裏切り・絶望がテーマの同人ゲー世界で、全てぶっ壊す 作:棘棘生命
サングに焦点を当てながら、「流刃」の隊長についての話を共有したり、サングから許しをもらって「人獣」についてをジェロムに伝える。
やはり人獣の一族は、人前に姿を現すことをしないようで、博識であるジェロムでさえ存在を知らなかった。その時イワンが得意げにし、親よりも知っている事があったのだと喜んでいた。
人獣が口伝えで受け継いできた業を、有効的に使えるようにするため、どこか和やかに話が進んでいく。
体系立てられていない魔法は、サングの感覚の言語化と、実際に魔法を使ってもらうことでしか習得の糸口が掴めない。俺はまず、サングが獣の体内に入り込むための魔法を、トリネとジェロムに解析してもらうことにした。
サングは兜と手甲を脱いだ状態で、ジェロムの庭に立つ。サングの野性味ある美貌が歪み、俺に語りかけてくる。勧誘を織り交ぜて。
「…主。こんなめんどうをせずとも、群れの長になれば、すぐに覚えられるぞ?人獣としての心を宿さんのに、業は使えない。」
「え…!エドさん、人獣の方たちのリーダーになるの…?会えなくなっちゃう…?」
「いいやトリネ君、名だけだよ。…もし使えなかったら、その時に考えればいい。先取りになるが、魔法を見せてもらえるか。」
「ううむ…ごうじょうな。名だけ貸すというのは、こういうことか。…いいぞ!『血が守る』…!」
俺は不安がるトリネに言葉を返した。サングは群れを失い、一人で戦ってきた。掟上、会話できる者もいなかった。一緒に歩く仲間を望むのも当然だ。俺の中で、何とかして人獣の群れに合流させてあげたいという思いが強まる。
だがサングは引き下がって、俺たちへその魔法を見せてくれる。不思議な響きの詠唱と共に、暗い色をした大量の血がどこからともなく出現する。
魔法を使用する時、俺たちはその名称と同じ意味の言語を用いることがある。これは「バックスタブレイブ」世界の共通語ではなく、理論を圧縮したものだ。勿論、体内の魔力制御の方が重要であるため、この文言を覚えているだけでは、魔法は発動できない。
だが威力を高めるため、似たような魔力制御をする魔法と区別するためには、必要なことでもある。この圧縮された言語を覚え続けられるかで、ただの魔力持ちと術師に差が出てくると言っても良い。
作中ではこの情報は明言されていたが、実際に覚えるとなると苦労した。口頭だけでは、本当に意味の分からない文字の羅列だからだ。術師や騎士になるための敷居が高くなるのも、当然だと思えたものである。
(…やはり理論を圧縮したものではない。体で覚えている魔法を、発動させるための合図の意味合いか?)
俺が考えている間に、サングの体を暗い色の血が膜状になって覆い隠す。大量の血は変形し、まるで繭、卵のような形へと変貌した。サングが、その膜の中から声を上げる。
「主、これが一族の業だ!餌がいないと、すぐ割れる。」
「ありがとうサング。二人とも、どういう仕組みか分かるか?俺にはさっぱりだ。」
「これは…難しいね。だけど、時間さえもらえれば…。」
「媒介するものがないのに…こんなに、大量の血液を作り出せるんだ…。エドさん、この魔法よりも先に、基礎を考えてみるね…!」
「流石だな。サング、後で何回か見せてもらうかも知れない。いいだろうか?礼はしっかりするつもりだ。」
「いいぞ!膜を割る!」
ジェロムは頤に手を当ててから、羊皮紙に何やら書き始め。トリネは幼子とは思えない冷静な判断を下す。やはり専門家に任せるのがいい。
俺は膜の中にいるサングに呼びかけると、了承の言葉が返ってくる。そうして膜は弾け、血塗れのサングが再び姿を現した。
「オヤジ…これが術師ってやつなんだな…。意味わかんねえや…。」
「こればっかりは、お前に同意するぜ。もし親父の魔力を受け継げていても、おれは魔法使えなかったかもな…。」
イワンとミーシュカが後ろで見ている中、研究は進む。熟練と新進気鋭の術師は、対等な立場で盛んに議論を交わし合い、俺はイワン達と同じ側で見守ることになった。
術師の談義を見守っていると、あっという間に時間は過ぎていく。
陽が下がっていくのを水平線の向こうに見ながら、俺は学院の第二学舎を離れてから、習慣化させていた事象を行う。それは、魔法「感知」を、夜間断続的に行使することである。
偽女神リシディアが戯れに己を奉る教団へ与えた業は、学院の魔法を習得することが困難なために、非常に有用であった。
知ることで生まれる絶望がある。あのガワだけは女神然としている巨大な羽虫は、主人公の勇者と相対した際、嬉々としてそれを語った。
知ったとして間に合わない。辛うじて間に合っても上位種に敵うわけもなく、命を消費するだけである。
騎士たちは上位種の餌になり、襲われた人間も救うことが出来ない。その無能さを、時偶に見て嗤うのが愉しめるのだと。
思い出すだけで、奴の全身を刻みたくなる台詞である。リシディアはただ傍観しているだけでなく、下っ端の羽虫を使って、教団相手に襲撃をかけることがあった。一部の骸は羽虫どもに尖兵にされ、天上で尊厳を破壊されている。
だが、奴が想定しなかったことはある。人類の強さ、悪意に抗い続けられるリシディア教徒の善性。一人が倒れようと、組織として人命を守らんとする結束である。
俺は、自死したエドムンドの体を借りているだけに過ぎず、リシディア騎士ではない。だが彼の、弛まぬ努力も引き継いでいるのだ。
俺がこの世界で過ごした八年間は、エドムンドの高潔と騎士見習いとなってからの八年に支えられている。だからこそ、「感知」の練度もより研ぎ澄ませられた。範囲内にいる多くの人間から、魔力の乱れを感じ取れるまでに至れたのだ。
磨き続ければ、相応の成果が戻ってくる。
陽が隠れてから最初に行使した「感知」に、魔力の乱れが引っかかった。それは、過度に魔力を消耗した時特有の揺らぎ。加えて、俺がよく知るどす黒い悪意。
俺は、サングを交えて話し合っていた術師たちと、ジェロムの血縁である二人へ声をかける。すぐさま向かい、その原因を突き止めなくてはならない。
「――議論を遮ってしまいすまない。リューン近辺で、奴らの悪意を感知した。また戻ってくるが、皆、身の安全は確保してくれると有難い。」
「奴ら…それは、人面の化物どものことかい?」
「そうだ。最近、異相付きだけでなく、裂け目の発生も多くなってきている。見過ごすわけにはいかない。」
俺に問いかけたジェロムは口を噤み、その後杖を強く握る。彼の復讐心が、指先の震えに凝縮されているように思えた。
トリネは両掌を組んで俺を見上げ、サングは綺麗な顔に激情を表した。イワンは奴らを知っているようで、ミーシュカだけが首を傾げている。
「われも行く!一族の仇、ここで取る…!」
「心強いな。では共に行こう。」
「…あんた、そんな気軽に行けるものなのかよ!越境からは、人擬きを見たらすぐに逃げろって…!」
「なるほど、そう言われているのか。賢明だ。だが…誰かが殺さねば、奴らに屈しているのと同義。命を張ることで、多くを救える。イワン殿も、そうやってきただろう?」
イワンの焦ったような言葉に返すと、自嘲が交じったような乾いた笑みを彼は浮かべる。しかし続く言葉には、諦めだけでない意思が宿っていた。
「は…言ったよな、そんな誇らしいもんじゃないって。…でも、魔力を持ってるやつらのことはよく分からねえが、それが本当なら…おれらだったら何ができる?」
「リューンの町にいる人を、比較的安全な場所へ避難させてほしい。それか、音を出さないように身を潜ませるかだ。絶対の安全はないからな。」
「…だったら、やれることはするさ。おい、ミーシュカ!すぐに越境の酒場に行くぞ!」
「お、おう!そのよく分からねえバケモンについて、後で話せよな!」
大きく息を吐き出した後、彼はミーシュカに語気荒く言う。理解が及んでいない状態の女性を無理矢理動かす形で、ジェロムの庭から外へ走りだそうとした。
まだ交流して短いが分かる。彼は善性の塊だ。ジェロムや話に聞く母親の面影は、性質にこそあった。
手を伸ばし、ジェロムはイワンへ何か伝えようとしたが、先にイワンが発した。常に死の可能性を選択肢に入れる、ベテラン冒険者としての言葉だった。
「親父、意地を張っちまってごめんな。顔を合わせられてよかったぜ。」
「イヴァン…僕もだよ。もっと、お前のことを探しに行けばよかった。これからも無事でいるんだ。僕がお前たちを守ってみせるから。」
「ははっ!こんなおっさんが、まだ親に守られるんじゃ立つ瀬がないぜ。…気にすんな、あんたこそ長生きしろよ。また、会えたらな。」
イワンはそう言い残し、今度こそジェロムの家を離れていった。大槍を担いでいるのに足が速く、どんどんと二人は小さくなっていく。
もう一度「感知」を使って位置を確認し、俺も悪意の源へ向かうことにした。幸い、月は陽光よりも輝き始めている。「霊月」の魔法の使用条件を満たした。
魔力で青き牡鹿の脚を再現し、体勢を整える。いつの間にかサングも、「猛進の鎧」を着こみ終わっていて、俺に合わせるように突進の構えを取っている。
「わ、わたし…エドさんの力になれるように、解析を進めるね…。早い方が良いもん…。」
「…海が荒れているんだ。エドくん、森以外にも気を付けて。ここを離れることは難しいけれど、それ以外については、最善を尽くすよ。」
「二人とも頼んだ。奇襲には気を付けよう。さあサング、俺たちも行くぞ。」
『グウア…!われも、感じるぞ。人擬き、つぶす…!』
俺はトリネとジェロムに向け軽く手を振った後、サングと一緒に全力で町の外れ目がけて疾走した。サングは俺から離されそうになりながらも、両足を白い光で染めて追従する。そこからは原初に近い、「此地の憤怒」に似通った魔力を感じた。
陽が完全に沈み、月明かりだけが地を照らし始める。俺たちは現場に急いだ。
◆
上位種に連なる、黒い血を根絶するための組織。その人員である三名は、かつて人獣であった骸に囲まれていた。
術師である一人は、猛攻を避けきれず深手を負い。師弟であるもう二人も、連戦による消耗で息を荒げている。
複数の唸り声が響く中、その奥からにやけ面が浮かび上がった。人によく似て、ねじ曲がった角と背中にある飛膜が否定する。
画材を中途半端にかき混ぜたような濁った黄緑色の長髪。それを垂らした薄着の女、旧い上位種の一体は、掌を突き出し尖兵たちに合図する。
術師の黒血絶ちに飛び掛かっていく複数を、鼬面の女性が弾いて受け流す。防戦一方で、まともに戦うとすれば全滅であることを三名は悟っていた。
『うっふふ…もう終わりなの?もう少し長く愉しめそうだと思ったけど、残念ねえ…。』
「ちっ…大元が来なするなんてね。専門外だよ…。」
鼬面の女性が吐き捨てるように小さく零す。「黒血絶ち」は尖兵や、それになりかけの人間の命を断ちきることが標である。尋常ではない力を持ち、人の急所があてにならない上位種相手には分が悪く、出会う前に引き上げるのが常だ。
そして今、彼女らが相対しているのは、大量の人獣の尖兵を操れるほどの強者。逃げるのが最善であり、誰かが囮にならなければいけないことも分かっていた。
ゆっくりと、術師の格好をした「黒血絶ち」の女性が言う。命を散らすことを女性は覚悟していた。
「…私が残ろう。新人が死ぬのは困る。」
「…そうかい。いつか、あたしもアンタと同じところに行く。その時は、何体討てたか報告するよ。」
「楽しみにしている。我ら、黒血を絶ち切るまで不滅。憎しみを糧に。」
『ぼそぼそ、作戦会議は終わったのかしら?うふ…それじゃあ良い声で鳴いて、死になさいね!』
旧い上位種の合図が、もう一度なされる。人獣の尖兵、半数を場に残した総勢十体の群れが、一斉にそれぞれの得物を振り被った。彼らは目配せの後、それぞれ一人は回避の構えを取り、二人は足を後方へ向ける。
そのときだった。甚振るような集団攻撃を、何かが横から突き飛ばしたのである。
それは青白く、人の背丈をした魔力の残像であった。一つは、背中を曲げて獣の如き様相であり。もう一つは反対にすらりと背筋を伸ばした、長身の全身鎧。
「青月」エドワルドと、猪の人獣、サング。上位種に憎しみを持つ者たちが、上位種の愉悦に横槍を入れたのである。
旧い女の上位種は、醜悪な表情を真顔にして、エドとサング二人を睨みつける。彼らはそのプレッシャーをものともせず、エドは後方にいる三名の内一人に焦点を当てた。
『…なに?雰囲気が台無しじゃない。』
『化物…!オマエラが一族を…許さぬ!!』
「…やはり、貴女たちが対処していたのか。すまなかった、ナタリー。」
「ふ、良いタイミングだね…エドワルド。少し、楽をさせてもらうよ。」
エドが呼びかけた鼬面の女性、ナタリーという名の彼女は仮面の下で口端を吊り上げる。ナタリーは黒血絶ちとして最も早くエドと関わり、そして誰よりも彼を恐れる戦士である。
変わらず人獣の尖兵が襲いかかってくる中、吹き荒れる風のごとく躱し、術師の人員を、弟子である少女に押し付ける。
「手負いの人員を連れて、町まで戻ってもらって構わない。助力は有難いが、命が優先だ。」
「いいや。アンタがいるなら、ここで倒してしまうさ。…ハバキ、そいつを連れて行きな。」
「はい…申し訳ございません。退かせて頂きます、エドワルドさん。」
人であった者を狩る故に、平時は凍った雰囲気を醸し出す少女も、目の奥に光を灯す。そうして少女はこげ茶色のポニーテールを揺らし、同胞へ肩を貸した。
その様子を苛立ちながら見る上位種は、追い打ちを仕掛けようとする。キツネを模った、血に錆びた鎧「狐疑の鎧」を着こんだ尖兵が素早く追い縋る。
しかしその奇襲は、振り返りざまに放たれたエドの一刀により失敗に終わった。首を飛ばした「狐疑の鎧」の一体は地面を滑るようにして抉り、ぐずりと半壊する。鎧の中身は既に、魔力の糸でしか形を保てていなかった。
エドの横を、サングが通り抜けていく。かつての同胞の内一体は、サングの力強い突進で潰れ、活動を停止した。
サングの荒い鼻息からは憤怒が、上位種への憎悪が放たれている。エドは剣先を、旧い上位種へと向ける。「月融け」が威力を増し、靄が収束するように色を濃くした。
合わせるように、サングが右足で地面を掻き。ナタリーもまた黒血で汚れた得物、特別な刀を中段で構える。
「…奴は、尖兵をもう一小隊操っている。『母熊』を狙っているのさ。気を付けな。」
「共有感謝する。」
『ふうん、わたしに勝てるつもりでいるのね。…決めたわ、坊やたち。死なない程度に痛めつけて、わたしの領地で甚振り続けてあげる!うっふふ…愉しみが増えたわね!』
ナタリーとサングは、その言葉に反応し怒りを露にする。特に「黒血絶ち」へ所属するほどの憎しみを抱えたナタリーは、どす黒い感情を威圧感として噴出させた。
「“領地”だって…?人間様から奪った土地を…。…二度と踏ましゃしないよ。」
『一族の仇…殺す!』
『さあ愉しみましょう、坊やたち!わたしが美味しく食べてあげるわ…!』
旧い上位種が舌なめずりをし、再び合図が為される。場に残る八体の尖兵と共に、その女の上位種は瞬間的に距離を詰めた。
並みの魔力持ちの目には、追えないほどの速さ。エドを狙ったその拳撃は、しかし彼にひらりと躱され、反撃を受ける。騎士が行使した「霊月の槍」が、旧い上位種の脇腹を貫通していたのである。
飛びのく上位種にエドはナイフを投げて追撃しようとするが、身を捻じるようにして避けられた。着地した傍から、エドが与えた傷の大部分が修復される。
しかし月の魔法は、上位種を深く傷つける。二つの月由来だけでなく、ルリベナの「霊月」、エドがそれらから着想を得た業においても。
傷は完全に治ることはなく、上位種の脇腹には黒血がにじんでいた。
『ぐう…!なんなの…これ!「月」じゃない…!?』
「…旧い故に、丈夫というわけか。だがやれる。」
『うふふ…本当に美味しそうね…!あなたたちは、そこのお仲間とおまけを殺しなさい。わたしは鎧の坊やで愉しむわ。』
人獣の尖兵から出る魔力を操り、それらはナタリーとサングを標的に突進する。かつて異相付きを狩るために磨かれた業は見る影もなく、ただ操られるがままに。
『主、同胞はわれがとむらう!長として、仇を!』
「人獣の生き残りかい。そうか好都合だ…アンタに合わせるよ。」
『グル…主の仲間!動きがいい、やるな!』
上位種の制御下から離れた尖兵は、力が落ちる。ナタリーはサングの力任せな動きをカバーしながら、戦闘を開始した。折れぬ刀を鎧の間に通し、切り捨てる。サングは鎧の硬さを気にすることなく、樹木で押し潰すようにしていく。
エドは二人の様子を窺った後、旧い上位種に集中することにした。どちらも手練れであることを強く認識し、尖兵相手に後れを取らないことを感じ取ったのだ。
騎士へ、重さ速さを兼ね備えた拳と蹴りが飛んでくる。鎧に掠れば、それだけで凹む威力であった。
しかし、今夜は雲一つない空である。浮かぶ二つの月と星々から、隠れることはできない。
騎士の返す刃で上位種の右飛膜が、根元からざっくりと斬り落とされる。激痛と共に、上位種の飄々とした態度が崩れた。
エドが向ける殺意は研ぎ澄まされ、足運びはより滑らかに変わっていく。既に、速く重いだけの攻撃は見切った。
◆
家から四名の戦士が去り、残ったジェロムとトリネは顔を見合わせる。そうしてジェロムを先頭にして、開かれた地下への道を通り抜けていく。交わした約束を、今夜果たすのだ。
老爺にとって、年の離れた友人であるエドが「流刃」の隊列のことを知っていたのは、予想外であった。
古い時代のことを知っているのは、限られた者だけ。調査しようと思って、見つけられる情報ではないのだ。例え学院の人間であったとしても、簡単には探し出せない。
だがジェロムは、トリネがエドに思うように、どこか納得していた。対面での雑談や手紙を通して、不思議さをより感じていたからだ。
リシディア騎士団の、白銀に隠れる人間の欲。越境組織の、行き場がない故の荒さ。学院の、貴族としての高慢。それら傾向の全てと、エドワルドは一致しない。
自身が今の際に見ている夢幻なのではないかと、思ってしまうほどに。
地下室の扉を開け、ジェロムはトリネに中を見せる。岩壁をそのまま削ったような空間であり、古びた机には魔法の理論が書かれたスクロールが丸められて置かれている。
その最奥には、流線形をした黒い鎧が鎮座していた。だが兜の半分がなく胴鎧は破損しており、左手甲だけが満足な状態で残っている。
「着いたよ、トリネさん。これが一族が受け継ぎ、僕へ遺した『流刃』の鎧さ。ミーシュカくんにも渡せたはずだけど…そこまで時間はないんだ。魔法を一つ学んでいる間に僕が死ぬか…襲撃が来る。」
「な…何で、そんなこと…。」
「あの化物たちは、本当に意地悪くてね。もうじき、リューンを攻めに来る。ネリールという、この鎧の持ち主が憎くて仕方ないんだろう。…この家に住んでいた術師は、海に持っていかれた。僕だけが現状を打破できる。」
ジェロムはトリネに、己がリューンに来た二つの意味を明かす。一人息子であるイワンが町のどこかにいると知ったこと。もう一つは、一族所縁の地にて、最後の番人として役目を全うすることであると。
海に潜む上位種は、贄を欲している。かつて「流刃」の隊列の戦士に深手を負わされたそれは、終わらない憂さ晴らしに昏い歓びを感じているのだ。
ジェロムは、残り僅かなその命を上位種相手に叩き込み、相打つことを望みとしていた。
トリネは一部始終を聞いた後、掌を組んで願う。ようやく子と再会できたのに、死に別れるなどあってはならないと少女は思う。トリネにとってもはや、ジェロムは他人ではなかった。
「大丈夫…エドさんがそんなの、倒してくれるもん!わたしも頑張るから、ジェロムさんは無理しないで…!」
「…ありがとう。そうだね…。」
ジェロムは口では同意しながらも、頑なである。己の因縁に、エドやトリネ、イワンたちを巻き込んではいけないと考えていた。血脈は一度途切れたのだから、これ以上の犠牲は無意味だと。
そして巨大な白影へ叩きこむ魔法は、命を削るほどの威力でなければならないと、ジェロムは考えた。
老爺は吊り下げていた鞄から、ある道具を取り出し、トリネに見えないように眺める。「流転の濁り盃」。彼が作り出し、越境組織に共有した液体入りの道具*1に、それは似ていた。
これを使うことで魔力循環を高め、魂さえも溶かし込む。ジェロムは己の心血を注いで作ったこの盃ならば、一人であっても上位種に届きうると思っていた。
「トリネさん、この手甲を君に託すよ。この書物も持っていって、糧にしてほしい。こんな爺さんじゃ、役に立たないからね。」
「わ、分かりました…!ジェロムさん、エドさんが戻ってくるまで…解析の続き…。」
「ああ、そうしよう。腕が鳴るね…!」
トリネは大事そうに、両腕で手甲を抱きかかえ、スクロールの幾つかも鞄に入れた。
掌を勢いよく叩き、ジェロムはにこやかにトリネへ返す。リューンの守りとは、町へ実際に襲撃が起こった場合に動き出すことになっている。
思わぬ上位種の出現について、ジェロムは思考の大部分を埋め尽くしながら、神経を尖らせ続ける。自身の最期さえ、道半ばで終わるか。それとも宿命を果たせるか。
その答えは、地下室へ続く階段からの異音によって示される。無機質な美貌が部屋を覗いた後、がっと腕を伸ばした。
海からの脅威は、示し合わせたかのようにやってくる。
だが水に浸った醜悪な存在の所業も、月は見ている。
その頃、森にて黒い血が飛んだ。騎士たちと共に、勇猛なる獣の戦士が吠える。
此の地が、獣の叫びに呼応する。