王へ捧げる復讐譚   作:稲荷竜

7 / 7
第7話 復讐の始まり

 アンヌの死体の代わりに戻ってきたのは、一枚の紙きれだった。

 

 役目を果たした。

 残念に思う。

 遺族への見舞金だ。

 

 そんな程度の文言しか書かれていない、一枚の紙きれ。

 

 その手紙を受け取った日、雨が降っていた。

 このあたりは雨期になれば毎日のように降るのだけれど、それ以外の時期はあまり雨が降らない

 

 だが、その日は雨期でもないのに雨だった。

 激しい、叩きつけるような、重苦しい、冷たい雨を、俺は覚えている。

 

 そのころの俺はフェ・アルノー公爵に言われたことを実行するために、活動をしている最中だった。

 

 武力、知力、人脈。

 まだ『王の首をとる』ということは、俺の目標の真ん中ではなかった。

 でも、あのふざけた王を一発ぐらい殴ってやろうという気持ちは確かにあって、だから、足りないものを身に付けるための努力を始めていた。

 

 そして、フェ・アルノー公爵という男のいる位置の高さを実感し始めていた。

 そこに並ぶための道のりの険しさもだ。

 

 はっきり言って、折れかけていた。

 あまりに遠く、ゴールの見えない目標は、すさまじい勢いでやる気をすり減らしていく。

 その当時でさえ幾度あきらめかけたかわからない。……そのたびに、別れさえ言えないまま連れ去られたアンヌの顔を思い出して、己を奮い立たせた。

 

 そんな日だ。訃報が届いたのは。

 

 最初、俺は信じなかった。

 だって王はアンヌを後宮にまで連れ込んだのだ。これを死なせるなんていうことは……

 

 いや。この当時、信じたくなかったのだ。

 俺にはせめて、大人になるぐらいまでの猶予が残されていると、思いたかった。

 

 この当時、俺はまだ十歳を少し過ぎた程度の年齢だった。

 社交界入りは十五歳で、その準備が始まるのがだいたい十一歳とか、十二歳。

 まだまだ貴族界でも市井でも、全然『大人』とは認められない年齢だ。

 

 ……だから、せめて、俺が大人になるまでは……

 世界が。待ってくれるのだと。

 

 そう、無邪気に信じていた、本当に愚かだった、幼いころの俺。

 

 そんな無邪気で愚かな俺がアンヌの死を信じたのは、そこから一日遅れて、フェ・アルノー公爵からの密書が届いたからだった。

 

 この当時からフェ・アルノー公爵は俺に密書を送って来るようになっていた。

 

 密書というのは普通の手紙に偽装していたり、あるいは荷物に紛れ込ませていたり、とにかく普通に『送った』とはわからない形で送られる秘密の手紙のことだ。

 これは読んだらすぐに燃やすなりして処分するのがルールだそうだ。

 

 ……この当時、フェ・アルノー公爵が俺を都合よく使える密偵として育てようとしていたのか、それとも、こういう裏まで教えて『奪還』を完遂できる男になるように育ててくれようとしていたのか、それは今もってわからない。

 あの人は策謀家だから、『どちらに転んでもいいように』というぐらいが、正確な見立てなのかもしれないけれど。

 

 そうして受け取った密書──大抵はこより状にして指と指の間に挟めば見えなくなってしまうぐらい小さなものなので、大した内容は記せない──には、こういう内容が書かれていた。

 

 アンヌは死んだ。

 王の子を産んでいる。

 その子は修道院に避難させる。

 

 この当時、俺が信頼している大人は、フェ・アルノー公爵ぐらいだった。

 だからこそ、こんな愚かなクソガキだった俺でさえ、アンヌの死を信じるしかなかった。

 

 けれどこの時の俺は、アンヌの死を信じても、泣き叫んだり、怒り狂ったりということをしなかった。

 

 空っぽだった。

 

 その当時、長い雨が降り続いていたけれど、俺は構わず外に立っていた。

 なぜそうしたかは覚えていない。ただ、雨に打たれて空ばかり見ていた記憶だけが残っている。

 

「ロラン!」

 

 迎えに来た人の方へ振りかえる。

 

 アンヌが来るわけなんかないのに、俺は一瞬、その、アンヌとは似ても似つかない声の主が、アンヌであることを確かに期待していた。

 ……もちろんそんなわけはなく、金髪を雨で貼りつかせたオリバが、そこにいた。

 

「ロラン、屋敷に入ろう。雨に打たれていては体調を崩す」

「アンヌが死んだ」

「知っている。王の名で訃報も届いて──」

「アンヌが死んだんだ」

「……」

「何もなくなっちゃったよ」

 

 ……俺は、いろいろなものを持っている。

 将来継ぐことになる辺境領。父。母も、生きている。弟だって、すくすくと育っていた。

 従兄のオリバ。その父、つまり叔父もいる。

 領民たちがいる。その中には、アンヌの父母もいる。

 

 でも、この時の俺は空っぽだった。

 

 与えられたばかりの人生目標が唐突に消え失せて、酷い虚脱感だけがあった。

 泣くことも、怒ることもできなかった。憎悪さえ、なかった。

 ただただ、空っぽ。

 

 ……オリバがこの当時、あんなことを言ったのは、このままでは俺がダメになるのがわかったからだったらしい。

 何かを与えなければ、このまま消えてしまいそうだった。だから、その時思いつくものを、必死にかき集めて、俺に与えた──そういうのが、この当時に言われた言葉の、裏側にある真実だったようだ。

 

「でも、王がいる」

「……」

「アンヌが死んだのは、なんでだ? 王のせいだろ。ロラン、お前はいいのかよ。アンヌの仇を、そのままにして」

「……でも、アンヌはもう、帰って来ないんだ」

「だからだろ」

「……」

「だから、お前のために、王の首が必要なんだろ」

「……俺のために?」

「アンヌはお前のすべてじゃない。お前には、俺もいる。でも……アンヌの仇を討たないままじゃ、お前の中には、アンヌしか存在できない」

「……」

「お前の人生にはアンヌ以外のものもある。だから、お前の人生を始めるために、アンヌの仇を討てよ」

 

 本当に、優しくて、思いやりがあって、損ばかりする男だと思う。

 フェ・アルノー公爵が俺にとって師匠と呼べる大恩人なら、オリバは俺の精神的支柱の大恩人だ。

 

「……仇を討つ」

「そうだ。……焚きつけたんだ。俺だって、付き合う」

「仇を、討つ」

「……」

「……ああ、仇を討とう。確実に。武力と、知力と、人脈を駆使して──この国の、王を討とう」

 

 この時、すうっと頭が急に冴えたのを覚えている。

 今までかかっていた靄みたいなものが消え、己がなすべき道のりの正しい距離と、到達すべき位置がはっきりわかるようになった。

 

 どうやら『誰かを助けよう』というのは、俺には向いていなかったみたいだ。

 

 俺は敵を殺すことしかできない生物に生まれついていたらしい。

 

 殺す相手の顔が道の向こうにはっきり見えた途端、これまで霞んでいた視界が急に開けたんだから、笑ってしまうぐらい、俺は……生まれついて、誰かを殺す才能だけが、あったらしい。

 

 天も、俺が俺の天分を悟ったのを祝福するように、雲に切れ間を作り、陽光を降り注がせた。

 

 ……たぶんこれは、ただの偶然だ。

 俺の心情と天候が関係するなんて、本気で思ってるわけじゃあない。

 

 でも、偶然が都合よく重なったものは、奇跡に数えるべきだ。

 俺たちには、一つでも多く、『王を殺す後ろ盾』が必要だった──それが、『天』とかいうものでも。

 

 だから、俺たちは物語を記していく。

 俺にとっては、復讐譚。俺が俺になるために、俺の中からアンヌを消すためだけの、復讐譚だ。

 

 だが、他の者にとっては──

 

 また違う、物語かもしれない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。