王へ捧げる復讐譚   作:稲荷竜

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第6話 アグラマン・フェ・アルノー公爵

 このレヴィアタニア王国には一人の国王と三人の公爵がいる。

 

 その三人のうち一人、長きに渡って俺を後援してくれることになる大恩人と出会ったのは、この時だった。

 

 公爵は伝統的にそれぞれの家がそれぞれ別な役目を負っており、その人は軍事を担い、代々元帥を輩出してきた家系だった。

 この当時で年齢は五十代。従軍経験も持つ武人であり、戦争のない時代にはやはり、辺境伯とともに『お飾り』というような扱いを受けている、そういう人だった。

 

 お飾り視されてはいるが、軍事の最高責任者ではある。

 つまりどういうことかと言えば、王家を守る近衛兵たちを直接管理する人だった──近衛兵が王の直属ではなく、間に元帥を挟むというのも、なかなかどうして、他国からすれば珍しい形態だとは、思う。

 

 アグラマン・フェ・アルノー公爵。

 

『フェ』というのは王族が戦勝し国家を興した時に妖精を妻に迎えた伝説からくる、高貴な苗字の前につけられる言葉だ。

 これを名乗ることが許されているのは王族および公爵だけとなっている。例外も、あるのだけれど。

 

 その『フェ・アルノー』は通常、ずっと王宮に詰めて直接、近衛兵の指揮をしているわけではない。

 彼が捕まった俺たちに面会することになったは、運命のいたずらとしか思えない、様々な偶然が重なってのことだった。

 

「君の顔には見覚えがある。君の祖父の葬儀の時に見た」

 

 俺はといえば、公爵の中でこの人だけが祖父の葬儀に訪れたことを知っていた。

 だから勝算があった──ということはまったくなく、アンヌを奪われた怒りに染まっていた俺は、この時まで、この人の存在を忘却していたぐらいなのだった。

 

 だから『自分を捕まえた王宮の手先!』と思っていた俺は、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 祖父の葬儀に来る人間を悪者扱いするのは、当時の俺には難しかったんだ。

 

 俺たちが通されたのは執務室のようだった。

 

 どうにも通常はそのまま牢屋にぶち込まれ、裁きを言い渡されるのを震えて待つらしい。

 だが、偶然にも王宮に詰めていたフェ・アルノー公爵が、偶然にも俺が捕まえられるシーンに居合わせ、偶然にも俺の顔を覚えていたということから、こうして縄目の恥辱も受けず、椅子に座って話すことを認められていた。

 

 後にフェ・アルノー公爵は、『いいか、都合のいい偶然の連続で命を繋いだという事実があるとする。それは、奇跡と言い換えなさい。奇跡の数だけ、君たちの王位簒奪に正当性が生まれる。神なる者の保証する、運命と呼ばれる正当性だ』と言っていた。

 

 だから、この邂逅は、奇跡だった。

 

 フェ・アルノー公爵は鼻筋のすっと通った神経質そうな顔の男だ。

 体格はパッと見ではさほど大柄とは言えないのだが、年老いた手足に刻まれた傷と、たっぷり布を使われた衣服の下にあるのに、しっかり鍛え上げられているとわかる肉体は、加齢こそしていても、今なお現役の『歴戦の勇士』という印象を俺に与えた。

 

 灰色の髪を後ろに撫でつけた公爵に、同じ色の瞳で見つめられると、なんとも言えない、『権力の重圧』と呼ぶしかない何かを感じる。

 

 宮殿に侵入してアンヌを取り戻す! と息巻いていた俺は、この重圧に参ってしまい、とたんに満足に口も利けなくなり、自分のやらかしたことがどういった被害をもたらすかを想像して、恐怖に震え始めていた。

 

 だが、この当時の俺は、クソガキだった。

 

「……俺も、あなたの顔は覚えている。フェ・アルノー閣下だったな」

 

 半端に敬語混じりなのは恐怖のためで、それでも対等な立場であるかのような言葉遣いをしようと頑張っているのは、意地のためだった。

 

 何せこの当時の俺はフェ・アルノー公爵がどういった意図で俺たちと面談しているのかさっぱりわかっていなかった。

 なので、相手がどういう立ち位置でもいいように意地を張り、姿勢で負けないように腹に力を込めて……ようするに、弱い小動物が逃げ場のない場所に追い込まれて天敵と対峙した時と同じで、『虚勢だと見え透いた威嚇をするしかない』という状況に追い込まれていたのだった。

 

 フェ・アルノー閣下──特に軍事指導者は閣下と呼ばれる──は一瞬、妙な顔をした。

 それからほんのわずかに微笑んだのは、この当時、俺を見て何を思ったからか。……あるいは、若き日の自分を思い出したのかもしれない。あの人は、俺が無鉄砲なことをしようとするたび、よく『若い頃を思い出す』とぼやいていたから。

 

「君たちの目的を聞こうか」

 

 執務机に掛けたフェ・アルノー公爵の内心は全然うかがえない。

 ここで俺が嘘をつかなかったのは、幼い潔癖さのせいだった。

 

「王に奪われた女性を取り戻しに来た。名はアンヌ」

「……その女性というのは、辺境伯の親類か?」

「…………ただの平民で、家では家政婦をしていた」

「ふむ」

 

 この時の沈黙はただひたすらに怖かった。

 

 フェ・アルノー公爵はしばしの沈黙の後、俺を見て、こんなことを言った。

 

「勝算について話しなさい」

「……勝算なんか、ねえよ。こうして、情けなく捕まった。終わりだ」

「君たちはつまり、勝算もなく、王宮に忍び込み、恐らく後宮にいるであろう女性を──」

「…………後宮」

「──訂正しよう。どこにいるかもわからない女性を迎えに来たと、そういうことかな?」

 

『そうです』と認めたくはなかった。そうやってまとめられると、さすがの俺でも、自分のやらかしの馬鹿さが理解できたからだ。

 

 フェ・アルノー公爵の表情は動かなかった。

 

「君の祖父にはずいぶん世話になった。あの人は、私の英雄だ」

「……」

「あの人に命を救われた回数だけ、私はあの人の縁者を救うと決めている。だが、自殺を止めるほどの熱意はない。……ここから解放されたあと、君はどうする?」

「もちろん、また忍び込む。今度は……後宮っていう場所にいることは、わかっているからな」

「そうか。立ちなさい」

 

 その時、疑問を覚えながらも言われるままに立ち上がったあとのことは、『わけがわからなかった』。

 

 気付いたら空中で一回転し、地面に抑え込まれていたからだ。

 

 自分の喉に食い込む足の持ち主がフェ・アルノー公爵であるのを見て、初めて俺は、『フェ・アルノー公爵が自分を投げ飛ばして取り押さえたのだ』ということを理解したぐらいだった。

 

「ロラン!」

 

 さすがにキャパシティをオーバーして黙り込んでいたオリバも、俺の危機に立ち上がって動き出した。

 だが、何も出来なかった。

 

 フェ・アルノー公爵は、動きにくい、布が多くて袖の長い文官服で、どう動いたのかもわからないほどの早業を繰り出し、俺たち二人をあっさりと投げ飛ばして取り押さえたのだ。

 

「武力、なし」

 

 フェ・アルノー公爵がつぶやく。

 喉を抑え込まれたまま──呼吸が止まらないように手加減されていることも、当時の俺にはわからなかった──フェ・アルノー公爵の声を聞く。

 

「では、問おう。王宮はいくつもの廓が連なった建物だ。この廓というのは建国時技術で出来た石の壁であり、破壊はまず不可能。四つある入り口には番兵が立っており、特に王の意向で、後宮の警備は厳しい。さて、君たちは、この警備をどう抜ける?」

 

 この時、俺が返せたのはうめき声だけだった。

 

「知力、なし」

 

 フェ・アルノー公爵の冷徹な評価が降る。

 

「君たちはまだ社交界前の年齢だね? では、社交界を経ずに、個人的に親しくしている貴族家を、そうだな……伯爵以上を、七つ挙げなさい」

 

 一つもなかった。

 強いて言えば分家であるオリバの家とは親しくしているが、貴族家としては身内、つまり、辺境伯家の一部になる。

 答えられない俺に、フェ・アルノー公爵は言い放つ。

 

「人脈、なし」

「……」

「武力もなく知力もなく、人脈もない者が、いったいどのように後宮の女性を取り戻す?」

「……それでも、」

「『それでも行く』ならば、それは自殺だ。この場で殺そう。そうすれば、『後継者が王宮に忍び込もうとした罪』を、君の領地は負わなくて済む。そのように、処理しよう。これは君の祖父の縁者を救うことになる」

「……」

「答えなさい。君が望むのは、『怒りの発散』か、『確実な奪還』か」

「そ、ん、なの……! 『確実な奪還』に決まってる……!」

「では、武力を身に着け、知力を身に着け、人脈を作りなさい」

「……でも、アンヌは、今こうしてる時も、」

「『苦しんでいる』となぜ言える?」

「……」

「王に気に入られ王都へ連れて来られる──これは、この世の平民女性にとって、この上がない栄達だ」

「でも、無理矢理……!」

「どうして無理矢理だと言える? 本人が望んでいないと君に打ち明けたのか?」

「打ち明けてもらう暇なんかなかった!」

「つまり、君の思い込みだ」

「そんなことない!」

「なぜ、そう言える?」

「俺が誰よりも、アンヌを知ってるからだ!」

「その確信があるならば、なおさら準備をし、救い出せる確率を上げなさい」

「……」

「時間が経って消えるような想いに殉じるのは、美談ではあるだろう。だが、残された君の領地の者はどうなる? 辺境など、今の時代、力を減じさせる機会をいくらでも狙われている。家がつぶされて、そこに住まう領民が『領主様が変わった』という程度の扱いで済むと思うか? 領地には親しい者はいないのか? その人生が終わることについてどう思う?」

「わかんねえよ……!」

「想像力を身に着けろと言っている」

「……」

「想像しろ。想像を続けろ。あらゆることを想定しろ。妄想ではない、想像だ。わかるかね?」

「……」

「私から、今できる講義は以上だ。君の今後の行動を聞こう」

 

 踏まれていた喉から足が外されて、俺は組み伏せられていたことをその時初めて思い出した。

 

 それから、泣いた。

 

 フェ・アルノー公爵は何もかも圧倒的に正しかった。

 俺は俺の馬鹿さ加減を突き付けられて、

 

「……俺、なんも持ってねえじゃん」

 

 そのことを、生まれて初めて実感した。

 

 フェ・アルノー公爵はいつの間にか席に戻っていた。

 執務室の、武骨な、石の床の上でのそりと上体を起こす。……ああ、その当時のことは、見ている景色も、自分の動きも、『まさに、今行っている』かのように、思い出せる。

 

 隣で打ちひしがれるオリバの様子。

 冷たい空気が鼻から入って、肺に降りていく感覚。

 しゃくり上げる自分の声。止まらない涙の熱さ。

 

 そして、誓い。

 

「……救い出すために、すべてを手に入れる。アンヌを王宮から取り戻すために……辺境に戻って、準備をする」

「十年や二十年程度では、その『準備』は終わらないかもしれない」

「……でも、今は、救い出せない。何をどうして、史上誰にも訪れたことのない妖精の加護──」甚だしい幸運のことをこう呼ぶ。「──があったとしたって、無理だ」

「そうか。では、君たちは、小さなトカゲだった」

「…………え?」

「小さなトカゲが宮殿に忍び込んだ。ずいぶん寒い時期に出るおかしなトカゲもいたものだ。これを捕らえたが、当然、トカゲを捕らえたことなど、いちいち王のお耳に入れるほどのことではない」

「……」

「ロラン」

 

 この瞬間、フェ・アルノー公爵は、俺に名前を呼ぶぐらいの価値を認めた。

 あるいは俺が『兵を差配してるアンタが見逃してくれれば』と言わなかったことを、評価したのかもしれない。……そんな、単純な話ではないのだ。単純な話でないことを理解していたから言わなかったのではなく、当時は、そんな文句さえ思いつくことができなかっただけ、だけれど。

 

 フェ・アルノー公爵の呼びかけは、思わず背筋が伸びるようなものだった。

 

「小さなトカゲよ。竜になって戻れ。ロラン・ドラゴニア──君の祖父は、その活躍から、家名の前に『フェ』をつけることを許された。君は再び、ドラゴニアの家名の前に『フェ』をつけることを許される人物になれ。そうすれば、王の首に手が届く」

「……首に、って……」

「『それ』が私の目的だ」

「……」

「視察と称して地方を遊び歩き、気に入った女をさらって回る。国庫は豪華な舞踏会と、マダムの宝石に消えていく。……今はまだ、大きな問題ではない。だが、この王はいずれ必ず国を亡ぼす。……君の祖父が命懸けで守った国をだ。許せるものか」

「……」

「祖父の遺志を告げとは言わん。だが、君は君が熱意を傾けるに足る目的のために、力をつけなさい」

 

 フェ・アルノー公爵はこの時、まだ俺の目的が王の首になるとは想像してもいなかったはずだった。

 だが、予感はあった──あるいは推測できたのだろう。

 

 あの王が『女を手放す』ということを、命を奪われでもしない限りは、しないであろうこと。

 そして……

 

 俺の目的が、『奪還』から、『復讐』に変わることを。

 

 

 数年の後、アンヌの訃報が届いた。

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