ユメ先輩(銃の魔人) 作:虎3
爆音が轟き、10番の身体をビリビリと震わせた。
戦場の重たい空気は、ガスマスクの中をさらに息苦しくする。
──エデン条約調印式。
決戦の火蓋は先刻、巡航ミサイルと共に切って落とされた。
遠くではゲヘナの飛行船が黒煙の尾を引きながら、墜落していった。
アリウス生達はそれを皮切りに、いくつかのグループに分かれて作戦行動を開始していた。
10番が所属する部隊の任務は、『お姫様』の護衛だ。
まずは、古聖堂地下で儀式を行う彼女に目がいかないよう、地上で気を引くのが役目になる。
「「「トリニティとゲヘナに鉄槌を!!」」」
あちらこちらでアリウス生の狂騒が沸き、空気が脈打っているようだった。
両校への復讐は、私達の存在意義だ。
そのために厳しい訓練をこなし、先の見えない人生に耐えてきた。
これ以外の、生きる理由なんてない。
アリウス生はみんな、そのような道具として教育されてきた。
──だけど、私は?
実のところ10番は、この戦場にうまく気持ちを入れ込めずにいた。
──いったい、何のために?
アリウス生であれば骨身に叩き込まれているはずのものが、10番にはよく分からなくなっていた。
こんなことマダムに知られたら、きっと酷い折檻を受ける。
今度こそ、本当に死んでしまうかもしれない。
その想像に、10番の背筋が総毛立つ。
「本当に、私、どうしちゃったんだろう・・・」
10番は思わず足を止め、小さく呟いた。
引き金に掛かる指が、震えている。
ここにきて、死への恐怖で足もすくんでいた。
こんなの、アリウス自治区の生徒として落第もいいところだ。
きっと、この変化は──
「いたぞ!あそこだ!!」
俯く10番に、鋭い声が刺さった。
黒いセーラー服、トリニティの正義実現委員会だろう。
考え事に気を取られて、反応が遅れてしまった。
乾いた銃声が鳴る。
自身を襲うであろう衝撃に、10番はぎゅっと目を瞑った。
「いやぁ、良い銃だね」
しかし待てども、痛みは来ない。
恐る恐る目を開いた先で、翡翠の髪が風で揺れた。
「でも残念。使い手がそれじゃ、足りないよ」
銃の魔人は笑いながら、彼女たちに人差し指を向ける。
一拍置いて全員、吹き飛ばされたように地面を転がり、そのまま動かなくなった。
「あ、あの、ありがとうございます!」
自身を庇った銃の魔人に、10番は慌ててお礼を口にした。
こちらに振り返った銃の魔人の顔は、鼻から上が歪なマスクで覆われている。
アリウス生に支給されるガスマスクの下半分が破壊されていて、無骨なアイマスクのようだった。
顕になっている口元は弧を描き、上機嫌であることが分かる。
「戦争はこうでなくっちゃね。10番もせっかくなんだから、もっと楽しまないと」
銃の魔人は軽やかな足取りで歩み寄り、10番の肩をポンと叩く。
それから戦場の空気を味わうように、ゆっくりと深呼吸をした。
古聖堂の周辺に、もう敵影はない。
トリニティやゲヘナの主戦力は要人の撤退のため、他に移動したようだ。
要人は、『先生』と呼ばれているらしい。
──いったい、どんな人なんだろう。
憎しみ合う両校が共に護衛に乗り出すなんて、よっぽどすごくて偉いのだろう。
ともあれ、最初の作戦は完了した。
この後は儀式が終わり次第、『お姫様』を護衛して撤退するのが任務になる。
しかし、銃の魔人には別の役割があるようだった。
待ちきれない様子で、どこかソワソワとしている。
「それじゃあ、あまり怪我しないようにね。オレが飲む分が減ると困る」
「あの、魔人様はどちらに・・・?」
「まあ、囮役ってところかな」
銃の魔人は好戦的な声色で、にやりと口角を上げた。
10番はそんな様子が、少し羨ましかった。
楽しげで、戦場に迷いなど一切ないかのようだ。
──私も、そうなれたらいいのに。そう、ならなきゃいけないのに・・・
でも、どうしても、なれない。
復讐という、アリウス生として絶対的であるはずの目的が、10番の心にうまく嵌まらない。
──魔人様は、何のために戦ってるんだろう。
彼女はアリウス生ではない。
両校への復讐とは無縁のはずだ。
それなら何を目的として、そんなに楽しそうに戦場に立てるのだろうか。
10番は少し俯きながら、絞り出したような声で問いかける。
「あの、魔人様は、何のために戦っているんですか・・・?」
「うん?」
「い、いえ、すみません。ただ私には、ちょっと、もう分からなくなって・・・」
銃の魔人は、不思議そうに小首を傾げた。
「なんでって、そんなのいくらでもあるよ?銃で撃ったり撃たれたりするのは楽しいし、殺せたら嬉しい。それに、色々試したいこともある。悪魔の力も『神秘』も、実戦投入は始めてだからね。すっごくワクワクしてるんだ」
指折り数えながら、銃の魔人はどんどん声を弾ませていく。
「暴れ回って恐怖を集めたいのもあるし・・・。あぁ、あとキヴォトスの最強格!ヒナちゃんと、ツルギちゃんだっけ?ね、10番はどっちがいいと思う?オレ的にはやっぱり──」
銃の魔人は遊びの予定を話すかのように、滔々と語り続ける。
そうして両手の指が全て折られた辺りで、ふと我に返ったようだった。
「あぁ、戦う理由だったっけ?そうだね、一言でまとめると・・・自分がしたいから、かなぁ」
──自分が、したいから。
そんなこと、考えたこともなかった。
なぜならそれは、アリウス生には許されないことだったから。
だけど10番は、ようやく自身の変化に思い当たる。
きっかけはやっぱり、目の前の彼女だ。
いつだって、自分のしたい様に振る舞う。
2年間、すぐ側で見続けたそんな姿が眩しく、感化されてしまったのかもしれない。
「10番はしたいこと、ないの?」
「したいこと、ですか?私には、そんなの・・・」
突然投げかけられた問いに、10番は困惑する。
「別になんだっていいんだよ。思いつくものは、本当に一個もない?」
──自分が、したいこと。
いいんだろうか。
そんなもの、考えるだけでマダムに罰せられるかもしれない。
だけどもし、自分自身の願いを口にしてもいいのなら──
「・・・チョコ、レート」
それは、思わず口からこぼれ出たような願いだった。
銃の魔人と一緒に卓を囲み、そこで食べた個包装のチョコレート。
人生で初めて心の底から美味しいと思えた感動と、口から広がる甘い幸福感は、とても鮮烈だった。
10番はあの日の味も香りも、キラキラと光る包み紙さえも、目を閉じれば昨日のことのように思い出せる。
「チョコレートをまた、食べたいです。今度は私だけじゃなくて、先輩や、他の子達とも一緒に・・・」
あの日は二人だけの秘密として、独占してしまった。
叶うならあの感動を、今度はみんなで・・・。
言葉にしてから10番は、ガスマスクの上から慌てて自身の口を押さえた。
「す、すみません!こんな、くだらないこと・・・」
「え〜、別にいいと思うよ?」
銃の魔人は、何でもないように笑った。
「オレは本当に、銃を撃つ理由なんて何でもいいと思ってる。それが金でも国でも宗教でも、もちろんチョコレートでもね?」
チョコレートをみんなで食べるために、戦う。
本当に、こんな、自分本位な理由でいいのだろうか。
銃の魔人は、押し黙った10番の頭を優しく撫でた。
淡い銀髪は、ところどころ煤で黒く汚れている。
「じゃあまずは、ここを生き残らなきゃね。大丈夫、積極的に暴れるのはオレに任せておいてよ」
もとより、10番が属する部隊の任務は『お姫様』の護衛だ。
こちらから積極的に攻勢をかける必要はない。
周りのようなトリニティやゲヘナへの復讐心では、うまく銃を握れない。
しかし、やりたいことを叶えるまで、既に身を投じてしまったこの戦場で生き残るためになら・・・。
10番は、自身の短機関銃を持ち直す。
何かに縋るようにグリップを強く握る手は、しかしまだ僅かに震えていた。
そんな様子を見た銃の魔人は、少し困ったように息を吐く。
それから左胸のホルスターから携帯していたハンドガンを取り出して、10番に差し出した。
「もしもの時は、これを使いなよ。強化してあるから見た目より威力は高いし、何よりオレへの合図になる。おまえがこれを撃ったのを感じたら、すぐに駆けつけるから、安心でしょ?」
10番は少し躊躇いながら、両手を皿のようにして慎重に受け取った。
無機質な鉄の塊であるはずのそれは、10番には不思議と温かく感じた。
「・・・ありがとう、ございます」
10番は宝物でも扱うかのように、そのままハンドガンを優しく胸に抱く。
手の震えは、もう止まっていた。
銃の魔人は、満足げに頷いた。
「じゃあ、オレはそろそろ行くよ。オレが暴れれば、おまえの所に敵なんて来ないわけだしね」
10番に軽く笑いかけた銃の魔人は、そのまま膝を折って大きく身を屈めた。
「あ、あの!」
「うん?」
「魔人様も、どうか、お気をつけて・・・!」
「・・・ふふっ、うん、ありがとう。お互い、やりたいことをやろう。それじゃあ、また──」
パァンッと空気が割れたような発砲音が、銃の魔人の言葉尻をかき消した。
遅れて衝撃と風が襲い、10番は思わず目を瞑ってしまう。
次に目を開けたとき、銃の魔人の姿はどこにもなかった。
ただ彼女が立っていた地面だけが、深く抉られたような跡を残していた。
※※※※※※
とてつもない速度で、銃の魔人の周りの景色が後ろに引き剥がされていく。
視界の中心だけが鮮明で、それ以外は線のように引き伸ばされ、滲んでいた。
先ほど地面を蹴って発動したのは、ゴルコンダに『テクスト』として見出された悪魔の能力の一つ、『銃弾のような高速移動』というものだ。
速度を上げすぎると、空気との摩擦で肉体が焼け焦げるから注意が必要だ。
先ほども加減に気をつけて、4割程の力で自身を発射した。
純粋な悪魔の状態であれば、あの巨躯で射線上の人も建物も全てを巻き込んで、これだけでたくさん殺せたのかもしれない。
しかし魔人の状態では、自傷のリスクがあるピーキーな移動能力に留まっている。
戦場に一筋の線を描くようにかっ飛ぶ銃の魔人は、耳元でゴウゴウと渦巻く風切り音を聞きながら、 10番との会話を思い返していた。
──もし今、ベアトリーチェの実験が行われたら、地獄の扉が開くのは10番の頭上かもしれないな。
ベアトリーチェは2年前、恐怖を呼び水にキヴォトス外の存在との接触を試みる実験を行った。
その結果、銃の魔人がこの世界に招かれた。
恐怖の源は、10人のアリウス生だ。
死ぬ寸前まで痛みつけられた彼女たちは、10番ただ一人を除いて、全員が今もベッドの上で、虚な目を半開きにしながら譫言を吐いている。
しかしそこまでやってなお扉は、あの日アビドス砂漠で倒れ伏した梔子ユメの頭上で開いた。
理由は純粋に、恐怖の大きさだ。
梔子ユメには、叶えたい願いがあった。
アリウス生にはそんなものはなく、死は安らかな救済だった。
人間は死そのものではなく、願いが潰えることに恐怖する。
だから、アリウス生10人の死への恐怖を、梔子ユメただ一人の恐怖が凌駕したのだ。
──でも、今ならどうだろう?
10番には、やりたいことができたらしい。
大切な先輩や仲間達と一緒に、チョコレートを食べたい。
そんなささやかな願いを、禁忌でも犯すように小さな声で口にした10番は、とてもいじらしかった。
もしその願いが道半ばで終わるとしたら、10番はどんな顔をするだろう。
梔子ユメと同じような強大な恐怖で、こちらを満たしてくれるだろうか。
10番の、震えた指先を思い出す。
今日、10番は生まれて初めて、正しく死を恐れたのだ。
将来、それがもし銃によって与えられるのなら、なんて素敵だろう。
芽吹いたばかりの若葉を手折るような想像に、銃の魔人は背筋をゾクリとさせた。
悪魔にとって恐怖は、チョコレートよりも甘い。
──いやいや、まだ早いよね。
恐怖の大きさは、挫かれた願いの大きさに比例する。
10番の中でもっと大きく願いが花開くまで、もう少し寝かしておくべきだろう。
その方が、きっと美味しくなる。
お楽しみに高揚する気持ちを抑えながら、銃の魔人は目の前の餌に集中することにした。
視界の先に、軍帽を被った制服姿の一団が見える。
ベアトリーチェから渡された資料にあった、ゲヘナの風紀委員会だろう。
銃の魔人は、その内の一人に狙いを定める。
体を地面と平行にして飛びながら、顔の前で腕をクロスさせて、勢いそのままに突っ込んだ。
標的にされた生徒は横殴りに吹き飛び、銃の魔人と共に建物へと激突する。
重厚なレンガ造の壁が内側から爆ぜるように弾けて、耳鳴りが残る程の崩壊音を響かせた。
「な、なんだあっ!?」
「砲撃!?みんな、周囲を警戒しろ!」
着弾した銃の魔人は、床に倒れ伏したまま周囲を見回した。
衝突した生徒は部屋の奥まで跳ね飛ばされ、そのまま気絶していた。
銃の魔人は立ち上がろうとして、両腕の肘から先が動かないことに気がついた。
激突の衝撃で、こちらの腕の骨も折れたようだ。
「お、お〜い!大丈夫か!?」
吹き飛んだ仲間を心配したのだろう。
風紀委員会の生徒の一人が、崩れた壁の向こうからこちらを覗き込む。
辺りを包む土煙で、屋内の様子は分からないようだった。
銃の魔人は脚力だけで跳ね起きて、こちらを伺う生徒の首元に齧り付いた。
そのまま両脚を相手の腰に絡め、重心を使って地面に押し倒す。
顎に力を込めて皮膚を食い破ると、口の中に生暖かい血が広がる。
ガスマスクの口元だけ開けておいたのは、このためだ。
「ぎ、ぃっ!?な、なんだお前!!何して・・・っ!?」
血を飲んで回復した右手の人差し指を胸に押し当て、ゼロ距離で発砲する。
銃の魔人の耳元で騒ぎ立てていた声は、それで聞こえなくなった。
ゆらりと立ち上がった銃の魔人を、ゲヘナ生達が困惑した様子で取り囲む。
その中の一人が、虚勢を張って殊更大きな声で問いかけた。
「お、おいっ!!お前、何者だ!?」
銃の魔人は待ち構えていたかのように、気色ばんだ声で答える。
「オレは、銃の魔人。よ〜く、覚えていってね」
にっこりと微笑んだ口元は、血に濡れてぬらぬらと輝いていた。
お久しぶりです。
長い間更新が空いてしまい、申し訳ございません。
これからまた、少しずつ更新していく予定です。
楽しんでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。