その日はそのまま大英図書館の観光を行ってから地下にいるモンスター達の面倒を見て終わり、翌日を迎える。
結局のところ入館許可と、東吾の言う協力者がいなければこの探索は開始のしようがないのだから、その2つが揃うまではゆっくり……という予定だった。その筈だったのだが、翌日の朝、起きたら枕元に手紙が置いてあった。
『鴉羽尊様へ、当図書館への入館権限を付与いたします。貴方の来訪を心よりお待ちしております ―――館長より』
「対応が爆速すぎる」
幻想図書館からの返答が既に届いていた。勿論、ホテルの警備はロンドンでも最高クラスのものだ。利用しているのはセレブのみになるし、警備にモンスターも採用されている。それを突破して枕元に手紙を届けるのは至難の業だ。
だがこの手紙が届けられた。俺や東吾、ホテルの警戒をすり抜けて完璧に。
「良いニュースがある。協力者が案件を片付けて此方へと直ぐに合流する予定だ。というかもう向かってきてる」
「すんごい早いっすね」
「先方もこの件に関しては乗り気だからな。早ければ昼頃には到着する事だろう。それまでは好きにしてると良い」
「うーい」
そうやって、時間がかかるかもしれないと思った図書館突入までの準備は本当にあっさりと終わってしまった。特にネックになると思っていた入館許可があっさりと終わり過ぎてしまったのが予想外だった。
あの館長の事だから、ロンドン中のカフェを走り回って探す必要があるかと思ったのに。あんまりにもあっさりと許可が出るもんだからビックリしてしまった。東吾の方の協力者は同じ異常同業者らしいから驚きはない。東吾もダンジョン行きたくて仕事ぶっちしてるし、同類だろうどうせ。
そういうことでイギリス3日目。
俺は暇だった。
冬のロンドンは寒い。テムズ川は落ちれば死ぬかもしれないぐらい寒い。日本から持ってきたダウンジャケットの中にはヒクイドリの羽が使われているらしく、これ1枚に袖通しているだけで体中ぽっかぽかになる優れものだった。
技術の進歩がモンスターの持つ神秘に駆逐されないか心配にもなるだろうそりゃ。
早ければ午後には合流して来るかもしれないという東吾の発言を思い出し、あまり遠出しない事を考えて近くを散策するか……ぐらいの気持ちでホテルを出る。
ホテル前の景色は薄い霧がかかっていて、人通りが少ない……それがどことない異国情緒を誘う。
イギリスの空気はやはり日本とは味が違う。空気に漂う色とでもいうべき物が違っていて、まずそれが面白い。歩いている人たちも普段駆間にいる修羅や狂人たちとは違って穏やかだ。もはや癖になってしまったガスマスクの持ち歩きもこのロンドンでは必要がないかもしれない。
「あぁ……すっかり癖になってる……ゲートの気配を探りながら片手を常にフリーにして歩くのが……」
駆間市において歩くとき、即座に対応できるように片手を空けておくことは必須である。片手が空いていれば防御、迎撃、もしくは道具を即座に手元に寄せる事が出来る。突然の延焼や毒ガスにも対応する為、片手はガスマスクや酸素ボンベ、犠牲に防御をする事を考えて動かせるべきなのだ。
その不安がロンドンにはない。
なんて凄い所なんだ、ロンドン。この世の天国じゃないか。
「いや、東京もそうだったじゃん!!」
都心は大体そうだったよね! 1年駆間に住んでいるだけですっかりと生活が荒んでしまった。朝起きたら家の前にゲートがあって命の危機を覚えるのも、久遠とのデートで街中歩いているだけなのに命を守る事を考えなきゃいけないのも特殊環境なのだ。
その事を忘れちゃならない。
「近くに公園あったしちょっと見て回ろうかな……お土産とかを見るにはまだお店とかあんまり開いてないみたいだし」
イギリスの飯はまずいとは言うが、ホテルの飯は普通に美味しいのが嬉しかった。これならそこら辺の店の料理を試してみても良いかもしれない。ちょっと朝の空気でも楽しむか、ぐらいの気持ちで歩いてると市内をジョギングしている男女を見かける。
全裸だった。
「おはよう!」
「あ、おはようございます……」
そのまま男女は全裸のままジョギングして去って行く。
「????」
まだ夢見てるんじゃないかなぁ、と思いながら目を擦っていると近くの店からお爺さんが顔を出した。
「よお、そこのジャパニーズ。霧が出てるうちはヌーディストが見づらい事を良い事に徘徊してるから気を付けた方が良いぞ。アイツらは観光客だとか気にしないからな。人通りの少ない所は連中のルートだからな」
「うす」
駆間とは別ベクトルで怖い国だよぉ。
とぼとぼイギリスの洗礼を受けつつ肩を落として公園へと向かうと、朝早い事もあってまだ人の姿は少ない。ここでもヌーディストが出没するのかなぁ、と思っていると朝からハトに餌を与えている人がいた。公園のハトに餌を与える人ってまだ絶滅してなかったんだ。
そう思いながらよく見るとスーツ姿だった。
というか昨日三輪車に乗ってたおっさんだった。
流石に目を疑ったが、本物っぽい。これ見ないふりして去った方がいいのかもしれない。そう思いながらもちょっとだけ興味が湧いたから近づいてみる。
「おじさん、何してるの」
「ん? 随分と綺麗なクイーンズイングリッシュを喋るな……ジャパニーズか? 見ての通りハトの餌をやってるんだ」
「あの、お仕事……」
「皆が俺に左をやれと言って実際やったら“左って言ったら右をやれって事だよ! そんな事すらわからないのか?”とか言いやがる。聞こえてくるのはクレームばかり、俺の仕事もクレーム処理ばかり。与えられた餌を食って肥えてるのはハトとなんも変わりやしねぇ」
パンをちぎってハトに投げつけた。それをつまんだハトが喉にパンを詰まらせて倒れた。
それを見て首相は良い笑顔で顔を持ち上げた。
「今朝最速で辞表を叩きつけて来たぜ!」
元首相だった。
「ありなんだ……それ……」
「今日から無職! ストレスフリー! 公園でハトに餌をやるおじさんにジョブチェンジだ! 気分が良いぜぇ……まるであらゆる重みから解放されたような気分だ! おっと、ハトの餌がなくなって来たな。新しいのを調達してこないとな」
そう言ってハトに餌を与える元首相のおじさんは公園の出口の方へと向かう。出る前に1度、振り返って来る。
「あぁ、この近くにあるカフェはホモの巣だから近づくなよ! コーヒーを頼むのが暗号だからな! 観光楽しみなジャパニーズ!」
中指を突き立てて公園から出た瞬間、黒塗りの高級車が一瞬で元首相の前にやってきて、黒服が数人元首相を掴んだ。
「おい、待て、俺は辞表をは? ノーカン? ざけんな早く選挙をうおっ待て―――」
反論する時間さえ与えずに元首相は首相へとクラスチェンジして職場へと連れ戻された。
イギリスの大気に満ちる朝の空気をたっぷりと吸い込んでから空を見上げ、体を伸ばす。
「ホテルから出るの止めるか!」
怖いよこの国。
1人での観光を諦めてホテルに戻ってララを抱きしめて癒されてしばらく部屋でうだうだしたり持っている情報を見直していると、スマホに東吾から連絡が入って来る。協力者がやって来たから顔見せの為にも昼食を取ろうとの事だった。
もう来たのか、という驚きと共にレストランへと向かえばそこには既に東吾ともう1人、今回の探索における協力者なのだろう。青い瞳に金髪が特徴的な、どことない若さを感じる青年だった。既にレストランで席を確保していた2人はこっちを見かけると手を振って招いて来る。
「始めましてMr.カラスバ。アーサー・リングスターです、宜しくお願いします」
「尊、コイツが今回の図書館探索で助けになってくれるマスターでアーサー・リングスター公爵だ」
握手を交わしつつ公爵、と聞こえてきた言葉に思わず東吾を見て、アーサーを見る。
「尊でいいよ……ん? 公爵? 貴族って事?」
「はは、貴族の称号は今となっては形だけのものですよ。尊い血等と表現されますが、今となっては古臭いだけです。気にしないでください、それに相応しい振る舞いを心がける程度のものですから。私の事もアーサーで結構ですよ、ミコト」
「おぉ……東吾と違う……!」
「お前な」
軽く挨拶を終えてから同じテーブルに座る。事前に昼食を頼んでいてくれたらしく、メニューを見る必要はなかった。何を頼んでも基本的に美味しいので勝手に頼まれる事も別に構わない。寧ろメニューを見て悩む時間が長いから、サクッと選んでくれた方が助かる。
「それで……今回はアーサーが助けてくれる、って事なんだよね?」
「あぁ、アーサーはイギリス国内3位、欧州全土で見ても20位以内に入るトップランカーだ。実力があるし、若くて勢いもある。何よりも公爵という地位を持ってるから各方面に顔も通ってる。マスター以上に立場としての影響力が高いから今回助けて貰う事になった」
「古い肩書ですが、それが今回の様な状況で力になるなら遠慮なく有効活用するべきだと思いますから。というより、こんな時でもないと使い道がないですからね」
何よりも、と言葉を付け加える。
「まだ誰にも発見されていない高難易度のダンジョンが探索できるなら何でもしますよ」
「あ、同類だ」
静かに友情を確かめるように拳を握り合った。
「今回の探索はこの3人で行う。俺、叶東吾。アーサー・リングスター、そして鴉羽尊。この3人が攻略し、攻略完了までは他の横入は一切許さない……これで良いな?」
東吾の言葉に俺とアーサーが頷いた。
「既に首相や各方面には話を通してあります。向こうとしても市内、それも観光名所にダンジョンが出没しかねない状況は看過できませんから、早急な解決を求めてますよ。今回の件、ダンジョンの発見者等の功績周りはミコトとして話を通してますから安心してください」
「え、待って待って。俺、そういう面倒なのいらない」
「いや、取っておけ」
「取っておいてください」
Sランクマスターが2人揃ってそう言う。
「後々この手の功績は必要になる」
「軽く経歴等を拝見しましたがミコト、貴方は恐らく来年か再来年にはBに上がるでしょう。その時この手の功績を持っていると色々と楽になります。今は無駄に注目を集めるかもしれませんが、必要になるので受け取っておいてください」
「……うす」
面倒だけど将来的に功績は必要になる、と言われると黙るしかない。このリアル化した業界での話に関しては、俺よりもこの2人の方がはるかに詳しい。思えばここら辺の業界の話、俺は全く知らないな。
「尊、良いか?」
「ん」
無くさないように懐にしまっておいた入館許可証を取り出す。
と言ってもこの手紙は目に見える形なだけで、実際の許可は肉体に対して付与されるものだ。これを盗まれた所で問題はないだろう。
「今朝、枕元にこの手紙が置かれてた。内容を見れば解るけど昨日置いてきた図書館の入館許可に対する返答で、これが正しいのならもう既に中に入れるようになっている筈だ。という訳で中に入る事は可能になったよ」
成人男性2人からおぉ、という感嘆の声を貰った。
「で」
東吾の放った言葉をアーサーが引き継ぐ。
「この幻想図書館というダンジョンにはどういうモンスターが出るんですか? ボスの類はいるんですよね? レベル100のモンスターが出ると聞いていますが……あ、いや、やっぱり止めましょう。事前に話を聞いてしまうと勿体ないですからね」
「ああ、倒したいけどメタりたい訳じゃないんだ……!」
「あぁ、この似た者同士……」
まあ、あまり説明すると楽しみがなくなるのは事実だし、性能に触れない程度でサプライズ情報を残そう。
「幻想図書館には通常ボスと裏ボスがいるけど、通常ボスは120レベ、裏ボスは150レベあるよ」
未知の強さを持つボスの存在に、2人の顔は一瞬で凄い笑顔になった。
守りたい、この笑顔。