「舐められてるのかこれは?」
「いや……」
次のフロアに踏み込んで待ち受けていたのは無だった。
正確に言うと一本道だった。
侵入口の先に通路があり、その先に次の魔法陣が設置されている。罠もモンスターもない、ただの一本道。その道中に本来探すはずのアイテムが置かれており、好き放題回収できるようになっている。舐められていると感じてもしょうがないだろう。
実際、舐められている。
相手が相手なのだ、恐らくはモンスター達は既に察している―――この先に待ち受けているのが誰なのかを。それだけで空気が変わる。意識が切り替わる。押さえきれない殺意と怒りが手足に込められる。
「舐めてるんじゃないよ。脅威とか、そう言うのを一切意識してないんだよ。その必要がないから」
「必要がない、ですか?」
「あぁ、そうだよ」
オメガがイライラしながら答える。
「一々踏みつぶしてるかもしれないアリの事を気にするか? しないだろう? アレにとっちゃ俺達なんてアリか、或いは多少珍しい虫でしかないんだよ。踏み潰すのも、干渉するのも自由。それだけの存在だ。クソ、どうやってここが嗅ぎつけられたっ?」
「それよりも急ぎませんと……館長が危険です」
「手遅れでなければ、な」
「状況は大体理解した。尊がちょくちょく零していた最悪の存在とやらが出てきた……という事だな? 成程な、ダンジョンの構造を作り替えたり時間に干渉出来る程の存在か……」
「勝ち目はあるんですか?」
「……解んない。出来る事をするしかない」
もし相手が完全体だとしたら、絶対に勝てないだろう。彼女の強さに穴はある、がそれを突く事はほぼ不可能だ。だからこそ白紙の物語を使ってモンスターを生み出す必要があった。これはもっと先のイベントであり、後々回収するアイテムだった。
だからこそ先に回収して短縮する事を考えたのだが……それが凶と出たのか?
いや、そもそもこの先手に入れたとしてもどうせこの因果は繋がっていたのだろう。そう考えたら対峙する事を選んだ時点で詰みだったのかもしれない。何にせよ、俺達に出来る事は本気で抗う事だけだ……これまで繰り返され、失敗してきたように。
やるしかないのだ。
家に帰るには。
監視されている可能性を考慮して、シンクロを通じたやり取りで何をするのか、それを話し合って決める。それが終わったら再び回収する……アイテムには罪がないから回収しておく。これでレアアイテムが転がり入り込んでくるのはちょっと納得がいかない。
だがそうやって一本道のダンジョンを攻略すると、次のフロアも一本道になる。
そしてそのまた次も。
最下層へと続く道は迷いようもなく、逃げ場もなく、ただただ地獄へと向かって突き進む一本道だった。
そうして、20分もかからずに最下層へと到達出来てしまった。
魔法陣を抜けて広がるのは広大な空間だった。
空を見上げれば星々が浮かぶ宇宙色の天蓋が広がっている。足元は図書館を思わせる木製の床、しかし踏みしめる感触はそれよりも硬く、しっかりとしている。広がる空間の果ては見えなく、それが戦闘の為に用意された場所だというのが解る。
本来であればこの中央に浮かび上がるボスである“口”の存在があった筈だ。だが魔法陣で拘束された口の存在はなく、その代わりに中央に倒れる中年男性の姿があった。
「館長!!」
全員で走り寄って倒れている館長を抱き上げる。傷一つない、脈を測れば死んでいないのが解る。かけている眼鏡には罅が入っており、何らかの暴行を受けたように見えるが……外傷は他に見えない。吹き飛ばされた? 何があったのかは解らない、だが館長が生きているならまだ希望はある。
図書館の権限を握っているこの人であれば俺達を外へと飛ばせるだろう。
「館長! 無事ですか!?」
「館長様!」
「無事か!?」
「うぅ……君たちは……は……」
ゆっくりと、館長の目が開く。本来であれば優しそうな、穏やかさの中で生きているような男の顔だが、今はどこか辛そうに歪んでいる。その視線がモンスター達を、アーサーを、東吾を巡り、それから俺へと向けられる。
「君は……いや、逃げるんだ……彼女にはまだ……!」
背後でぶぅん、と魔法陣の起動する音が聞こえる。地上へと逃げる為の魔法陣が出現した音だ。
「早く、まだ逃げられるうちに……!」
そこまで館長が言葉を告げてから、ガラスが割れる様な音と共に魔法陣が砕け散った。
「―――あら、勿体ない」
圧。
存在感。
声を放ち、そこにいる。ただそれだけで圧倒される。
生命として別の次元に立つ。その魂の圧が一瞬で空間を満たした。まるで深海の底に叩き込まれたように全身に降りかかるプレッシャーを、精神力で凌駕し、崩れ落ちそうだった足に力を込める。いきなりの登場に反応出来た者は―――いた。
「―――」
エグゼリア。
それは有意識、無意識を超越した超反応だった。システムの構築やバトルログさえも反応しない。それほどの超神速の反応。戦場を渡り、戦い続け、そして抗い続けた戦士の1人。それは旧世界における大英雄の証。最後まで抗い続けた騎士としての矜持。
反射神経にまで刻まれた殺意と戦意、そして無念。それが道理を飛び越えた反応と動きを可能にした。
0から100へ、一瞬で最速、フルバフの攻撃が現れた“ソレ”へと向けられる。対応できる生物が地上には存在しない程の速度。それに合わせられたのは同じく、旧世界において決戦機として終末期を抗い続けた最後の無機生命。
エグゼリアの完全な反応に追従するように、女の背後の空間が割れる。
その向こう側から姿を見せるのは全長500メートルを超える鋼の巨神。無機生命の決戦機と謡われたその威容は正しく破壊を行う為だけに生まれてきた殲滅兵器。人型の姿を取っているだけでその姿は兵器としてあらゆる武装を搭載している。
モンスター化によって本来よりも弱体化していても、それでも歴戦の反応と判断は違えない。事前相談通りの動きと判断を2人は完工する。感知した瞬間、反応できない速度で最強の攻撃を逃げ場なく叩き込む。
《聖剣技》と《グラビティカノン》。挟み込む様に叩き込める最強の火力が向けられた。
「ふふ、思い出すわね」
そこに、時間軸に割り込む様に女が反応した。その瞬間エグゼリアも、オメガも、まるで無限の回廊に突っ込んだように動きがゆっくりと遅延し、無限に同じ距離を進み続けた。その距離を容易に女が踏破し、近づく。
「エグゼリア……貴方が戦場で灯した火は良く覚えているわ。常に先陣を切って炎を灯した貴方を常に皆が追いかけていたわね。反逆の火種を皆に宿して勇気を与えた。先陣の誉れとは貴方の姿を示したわ」
反応、出来ない。
エグゼリアに指先で触れた。
「走って、駆けて、そして最後は駆けたまま燃え尽きた。それが貴方の末路だったわね」
■■■の《上位観測》!
上位存在の立場からエグゼリアの末路が観測された!
エグゼリアは運命の死を迎えた!
音もなく、言葉もなく、エグゼリアがかつて辿った運命が再現されて……燃え尽きた。鎧が、兜が、剣が、全てが炎の中黒く焦げて、焼けて、溶けて、そして地面に落ちる前に燃え尽きて消えた。まだ反応出来ない。オメガへと振り返った。
「オメガ……最後の無機生命。貴方は希望として幾多もの無機生命を捧げて生み出されたわね? 最後まで抗い続けたとても強くて、命に溢れた皆の誇り……だけど最後まで生き残れただけで結局何も守れなかったわ。覚えてる? 貴方は無人の荒野で守るべきものもなく慟哭を上げながら朽ちたのを」
■■■の《上位観測》!
上位存在の立場からオメガの末路が観測された!
オメガは運命の死を迎えた!
オメガの全身が一瞬で万年を迎えたように風化した。割れた空間からオメガの本体が朽ちて、崩れ落ちながら倒れて行く。そして風化と共にその機構は分解され、最初からそうであったかのようにスクラップとなって消え去った。
「想定、通りだッ!」
「これで……!」
「ふふ」
だがエグゼリアも、オメガも囮だ。その反応の間にハーデスが回復反転のデバフを付与し、影に隠れてラファエラが完全回復魔法を放った。即死級のダメージが女を襲う。だが届かない。絶対に届かない。立っているステージが違う。次元という階段の上に女は立っている。
必死に駆けあがる存在を見下ろしながら指先でつん……と押すだけで良い。
それだけで誰も届かなくなる。
「ラファエラ……貴女にとって戦いとは癒す事だったわね。傷ついて、苦しんで、足を止めた人たちに寄り添い、癒し、そして再び立ち上がる力を与えた。だけど貴女が送り出した命は1人として戻って来ることはなかったわ。最後は治療所と運命を共にしたのはとても誇らしいわ」
「あっ……」
■■■の《上位観測》!
上位存在の立場からラファエラの末路が観測された!
ラファエラは運命の死を迎えた!
ラファエラの翼が一つ、また一つ折れる。床に膝を突き、立ち上がる事が出来ずに圧殺された。それは彼女が最後の瞬間まで必死に治療し抗い、だけど何も成し遂げる事が出来ずに死亡したという運命を再現したものだろう。
「ハーデス、慈悲深い死の裁定者。貴方は幾多もの散って行く命を冥界で慰撫し続けたわ。どれだけの嘆きを、苦しみも、絶望を見ても諦める事無く未来に繋がると信じて、次の命はあるのだと説いたわよね? 貴方は明日が訪れると信じて……嘆きの大河に飲まれて消えた」
■■■の《上位観測》!
上位存在の立場からハーデスの末路が観測された!
ハーデスは運命の死を迎えた!
「おのれ、貴様さえ……!」
その体を構築していた炎はその命でもあり、暗き闇の淵で死者たちを温める為のぬくもりでもあった。だがその炎も、無限に膨れ上がる大河の前では意味をなさなかった。次の生はきっと良いものになるだろう。そう慰撫し続けてた死の神はあふれ出る絶望に溺れて鎮火した。
その全てが0秒の出来事だった。
そう、0秒。全員一瞬で死んだ。それを時系列順に認知出来るのは目の前の女がそれを見せつけているからだ。全員が一瞬で死んで、それを超える為に認知した瞬間に蘇生アイテムが飛ぶ。
エグゼリアの死は覆らない!
オメガの死は覆らない!
ラファエラの死は覆らない!
ハーデスの死は覆らない!
《上位観測》によって死が観測されている!
「―――」
蘇生不可。世界の神がこのものは既に死んでいると定めたから蘇らない。だって彼女は神だから。神は全能の王であり、絶対者の証でもある。上位に立つ存在が世界のルールはこうである、と決めたらその瞬間それが世界のルールになる。
《上位観測》。
上位存在の立場から物事を観測する反則スキル。スキルというよりはルール。漫画の登場人物は作者に文句を言う事が出来ないが、作者は望んだ通りに結末を書き換える権利を持つ。その当然の権利と能力の行使。つまりルールを決める能力。
それがこれだ。
だから誰も彼女には逆らえない。誰も彼女には勝てない。
「ぐっ、成程、戦うだけのステージに立ててない、という事ですか……」
「どうしようもないな、これは」
アーサーと東吾が激しい頭痛に膝を折る。そもそも彼女の前に立って意識を保った事だけでも偉業。普通の命はその存在を認知する事さえも出来ない。アーサーと東吾はランカーとしての実力で鍛えられているからこそ認知が可能で、まだ意識を保っている。
それでさえ正しく姿が見えている訳じゃないだろう。
恐らくはその輪郭を捉えて、なんとなく女だと声から察する程度。
それでも人間の脳で理解出来る範疇を超えている。人間の脳の持つチャンネルを超越している。だから止まらない頭痛に膝を折る。ギリギリのラインで意識を保っている。だがそれも長くは続かない。直ぐに限界が来る。
「すみません、後は任せました……」
「ケツは持つ、好きにや……れ……」
それだけ言葉を残し、アーサーと東吾が意識を手放した。粘ろうとすれば粘れただろうが、その場合は脳に何らかの障害を残していただろう。2人は最後に俺を見て、それで託して倒れた。館長はそんな2人を引き寄せると、息を荒げながらも後ろへと下がって行く。
邪魔しないように、という配慮だろう。
ありがとう、と伝えたいが俺にはそれだけの余裕がない。
今、頭の中では全力で彼女の本来のデータをこねくり回していた。それでも何をどうしても、勝ち筋が見えない。その絶望感と戦っていた。
「ふふ、やっと話せるわね」
「あぁ、そうだな」
少し距離を開けて、無傷の彼女が立つ―――俺にはその姿が良く見えた。
緩いウェーブのかかった銀髪。神秘的な雰囲気を持ちながらも衣服はまるでどこにでもいる様な町娘の様にロングスカートにブラウスというシンプルな格好をしていた。だがそんな恰好であってもこの世ならざる美とでも表現すべき圧巻のオーラは何一つ損なわれていない。
もし耐性のない人間であれば一瞬で魅了されているだろう……無論、そんな人間は彼女の前に立つ事さえできないだろうが。
「……館長、逃げられますか?」
「すまない、先ほどから色々と頑張っているんだけど権限を奪われているんだ」
「……了解、下がっててください。やれることはやります」
「すまない……!」
後ろへとずるずると辛そうに下がって行く館長を感知しつつも、視線は背けずに前へ向けたまま。真っすぐと彼女と―――異世界の神と向き合う。
「こうして向かい合うと初めてって気がしないな」
「そうね、でも実際に前に立つのは初めてでしょう?」
だから、と言葉を区切り、笑顔で語りかけて来る
「はじめまして、鴉羽尊くん」
喉が渇く。頭が全力で回っているのにまるで答えが出て来ない。
思う。
「私の物語に素敵なピリオドをありがとう―――あまりにも素敵過ぎて我慢できないから終わる前まで戻ってきちゃった。許してね?」
絶望とは、人の形をしているんだ、と。