パリのカフェに女が一人コーヒーを前に席に座っている。
エッフェル塔が良く見えるカフェを1人で過ごす女の姿は誰もが振り返る程の美少女だと言っても過言ではないだろう。その容姿だけではなく、着ている服装も最新の流行を取り入れたブランドものを着用している―――モデルとなった人物はまず間違いなく趣味じゃないというだろうが。
そんな女、アリア=マリスは楽しそうにテーブルの上にぬいぐるみを置いた。
「尊、エッフェル塔よ。エッフェル塔、尊よ」
世界を滅ぼす女は楽しそうにぬい活してた。
デフォルメ化した尊のぬいぐるみを片手にコーヒーのカップを握らせ、背景にエッフェル塔が映るようにスマホを構える。
「ふふ……このアングル良いわね。やっぱり尊にはちょっとハードボイルドな感じが似合うわ」
「うっわぁ……」
それをドン引きの表情で眺める女が直ぐ傍にいた。アリア=マリスと同じく誰もが振り返るであろう蒼髪長髪の美女、顔立ちだけ見るなら間違いなくクール系のそれだろうが、その表情はアリア=マリスを見て明確なドン引きに歪んでいた。服装もメイド服で完全に周囲から浮いている。
だが不思議と2人に注目する存在はいなかった。まるでその空間だけ切り取られて認知出来ないようにされているような不自然さが2人を包んでいた。
「何をしてるんですかお母さま……」
「見て解るでしょ? 推し活よ。最近はぬい活って言って推しのぬいぐるみを持って観光スポットを回ったりするのが人類のトレンドらしいわよ」
「それは二次元のキャラクターでやるものであって、実在する人間でやるものじゃないですって。ナマモノはヤバイですよお母さま」
アリア=マリスはにこり、と微笑みながら、みこぬいをメイドへと向ける。するとみこぬいの目が光り、ビームが女の上半身を吹き飛ばした。
「みこぬいが煩いって言ってるわ」
「肖像権関係で間違いなく本人キレますよ。こんなんだから残念とかカスとか人の心が解らないとか言われるんですよ」
上半身が消し飛んだ所でどこからか声を発する。断面の向こう側から内臓を晒しつつ、逆再生するように肉体を修復し、無傷のメイド服の女が復活した。滅亡しか生み出せない簒奪神は生み出した娘を見るとはあ、と溜息を零した。
「あの図書館にいるメイドは優秀そうだったから真似して作ってみたのに……どうしてこんなにも生意気な娘になってしまったのかしら」
「間違いなく母親の遺伝子ですね。純度100%お母様産なんだから残念さもそこからですよ」
ぬいキック、メイド服は粉々に砕け散った。勝利したみこぬいを女神が掲げてキャッキャと楽しむ。女は完全に現代文化を前に屈していた。これが正しい現代文化であるかどうかという事は女に関係なかった。暇な時間をそれなりに楽しめるならまあ、それでいいんじゃないかな? というガバ感覚が全てだった。
残念さ、ここに留まる事を知らず。女は世界の観光名所に勝手に作ったみこぬいを連れ歩き勝手に楽しむ事を新たな趣味としていた。同時刻、物凄い気分を害している尊がいるという事実は女にとってそんなに興味のある事ではなかった。
だが女を叱れる存在は地上にない。
女は嫌な方向で無敵だった。
「うーん、失敗したかしら? 尊に当てる為の敵を作るにはイーターも口もちょっと破壊規模がデカすぎるのよね……たぶん放ったら最後時間がなくなってしまうし……だから貴女を作ったのに……はあ、なんでこんなにも反抗的な子なのかしら」
「純度100%お母様の血ですよ。誰が見ても同じ答え出ますよ」
「そうかしら? みこぬいはそう思わないわよね? ねー」
「何かあるごとに敵を模したぬいぐるみを盾に使うの止めません? まだ本人とエンカウントしてないのにずっと私の謝罪ゲージ上昇し続けてるんですけど」
アリア=マリスは復活した娘を見ると首を傾げる。
「尊本人ならともかく、ぬいぐるみを使ってどうするかは私の自由でしょ?」
「マジかこいつ」
ねー、とかやってる姿に本気で頭痛を覚えるメイドをよそに、アリア=マリスは楽しそうに頬杖をついてぬいぐるみをつんつんと突く。
「別にいいじゃない、大陸を沈めてる訳でも、この時間軸の本体を起こしている訳でもないのだし。私としては凄い我慢してる所なのよ? この試行錯誤している時間も楽しいのだけれど。初めてする事だからわくわくドキドキするし」
「まあ、お母さまが難易度調整へたくそなのは前の世界滅ぼしてる所を見ればもう納得以外の言葉が見つからないんですけど」
「そうねぇ、皆もうちょっと頑張ると思ったんだけど何時の間にか滅びてたわね。どうして土壇場で殺し合ったり不仲になったりするのかしら? 神龍も自分が正す! とか言って竜王だけ連れて飛んで来た時には笑っちゃったわよね」
つんつん、と突いてぬいぐるみがころりと転ぶ。
「ちゃんと団結して全生命で来たら負けてたのに」
「その多様性をお母さまのお父様……つまりお爺様が愛したんじゃないですか?」
「それはそうなんだけど……あまりにも愚かとは思わない? 他者と違うのは生命としては当然の事よ。でもそれは生命が存続する為のデザインよ。共通の滅びが発生した時は団結しなければ意味ないのに、彼らは出来なかった」
ふふ、と微笑んで昔を想った。
「出来ないのならあの世界がエンディングを迎えた所で当然ではないかしら?」
「そういう所……って言ってもお母さまには通じないんでしょうねぇ。えぇ、うん。私ももうちょっと螺子外れた感じで生んで欲しかったなあ……」
「駄目よ、貴女はちゃんと尊がどうして怒ってるのか、私の何を嫌ってるのか、それを理解して説明してくれないと。通訳と私の世話とついでに尊にぶつける生物のプロトタイプとして生み出してるんだから」
「普通に欲張り過ぎだと思うのでもうちょっと……こう……なんと言いますか……いや、まあ、どうせ生命の創造苦手分野ですもんね。最初に生み出したペットがアレでしたし」
2人の脳内に創造神をむしゃむしゃと食べて消化する暗黒ペットの姿が思い浮かぶ。造形美皆無、アリア=マリスには芸術的なセンスなんて存在しないという事実を世に知らしめた傑作だった。
まさか創造神も自分の娘が突然サイコパスに覚醒して、世界を継ぐ立場にあるのに自分を衝動的にペットに食い殺させるなんて思いもしなかっただろう。誰がこんなもん想像できるのか。
「私もねぇ、食べさせちゃった時は思わずやっ、やっちゃった……とか言っちゃったからね?」
「やっちゃったで世界滅ぼすガバ感覚ほんと止めてくれません?」
「大丈夫大丈夫、今度はだって尊がいるもの! 私の愛しい愛しいエンディングが、間違えた私を正しいエンディングへと導いてくれるわ。だから大丈夫、今度は何も心配がいらないの。この物語は素敵な終わりを迎える事が既に決定しているのよ」
それを聞いてメイドは無言で冥福を祈り十字を切った。
彼女の宗派ではなかった。
でも彼女の世界の神は……目の前にいる神はどう見ても救いを齎すタイプではない。
なのでせめてこっちの世界の神に祈ろうという行為だった。
「うーん、だけどやっぱり命を創造するなら既存生命をモデルにするのが良いわね。やはりここら辺のセンスは私にはないわ、ほとんどの生命は全部同じに見えるし。これからも作る時は整った容姿の存在を使うのが良さそうね」
「まあ、お母様はその辺のセンスがないですし。参考になる人物を使うのが良いんじゃないでしょうかね」
「でしょうでしょう? 尊の近くにいる人を使うのが一番親しみやすくて良いと思うのよね」
そういう考えしてるからダメなのでは? という発言をメイド服は黙った。彼女もそうやって生まれて来たからだ。そしてこれ以上殺されるのも面倒なので黙る事にした。
「―――相席失礼するぜ」
そうやってトンチキな会話がひたすら続く中、1人の老人が同じテーブルに座った。
歳を取ってもなお丸太の様に太い腕、傷の入った体、年月を経てもなおその肉体に宿る生命力は桁違いだった。胸元をかるく開けて肩からスーツを羽織った老人はサングラスを外し、滅亡神と同じテーブルについた。
「よお、カミサマ。会いたかったぜ」
「あら、このテーブルに誰かを招いたつもりはないんだけど」
「おいおい、そんな寂しい事を言うなよ……レディが1人で過ごしてるならその寂しさを埋めるのがジェントルメンの役割って所だろ? 俺は男として当然のことをしてるだけだ」
腕を広げて楽しそうに語る男に、メイド服が眉を顰める。
「この男、お母様を認知出来てる……」
それはつまり認知フィルターを潜り抜け、なおかつ直視してもなお発狂しない、疲弊しない、精神の持ち主である事を示す。人間は特別な力を持たない。与えられたのはモンスターを指揮する権限であり、それはモンスターと共に育まれるものだ。
だがその道程で少しずつ人の域から外れて行く……アリア=マリスに対抗する為に。
モンスターとは強制ギプスでもあり、バトルは人類を鍛える為のツール。
ならばそれを繰り返し勝利し続けた存在は?
……或いは、女神と相対する資格を得られるのかもしれない。
「貴方……微妙に追えてなかったのよね。あの狡っからい邪神たちの入れ知恵なんだろうけど。あまり愉快じゃないわね」
「おいおい、あんまり褒めないでくれよ。性根の腐った蛆虫にとっちゃそりゃあ誉め言葉だぜ? ん? 折角の美人顔なんだ、もうちょっと良い顔したらどうなんだ。そうじゃなきゃそこの、あー……なんだ、孫のぬいぐるみもあんま良い顔をしないだろ……?」
「あ、滅茶苦茶困ってる」
「そうね」
みこぬいを握り直すと一瞬で急降下していた機嫌が復活する。それを見て逸脱者2人がそれでいいんだ……みたいな顔をする。
少しだけ妙な間が空き、それで、と言葉が続く。
「自己紹介は?」
「おや、俺の事はご存じかと思ったが?」
「悪い癖ねぇ、自分が有名人だから絶対に知られていると思っているのは」
「へぇ、カミサマなのに知らねぇ事もあるんだな。全知の看板は下ろした方が良いぜ。痴呆症始まってるからな」
行儀悪くテーブルに足を交差させて乗せる老爺と、ぬいぐるみを握った女神の視線が交差する。メイドは静かに関わりたくなさに距離を作っていた。
「ハジメマシテ、カミサマ。柊剛三、お前の大好きな男のお爺ちゃんだよ」
「ハジメマシテ、モブの人。貴方には興味がないの」
ね、とみこぬいを傾げて無理矢理同意させる。それはまるで尊本人が辿っている運命の様な物だった。自分よりも大きな力によって流れを作られ、自分の意思ではどこに進む事も出来ず、与えられた定めを全力疾走する以外が出来ない。
それを哀れだと思える感性を持つのは、メイドだけだった。
そして残念ながら、この場にそれを考慮する者は1人としていなかった。
「孫の虐め方で悩んでるって顔をしてるな」
「あら、貴方は詳しいとでも言うの?」
「おいおい、孫の虐め方に関しては俺がプロフェッショナルだぜ? お前のモデルを発掘してきたのも俺、尊がマスターになった理由も俺。言い換えれば俺が全ての元凶だぜ」
「へぇ……で?」
欠片も興味がなかった。格付けは既に終わっている。柊剛三は相対する資格を持っていた。だが100度繰り返した所で絶対に自分に届く事はないだろう。その時点でこの老爺の事はネームドからモブへと格付けが終わった。
自分をどう足掻いても倒す事の出来ない存在に、価値はない。
女神が興味を持つのは自分を終わらせられる唯一無二のみ。それこそが至高にして全て。彼女が持つ好感は全てその一つにのみ向けられる。それが彼女にとっての世界の全てでしかないからだ。
だが彼女の感性は終わっている。人としての視点を持たない。
「困るんだよなぁ、こっちは折角楽しく遊んでる所に横から頭を突っ込んでくるのは。政府黙らせたりするのだって楽じゃねぇんだよ」
「で?」
「遊び方に困ってるだろ? 時間を持て余してるけど孫で遊びたい……そういう顔をしてる」
「……」
女神の視線が王者へと向けられた。人を殺せるだけの圧の視線が向けられる。一切躊躇のない視線。それは周囲にいる人間の魂を砕くほどの圧力。カフェで時間を過ごしていた人間が外傷もなく、倒れる。既に手遅れだ。彼ら、彼女らの魂が砕け散っている―――来世すらないだろう。
「おいおい、そんな熱視線を送るなよ。照れちまうだろ? 孫に宛がった女と似たような顔をしてるから妙な気分になっちまう」
「まともな事を話せないならいい加減消えて貰うけど……?」
「おぉ、怖い怖い。じゃ、じゃれ合いもここまでにするか」
パチン、と指を弾いた。それと共に後方から新たな男がやって来た。男はやってくるとその場で跪き、涙を流した。
「おぉ、女神よ……!」
「このモブ、何?」
「お前の信奉者だよ。グノーシス主義を知ってるか? そういうのに近い思想の持ち主だ。ただし頭が滅茶苦茶キレる。賢過ぎて真実に近づきすぎて発狂してお前を見てこの通りさ」
「ふぅん……」
少なくとも女神の視線に耐えるだけの資格はあるらしい。それが強さによるものか、或いは発狂によるものなのか。それを知る事に興味はなかった。だが女神はその意図を理解した。
「使えるの?」
「お前の100倍は人と世の中を良く理解している。人の動かし方、育て方。弄び方、壊し方……それを良ーく理解してる」
解ってるだろ? と老爺が続ける。
「お前には人側の視点が足りてない。お前がこのまま好き勝手やると折角のゲームもこの星も台無しになるんだよ」
「へぇ、大事なんだ。尊の事が」
アリア=マリスのその言葉に、柊剛三は大笑いした。これ以上なく女神の言葉は間違っている。それを証明するように笑いながらも、その目は怒りに満ちていた。
「大事? 冗談を言うな。この世でアイツの事は俺が一番殺してやりたいと思ってる」
声の強さ、意志の色、そして魂の揺らぎ。その全てが本物だった。観測者の視点から見て剛三の言葉に一切の偽りはない。この男は尊を憎んでいる。殺そうと思った事さえある。その全てが真実であり、同時に丁度良いとも思えた。
「そう、面白いわね、貴方。いいわ、モブから脇役ぐらいには昇格させてあげるわ。他人の書いた脚本というものも多少の興味はあるわ」
「ご理解いただき感謝するぜ。はあ、良かった……折角の舞台がご破算になる所だったわ」
「ふふ、その時はその時よ。積み上げたものが崩れるのってとても楽しく見られるのよ?」
「ははは、お前じゃあるまいし、俺がそんな破滅的な性質をしてるものかよ」
「ふふふ」
「ははは」
「おぉ、女神よ……!」
最悪の女神と最悪の人間の密会、狂信者を添えて。頭の痛くなる光景にメイドは大きな胸を抱えながら空を見上げた。
「絶縁出来ないですかねぇ……これ……」
世界は見えない所で着実に転がり出していた。
舞台裏の悪人たちの手によって。