ユメ先輩(銃の魔人) 作:虎3
「奇跡なんて起きっこないですよ、先輩」
声が、聞こえる。
「そんなもの、あるわけないじゃないですか。それよりも現実を見てください!」
黄と青のオッドアイが、正面から自分を睨みつけている。
「こんな砂漠のド真ん中に、もう大勢の人なんて来るはずがないでしょう!?夢物語もいい加減にしてください!」
その通りかもしれない。
実際、そんな砂漠のド真ん中で、梔子ユメは死んだのだから。
「そうやってふわふわと、奇跡だの幸せだの何だの・・・。もっとしっかりしてください!あなたはアビドスの生徒会長なんですよ!?もう少し、その肩に乗った責任を自覚したらどうなんですか!」
破かれたポスターが、ヒラヒラと彼女の手元から溢れていく。
もうどうしたって、元に戻ることはないのだろう。
乱雑に教室の扉が開かれて、彼女が走り去っていく。
オレはそれを追うこともできず、その後ろ姿を見つめていた。
銃の魔人は、彼女に教えてあげたかった。
幸せはよく分からないけれど、奇跡は現実に起こり得るものだ。
──オレが、こうしてキヴォトスにいるように。
瞬間、足元がグラリと崩れる。
世界が波打つように歪み、見える景色が狭まっていく。
これは、梔子ユメの・・・
テレビの電源を切るように、プツンと映像はそこで終わった。
※※※※※※
「んぇ・・・今のは・・・」
銃の魔人は、自室のベッドで目を覚ます。
寝ぼけ眼を擦りながら体を起こし、大きく伸びをした。
そうして徐々に覚醒していく頭で、演習から帰った後、しばらく昼寝をしていたことを思い出した。
窓の外には、夜の帳が下りていた。
差し込む月明かりが、部屋の輪郭を青白く照らしている。
今見た夢は、この体の記憶だろうか。
砂漠で遭難して死に至り、こうして悪魔に体を乗っ取られた梔子ユメの、生前の記憶。
それなら、夢に出てきた少女はおそらく・・・
思考を巡らせていると、コンコンと控えめなノックが響いた。
「あの、魔人さま、ご飯の準備ができました。ただ、本当に私も食べていいんですか?あんな豪勢な・・・」
ドアを開けると、落ち着かない様子で10番が立っていた。
ベアトリーチェの実験により死に瀕した10人の生徒、その中で唯一正気を保っていたのが彼女だ。
他に比べて、精神力とか『神秘』とか、そういうものが強かったのかもしれない。
10番の頭を軽く撫でてから、一緒に階段を降りていく。
ストレスは、血液をドロドロにするらしい。
この劣悪な環境で少しでも血を美味しくするため、10番には見かけ上優しく接することに決めていた。
その甲斐あってか、出会った頃の人形のような無機質さは薄れている。
約1ヶ月も経った今では、ある程度の感情表現をしてくれるようになった。
リビングのダイニングテーブルには、肉やパンなど、このアリウス自治区では滅多に見かけない食べ物が並んでいる。
美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、寝起きの身体が空腹を訴えた。
外から来るゴルコンダとデカルコマニーには、お使いをお願いしていた。
実験の成果に満足していたのだろう。
二つ返事で了承してくれた彼らは、日持ちするパンやハム、チーズ、チョコレート等を紙袋に詰めて持ってきてくれた。
しかし、どうやって買ってきたんだろう。
異形の二人が普通に買い物する姿が思い浮かばなくて、何だか面白かった。
「さあ、席に着いて。オレもお腹減ったし、一緒に食べようよ」
銃の魔人は、そう促して笑いかける。
10番はまだ戸惑った様子で、それでも嬉しそうに小走りで席に着いた。
淡い銀髪には、ところどころ煤のような汚れが目立っている。
10番は生徒同士の演習にも復帰し、銃の魔人に関すること以外は、普通のアリウス生と変わらない生活をしていた。
適度な運動と、美味しい食事。
血を美味しくする手段はたくさんある。
このアリウス自治区での素敵な暮らしのためにも、10番には健康でいてほしい。
まあ、それを抜きにしても今日は特別だ。
銃の魔人は10番に、おそらく彼女にとって辛いことを聞くつもりでいる。
少しでもそのストレスが減るように、そしてささやかな報酬のつもりで、こうして食べ物を手配した。
──もちろん、オレが食べたかったのもあるけどね。
ここでは、まともな食べ物を口にすることはできない。
唯一美味しいのは生徒の血だけで、他は酷いものだった。
銃の魔人は舌なめずりをして、目の前のパンに齧り付いた。
※※※※※※
「こんなに美味しいものを食べたのは、初めてです・・・」
10番は頬袋を膨らませながら、噛み締めるように呟いた。
「ふふっ、オレもだよ。おまえの血以外で、こんなに満足できる食事は初めてだったなぁ」
テーブル越しに見るその顔が、街で見かけるネズミみたいで、銃の魔人は小さく吹き出すように笑った。
並べられた食事は、皿を舐めたように綺麗に食べ尽くされていた。
銃の魔人は、食後のチョコレートを口に放り込み、舌の上でゆっくりと溶かしていく。
纏わりつくような粘っこい甘さが広がり、脳がふわふわした。
口の中に詰め込んだものをようやく飲み込んだ10番は、気づけば肩を震わせていた。
目から溢れた雫がぽたぽたと、テーブルに痕を付けていく。
「私、初めて、生きていてよかったって・・・思いました・・・」
銃の魔人は身を乗り出し、指で10番の涙を拭って舐め取った。
飲み慣れた血と同じ体液なのに、しょっぱくて全然違う味がする。
「あの日、実験で生き残った時には、そう思わなかった?」
「・・・っ!」
10番は顔を強張らせて、息が詰まったようだった。
「嫌なことを思い出させて、ごめんね。でも少し気になることがあって、できる範囲でその時のことを教えて欲しいな」
テーブルの上に乗せられた10番の手が、小刻みに震えている。
銃の魔人はそこに自身の手を重ねて、できるだけ人好きのするような笑みを浮かべた。
銃の魔人が聞きたかった本題は、これだ。
ベアトリーチェがキヴォトス外の存在と交信するために行った実験。
それは恐怖を呼び水とするもので、その発信源に彼女を含む10人のアリウス生徒が使われた。
恐怖を抽出するために、その生徒たちは随分酷い目にあったという。
それは死に瀕するくらい、徹底的なものだった。
その結果、銃の悪魔がいた地獄と繋がる扉が開かれた。
しかしここで、気になることが一つある。
──どうして、扉がアリウス自治区ではなく、アビドス砂漠で開いたんだろう。
正確には、梔子ユメの頭上で。
銃の魔人は、その辺りの理由について、ある程度の予想を立てていた。
そしてそれは、梔子ユメの『神秘』を利用するための重要な要素になると考えている。
その真偽を確かめるために、実験について詳しく知る必要があった。
10番はじっとテーブルを見つめ、しばらく押し黙っていた。
しかし何か決心するように強く目を瞑ると、やがて訥々と話し始めた。
「あの日のことを、はっきりと覚えている訳じゃないんです。どんなことを、どんなふうにされたかは、分かりません。ただ本当に、痛くて、怖くて、寒くて・・・。お腹も、すごく減っていたと思います。そうしてどんどん、身体の感覚がなくなって、意識も、そして・・・」
「・・・そして?」
「あぁ私は本当に、ここで死んじゃうんだって・・・」
10番は重ねられた銃の魔人の手のひらを、ぎゅっと握った。
銃の魔人には、人間の慰め方など分からない。
内心ため息を吐きながら、仕方なくその手を握り直した。
本当に聞きたいことは、この先にある。
「その時、どう思ったの?」
「どう、ですか・・・?」
10番はまたしばらく下を向いたまま、口をつぐんだ。
「・・・最初は、ずっと、すごく怖かったんです。だけど、最後は・・・」
やがて、10番は誰にも言えない秘密を打ち明けるように、掠れた声で小さく続けた。
「最後は・・・、これでやっと、終われるんだって・・・」
あぁ、やっぱり。
このアリウス自治区の生徒は、そうなんだろう。
「ごめんなさい・・・。私は、きっと、どこかで、死んでしまいたかったのかも・・・しれません」
──『全ては虚しい。どこまで行こうとも全ては虚しいものだ』
このアリウス自治区の基本的な教えであり、全ての生徒に刷り込まれている諦観の言葉。
銃の魔人がこれを始めて聞いた時、何て殺し甲斐がない人間達なんだろうとガッカリした。
どうせ撃ち殺すなら、終わりに絶望して、のたうち回って死んでほしい。
念願叶ったように満足して死なれたら、まるで相手の思惑通りのようじゃないか。
きっと実験で死に瀕した10人のアリウス生徒も同じだった。
全ては虚しいなんて諦めている人間にとって、死は安らかな救済なのだろう。
それならあの時、キヴォトスで真に恐怖を抱いていたのは・・・。
自身が今こうしてここにいる経緯を、ようやく銃の魔人は理解した。
残りのチョコレートから一つ、包装紙を広げる。
そのままそっと、涙ぐむ10番の口に押し込んだ。
「もう充分だよ。辛いことを話してくれてありがとう」
口の中を満たす甘味に目をパチクリさせながら、10番は安心したように頷いた。
「オレはやることがあるから、もう部屋に戻るね。あぁ、残りのチョコレートは食べちゃっていいよ」
食事も終わり、答えも得た。
銃の魔人は、やおら椅子から立ち上がって自室への階段に向かう。
「あ、あの!これ、先輩とか他の子達にも分けていいですか?」
銃の魔人は立ち止まり、振り返る。
そして、人差し指を口元に当てながら、内緒話をするように呟いた。
「今日のことは、二人だけの秘密だよ。特におまえは周りから、怪物の世話を任された可哀想な子として扱われた方がいい」
周囲の同情は、身を守る盾にもなる。
一人だけ美味しいものを食べていたと顰蹙を買うよりは、よっぽど賢いだろう。
「それにおまえには、ちゃんと栄養を取ってもらわないとね」
今日の食事に負けないくらい、美味しい血を蓄えてもらわなければ困る。
「は、はい!分かりました・・・!」
10番は罪悪感に口を歪めながらも、どこか嬉しそうに頷いた。
この反応は何なのだろう。
やっぱり、人間の感情はよく分からない。
銃の魔人は小首を傾げながら、踵を返して階段を登る。
後ろからまた一つ、カサカサとチョコレートの包み紙を広げる音が聞こえた。
※※※※※※
目の前で、梔子ユメが微笑んでいる。
鏡越しに見つめるその姿は、生前と変わらないものだろう。
銃の魔人は自室に戻り、備え付けられたドレッサーの前に腰掛けていた。
眉間に力を入れて、皺を寄せる。
鏡の中の梔子ユメも、同じようにキュッと眉を寄せて睨むようにこちらを見た。
この身体は、既にほとんどを掌握している。
足りないピースは一つだけ。
この身体にあって、銃の魔人にないもの──すなわち、『神秘』。
ずっと、どうすれば『神秘』を使えるようになるかを考えていた。
重要なのは、『契約』だ。
銃の魔人は梔子ユメに向かって手を伸ばす。
梔子ユメも同じようにして、鏡を境に互いの手が合わさった。
鏡面の死人のような冷たさを感じながら、銃の魔人は問いかける。
「ねぇ、梔子ユメ。道半ばで死ぬのは、どれだけ恐ろしかったのかな?」
人生を諦めている人間と、叶えたい願いがある人間。
死に瀕した時、より恐怖を感じるのはどちらだろう。
あの日に限れば、答えは後者だった。
アリウス自治区で行われた実験にも関わらず、梔子ユメの頭上で扉が開いたのは、そういう理由だ。
過酷な環境で全ては虚しいと諦めて、迫る死が救済にも感じられたアリウス生徒、その10人の恐怖。
強く叶えたい願いがあるのに、死によって全て潰えた梔子ユメ、ただ1人の恐怖。
より強大な恐怖に惹かれて、あの日地獄の扉は砂漠に開いたのだ。
銃の魔人は、人間の感情について大事なことを学んだ。
人間は、死そのものを恐れるのではない。
やりたいことがあるのに、それを果たせず終わることに恐怖するのだ。
もし、自分なら?
銃を最強の武器だと証明する、という願いを果たせず死に、地獄に叩き戻されたならどうだろう。
「あぁ・・・、それは悔しい。嫌だなぁ」
怖い、とは言わない。
その言葉を最も集めるのは、銃であるべきだから。
しかし、その可能性だけで背筋に冷たいものが走る。
耳の奥で、死神の足音のようにブゥンとエンジン音が響いた。
銃の魔人は一度身体をぶるりと震わせてから、苦笑する。
──うん、やっぱりオレは、最強になりたいな。
最強の武器とは、誰でも人を殺せる武器だ。
銃の価値が貶められたこのキヴォトスでそうするためには、色々な策や時間が必要だろう。
その途中で、終わることがないように。
ゴルコンダとデカルコマニーに宣言した通り、死人が出ないキヴォトスでの戦闘という枠内で、まずは最強になりたい。
だから今日、銃の魔人は梔子ユメと『契約』を結ぶ。
『契約』は、悪魔と人間の間で交わされるものだ。
それはとても強固なもので、守れなかった側は死に至る。
本来、魔人の状態で『契約』を交わすことはできない。
しかし今回の願いは、まだ自分が悪魔として存在した時に投げかけられたものだ。
加えて、顕現した際に剥がれ落ちた悪魔としての肉体は、いまだアビドス砂漠に散らばっているだろう。
今のオレは悪魔としても、魔人としても、このキヴォトスに存在している。
ならばきっと、『契約』だって交わせるはずだ。
『ホシノちゃんと一緒にアビドスを復興したい』
梔子ユメの願いは、キヴォトスに通じる扉を潜った際に聞いていた。
あまりに平和的で、まさか自分に対して願ったわけではないだろうと、気に留めてなかった。
それは、10人の生徒を凌駕するほどの恐怖を抱かせた、強く切なる願いだ。
死してなお、この肉体に刻み込まれている。
それが今、ゴルコンダに『テクスト』として見出され、目の前に存在している。
契約書は既に渡されていて、あとは署名をするだけだった。
銃の魔人は、鏡越しの梔子ユメに語りかける。
「梔子ユメ、おまえの願いを叶えてあげる」
それはゆっくりと優しい口調でありながら、どこか浮き足立っているようだった。
「その代わり、おまえの全てを捧げてよ」
『神秘』も、何もかも。
そうすれば愛しのホシノちゃんと一緒に、アビドスを復興してあげるから。
銃の魔人が自身の願いを叶えた時、その手には圧倒的な武力があるはずだ。
だってそれは、このキヴォトスでは稀有な人を殺す力なのだから。
武力があれば、大抵の願いは叶えられる。
キヴォトス中の学園を潰して、アビドスで統一してしまってもいい。
銃の魔人は椅子に座り直し、目を閉じる。
そうして改まった口調で、梔子ユメのつもりで返事をした。
「はい、私の全てを差し出します」
何だか子供の人形遊びのようで、吹き出しそうになる。
だがこれで、空欄だった契約書の署名欄に、互いのサインが記された。
キィン、と頭上のヘイローが産声のように白熱する。
砂漠に散らばった悪魔としての肉体が、遠くで同じく熱を帯びて震えたのを感じた。
銃の魔人は目を開けて、鏡に映る自分を見つめる。
見た目に、特段変化は見られない。
しかし、目の前の存在が梔子ユメではなく、正しく自分なんだと実感が強まった気がする。
まるで、世界の解像度が上がったようだ。
どこかを走る鼠の足音だとか、夜の寒々しい空気だとか、あらゆるものが以前より近く感じられる。
自分と世界との間にあった曇りガラスが、取り払われたような感覚だ。
『神秘』を得たことで、キヴォトスの存在として馴染んだのだろうか。
「あ〜あ、早く明日にならないかなぁ」
銃の魔人は両手を顔の前に上げながら、感触を確かめるように握っては開いてを繰り返した。
本当に『神秘』を手に入れられたのか。
試したいことが山ほどあった。
銃の魔人はふと、先ほど見た夢の内容を思い出す。
梔子ユメの、おそらく生前の記憶だ。
あの小柄な少女が、きっとホシノちゃんなのだろう。
──現実を見てください!
そうホシノちゃんは言っていた。
ならば、オレはそうしよう。
思惑通りにこの『契約』で『神秘』を使えるようになったとして、その後の現実的な計画を考える。
まずは、キヴォトスの規格内で最強になろう。
その頃には、ある程度のわがままを通せるようになるはずだ。
その後、銃を人を殺せる武器として強くしたい。
まだ具体的な策は決まっていないが、幾つか候補があった。
例えばこのアリウス自治区では、ヘイローの壊し方が教えられているらしい。
きっとキヴォトス中から、ものすごい恐怖が集まる。
そうなれば、もう無敵だ。
そうして得た武力を用いれば、キヴォトス征服も容易いだろう。
自身の願いを叶えた証として、そこにアビドスの旗を立ててやればいい。
ホシノちゃんも、梔子ユメと同様にアビドス復興を目指していた。
であるならば、きっと喜んで協力してくれるはずだ。
だって現実的に考えれば、武力以外であの砂漠地帯を復興する手段なんてないのだから。
「ふふっ、ホシノちゃん。いつか、強くなって会いに行くからね」
梔子ユメの願いは、こうして銃の魔人のシリンダーに収められた。
他人の願いを叶えるために、自身が使われるのではない。
自身の願いを叶えるために、他人の願いを使うのだ。
聞き入れる願いを選ぶことも、その叶え方も、本来悪魔に許された自由だろう。
血と恐怖に塗れたキヴォトスを夢に見て、銃の魔人は口角を上げる。
鏡に映ったその表情は、およそ生前の梔子ユメが浮かべることはなかっただろう、そんな邪悪な笑みだった。