最強の名でさえインフレの前では飾りでしかない。
最前線を走る者は常に先駆者として追いかける者達を先導する役割を持っている。そしてブライアンはその自覚がある。今、世界を走るトップとして常に最新最精鋭を駆け抜ける覚悟と用意がある。その為の無法ムーヴはご愛敬! というのはまあ、ちょっと無理があるかも。でもGMってそういうもんだしね。
無論、月に来る方法なんて鴉羽ファームにあるショートカット以外現実的ではないので、ブライアンもすっかり訪問し慣れた我が家へとやってきてから月に上がっている。事前にアポは取っているし、こっちも了承している。
これを知らないのはアメリカ本国と国連と協会と他国全部ぐらいだ。だから何も問題はない。
そうやって月に上がったブライアンはわくわくるんるん気分で人類初、ノアを使ったモンスター合体を試す為にやって来た。もうテンションは朝から最高潮、大統領にスパムメールを送って朝のFuck youを送られても元気もりもり!
今日はバク転しながら移動し続けようかなっ! という気分であろうブライアンは月に到着し、地球から目を離して俺達を見た。
「……何をしてるんだ?」
「あ、ごめん、まだ来るとは思ってなくて……ちょっと待っててね」
という訳で月にやって来たブライアンを放置して、俺達は月の海の砂浜に居た。
金魚鉢を半分月の海の浅瀬に沈めて、ジュニアが出やすいようにしている。ノトスなんか旗を振ってふれーふれー若! ってエールを送っているし、ミニノアも甲板から旗を生やして応援している。エスト、エデ、ミレーナもチア用のぽんぽんをふりふりして応援している。
そうやって俺達は今も金魚鉢から恐る恐る月の海へと飛び出そうとするジュニアを見守っていた。金魚鉢の狭い世界の中で育っていたジュニアは今、初めて、月の海という巨大な環境へと向かっていた。初めての海である。
ジュニアは覚悟を決めた表情で金魚鉢から飛び出そうとして……それから飛び出すのキャンセルし、過ごしやすい金魚鉢の中へと戻ってしまった。
それを見ていたブライアンがやって来た。
「……何をしてるんだ?」
「見れば解るだろ。ジュニアの海デビューだよ」
『この海は前オーナーである海王様の故郷である原始海と全く同じ組成をしています。ここが新オーナーにとって最も安全で、育つのに相応しい環境となるでしょう。即ち、海デビューとして最も適切な海です』
「若! あとちょっとですよ! 確かに一歩目は怖いかもしれませんけど、そこはそれ、踏み出せば広い海が回ってるんです! 若! そこ! そこです! ジャンプ! 行きましょう! 若!」
「あのおぢさん普段の三倍やかましい」
「仕方ありませんわよ、今人生の一番美味しい部分味わってるんですから」
「酷、く……ない?」
ノトスは女性陣のコメントを一切聞かず、金魚鉢の中にいる海王ジュニアへのエールに必死だった。ノトスが死ぬほど頼み込んで連れて来られた女性陣はエデを除いて割と不満そうな表情をしている。ブライアンは近くまでやってくると体育座りしてジュニアの海デビューを眺め出した。
「海デビュー」
「ジュニアはノアが月に到着して以来ずっとあの金魚鉢で生活してたからね。でも体は大きくなるし、もっと広い環境で泳げるようになっても欲しいし……って事でそろそろ月の海でデビューして欲しい所なんだけど……」
金魚鉢の中にいるジュニアは割と飛び出すのを躊躇していた。水草とか岩とか用意して結構過ごしやすくカスタマイズされていたお家から外に出たくないらしい。他にも理由はあるのだろうが……とにかく、ジュニアは金魚鉢から新世界に出るのを恐れていた。
ただ興味はあるらしく、金魚鉢の端まで来るとそこで躊躇して、金魚鉢の中へと戻るというのを何度も繰り返していた。ミニノアとノトスは一切諦める事無くかれこれ数時間はジュニアを応援していた。ほんとようやるわこいつら……って気持ちはちょっとある。
でもアポ取ってたブライアンが来ちゃったんだよなぁ。そろそろジュニアに選択肢を迫るか……って気持ちが出て来る。
ジュニアがこっちを見てないのを確認し、そろりそろりと月の海に近づく。
そこで海に向かってどぼん。
「う―――わ―――!」
わざとらしく声を上げて浅瀬に飛び込んだ。無論、足がつくし、溺れる事はない浅さだ。それでも迫力を演出する為にどたばたと浅瀬の中で暴れ出し、水をまき上げて演出する。騒がしさに気づいたノア組が此方へと視線を向けて来るので、俺は演技を続行する。
「おぼぼぼぼ、溺れ、おぼぼれ―――助けて! 助けてー!」
コイツマジか、みたいな顔でブライアンが見て来る。
「大将ちゃん? なにや―――」
言い終える前に《サクリファイス》でノトスが即死した。もう少し察してくれよおぢさん!
「マスター! 今行きま―――」
「させませんわよ」
一瞬で余計な行動を取ろうとしたミレーナの背後に回り込み、首を圧し折ってエストが制圧した。アイツ、体術もそれなりに出来るんだなぁ、と思いながら浅瀬で水底を背に、両手足を大きく動かしてばしゃばしゃと大げさに水を立てて見せる。
ミニノアがその明晰な電脳中枢で全てを察した。
『さあ、新オーナー! 助けに行くのです! あの哀れな人間を貴方の力で救うのです! あ、私は本日防水コーティングを忘れてしまったので』
「おぼぼぼぼ、溺れちゃう! 助けてー! ジュニア助けてー!」
「演技がカスなのにも程があるだろお前」
煩いぞブライアン。これは子供向けだからこれで良いんだよ。ブライアンに無言で抗議をしつつ視線をジュニアに向けると、海から俺へと視線を向け、それからおめめをキリっとさせるとぴゃ、と鳴いた。
次の瞬間、金魚鉢からジュニアは飛び出していた。
うおおおおおと勝手に蘇ったノトスが叫ぶ中、ジュニアは溺れるふりをする俺の所まで来ると俺のシャツに噛みつき、必死に岸へと向かって引っ張ろうとする。当然その小さな体では引っ張る力なんて到底存在しないが、ここは優しさの塊である尊くんが気を利かせ、ジュニアの見えないところにある手を使って体を岸の方へとすっ……と押す。
結果、俺の体砂浜に押し上げられ、ジュニアは俺を助ける事が出来た。
「ありがとうジュニア……お前は本当に凄い奴だよ……お母さんを殺してごめんね……」
「ぴぃ……ぴっ!」
キリッとした表情を浮かべるジュニアは俺の言葉に応えてから自分が海の中へと飛び込んだことに気づいてしまった。それから左右を見渡し、広さを見て、だけど好奇心を抑えきれなくなり、そのまま泳ぎだす。
子供だなぁ……。
「ぴ! ぴ! ぴ!」
「楽しそうに泳いでるしもう大丈夫そうかな」
『はい、月の海の中は細心の注意を払って作り出したものです。監視も行えていますし、問題はありません』
ざぱーん! と音を立ててノトスが月の海にダイブした。確かにノトスが常に見守っているなら大丈夫そうだな。海に入ったからもうあっちこっちびしょ濡れだ。
シャツを脱いで絞ってじゃー、と水を絞り出す。復帰したミレーナが魔法を使って乾燥してくれる。乾かしてくれるのは助かるけど俺の腹筋触る必要ある?
良し、乾燥完了っと。
「待たせたなブライアン」
「気にするな。見ていて大事な事だと解ったしな。アレが海王の子供か」
「あぁ。慣例的に名前は人の言葉を話せるようになったら自分で付けるらしい。だからそれまではジュニアとか若とかそんな風に呼んでるよ。地上じゃノアは誰の所有物、管理って話が出てるけど、その議論の答えは既に出てる」
月の海から頭を出したジュニアがご機嫌そうに歌っている。
「オーナーはジュニアだ」
「今度は保護責任者で揉めそうだな」
「好きなだけ揉めればいいさ。この手の問題に俺が手を貸すつもりはないしな。交渉するならノア本体とすれば良い」
絶対に勝てないと思うけど。ノアを巡る議論はノア自身がジュニアと信頼する人間以外による管理を嫌がるという事で結論が出ている。どれだけ騒ごうとも意味はないのだ。
ま、地上の無能達の話はどーでも良いのだ。
それよりも。
「ブライアン、本気なんだよな?」
「あぁ、勿論だ」
大量のモンスターを引き連れたブライアンは今日、ノアを本格運用する前の先駆けとして合体に来た。だがその根底にある覚悟は並々ならぬものがある。
だから俺はブライアンに改めて質問する。これはここまで何度ども確認したことではあるが、再び確認しなくてはならない。
「本当に良いんだな? 合体させても」
俺の言葉にブライアンは相棒であるサンダーバードの首を撫でた。
「あぁ」
短く答え、言葉を続けた。
「サンダーバードを別のモンスターに変える。俺は今日、その為に来た」
俺では計り知れないほどの覚悟の重みを持った言葉だった。