裏切り・絶望がテーマの同人ゲー世界で、全てぶっ壊す 作:棘棘生命
ルヴネトに滞在して数日の間。俺はケルを連れて、ルヴネトの城下町を練り歩くことになった。これはケル自身の要望であった。これから何年も過ごす場所なのだから、深く知っておきたいというのも頷ける事だ。
ミストヴィルにいた四人とケルはそれほど繋がりを持たなかったようだ。また彼ら四人もグループ化せず、個々に矛神の教義を学んでいるらしい。
ケルの引率をする上で個人的に期待もあった。ケルが仲を深めていく子どもたちと、もしかしたら出会えるかもしれない。幼馴染の娘と、若き冒険者の三人パーティ、道具屋の少女などである。リシディア騎士見習いの少年はまだこの町にいなさそうだが。
皆主人公と年が近く、プレイヤー目線でも親友と呼べる間柄なのだろうと納得できる掛け合いが見れた。
それ故に、どこに彼らがいるのか分からない。今は、ゲーム開始時点から7年と少し前だ。彼らの過去は会話の中で触れられたり触れられなかったりするレベルだったため、ルヴネトのどこに住んでいるかも把握できないのである。
もし彼らにケルが出会えたなら、邪魔はしないでおこう。子どもの友情に精神を含めればいい年をした大人が入り込んではならない。
俺は何をするにも笑顔なケルに、右の手甲を引かれる。
「エドさん!あそこ見てみたいです!なんであんなにいっぱい、人が集まってるんだろう…!」
「詩人か…如何にもそれらしい。…君の好きなところへ行こう。食物でも買うか?」
「ううん、もうお腹いっぱいなので大丈夫、です…。…そういえばエドさん、ミナお姉ちゃんとリィートイお姉ちゃん、すごく食べてましたね!」
「確かに。二人とも集中せねばならないからな。」
ケルが言っているのは、今日の昼の話であった。この数日間、昼食はラディアを除いた友人二人と共にしているのだ。ミウもリィートイも、細めの体のどこにその量が入るんだと驚いてしまうほどに食べる。
ミウはラディアへ正式に師事することを決めてから訓練に励んでおり。リィートイは、次々に舞い込んでくる鍛冶の依頼に注力している。どちらもカロリー消費は激しいだろうから、バテないように食事は肝心だ。
昼飯とは関係の無いことだが、俺に対するケルの言葉遣いが敬語になっている。しかもさん付けである。ミストヴィルにつくまでは、そうではなかったというのに。
年が離れていると親しみを無くすのだろうか。だがリィートイの実年齢は、俺よりも上だ。つまり、親しみにくい年齢かつ外見ということなのか。
俺はラディアに対する言葉遣いを考えながら暫定的に結論を出す。全身鎧の男は確かに親しみにくい。
大っぴらに聞くことではないため、軽く推測するだけに留める。ただ精神的距離は広がったのは間違いない。ルヴネトを離れれば、今以上に広がることだろう。知り合いだったかなというレベルまで認識が落ちれば挽回は難しいし、能力が上がってから技を教えようとしても身が入らなくなる。
やはりケルの育成は、リィートイが頼みの綱である。「此地の憤怒」を扱える古強者こそが適任だ。またしても友人に頼りきりになりそうである。
詩人の唄い奏でる伝承・英雄譚は聞いていて心地が良いようで、立ち止まる市民を増やしていく。
「――戦士が纏うその外套は白を隠し、鴉の濡羽のごとく闇深い。その剣は陽を照らす銀の炎。一太刀振るえば剣は大きく、魔物はたちまち二つに裂かれ。その咆哮は逆光に呑まれたり――」
俺とケルも吟遊詩人が見える位置に立ち、その内容を聞く。如何にもファンタジーらしい光景だ。詩人が語っている姿というのは「バックスタブレイブ」作中で見れたとしても、地獄のような展開の中である。
上位種に弄ばれ唄いながら事切れたり、尖兵と化したモブ詩人がランダムに言葉を繋ぎ合わせたような唄を口から発したりなど、制作陣に詩人アンチがいるのかと思うほどに尊厳を破壊されている。
語り口はくどいが、比喩を大量に使っているために想像はしやすい。挿まれる弦楽器の音色も良い感じだ。
ケルは詩人の語りに入り込んでいるようで、じっと動かずにいる。幼子は、ミストヴィルで子どもらしく娯楽を楽しむこともできなかった。今は存分に楽しんでほしい。
そして一節が終わった後、拍手しながらケルが俺を見上げて言う。名前が知られていない戦士の話はおそらく様々な人物が組みあわさった結果生まれた物だろうが、ケルは実在していると思っているようだ。
大陸内にこれほど強い戦士がごろごろいれば、人類の勝利の芽も出てくるだろう。都合の悪い状況ばかりなのがこの世界だ。
しかし俺はケルに希望を語る。やがてケルは上澄みに昇りつめるのだ。不安を感じさせてはならない。
「すごい…!こんな強い人、いるんですね…!」
「この世界は広い。強者は沢山いる。色々な場所を見てきたから、信憑性はあるだろう。」
「…んん、そういう意味じゃないけど…。…強い人のお話しを聞くのって楽しいです!エドさん、他の場所も見てもいいですか?」
「勿論だ。日が暮れる前までなら、どこにでも。」
ケルは両手でぐっと俺の腕を引いた後、視線で街路の先を示す。
それから俺は、幼子の気が済むまで同行した。その間残念ながら、ケルの未来の友人たちは姿を見せなかった。
主人公持ち前の明るさと愛嬌は、人を呼び寄せる。何年かすれば、ケルの隣にいるはずだ。楽しみは後にとっておくことにした。
◆
そして早くも、ルヴネトの王都に滞在して五回陽が昇った。同じ場所に滞在し続けるのは俺にとって、珍しい出来事だ。だがこの日、俺はまた戦いに戻る予定である。
ミストヴィルから保護された五名を含め、矛神の洗礼を受けて間もない子どもたちが、一斉に「選定」を受けるからだ。
魔力量が並か、精神的に戦い向きでない子は術師兼司祭への道に。打たれ強く、任務中の孤独も跳ね除けられそうな「強い」子は騎士の道に。
そして子らの中で、年齢にしては魔力量がずば抜けて高いごく一部は、追加の「選定」を受けるのである。
並べられる子らを、遠くから見守る。そうしていると俺の横に、友と思っている二人がやってきた。矛神の騎士長ラディアと、冒険者のミウだ。
ラディアは活き活きとしており、反対にミウは汗を垂らして息を荒くしている。ミウは髪を手櫛で整えると、俺の左側に立った。
ラディアは右に来る。そして俺の肩を強く叩いた後、同じ方向を見た。
「あの中から、何人が騎士見習いになるか…賭けをしねえか、青月!お前が外したら、飯一杯分奢れ!」
「ふ、賭けになっていないな。ミウ君、お疲れ様。今日の鍛錬は終えたのか?」
「はあ、はあ…まだ…。このラディアサマが、満足するまでやる感じ…。」
「そうか、もうひと踏ん張りだな。…ラディア、休息はしっかりと取らせてあげてくれ。つぶれてしまえば鍛錬も何もない。」
「エド…。」
ミウの調子を案じたが、ラディアは聞き入れるつもりがないようだ。彼自身から聞いた話によると、緑鎧の戦士は、倒れた時点で素質がないとみなしている。
自分に厳しく他人に厳しくを地で行くラディアは、容赦をすることがない。
「はっ…倒れてねえんだ!まだ余力あんだろうが。しっかり立ちな、ミナ!」
「うく…はあ…。分かりました、ラディアサマ!」
「そうだ。…根性と威勢だけは認めてやってもいい。」
ラディアは腕を組み、背筋を伸ばすミナに言葉を返す。斥候として活動していて、傷は受けても未だ五体満足であることは、少女が実力と運を持っていることを示している。ラディアはこの数日の教導にて、ミウの伸びしろを見抜いたのだろう。
話している間に、高位の術師たちと、この町で総司令官を務める男性が姿を見せる。総司令官から感じる魔力は、ラディアと同等かそれ以上に高い。
「…彼がルヴネトの総司令官か。矛神らしい武人だな。」
「ふん…あのジジイ、見る度に腹回りが緩くなってきてやがるぜ。おれとやり合っても負けんじゃねえか?」
「…騎士長サマ、後で訓練頼み込んでみれば?本当に勝っちゃうかもよ。」
「奴はふんぞり返るだけだ。使命を果たそうなんてタマじゃねえ。」
ラディアは吐き捨てるように言う。それによって俺は、思い出したことを尋ねた。
総司令官とラディアが話した内容、今受けている任についてを。ケルを最優先にしていたために、聞きそびれていたのだ。
内容次第では、ラディアの動きにも注意を払わなくてはならない。だが戦士が返した内容は、俺の危惧していたものではなかった。
「聞いておきたいことがあった。ラディアはこれから、どういった任を果たしに行くんだ?」
「ああ、おれは南東に向かう。ヴァルミラの騎士長の一人が、変な動きをしているらしい。場合によっちゃ、ボコして投獄だな。」
「…なるほど。その騎士長殿…杞憂であれば良いな。」
「双子神で一括りにされちゃいるが、他教だぜ?あのジジイどもよりいけすかねえ奴なんぞ、潰しがいがあるくらいだ…!」
兜の奥で目をぎらつかせるラディアに、俺はほっとした。
荒事ではあるため安心する内容ではないのだが、それでも最悪ではない。「バックスタブレイブ」において、ラディアが亡霊になった理由とは違っている。この強き戦士はゲーム中、大陸の北側で無駄に殺されたのだから。
ラディアがその武勲故に総司令官に上げられたことから、その無念の記憶は始まる。
作中においても、ラディアは強さを求めていた。総司令官になることは騎士たちにとっての指標であり、強さの証でもある。
ラディアが受け持つ予定の都市は、双子神教の総本山に近く。異相付きの出現が多い地域であったために、ラディアは腕が錆びつかないことに歓んでいた。
だが矛神教において位が上がるというのは、罠である。人間側が仕掛けた「裏切り」ではなく、その信仰元の偽女神に理由があった。
矛神の騎士団は「剣のドラクシエル」に悪い意味で認知されている。騎士団を取りまとめる団長と、総司令官の中でも特に強い戦士に対して、数年おきに分身を飛ばしてくるのだ。位が高い者ほど強いという理由でマークし、悦楽を自動で満たすために殺しにかかってくるのである。
分身とドラクシエルは記憶を共有していないが、悦楽だけは伝わるようになっているのがクソ過ぎるポイントである。
分身とは言っても、団長でどうにか撃退できる強さだ。しかも撃退したとして数年経てば、別の分身を飛ばしてくる。
矛神の団長になった者は、総司令官以外の人員に他言することはできず、孤独に抗い続けなくてはならない。他言すれば、本格的に偽の女神が大陸中の強者を殺しに行くと誓約を交わせられているからだ。
ドラクシエルの正体を知っているのは、ゲーム終盤になるまで世界でただ十数人なのである。
次の団長が指名される時、選ばれた総司令官は団長と鍛錬を行うことで、力を戻す。才能がある者は意図的に力を落とさなくてはならないのだ。
話を戻すと、ラディアは化物ドラクシエルに目を付けられた。それも総司令官に任命された瞬間にである。ラディアは総司令官の器であり、その上澄みにまで手を伸ばせるほどに力をつけていたのだ。
狙ったかのようなタイミングだった。逆ご都合主義を書いたら、制作陣は筆が止まらない。
ラディアと当代の団長は奮闘したが、二体分身を相手するには力が足りなかった。団長が全力を出して撃退できる存在が連携してきたら、どうしようもない。ラディアは実力を発揮する前に命を散らした。団長も重傷を負った末、次代へ満足に引き継ぐこともできないまま、数年後現れた分身に殺されたのである。
だがドラクシエルの杜撰さは、抜け穴がある。総司令官にならなければいいのだ。騎士長までマークしていない愚かさを利用すればいい。
そのため俺は、ラディアが総司令官に上げられそうになったわけではないことに安心したのだ。本人も望まないことだ。
だが俺は念には念を入れて、ラディアに会ったときに話す。俺自身の望みと、ラディアの意思が変わっていないことの確認を込めて。
「ラディア…前にも望んだが、総司令官にはならないでほしい。君ほどの騎士と高め合えなくなるのは損失なんだ。」
「…今言うことかよ?まあ、剣を化物相手に振れないんじゃつまらねえからな!てめえをぶちのめすにも遠くなる。…ミナ、てめえもだ!青月をぶっ潰すための糧にしてやるよ!」
「やっぱり…騎士長サマも、エドにべったりじゃん…。」
「なんだあ?ちっちぇえ声で言っても聞こえてるぞ、おらあ!」
「ふうーん…!人のこと言えませんね、ラディアサマ!」
二人が騒がしく掛け合うのを横目に、俺は再び「選定」の儀に注目していた。高位の術師が持って来た巨大な盆に、子らが一人ずつ交代で手を浸していく。
無色透明の液体がどれだけ濃い緑色になるか、それと波紋として広がる、可視化された精神の揺らぎによって「選定」は完了する。
子どもたちの多くは術師向きと判断されているようだ。大抵は薄緑で、水面には大きくさざ波が立つ。一人また一人と、術師の方へと誘導されてその場からはける。最後には、ミストヴィルの子どもたちが残った。
そしてケル以外の四人が、先に手を盆に伸ばしていく。彼らについては、緑色はそこまで濃くないが、水面がほとんど波打たなかった。
(…やはり過酷な環境に耐え続けた子は、精神性を強く持っているわけか。もしや彼らも、数年後には騎士となっているかもしれない。)
最後はケルである。幼子の近くには、まだ四人が残っておりケルの一挙一動をじっと見ている。
ケルがこちらに向かって視線を投げかけた。大トリを飾るのは、流石のケルでも緊張するのだろう。縋るような空色の瞳に対し、俺は応援をこめて軽く手を振った。
効果があったのか、幼子の口元に笑顔が戻る。そうして震えている小さな手を、水盆に浸した。
その瞬間、ケルの手を中心として泥のように濃い緑が出現する。波紋は少し広がれど、平均的な子どもの魔力量を越えていることが見て取れた。
村の前で初めて会った数日前よりも、感じる魔力量が格段に増えている。無意識にケルは気持ちだけでなく、己の力さえも抑圧していたのかもしれない。
隣でその様子を見ていたラディアは、ぽつりとこぼした。
「…まじかよ。あのガキ、想像以上だ…。」
「話した通りだろう。数日後に分かると。」
「ああ納得だ。あの魔力量だったら、本当に可能性あるぜ。『縫合』持ちが一人増える…!」
ケルは目を見開いて、水の色の濃さに驚いている。高位の術師たちはその後、慌てた様子で別の物品を持ってきた。勇者、世界のパッチワーカーとなれるかを調べるための石だ。
この石は、上位種が出てくる裂け目と同じ性質を秘めているとゲーム内テキストにあった。異相付きに発生した器官を集め、血肉を凝縮した黒い石である。
特別な人間は、裂け目を前に魔力が流れていく。その性質を鍛え上げた者は、白き糸のような魔力を穴の周囲に固定させ、文字通り「縫合」するのである。
ケルの体から、自然と魔力が流れていく。ゲームで見たものより細くも、確かな水流が出来上がる。
そして、ケルの腕から白光が飛び出す。その光は一瞬、この場にいる全員の視界を眩ませた。
今ここに、人類の希望が誕生したのである。
ケルが勇者見習いとなれたことに、俺は心底安堵する。余計なことをしても、主人公は勇者になれるのだ。
ここから俺は、ケルの道を舗装していくだけで良い。その過程で倒れようと、ケルが未来受ける精神的デバフの数を減らすことはできているのだから、安心して繋げられる。
最も、俺は諦めるつもりは無い。生きて主人公が作るハッピーエンドを見たいからだ。大陸内でも勝ちの目を手繰り寄せるのが難しい敵は現れるが、何とか除いてみせる。
矛神の術師に説明されたケルは、鍛冶工房に来た今も嬉しそうに飛び跳ねている。「勇者」の響きはいかにも特別で、物語が好きなケルにとっては喜びの感じ方もポジティブなものだろう。
だが「バックスタブレイブ」のいやらしさは半端じゃない。勇者の中には、使命によって心を病む者もいる。特別故に敵視されることもあったりなど、負の面を勇者に押し付けるようにしているのだ。
ケルには健やかに育ってもらう。他者に足を引っ張られないように。
「エドさん、エドさん!ぼく、勇者になれるって…!」
「ああ、良かったよ…!ケル君、俺も僅かながら君のこれからに役立ちたい。次ルヴネトに来たときは、君へ魔法のことを色々教えよう。リィートイ、ケル君のことよろしく頼む。」
「おう!とは言っても、大体は矛神で過ごすだろうけどな。ケルちゃん、それ以外の時間はわたしに任せてくれよ。」
「ありがとう!楽しみです!…リィートイお姉ちゃん、ぼくお手伝いできるように頑張る!」
「ケルちゃんは良い子だなー!よし、ならちょっとずつ覚えてもらおう!」
それからケルとリィートイは今後のことを楽し気に計画していく。リィートイの包容力は、短い間に幼子の信頼を獲得したようだ。
俺はもう二人、方向性は違うがぴったり息の合ったミウとラディアに話しかける。俺がこれから向かう場所について、二人に共有しておく。
「二人とも、俺は東に行く。方向からして、お互い目的を達した後会うこともあるだろう。そのときは二人と訓練をしたい。ミウ君とラディアの成長を見せてくれ。」
「あはは!絶対、驚かせてあげるから…楽しみにしててよね!」
「上から物を言いやがって…!はっ…てめえも死に物狂いで足掻くんだな!ミナ行くぞ。…じゃあな。」
基本お喋りが嫌いなラディアは、手短に切り上げるとミウを連れて鍛冶工房を出ていった。ミウは何度もこちらを振り返っていたが、俺はまた会おうという旨を彼女に伝えると、悪戯気に笑みを浮かべていった。
しばらくして、俺も立ち上がった。ケルが見つかった以上、ここに立ち寄る頻度も多くなるだろう。これなら、ルヴネト国近くにあるソヘネーの町にも偶に寄れそうだ。
知り合いに会う機会が増えれば、一人の戦いにも心を休められる。
「お前ももう行くのか。エド、ケルちゃんも…わたしも待ってるから、たまには顔出せよ!」
「エドさん。ぼく次までに、もっと色んな事知っておきます…!」
「ああ。二人とも無理はしないで、また会おう。」
俺はケルとリィートイに掌を振ってから、鍛冶工房の戸を開く。もう夜になりかけていて、薄暗い。
出ていく荷馬車を逃さないよう、静けさを纏っていく街路を俺は急いだ。
◆
幼子ケルはこの数日、これまでの短い人生で最も楽しい時を過ごした。
自身を生まれ落ちた地獄から救い出してくれた「騎士様」と、彼が頼りにしている面倒見の良い友人たち、矛神の騎士と交流することが、ずっと心を熱していた。
魔法を知り、人の温かさを知った。騎士と二人で過ごして、高まる想いも知った。
壊れそうになっていた心は融着していき、この日々が永遠には続かないことに一度冷える。
騎士は各地を渡り歩き、彼の友人の殆どが目的のためルヴネトを去る。それもすぐに。
ケルは幼いながら、複雑な感情を抱いた。血の繋がらない「家族」のようにまで微かに感じ始めていた人たちと離れる。耐えがたいことだ。
だからこそ、ケルは温かさを求める。離れていても、己の中に幸せな時間を留めておけるように。
ケルの心は縫い合わされ、最後にほつれた糸が垂れ落ちる。その糸の先端には、青い「月」があった*1。
白光が走り、微かに青が混じる。ケルは目を閉じず、己の魔力にその色が入っていたことに喜びを感じた。体内を巡る魔力を知らずとも、この光が自分の意思と繋がっていると、感覚で理解できたからだ。
(これで…きっとあなたに近づける。…エドさん、ぼくを見て…!)
光があろうと、騎士はケルから片時も目を離さなかった。強い意志を称えた、兜越しの青い瞳が、ケルを更に火照らせた。
そして「選定」が為された後、ケルは、己が定めた「救世主」に近づき笑顔を向けた。
初めて知った感情に、幼子は名前を付けられない。ただケルの笑顔は、純粋な想いから遠く。子どもが浮かべるものではなくなっていた。
陽は落ちかけ、予定通りケルの下から、騎士と彼の友人たちは去る。ケルのそばには、幼く見える女性が立つ。ケルとリィートイが交わす視線は、温かいままでありながら変化していた。
少女は、再び騎士が戻るまで高まり続けるだろう。何れ「救世主」を己の糸によって絡めとるために。