ユメ先輩(銃の魔人) 作:虎3
「う〜ん、今日も空気が美味しいねぇ」
銃の魔人は寝ぼけ眼を擦りながら、大きく深呼吸をした。
全開にした窓から、朝の底冷えするような空気が入り込み、胸を満たす。
外では朝靄が街を覆い、石畳を冷たく濡らしている。
空は重たい鈍色で、そこで暮らす人々を上から押さえつけているようだった。
ベアトリーチェが支配する領地──アリウス自治区。
吹き溜まりのような濃い恐怖と、香ばしい硝煙の香りを感じる。
耳を澄ませば啜り泣きが聞こえてきそうなこの陰鬱さが、とても好ましかった。
銃の魔人はここで、とても素晴らしい生活を送っていた。
例えば、食事一つとってもそうだ。
コンコン、と控えめなノックが響く。
軽く返事をして中に通した。
「魔人さま、おはようございます。朝食に参りました。本日はいかがいたしましょうか。」
「おはよう、今日は血が飲みたいな。右腕を出して」
ドアの向こうから、アリウスの生徒が現れる。
彼女はその言葉を受けて、右の袖を肘上まで捲った。
銃の魔人は、あくび混じりに大口を開け、彼女の前腕に齧り付いた。
ぷつり、と歯で皮膚を噛み破る感触が心地いい。
温かい血が、じんわりと口に滲む。
銃の魔人は、それを舌で転がすように味わいながら、ゆっくりと飲み込んでいった。
やっぱり、若い女の血は美味い。
当分の拠点をこのアリウス自治区に決めて、正解だった。
美味い食事も、心躍る戦闘も、強くなるための知識も、銃の魔人はある程度自由にできていた。
寝起きで少しざらついた喉を潤しながら、ここに来たばかりのことを思い出した。
握手を交わしたあの日、銃の魔人とベアトリーチェはいくつかの取引を交わしている。
一つ目は、この血だ。
魔人は、人間の血が大好きだ。
単に食事としての好みもあるが、もちろん実利的な意味もある。
魔人は半分不死身のような存在で、怪我を負っても血を飲むだけで回復することができる。
その回復力は凄まじく、たとえ四肢を欠損したとしても、十分な量を飲めば再生する程だ。
銃の魔人がベアトリーチェに差し出したのは、左手の人差し指だった。
切り落としたその指は、その場で生徒の血を飲み、即座に再生している。
彼女は、実演してみせたその再生能力や、恐怖で力を増す特性に強い興味を持ったようだった。
それに対するベアトリーチェは、意外と気前がよかった。
この自治区で生活する上でのお世話役も兼ねて、自由に血を飲んでいい10人の生徒を寄越してくれた。
彼女たちは皆んな、ベアトリーチェの実験に使用された生徒である。
それは、『色彩』と呼ばれるキヴォトス外の存在との交信を試みるもので、何の因果か悪魔が暮らす地獄へと繋がった。
──そうして、オレがキヴォトスに現れた。
銃の魔人は口元の血を指で拭って、ペロリと舐めた。
「たしか、10番だったね。お前の血が一番美味しいよ。やっぱり、起きて動けているからかな?」
「はい、ありがとうございます」
銃の魔人は与えられた彼女らを、1〜10の番号で呼んでいる。
しかし会話が成立するのは、この10番の生徒だけだ。
他の9人は寝たきりか、意識はあっても宙を見つめて譫言を呟くばかりだった。
ベアトリーチェはキヴォトス外の存在を招くために、『恐怖』を呼び水にしたらしい。
曰く、人間は『死』に直面した時に大きな恐怖を生み出す。
きっと、その通りのことを10人の生徒にしたのだろう。
拷問か何かの手段で死の間際まで痛みつけ、死の足跡が迫る恐怖に身を晒し続けた。
その結果出来上がったのが、正気を失った1〜9番と、この10番だ。
「他の子たちは、ジュースサーバーとしては優秀なんだけどね。どうにも血がドロドロしてるというか、やっぱり運動は大事だよね」
「はい、仰る通りです」
もっともこの10番も、きっとどこかが壊れている。
表情は貼り付けたお面のように変わらず、声色も一定で人間味がない。
本当はもう死んでいるのに、そのことに気づかず動いている人形みたいで、何だか滑稽だった。
──まあ、別になんでもいいけどね。
悪魔は基本的に、人間が嫌いだ。
銃の魔人も例に漏れず、人間は苦しんで死ぬべきだと思っている。
そして、その苦しみや恐怖を与えるのが銃であるなら、最高だ。
このキヴォトスでも、ぜひそうしたい。
そのために、やはり銃の性能を向上させなければいけない。
「本日も、演習場に向かわれますか?」
10番がたくし上げた袖を元に戻しながら、メモを読み上げる機械音声のように告げる。
銃の魔人が噛んだ部分はそのままで、下ろしたシャツに赤いシミができていた。
「うん、夜も頼むね。今日は3・・・いや、5番あたりがいいかなぁ」
「準備いたします」
変わらぬ表情と抑揚でそう告げて、抜け殻のような少女は一礼した。
※※※※※※
「そこ、目線を切らすな!常に相手を視界に入れろ!」
教官役である生徒が、怒声を上げる。
長い黒髪をたなびかせながら、キャップの奥の冷たい目で演習の様子を睨みつけている。
今は、5人で1人のターゲットを狙うゲリラ戦の演習中だ。
5人の生徒はそれぞれ銃を握ってはいるが、まだ慣れていないのだろう。
端々で、取り回しに未熟さが垣間見える。
銃の魔人はターゲット役として、その演出相手を務めていた。
銃弾をその身に受けながら、合間合間で適当に反撃をする。
さて、ベアトリーチェとの取引の二つ目は、生徒との戦闘だ。
銃の魔人はこのキヴォトスの戦場で、『神秘』がどのように機能するのかを知りたかった。
ベアトリーチェも、たかが訓練で生徒を消耗するのは効率が悪いのだろう。
銃弾が効かない演習相手、というのは損がない交渉材料だった。
──この自治区は、きっと戦争をするための準備をしている。
黒服に連れられてここを訪れた時、その様子に興奮した。
建物の破壊痕や、散見される穴だらけの的が、訓練の激しさを物語る。
領地全体が殺伐とした空気で満ちていて、それは恐怖政治で統制された軍隊の駐屯地のようだった。
黒服はこのキヴォトスでも、戦争の火種はあちこちで燻っていると言っていた。
ここもその一つなのだろう、銃の魔人はそれに便乗したかった。
──戦争は、銃の性能を飛躍的に高めるチャンスだからね。
ベアトリーチェと手を結んだのも、戦争の気配を感じた部分が大きい。
実際に彼女と話す中で、その予想は確信に変わった。
アリウス自治区は、トリニティとゲヘナという学園に、激しい憎悪を抱いている。
その背景に興味はないが、このキヴォトスではかなり巨大な学園らしい。
いつか、その二つを制圧するために、大きな戦争を起こす。
ここはそれを軸に統制され、日々、戦闘技術を磨いている。
演習相手の生徒が、こちらに発砲する。
銃の魔人は、頭で銃弾を受けながら、にんまりと笑った。
──本当に、楽しみだなぁ。
その時までに可能な限り銃の性能を高めて、ぜひ戦場で試したい。
そのために重要なのは、やはり『神秘』だ。
相手の一人が、銃のリロードを試みる。
まだ手元が覚束ないのだろう、致命的な隙が生まれた。
銃の魔人はハンドガンで、その眉間を撃ち抜いた。
「いっっっ!?」
その生徒は衝撃で大きく後退り、痛みに震えて蹲る。
教官役が声を荒げた。
「やっぱり、硬いなぁ・・・」
銃の魔人は、右手でハンドガンを弄びながら、半ば呆れたように呟いた。
黒服によると、『神秘』は様々な機能を有する。
それは今のように体を頑丈にしたり、武器を強化したり、思いもよらない奇跡のような事象を引き起こしたりするらしい。
──そう、『神秘』は武器を強化する。
銃の魔人の目標は、銃を生徒を殺し得る武器として恐れされることだ。
そのために、今の威力では足りない。
生徒の強靭な身体に対抗するために、『神秘』による銃の強化をしていきたい。
だからここでの戦闘を通して、『神秘』の攻撃面の機能を知る必要がある。
これは生徒との戦闘を重ねる中で、徐々に確信しつつあった。
特に実力上位の生徒相手だと、その実感は顕著だ。
そして今日の最後は、そんな検証におあつらえ向きの相手だった。
アリウス自治区の中でも指折りの実力者で編成された特殊部隊──アリウススクワッド。
先ほどまで教官役を務めていた生徒が、演習相手として接近してくる。
射線が通らないように遮蔽物を利用しながら、とても素早い。
目まぐるしく位置を変えながらも、こちらに向けるアサルトライフルの照準は正確だった。
銃の魔人は身を捻り、その銃撃を左肩で受ける。
瞬間、着弾地点から爆発したような衝撃が身を襲った。
──不思議なのは、これだ。
この自治区の生徒は、皆んなアリウス製の銃火器を使用している。
銃は同じ型式であれば、誰が引き金を引こうと威力は変わらない。
もちろん、個人でカスタムしている生徒もいるだろうが、それだって限度がある。
そもそもカスタムは、狙いやすさや、扱いやすさのためであり、銃の威力そのものを向上させるものではない。
だからあのアサルトライフルと弾丸で、こんな威力が出るのはおかしな話だった。
衝撃で一瞬止まった足を見逃さず、スナイパーが側頭部を撃ち抜いた。
銃の魔人に、銃撃が効かないことは周知している。
それでも迷いなく頭を狙うとは、随分と図太い性格をしている。
──今のスナイプも、すごい威力だったな。
他の生徒が引き金を引いた時よりも、特に銃弾の貫通力が段違いだった。
遮蔽物の一つや二つなら、簡単に射抜けそうだ。
お返しに、狙撃された方向に人差し指を向ける。
そのまま2発ほど牽制を放った。
「うわぁ〜ん!やっぱり全然効いてないですぅ!」
銃撃は相手が構えていた高台の縁を削ったようだ。
スナイパーは慌てて狙撃ポイントを変えようと、死角を縫うように移動した。
この自治区が誇る最強部隊と戦い、銃の魔人は確信した。
つまりこれが、攻撃における『神秘』の機能だ。
鉄の機構と火薬の炸裂によって生じるものだけではない。
そこに、このキヴォトス特有の『神秘』による効果が合わさって、銃の威力を決めている。
それは例えば、爆発や貫通のような属性を銃撃に与えるものだ。
同じ銃弾でも、使い手の神秘によって徹甲弾や榴弾のような効果が乗せられるなら、それは素晴らしい機能だった。
──問題は、その使い方が分からないことだよねぇ。
銃撃は意味がないと再認識して、白髪の少女が接近戦を仕掛けてくる。
アサルトライフルの銃底で、こちらを殴打する。
小柄ながら、その動きはとても鋭い。
迫り来る攻撃をいなしながら、銃の魔人はため息を吐いた。
『神秘』の力は欲しい。すごく欲しい。
しかし、今まで無縁であったその概念をどうすれば得られるか、銃の魔人には分からない。
「お前たち、ベアトリーチェがどこにいるか知ってる?」
誰からも、返答はなかった。
この自治区の生徒は、コミュニケーションに乏しい。
ベアトリーチェには、左手の人差し指を提供してある。
銃の魔人の持つ力の研究をするらしい。
それなら、この身体の『神秘』について、何か知っていることもあるのではないか。
殴打を躱された白髪の少女は、後方に退避したようだった。
すると頭上で花火が上がったみたいに、辺りがパッと明るくなる。
アリウススクワッドの誰かが放ったのだろう、頭上で多弾頭ミサイルが爆ぜて、その子弾が地上に降り注いだ。
──バシリカあたりに居ればいいんだけどな。
光に目を細めながら、銃の魔人はベアトリーチェに聞くべきことを考えた。
※※※※※※
以前来た時と変わらず、バシリカには荘厳な雰囲気が漂っている。
やはり目立つのは、最奥の大きなステンドグラスだ。
周囲の割れたガラス窓や、転がった瓦礫に反して、これだけが鮮やかな光を放っている。
唯一絶対なベアトリーチェと、ボロボロに使われる生徒たち。
目の前の景色は、このアリウス自治区の縮図のようだった。
ステンドグラスには、極光を背負ってこちらに手を広げる、花のような怪物が描かれていた。
どことなく、ベアトリーチェと色合いや雰囲気が似ている。
彼女は『色彩』の力を借りて、より高次の存在へ昇華したいと語っていた。
それがこの、異形の姿なのだろうか?
「これは、撃ち殺せるかなぁ.・・・」
銃の魔人は、最強の武器を目指している。
拳よりも刀よりも弓よりも、その他あらゆる存在を押し除けて、銃が最強の武器であると証明したい。
その過程で、キヴォトスではこんな怪物が障害になることもあるかもしれない。
来るべき時のためにも、『神秘』による性能の向上は急務だった。
コツコツ、と後ろから靴音が聞こえる。
白いドレスを引きずりながら、赤い肌の彼女がこちらに近づいてくる。
場所も相まって、その姿はバージンロードを歩くようだった。
ベアトリーチェは自分の隣に並んで、同じくステンドグラスを見上げた。
「聞きたいことがあると、伺いましたが」
「『神秘』について、教えてよ。何か手伝うことがあれば、協力するからさ」
3つ目の取引は、この情報だ。
銃の魔人はベアトリーチェに協力する代わりに、彼女は求める情報をこちらに提供する。
血や戦闘の定まった取引とは違い、これはその都度交渉することになっている。
互いが求める内容によって、言い値の取引というやつだ。
「オレはどうすれば、『神秘』を扱えるようになる?」
「正直、あなたの存在については未知の部分が多いです。そもそも身体は生徒のもので、本来『神秘』を宿しているはずですが・・・」
銃の悪魔が乗っ取った死体、梔子ユメ。
学生証を持っていたことから、彼女が生徒であることは確かだ。
死んだ時に、『神秘』も身体から抜け落ちたのだろうか。
それなら、それを戻す手段もあるかもしれない。
あるいは、未だ身体に残っていても、使えていないだけ?
銃の魔人は腕を組んで、ぐるぐると考えを巡らせていた。
ベアトリーチェは扇で口元を隠しながら、その様子を見て小さく笑ったようだった。
「今、他のゲマトリアに研究を委託しているところです。何か分かればその時に、あなたへの依頼内容もお話ししましょう」
ベアトリーチェの本質とは、きっとこれなのだろう。
世界を自分と、自分が使うもので認識している。
生徒は、搾取すべき消耗品として。
ゲマトリアは、技術の提供者として。
それなら、彼女にとってオレはなんだろう?
もちろん、あたりに転がる瓦礫のようになるつもりはない。
何ならここでやりたいことが済んだら、そのステンドグラスごと撃ち砕いてやりたかった。
ベアトリーチェの本質は支配だが、銃の魔人は自由を愛している。
だけどおそらく、袂を分つのはしばらく先のことだろう。
ここで得られる血や戦闘、情報は手放すには惜しい。
将来戦争を企てていることも、かけがえの無い魅力だった。
「いいね、楽しみにしているよ」
銃の魔人はベアトリーチェの横顔を覗きこんで、にっこりと笑った。
互いに利用価値がある限り、今のところ二人は仲良しだ。