尊たちが地獄を物理的に経験している頃。
鴉羽灯は困ったと呟いた。
「本が拗ねちゃった」
まるで状況に対して反応しようとしなかった。困ったなあ、と想いながら本を開く。だが灯はその中に文字を1つも見いだせなかった。しかし灯の視線は―――透明感のある一筋も濁りを見せない瞳は的確にその本質を見抜いていた。
「お兄ちゃん以外に使われるのが嫌なんだね。我儘な子」
「そこの死神妹よ、秘策はどうにかなりそうか?」
「今交渉してる」
「そうか、なるべく早くすると良い。芸人の語りは中々面白いが……何時までも騙せるものではないぞ」
会場を決勝から余興へとシフトするのにも限度がある。ステーキが食べたいのにステーキではなくひたすら寿司を出されても困る。美味しいには美味しいが、これは口が求めていた味じゃない。今はそれと同じ状況だ。確かに面白いが、求めている面白さじゃない。
最初は流される。だけど段々と本来のものを求めだす。この時間稼ぎには限界がある。それはどれだけ凄いパフォーマンスを見せた所で変わらない。だから尊の早い帰還が求められる。そしてこの時間を延長する裏ワザが求められる。
王も灯も、その答えがこの白紙の本にある事は理解していた。
そもそも尊本人は物理的な地獄を生み出す事に忙しくて、まだ戻って来られていない。もう既に東京が地獄になってることは2人の耳には届いていない。会場自体アーティが持ち上げている事もあってトレーラーが飛んでいたり、怪獣大決戦が起きている事も伝わっていない。
そもそも行政の類が全て麻痺している。邪神パペッターは遊ぶうえで邪魔になりそうな要素を排除した―――そして排除するなら洗脳で済ませるのが一番楽なのだ。
「む」
放送席へと通じる扉が破られる。一瞬の事だった。外で警備に立っていた筈のチビは一瞬で死亡している。つまり圧倒的な格上による虐殺。そしてそれは扉を破って部屋に入ろうとし―――王の声に止められた。
「動くな」
カリスマの暴力。人の意思、本能に直接語り掛ける言葉。方向性は尊と違えど、結果は同じ所に行き着く。つまり他者の支配。言葉によって脳に、意志に直接語り掛ける言霊はそれだけでモンスターを支配し、動きを停止させる。
その奥にいるマスターに一瞬で踏み込んで接近し、首の裏から繋がる糸を断ち切った。
その瞬間、自由になったモンスター達がマスターを抱え、感謝の鳴き声を零す。主が洗脳され、正しくない事を実行していても、彼らにはそれに逆らう事が出来ず、助ける事も出来ない。故に解決できそうな人間へと襲撃をかけるのは苦肉の策だ。
「良い判断だとは思うがな。貴様らはマスターを回収したらそのまま持ち場に戻るが良い。貴様らレベルが侵入者の撃退を行うと扉が吹っ飛ぶ程度では済まないからな」
王の言葉に感謝を告げるとモンスター達は扉をハメ直して去って行く。チビが蘇生されている間に灯は本を掲げるが、本はうんともすんとも反応しない。
「死神妹」
「説得してる」
ぶんぶんと本を振って反応を求めるが、本は応えない。本を掲げて眺め、灯が溜息を零す。
「お兄ちゃん以外に利用されるのが気に入らないんだね、君達は。お兄ちゃんの事をそこまで好きになってくれてありがとう」
でもね、と灯が続ける。
「あっちを見て」
放送席からステージの上で頑張るアーティに本を向けた。
「どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、それでもアーティは演じるって決めたの。そういう心意気に応えるのが君達なんじゃないのかな?」
本から僅かに光が漏れる。悩んでるなあ、と灯は思いつつダメ押しに入る。
「それにほら、お兄ちゃんも今は頑張ってるから。期待に応えられなかったらかっこ悪いよ」
その言葉に反応し、灯の手から弾けるように本が開き、光りが溢れだす。思わず尻餅を搗きそうになった灯を王がすかさず支える。波の様に会場を飲み込んだ光は一瞬で会場を、ステージを昔の姿へと引き戻す。
舞台は滅びた都市へと切り替わる。
滅びた都市で、既に死んだ人たちに囲まれ、アーティはかつての後悔を再現する時へと戻った。かつて、アーティへと向けられた矢はこの時代では銃へと置き換わりアーティーの心臓―――ではなく、頭を狙っていた。
狂う事のない射線。再現を手伝ってあげる。そう言いながら最後に盛大な梯子外しをする。そして何もかも台無しにする……良くある、邪神のやり口。聞く方が馬鹿で、そして受け入れる方が愚か。
「―――やれやれ、無粋ですね、っと」
それを神父が横から殴り飛ばし、舞い上がった銃を手に取ったら代わりに射撃する事で補完させた。邪神ががっかりで嘲笑する筈の事柄はそうやって完結された。かつて、教団の信者がアーティを射貫いたように、此度も教団の信者がアーティを貫いた。
ステージの上、弾丸が貫通したアーティの姿が一瞬だけ揺らぎ、しかし、倒れない。
流れる血でさえも掬うように指を濡らし、それを演出として散らす。放たれた血がステージを汚し、終末期の凄惨さを語る小道具となる。それを見て神父はうんうん、と頷く。
「さて、これで私の仕事も終わりですね。これでワルモノになってしまいましたから、見つかる前に去るとしましょう。いやあ、しかし良い仕事しましたねぇ、私! これは帰ったらディ〇コで自慢しなくては。皆悔しがるでしょうねぇ」
神父が去って行き、その姿を王が放送席から眺める。これで物理的な時間制限は設定されたものの、状況はそれまで持つようになった。本の力で引き込まれる観客の時は、演目が終わるまでは動かないだろう。
「後は貴様だけだぞ、死神」
―――白紙の本が起動したのを遠隔で感じ取ったその時、空に浮かび上がるパペッターも何かを感じ取り、動きが止まった。
『ふむ? 彼方は失敗した事自体はどうでもいいのですが―――』
その存在しない視線は道路に陥没するマガツキュウビに向けられ、それからこちらへと向けられた。
『何故、そこまで必死になるのでしょうか?』
「あぁ? そりゃあ―――」
『いえ、そうではなく』
もっと単純な話。
『能力も性格も理解していて何故ここまで抵抗を? 貴方の動きには意図を感じますね』
邪神が此方の抵抗に違和感を抱いた。なるべく倒す為の動きをマガツキュウビには取らせていたが、マガツキュウビでは倒せないのに此方がひたすら抵抗する事に段々と違和感と疑問を抱いたらしい。これが強者であれば正面から踏み抜いて勝利する事を選ぶかもしれない。
だが相手は小者のカスだ。
『まあ……十分遊べたし、今回はこれで良いでしょう』
ぷち、と見える範囲に撒かれていた糸が途切れる。都心で飼われていたペット用モンスター達を手当たり次第《掌握》してミサイル運用していたが、それを切り離した。それはつまり、戦闘放棄の構えでもある。
『おめでとう、救世主様。貴方は見事目的を達しました―――心からの賛辞を』
巨大な手が吊り手を放棄し、ビルを崩しながら落ちて来た。その余波の中、手を叩いて賞賛してくる邪神を見上げる。空気は既に黄泉の空気で大分濃くなっている。もはや黄泉そのものと言えるレベルまで濃い。マガツキュウビが暴れたのもそうだが、ここまで大量の告死蝶をばら撒いた影響もある。
「逃げるのか」
『見逃すと言ってほしいですね』
逃げる気だ。あのカスはここまで散々暴れて好き勝手やった挙句、ちょっと怖くなったから逃げる気なのだ。信じられないかもしれないが、そういう誇りに欠如している。少しでも恐れを抱いたら逃げ出すそういう奴らなのだ。
レベル150もあって、国家を滅ぼすだけの力があって。
それでも力を使って、掌握したら引きこもって隠れる。
今回だって出現しているのは手だけだ。本体をそもそも持ち出して来ていない。討伐されてもどうにか生き延びる為のラインを確保して登場しているのだ。だから原作では城から出てくる前、引きこもってる所を勇者アタックしに行くのだが。
「勝ったの?」
「いや、違うっすよ。見逃されてるんすよ。その上で鴉羽さんの手が躱されそうになってるんすよ! 何を狙ってたのかは良く分からないっすけど!」
見守ってたアンナとライダーが邪神の撤収作業に反応する。
だから俺は空を見上げ、消えようとするパペッターに言葉を向ける。
「パペッター、俺がどうしてウェルギリウスをどこにでも呼び出せるか知っているか?」
『興味深い話ですが、その謎はまた今度に……?』
消えようとするパペッターの姿が消えない。まるで空に引っ掛かる様な動きを見せる。道路に陥没していたマガツキュウビが体を持ち上げ、それから最後のスキルを使った。
マガツキュウビの《無限鳥居の怪》!
パペッターはループに囚われた!
パペッターは逃亡した!
……無限鳥居に囚われている! パペッターは糸を切り離した!
《無限鳥居の怪》はマガツキュウビの専用ボススキルで、前のターンの行動を数ターンの間、実行するというロック系のスキルだ。パペッターが逃亡したのを見てマガツキュウビがスキルを挟み込み、力尽きた。
「もう……限界です……の……ばたんきゅー」
獣体から燃費の良い人型へと変化するとそのまま地面に倒れ込んだ。お疲れ様、という労いをかける事は忘れない。この時点で俺達の勝ちだ。
「人はだれしも死と繋がっている。無意識に死と全ての生命は繋がっている。少し世界をズラせば常に隣にいるのに……誰もそれに気づいていないだけだ」
横にウェルギリウスが現れる。
「解るか? 生とは常に死と隣合わせなんだ。見えている見えていない関係なく、常にそこにある。特にウェルは俺の死の因果を材料にしてるから俺との相性が良い。解るか? 俺達は常に死と繋がっているんだ―――皆、それを忘れているだけで」
『……』
パペッターが本気で逃亡の準備を始めた。拘束するスキルを振り切る為に両腕を振り回そうとしているが、元の位置に戻されてしまう。これを差し込む為に妨害耐性を付けさせないようにここまで妨害スキルを使わなかったんだから、絶対に逃れられない。
「俺1人だとウェルを呼び出す辺りが限度だ。空気を黄泉に淀ませればマガちゃんぐらいは呼び出せるだろう」
じゃあ。
「数百、数千という人間に死のイメージを植え付けて共有させれば? 一帯そのものを黄泉で淀ませれば?」
『面白い話をしてますね。もしやこの東京という都市を黄泉に落とそうとしています? 私を倒す、その為だけに?』
パペッターの言葉に答える。
「落とそうとしている? 俺がそんな馬鹿に見えるか?」
『おや、では特級のモンスターでも―――』
「会場を出た時点でもう落とし始めてるんだよ。もう完成してる」
『はあ?』
「えっ」
「うん!?」
ぶわっ、と黄泉の風が吹く。何時の間にか辺りは根の国でも見た花で埋まっている。無限に咲き乱れる鳥居の向こう側からは亡者たちが怒りの視線を邪神へと向けている。空は何時の間にか色を変えている。流れる水の音はあの世とこの世を繋ぐ流れ。
東京そのものに根の国の本体が顕現する。
異界化する東京。末端であれ、パペッターの肉体がそこには存在する。その縁を辿り、本体が黄泉の国へと引きずり出される。隠されていたマネキン人形のような頭、心臓の所が空洞になっている鉄製の肉体、そして旧世界で英雄たちの遺体を利用して生み出したお気に入りの人形が引きずり出される。
「よお、冥府にいるのはお前の被害者ばかりだぜ。全員お前を殺したくて殺したくてしょうがないって連中ばかりだ」
鳥居の、川の中の、ヴェールの向こう側から怒りと殺意の視線が四方八方から向けられる。その視線に死地を邪神が理解した。
『馬鹿な……都市丸ごと黄泉の国に落とすとは……』
「都市1つでお前の命ならまあまあつり合いが取れてるだろ」
じゃあ、と親指で首を掻っ切る。
「死ね」
邪神討滅戦、後半戦が開始する。