「実は最初は君の事が苦手……というか嫌いだった」
「まあ、なんとなくだが気づいてた」
「この女の子、距離の詰め方がえぐい。踏み込んでくる。そこには触れるな、そう思ってたよ。まあ、今となっちゃ懐かしい話だな。もう3年近くも前になるのか……」
歩きながらそんな事を話す。ラスベガスは歩いているだけでも飽きない。あっちこっちで常に何かしらのイベントが起きている。通りではパフォーマンス中の人もいるし、変な人を追いかける警察の姿もある。アメリカらしいエネルギッシュさに満ちた街だった。
それを浴びるように歩きながら話す。
「でも考えてみれば、アレはアレで凄い事だったんだ。なにせ、あの頃の俺にそういう好悪の感情は薄かったしな。それを引き出された時点で俺の負けって感じはしたんだよな、実は。だから久遠は最初から凄かったんだよ。それは間違いがないんだ」
歩いてたらEthan Monsters Chocolateの工場から直送されているチョコを扱っているお店を見つけたので2人で入る。ショコラティエが勤めているタイプの店で、並んでいるチョコはどれも高そうだが、本格的なものばかりだった。飲めるタイプのチョコも売っていたので、それを手に、店内のスツールに座りながら話す。
「俺はね、昔、最初死ぬ事になると思ってたんだ」
「突然どうした」
「大事な話なんだ」
大事な、話なんだ。
「人間には誰しも生きる意味がある。生きる理由がある。生きる為の目標がある。だけどね、俺にはそれがなかったんだ。生まれて、育って、生きて、それでも自分の人生で成し遂げたいと思えるほどの熱は宿らなかった。だからね、俺は高校を卒業したら一人暮らしして……まあ、そのうち生きる理由もないし死んでたと思う」
間違いなく死んでたと思う。鴉羽尊には生きる理由も目的もなく、だから1人になったら絶対に死ぬ運命にあった。それだけの話なんだ。だけどその運命を捻じ曲げた女がいた。
―――それが夜月久遠という少女だった。
「君が、俺の運命を変えたんだ」
チョコレートを食べ終わったら再び街に出る。夏なのもあって結構外は暑く、日差しも強い。ずっとこんなのを浴びていたら日射病になっちゃいそうだ。ちょくちょく木陰の中を移動しながら観光を続けていると腹が減って来る。
何を食べるか? 高級料理? イタリアン? フレンチ? いいや。
「ホットドッグ」
「こうも高級料理が続くとな、恋しくなるな。ジャンクフード」
出てくる飯がどれもクオリティの高い料理ばかり……というのは泊まってるところが高級ホテルだからしょうがない。だが偶にはこういうスタンドのジャンクフードが恋しくなる。
オイルエナジーというか、ジャンクフードに詰め込まれたあの油っぽさが欲しくなる。
包み紙の中のホットドッグに齧り付きながら、近くのホテルが開放してる庭園でランチタイムを過ごす。
「久遠、人は死ぬとどうなると思う?」
「うーむ……想像がつかないな」
「まあ……そうだろうね」
近くの噴水に手を入れて、水を落ち葉ごと掬い上げる。
「人の本質というのは水とこの落ち葉みたいなもんさ。魂という最も純粋なものにくっついて来るこの落ち葉こそ不純物で、一般的に人間性と呼ばれるものさ」
水が指の隙間から落ちてゆく。
さらさらと流れ……手の中に落ち葉だけが残される。
「黄泉平坂やヴァルハラ、天国や地獄はフィルターみたいなもんさ」
「フィルター?」
「こういう死後の概念で魂を濾すんだ。そうすると最も純粋なものだけが残る。そうしたものは集約し、混ざり合い、1つの混沌としたスープみたいになる」
噴水の中にホテルで飼われているフラミンゴがやってくる。そういえばフラミンゴを飼ってるホテルがあるって話だったが、ここがそうだったか。
全く人を恐れることなく。直ぐ近くで水浴びをしている。
「魂の集約点。ここには我も彼もない。貴方も私もない。あらゆる生命の始まりの場所であり、そして終の地でもある。俺たちは皆、ここで汲み上げられて現世に生まれてくるんだ」
皆が忘れていること。そこに居るときは君もお前も存在しない。すべてが1つだった。
「そうか」
久遠は理解した。
「貴様と灯はそれを覚えているのだな」
知ってるじゃない。覚えている。生命としてのアイデンティティが生まれる前、まだ存在として成立する前の存在として。俺達はその真理に到達した。
俺達兄妹が特別なのは、人よりも真理に近いから。生まれから、ではない。生まれる前を記憶しているから。生命の本質というあらゆる命が忘れた事を覚えているから。
でも。
手の中に残された落ち葉を握って細かく砕いて、噴水に落とす。
「時折、残されるもんがある」
噴水が砕けた落ち葉に汚される。そして濁った水を掬い上げた。
「濁ったものは人間性だったもの。つまり人間を構築する記憶だ。俺たちはこれを捨て去って帰るはずなのに、消えずに残る事もある。そしてそういうものは引き寄せ合う……それを除去するにはどうする?」
「集まったところを、捨てるしかない」
答えに微笑む。
「それが、俺だ」
だからね、俺の命はそこまで価値のないものだったんだよ。この記憶も、経験も、キメラみたいなもんだ。何千何万何億那由多という生命の砕けた人間性から集められた残滓が集合してから生まれたもんだからね。
俺が元々誰かだったなんて事は解らない。だって混ざりすぎてるしな。今ある知識も結局はどこかの誰かのもんだ。
……まあ、作為は感じなくもないが。
これに関してはほぼ答えの予想はついてる。答え合わせは全て終わらせた時に出そう。
「む、近づいて来たな」
「人間に慣れてるみたいだね。触るのは駄目っぽいし、行こうか」
「あぁ」
フラミンゴのいるホテルから離れる。ラスベガスのホテルは他のホテルに負けない為にそれぞれが妙な特色を備えている。フラミンゴを飼っているところがあれば、温室や植物園を抱えるところもある。
だがやはり、一度はベネチアの運河を再現して乗れるゴンドラを持つホテルは挑戦してみないといけない。
適当に歩いてたどり着いたそれに、俺たちは吸い込まれるように利用することにした。
やはりカップル利用者が多いのか船頭も理解した顔で遊覧コースをゆっくりと進めてくれる。水上だと少しだけ、夏の暑さがやわらぐ気がする。
「灯は特別だ。あの子は生まれは理解して覚えていても、濁りなんて何1つないからな」
「成程、純粋な上位互換か」
「すいません、正しいけど心が辛いので止めてください」
「ならあまり自虐的になるのは止めろ。聞いていて気分が良くない」
ぷんぷんと久遠が怒る。
「私の知るミコトという男は凄い男なのだ、あまり自分を卑下して欲しくない。あまりというか全然卑下して欲しくない。するな」
「うす」
強いなぁ、久遠は。だからこそ君に惹かれるのかもしれない。
ふぅ、と溜息を吐いた。ここまで誰かに話すのは初めてだ。両親とさえ話したことはなかった。話せなかった。告白するのは久遠が初めてだ。彼女だからこそ話さなきゃならなかった。
「気持ち悪いか?」
「いや……始まりがなんであれ、今はもう鴉羽ミコトという別人だろう。気にするほどじゃないだろ」
「うす」
歩き出したところでドリンクスタンドを見つける。この手のスタンドは実は違法で、営業許可の出てない個人商店らしい。まあ、美味しければそれが正義みたいな部分はある。だから2人分のレモネードを買って、暑さに負けないよう飲みながら歩く。
そうやって歩いていると段々と日が落ちてくる。
時の流れは早い。
少し前まで小学6年生だったはずなのに。今じゃ中学2年だ。あれからほぼ3年近い時が流れている。人が変わるための機会を得るには十分すぎる時間だ。
「ミコト、見ろ、観覧車だ」
「ハイローラーって呼ぶらしいね。乗ろうか」
「あぁ」
少し待たされたが、2人でハイローラーに乗ることができた。ゆっくりと回りだす頃には段々と日が落ち、世界は夕日の色に染まり始めていた。
向き合うように座る。
直ぐ横の窓から俺たちが歩き回ったラスベガスの姿が見えてくる。
夕日に染まり、あれだけ歩いたのにまだその一角でしかないのが見える。広いこの街をモンスターや人達がいつもどおり過ごしている。まだまだ、見れてないものは多い。また、一緒に見て回りたい。
「解ったんだ」
「何がだ」
「俺は、忘れられないんだ」
溜息を吐く。
「生まれてから俺は、人の顔が見えなかった。両親や灯、一部の人間を除いてまるでマネキンを見てるような世界だった。まあ……昔は気にしなかったけど。そこまで人間性もなかったし。俺もマネキン仲間みたいなもんだったし」
だけど、ある日、症状が悪化した。
「解らなかった。どうして悪化したんだ、って。これは柊の血の呪いだ。なら悪化するはずがない。見えてたものが見えなくなり始めた。視界が悪化し始めた。段々と、少しずつ、本当に見たいものしか見えなくなっていく……」
どうしてだ……。そう疑問に思った。だけど理解した。
「血が悪いんじゃない。悪いのは俺だ。俺の認知機能が壊れているんだ。何が? どうして? そう考えて、結論が出た」
見えないものが見える。
それはつまり、見えるものが見えなくなるってことじゃないのか?
「死を認知し、触れる代わりに……」
手を伸ばせば指先に告死蝶が留まる。
「人を見る目を失った。違うな、見えなくしてしまった」
蝶を握り潰す。
「気づいたんだ。生まれ変わるって、新たな生を歩む事なんだ。過ぎ去ったものに別れを告げ、前を向いて、それまでの全てを置いて先へと進む為のものなんだ」
でも。俺は。
「忘れていない。忘れられていない。ずっと残留し続けている。忘れる事が出来ない」
頭を抱えて吐き捨てる。
「忘れられない死が、茨のように食い込むんだ。前に進もうとする度に、食い込んで、肉を抉って、壊れてゆくんだ」
「そうか、貴様は……」
久遠が、ゆっくりと答えを出した。
「悔やんでるんだな、顔が見れないことを。人を人として認知できない、その理由を理解して」
まあ。
「2度と、罵倒だとしても他人をマネキン呼ばわりできない程度には」
結局、自分が全部悪いという事に気づくと、これまでの発言や見えてる世界に恥じ入るばかりだ。人を見える見えないで区別するべきじゃないし、そうやって見えている自分が異常で、それから抜け出せない事が……情けない限りだ。
お別れを言わないといけない。
過去に。でも言えない。別れ方が解らない。だってこれは、生まれてから―――いや、生まれる前からずっと自分に備わっていた機能の1つで、手足のように、息をする様に使って、そこにあったから。だからさよならを告げないとと解っていても進まない。
解らないから。そしてそれが情けなくて、どうしようもない。
だというのに認知機能はどんどん壊れて行く。
「ほら、もう、俺達こうやって顔を合わせてから3年近くなるだろ? 中学2年にも先の事も色々と考えなきゃならないし、そろそろ話さなきゃと思って―――」
「成程、私のせいか」
「それは違う」
言葉に割り込んで来た久遠に即座に返す。それは違う、と。君は何も悪くない。だというのに久遠は首を傾げる。
「貴様が前を向いて歩き出したのは私がそうして欲しいと願って、応えたからだろう? なら元凶は私だ。そもそも、私と出会わなければ苦しむ事もなかっただろう」
「それは違う。悪いのは俺だ。俺がまだ死に別れを告げていないのが悪いんだ」
「成程……」
久遠はもう1度成程、と呟くと腕を組み、俯き、それから天井を見上げ、頷いた。
「つまり貴様の中では私よりもその死や理を優先しているという事で認識すれば良いんだな?」
「いや、それは……合ってる……のか……?」
なんかちょっと会話が胡乱になって来たな。でも何か、真理を突いてきた感じがする。久遠はこの手の会話で、本質を突いて来るのが本当に上手だ。たとえ理解していなくても、少し会話を続けると核心的な部分を見つけ出すのが上手い。
だから俺との会話で、久遠は見出した。
「貴様は、未だにこの世に執着がないのだ。いや、死に追いすがり超える程の執着がまだないのだ。執着はある。だけどまだこれまで感じて来た世界にその執着が追い付いていない。だから振り払えない」
「そうなのかなぁ……そうなのかなぁ!?」
そう言われるとそうっぽいんだけど、そう凄い簡潔に纏められると簡単に聞こえてくる話なので困った。でもこれ、簡単な事じゃないんですよ。
「いや、簡単な事だろう」
「心を読まないで」
「別に読まなくても貴様の考えてる事ぐらい解る。どれだけ一緒に過ごしてると思ってるんだ」
そう言うと対面側に座っていた久遠は直ぐ横にまで滑り込んできて、密着するように体を寄せて来る。逃げようと端に体を滑らせようとすると、逃がさないとばかりに腕を腰を掴まれた。久遠の顔が、直ぐ近くにまで来る。
「話は簡単だ。貴様が昔の女を忘れられていないだけだ。私が、貴様を今よりもずっと夢中にさせて、私以上に大事な物がないと感じさせれば、それで全ては済む話だ」
「暴論にも程がある」
「そう思うか? 私はそう思わない。ずっと前から変わらない。貴様はこの世界に執着がなさすぎるだけなんだ。だからそうも過ぎ去ったものに、そして死に引き寄せられる。貴様が私を見て、私に執着するようになれば自然と別れられる」
「そんな元カノを忘れられないダメ彼氏みたいな話じゃないでしょ」
「いいや、これはそういう話だ。そして昔から私がやる事も変わらない。貴様を私に惚れさせて、夢中にさせるだけだ―――」
そこまで言った所で久遠は口を止め、それからこっちを見た。なんて言って欲しいのか解る。だけど俺は頭を横に振った。
「駄目だ、言えない」
「言って欲しい」
「俺は、まともな人間じゃないんだ」
「私はそんな事を気にした事はない」
「生まれる前から非人間だった」
「今の私には血の通った人間に見える」
「ジジイは俺を人間以下だと言った」
「つまりなりたいものに何だってなれるという事だ」
真っすぐ見つめて来る久遠の瞳に濁りなんてものは一切ない。真摯に見つめて来るその目は嘘偽りを許さず、その人の奥底までを見通す。その上で、ただただ大きすぎる愛を注いでくる。溺れそうな程に。そっと視線を逸らそうとすると、腰を引き寄せるようにキャンセルさせられる。
「ミコト」
「無理」
「言え」
「俺は自分の気持ちが本当かどうかが解らない」
「言わなければ何も始まらないぞ」
揺れる観覧車の中、2人きり。逃げ場はなく、久遠も逃がす気がない。そして俺は……基本的に、この少女に勝てる気がしない。俺の得体の知れ無さが怖くないのだろうか? 俺がこんな言葉を口にして本当に良いのだろうか? がっかりさせないだろうか?
そんな気持ちを胸に、囁くように、なんとか、言葉を口にする。
「俺は……君の事が好きだ。この気持ちが本物だと……思いたい」
何とか言葉を絞り出す。凄い恥ずかしい。言わなければ良かった。久遠のリアクションを見るのが怖い。どんな顔をしているんだろう? 目を閉じて必死に久遠からの言葉を待っていると、彼女の声が聞こえて来た。
「そうか。ならこれが私の答えだ」
押し倒された。
シートに、押し倒されるような久遠の重みを感じると、唇に柔らかい感触があった。それが何なのかを悟るのに時間はそう必要なく、驚いて目を開ければ久遠の顔がこれまでにない程近くにあった。
髪の毛が此方に降りかかり、周りの視界を遮って彼女の顔しか見えない。まだ重なっている。たっぷり数秒、重なってた唇を放すと伸し掛かったまま久遠が言う。
「私の気持ちが解ったか?」
頷く。
「これからも貴様を夢中にし続けるからな。忘れさせてやる。そして私と、これからの事しか考えられないようにしてやる……覚悟しろ、ミコト。私は既に本気だからな」
だから、と言葉が続く。
「貴様も戦え。戦い続けろ。諦めるな。その痛みと苦しみも。私が一緒に戦ってやるからな。どれだけ忘れがたく、別れを告げがたいものであろうと……何時かは、過ぎ去ったものだと笑い合えるようになる為に」
微笑む少女の姿に、彼女も確かに姿だけじゃなく、その中身も一緒に成長しているんだと感じさせるものがあった。それに比べて俺はどうなのだろう―――と思った瞬間、もう1度唇に感触があった。
「今のは!?」
「余計な事を考えただろう?」
「うす」
―――それから。
しばらくそのまま、1周終わるまでそうやって過ごし、観覧車が地上に戻って止まった所で漸く久遠の居心地の良い重みから解放された。それからはデートを続ける気力もなく、ホテルに戻った。
何故かホテルでは所々ぼろぼろになった東吾や仮面、総理達の姿があって、無言で背中をばんばんと叩かれるとホテルのバーに連れて行かれ、ノンアルカクテルを奢られた。理由は解らないが、滅茶苦茶祝ってくれる大人たちだった。
そんな風に1日が終わりを迎える中、一生久遠には勝てないんだろうなぁ……と解らせられるデートの結末だった。