行病で済みます」
「なるほどな! 黒鷲の方はどうする?」
「ペトラさんにお願いしましょう。彼女は言葉は拙いですが、非常に真面目なお姫様です。頼まれたことは、きっとやり遂げてくれますとも」
「そうか…なら、俺たちはどうしようか?」
「クロードさん。ここで、私が先日紹介したアレがモノを言うわけです」
バラキエルの笑みが、徐々に悪魔じみたものになる。
彼の発言に心当たりがあるのか、クロードもにかっと笑みが深くなった。
バラキエルの言うアレ―――先日、バラキエルがクロードに紹介した、石鹸である。
「お前……天才かよ!」
「クラスで一人一個持てるくらいには融通しましょう。エーデルガルトさんが1個持っていますが、あの皇女殿下から、1個の石鹸をクラス全員で使いまわすという発想が出てくるはずもない」
「あははは!それは名案だ! よし、早速アネットとペトラに渡す用の食材をだな―――」
目を輝かせるクロードと、したり顔のバラキエル。
―――だが、そんな二人の頭上に、静かだが非常に重い声が落ちてきた。
「二人とも、駄目だぞ」
気づけば、ベレトが仁王立ちで二人を見下ろしていた。
その日の午後、新任教師が級長ともう一人の少年を教室の隅で正座させているという奇妙な光景を、視察に来たエーデルガルトとディミトリが目撃した。
正座させられていた容疑者2人は、『本当にやるならここであぁも盛大に話を盛り上げたりしない』などと供述していたが、皇女殿下と王子殿下がひどく困惑したのは言うまでもない。
フレズベルクの少女は、流石にね。エーデルガルトの暗躍や生涯を暗喩し過ぎているからね。
あんなの歌い上げたらヒュー君から特に理由のないデスΓを貰っちまうぜ。
バラキエル「私が誰をスカウトするか知りたいですか?…賭けてみるのはいかがでしょう?まぁ使える人間は、誰でも使いますがね」
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