「GG、対戦ありがとうございました」
雅人の前に立って手を差し出す。脳をフル回転したせいで汗と疲労が凄い。久しぶりに熟練のマスターを相手にしたような感覚を覚えた。油断したらそこから切り崩しに来る……そんな気迫を感じた。それがもう楽しくて楽しくてしょうがなかった。
だから礼を尽くして相手の前に立った。
試合直後から全く動かない雅人の前にまで移動して。指揮所には疲労困憊といった様子の雅人がいて、柵にしがみつくように息を整えている。だけど立ち上がれないのは別にそれだけではないだろう。
敗北感。
負けてはならない勝負で負けた事実。
それが雅人を打ちのめしている。
「はあ、はあ……対戦、ありがとうございました……!」
憤りを感じる様な言葉だった。だけど雅人の目を見れば解る。それでも試合は良かった。それを認めて、言いたい事を飲み込んで、立ち上がって手を取った。目端には涙が溜まっているのは見て見ぬふりをする。流石にそれを指摘する程今は鬼畜にはなれない。
本当に楽しかった。
楽しい試合だったんだ。
頭を全力で回して、運に祈って、出来る事を尽くした上で勝った。これ以上なく楽しく、苦しく、気持ちの良い試合だったんだ。お蔭でこいつの性格みたいなものが大方掴めた。
雅人は悪人ではない。プライドがクソでかい様な気もするが、あの葬式に集まった小物たちと比べて善良と呼べる性質を持った人間だった。だからこそ解らない。
「お前は……どうして俺をそんなに目の敵にするんだ? それが解らない。お前、そんな悪い奴じゃないだろ」
「それは―――」
雅人が歯を食いしばり、それで顔を伏せて、時間をかけて溜息を吐く。
「鴉羽尊」
「おう」
「お前は……そんな、悪い奴じゃないんだろうな。モンスターに信頼されてるし、お前の婚約者とかいう女はお前にべったりだし。周りの奴もお前の悪口を楽しそうに言ってた。だからお前は周りから見ても悪い奴じゃないんだろうな」
だけど、と雅人は続ける。
「お前は、柊を何も知らないんだ」
「まあ……柊家の血は確かに引いてるけど、俺も母さんも血筋そのものには何も興味を持ってないからな」
「話は聞いてる。家を出たって」
でも、と言葉が続けられる。
「それでも俺達が同じ血を引いてる事実は変わらないし、家を出た……からで逃れられる程弱い繋がりでもないんだ。この柊の血は今じゃ汚物と同じような扱いだ。堕落、傲慢、虚飾、没落……柊剛三の後を本当の意味で継げた者はいない、だなんてさえ言われてる」
実際、柊家の堕落は凄まじい。子世代は腐って、孫世代は正直あまり興味がないから覚えていない。印象に残っている奴の事しか知らない。それでさえ大した興味を持ってない。だから俺は本当に柊家の事は何も知らない。
「誰も柊家はそうやって堕落する事に嘆かないし、正そうとしない。皆、ジジイが人生を費やして積み上げた名声と財しか見てない。その名声だって結局はコネクションとか地位とかそういうものだ。誰ももう、昔掲げられた栄光を目にしない……」
雅人は拳をぎゅっと握った。
「違うだろ。俺達が誇りとすべきものは、柊の血が誇るべきものは違うだろ」
雅人が己の胸を叩く。
「寝物語にジジイの武勇伝を聞いて俺は胸が熱くなったよ! 身一つで伝説になった男の話を! だというのに皆受け継ぐ事の本質を忘れてる! 財産だとか! 名声だとか! そうじゃないだろ!? 俺達が本当に継がなきゃいけないのはそうじゃないだろ!」
多くの後継者は財産を求めている。一生遊んで暮らせるだけの財産を継承する事を求めている。
柊アンナは本質的に財産を狙っている。他の親族が手に入れて余計な事をする前に自分が管理するべきだと考えている。もはや過去の名声には価値を見出していないだろう。
俺は財産にも名声にも興味を持ってない。本質的にどっちも不要だと思っているし、あのジジイの何かを継ぐという事そのものに忌避感を覚える。
だが雅人は違う。
「本当にジジイの名声が地に落ちてるのなら、他でもない、血を引く俺達がその後継者としてその名を、再び知らしめるべきなんじゃないのか……!? 一族の者として、その名が偽りではない事を証明すべきなんじゃないのか!?」
雅人が求めているのは財産でも名声でもなく、誇りだ。柊剛三が老いるとともに失ったものを取り戻すべきだと主張している。それが雅人が後継者を狙うモチベーションであり理由でもあるようだった。
「つまり、お前が俺を嫌っているのは」
「お前が、柊の名から背を向けているから」
「そりゃあ」
難しい問題だなぁ、とぼやく。頭を掻いて、溜息を吐いて、どう応えたもんかと思った。
雅人は一見、比較的にまともに見える柊の人間だ。だが今の一言で本質が見えてきた。
「柊の血は目を背けられる程薄くはないんだ。お前がどれだけ罵って、目を逸らしてもそれからは逃げられないんだ。過去の栄光は俺達の体の中に流れている……それから逃げずに、腐って行く血と戦わなきゃいけないんだ」
「だけど俺は興味がない。何も。財産にも。俺は継ぐ気は一切ない」
「だから腹立たしいんだ……!」
歯を食いしばって疲労の中、雅人が吼える。
「何も継ぎたくないのに、レースにだけ参加するなんて都合の良い話があるかっ!! だったらさっさと白旗上げて手放せよ、与えられるものだけ受け取って戦うのは筋が通らないだろ!?」
―――こいつ、武士とか騎士みたいな生き物だな。
誇りや矜持が意識の中心にある。つまりコイツにとっては過去、剛三が積み上げて生み出した柊家の栄光というものが至上のものであり、その全盛期の輝きこそが俺達の目指すべき姿だと思っている。だからこそそれに知った事かで名すら名乗らない俺が気に入らない、と。
価値観が違いすぎる。
え、狂犬じゃん。
気に入らないという理由だけで正面から襲撃しに来るのはもはや狂犬としか言えないじゃん。ミサイルの如く勝手に飛んでくる狂犬とか嫌すぎる。
問題はこれが対処を間違えれば確実に後を引くという事だ。
この問題の本質は損得ではないのだ。納得できるか否かの問題なのだ、雅人にとっては。その納得の為だけに戦っているのだから。コイツは自分が納得しない限り、ずっと戦いを挑み続けるかもしれない。しかも今回の試合を見るに、才能まである。
自己進化するミサイルとか恐ろしすぎる。
対戦相手と考えると中々面白いが、このまま粘着されるのは正直勘弁願いたい。コイツを通した対戦でたぶん情報が抜かれてる。手加減したり情報秘匿できるレベルの相手じゃないから戦う度に俺の知らない誰かが得をしてる。
だからなるべくコイツとは戦いたくない。後々の勝率に関わる。
和睦、和解……どうにか納得させる必要がある。細かい説明をした所で直ぐに納得させることは難しいだろう。となるとコイツとはどこか、腰を据えて話す必要がある。
……あぁ、丁度良い場所があった。
辺りを見渡し、観客の声援に応えるように拳を掲げる。会場に溢れんばかりの声援に勝利が祝福される。大丈夫だと観客達にアピールしてから、雅人へと向き直る。
「昇格の手続きがあるからちょっと待たせるけど……この後時間があるよな?」
「……まあ、少しは」
じゃあ。
「ちょっと付き合ってくれ。落ち着ける所を知ってるんだ」
からんからん、と扉のベルが鳴って扉が開く。閑古鳥が鳴いてたのか店内に客の姿はない。店のマスターが1人、カウンターで暇そうにグラスを磨いている。店内に入る此方を見てお、と声を零してくる。
「尊くんじゃないか。今日は認定戦だったんじゃないのか?」
「勝って来たよ」
「流石だね。1杯ぐらいなら奢るよ?」
「サンキュ、マスター。じゃあコイツにも1杯お願い」
「了解」
「雅人、こっちだ」
「失礼します……」
雅人を連れて喫茶店にやって来た。メイドの姿も、久遠の姿も、モンスターの姿もない。こういう話をするなら他人の目は欲しくないし、男同士話すならサシの方が良いと思っている。だから雅人と自分の2人だけで喫茶店にやって来た。
あまりこういう所に来た経験がないのか、雅人は少しだけ辺りをキョロキョロ見渡している……やっぱり育ちが良い。なのに変な思想にかぶれている辺り、家の教育がどうなっているのか解らなくて、ちょっと怖くなってきた。バチバチに思想教育とかしてたんだろうか?
「ここは……」
「俺達の爺さんが若い頃、修行している時に金がなくて困ってる時に1杯のコーヒーで延々と粘着してた店だよ。こっちに来て俺も思う事があって、爺さんの足跡なんか追ったりしてたんだよ。なんというか、意外と住んでた痕跡みたいなもんは残ってるんだよな」
「そう、なんだ」
それを聞かされると雅人は少し興味深げに店内を見渡し始める。その素直なリアクションが子供らしくて、ちょっと面白い。考えてみれば雅人はまだ中学1年生ぐらいだ、精神的な話をすればまだまだ子供で、数か月前まではランドセルを背負っている年齢だ。
そう考えると本当に、若い。
肉体だけなら俺もそうだけど。
「この都市にはジジイの足跡がちらほら残っていてな、昔はそういう人じゃなかった……ってのが良く見えて来る。俺はジジイの事は正直あんま興味なくてな……でもこっちに来てから色々と発見とかがあって驚いてるよ。お前が言う通りあの糞ジジイも昔はちゃんとしてたんだろ」
別に認めてない訳じゃない。その偉業を。ただその腐った後の話を聞いて育って、関わるべきじゃないと思っているだけだ。
「……尊は、その伝説や栄光に、報いたいとは思わないのか?」
「思わない。それはそれで、これはこれ。俺は柊の血を引いてるかもしれないけど、結局その家で育つ事はなかった。学ぶ事もなかったし、1年前まで関わる事もなかった。いきなり後継者に名指しされて、それでレースに参加しなきゃペナルティだぞ……みたいな状況に追い込まれてな」
困ったもんだ、と苦笑するとコーヒーが運ばれてきた。
「ごゆっくり」
そう言って置かれたコーヒーに迷う事無く砂糖とミルクを追加する。
「ミルク、入れるんだな」
「ブラックも飲めなくないけど、ミルク入れてる方が好きなんだよな、俺。無駄に格好つけて背伸びしても苦しむのは自分だけだしな」
「……」
戦いの熱が冷めて、落ち着きを取り戻して、勢いが死んだ。それで漸く雅人は落ち着いて話せるようになった。此方の言葉が届くようになった。
……俺も、無駄に敵対的じゃなくて、ちゃんと話を聞くようになった。
そう、この問題悪いのは雅人だけじゃない。
勝手に柊家の全てを悪いと思って何も考えずに聞きもしない俺自身が悪い。
「兄弟、俺達は長い事話し合った事も解り合おうとした事もない。お互い、主張や意見が食い違うのは当然の事だ。俺はそもそも葬式にいた人間の事なんてほぼ認識できなかったし、興味すらなかったからな。レース自体も欠片も興味はない。降りられるなら降りたいさ」
でも。
「そうはいかない事情が俺にもある」
ラスボス。
奴を殺す。必ず殺す。絶対に殺す。他人には任せられない。俺ならメタ編成と最強ユニットのレシピを知っているからそれを使って殺しに行ける。その為には今の、この環境を手放すわけにはいかない。殺すと決めて動き出した以上、俺は他の連中に負けている余裕はない。
「事情、か……俺も考えてみたら全く尊の都合とかを考えずに自分の主張ばかりでこっちに来ちゃったな……」
「誰かに言われたのか?」
「うん、まあ、上の兄に色々と。都合良く使われているってのは解ってたけどかっとしちゃって、そのままずっと……って感じ」
「へえ」
口ではへえ、と言いながら心の中で十字を切って早くこの悪魔を誰か消してくれと祈ってる。かっとした程度でこの国有数の危険地帯まで襲撃の為に飛び込める度胸、根性、精神力、倫理観。何一つとっても流石柊の血筋、やってるなあ……以外の感想が出て来ない。
「俺もちょっと大人げなかったと思うし、その、尊もそこまで悪い奴じゃないってのは解った。ごめん」
「いや、いいよ。俺も本家の方とはそこまで関わろうとは思わなかったし、関わるつもりもないから。単純に強い奴と戦いたいだけなんだよね、俺。元は高校卒業したらゆっくりマスターにでもなるかなぁ、と思ってたんだけど」
「へえ、身一つでマスターに? 昔のジジイみたいだな」
1雅人ポイントが入ったらしい。恐らく低いと襲撃されて高いと襲撃に誘われる地獄のシステムだ。誰だこの欠陥システムを実装したのは?
「まあ、ジジイが色々と手を出した結果こんな風にレースに強制参加する事になったけど……俺自身は本当に遺産継承とか興味なくて、ただ単純にマスターとしてより強くなることを追い求めてるって事を理解して欲しい」
「身一つで最強の座か」
今の発言でポイント入るの? もしかして戦闘イベント終わった後はチョロインになるタイプ? そういうヒロインってあんまり受けが良くない? 俺は久遠が既にいるから新規ヒロインは求めてないよ?
「俺にとってはいい機会だった、というだけの話だよ」
「まあ、言いたい事は解るよ。それでも勝ったり目立てばそれだけだ、なんて言えなくなるって事は自覚して欲しいけど。認めようが、認めまいが同じ血が流れてるんだ」
どれだけ隠そうとしても無駄だ。
「流れる血からは逃げられないんだ」
「立ち向かうしかない?」
その言葉に雅人は頷いた。
雅人の言っている事は正しい。少なくとも今回の試合で俺が柊家の血縁者である事は割れるだろう。これから戦えば戦うだけあの糞ジジイと比べられる事も増えるだろう。完全に忘れていた遺産継承レースという話題が、ここで帰って来る。
なんて面倒な話だ。気持ち良くラスボス殺す為の準備をさせてくれないものか。
「もっと話そう、雅人。いい機会だ。長年の隔たりを埋めよう」
「そうだな……戦う前にこうするべきだったな。今になってなんであんなにムキになったんだろうってちょっとだけ思うよ」
「はは、まあ、誰にだって感情的になる時はあるさ」
コーヒーの香りがする店内、他には客がいない所で。俺達は向き合い、ゆっくりと話し始める。これまでの争い、言い合い、わだかまり、そういうものを1度床に置いてから向き合って語り合う事にした。それは俺達が最初からやるべき事だった。
雅人は未熟さが、俺は根本的な他者への無関心が邪魔になってやれなかった事。
それが今は1度ぶつかり合ってお互いの事を知れたからこそできるようになった。
きっと、俺達の根本はジジイから遺伝しているロクでもなさがあるのだろうが、それはまだ取り繕える。だからそれも含めてゆっくりとコーヒーが冷めて行く中……初めて家族として話し合ってみた。