「長い……長い1日だった」
漸く、家に帰って来れた。
学校に行って帰って来たというだけなのに偉く疲れた気がする。あのジジイが来た日を除いて人生で最もアクティブだった日な気もする。体に残る疲れはあの熱狂と熱気を感じた事に対する対価だろうか?
柄にもなく、熱に浮かされた気がする。
ミストドラゴンの背から降りて背筋を伸ばす。本来であれば1時間もかかる距離が僅か10分で踏破出来てしまうこの理不尽な生き物は往復してきたばかりだというのにまるで疲れた様子を見せてない。
振り返って見上げれば久遠が労う様にミストドラゴンの首筋を撫でている。
「では私はこれで帰るが、明日も貴様を迎えに行くからな」
「別に迎えに来なくても良いんだけど」
「それはダメだ。私は貴様の許嫁として面倒を見る必要があるからな。聞けば良妻とは夫の欠点を理解し、それを支える事の出来る者らしい。であるならば、私も良妻を目指す身としてこれぐらいの事は出来るようにならなくてはな」
満足げに語る久遠の表情は一言で片付けるなら迷惑以外の何物でもない。
「悪くなかっただろう」
返答に困っていると久遠が続けた。
「学校も、バトルも、この都市も。悪い場所ではないだろう」
「まあ、そうだな」
「だが好きではない、という感じだな」
言い辛い事をズバっと少女が切り込んできた。俺の目を見つめながら見下ろすように言葉が続く。
「いや、別にここが好きだとか嫌いだという感じではないな。そもそもからして人やそれに近づく事自体が嫌いって顔をしているな、貴様は」
人の心を見透かすような目が向けられている。
「人と関わるのがそもそも嫌い。貴様のそれは他人への忌避感や嫌悪感というよりも貴様自身に向けられている様に感じるな。お前がお前自身に―――」
「久遠、止めよう」
言葉を途切れさせる。
「嫌いになりたくない」
「……」
ゆっくりと目を閉じて、その幼さには不釣り合いの目が見えなくなる。久遠も久遠で何かを抱えている事は良く考えなくても解る。ジジイがそれに何かを期待して俺達を引き合わせたのも解る。だけどそれはそれ、これはこれ。
人の性根はそう簡単に変わるもんじゃないし、暴いて良いものでもない。
「それ以上は、良くない」
「……そうだな。失言だった」
眉尻を下げて謝る久遠に溜め込んでいた熱を吐き出す。今日は楽しい1日だった。それでいいじゃないか。それ以上は誰も幸せにならない事だから。
「まあ、それはそれとして明日も来るが」
「おい」
ミストドラゴンの首を叩くと巨体が翼を広げ、羽ばたき始める。浮かび上がらせるように湧き上がる風と霧の気流に優しく撫でられながら2つの姿が浮かび上がる姿を見送る。背から乗り出すように此方へと顔を突き出してくる姿が危なっかしくて不安を覚える。
だが俺のそんな心配を一切気にすることなく、羽ばたきに負けないように大声で叫んでくる。
「ミコト! お前は嘘つきで強情だ!」
「もしかして罵倒されてる?」
「それがゴーゾーに良く似ている!」
「それはライン越えだぞおい!!」
だけど、と声を張る。
「貴様は! 不思議と引きつけられる魅力がある! 覚悟しろ、私は―――」
言葉を言いきる前にミストドラゴンが上昇し、そのまま飛び去って行く。夕暮れに染まる世界、そこを突き抜けるように飛翔して行くミストドラゴンの姿が地平線の向こう側へと消えて行くまで無言で眺める。
その姿が完全に見えなくなってからもしばらく立ったままでいると、扉の開く音がした。
「あらあら、青春ね」
「母さん」
「お帰りなさい。おやつを用意しておくから手を洗って来なさい」
「ん、ただいま」
扉から顔を出してきた母が家の中に戻っていった。1度だけ飛んで行った方を見てから家の中へと戻る。妹の姿は……リビングのテレビ前にチビを抱いて座っている。そういえばもうアニメの時間か。サクッと手を洗ったらダイニングに置いてあったドーナッツの皿を取って自室へと向かう。
「零さないようにね」
「あいあい」
そのまま皿の上にドーナッツを口に咥えながら階段を上って自分の部屋まで戻る。東京にいた頃よりも広い部屋に入って一瞬、間違えたのかと思ってしまう……それから直ぐにここが自分の部屋だと思い出し、自分の今の立場を思い出す。
「よいしょ」
鞄を床に投げ捨ててベッドに腰かける。むしゃむしゃとドーナッツを食べながら弁当箱を渡すのを忘れた事を思い出す。まあ、後でいっか。
「……」
まだそんなに大きくない口で食べるドーナッツも、意外と食欲があったのか直ぐに消えてしまった。空っぽになった皿を机の上に置いたらそのままベッドに倒れ込む。ポケットに突っ込んだスマホを取り出して掲げ、バトル関連のニュースでも見ようかと思って……止めた。
「バトルかあ」
体を巡る興奮。モンスターを育成する喜び。勝利する楽しさ。その全てをゲームとして覚えている……そして現実に見たモンスター同士の戦いは、それを超えるものだった。アレに自分も参加できる。そう考えるだけで昂らずにはいられない。
俺は解る。モンスターの最適な育成方法を。俺は既に知っている、まだ発見されていない様なスキルの数々を。俺は理解している、ここではまだ試されていない戦術を。
俺は覚えている……まだ発見されておらず、見つかる事を待ち続けているモンスター達を。
俺は……既に読んでいる。この世界の裏側にある秘密と成し遂げないとならない神話を。
知ってる。
それが全部ゲームの話で、実際にやろうとしてもそう簡単に上手く行く訳がないだなんて事ぐらいは。所詮はドライビングシミュレーターで車を運転した気になってる奴と同じで、本物を体験してないのに出来る気になってるだけの奴だ。
それぐらい解っているし、変な期待をするべきでもない事は解っている。自分の価値はこの世にいる人間とそれほど変わりもしない事、その他大勢に紛れるモブでしかない事を。それを自分に言い聞かせて、興奮を抑え込む。
「それでもマスターにならないといけない、か」
ジジイの事だからどうせサボればその分ペナルティを課してくるだろう。だからそうなる前に自分から動き出さなければならない。だけどバトル、探索、育成……その全部が本当に俺に出来るのだろうか? ゲームでポチポチボタンを押しているのとは違う。
「七海、必死な顔してステージに立ってたな……」
ケットシーに必死に指示を出して、それでも勝ちたくて、知らない人にまで頭を下げて頼んで。あんなに無様な姿を晒してでも勝とうとした。俺に出来るのか? アレだけ必死になって勝とうとする事が。そこまでの熱量を俺は保持する事が出来るのだろうか?
「いや、結局はやるしかないんだが」
やれるかどうかではない。
やる。
それだけが答えなんだ。
「わう」
「ん……チビ?」
部屋の扉を鼻先で押して開けるとチビが部屋に入って来る。どうやら妹の抱擁から抜け出して来たらしい。ベッドに寝転がっている俺の横にやってくると、そのまま腹の上に頭を乗せて来る。甘えて来る毛むくじゃらの頭を撫でてから両手で掲げるように持ち上げる。
「チビ……お前も戦いたいのか?」
「わう!」
それは刻まれた本能なのだろう。モンスター達はある理由からより高みを、更なる強さを求める。それはこの世界……いや、ゲームの根幹に纏わる設定の話だ。それが本当であれば、最終的にこの世界は神と呼ばれるレベルの存在と戦う必要が出て来る。
文字通り天変地異クラスの存在だ。
そもそも隠しボスを含めると山脈に体を巻きつけるドラゴンや、樹海の深淵に潜む狂気の破壊神や、海底で眠り続ける海王なんてものまで存在する。それらと渡り合えるように、戦えるように、更なる成長と次へと繋げる事……それがモンスター達の戦闘本能へと繋がる。
「解ってるのかお前」
「うぅー?」
このバトルという業界は、競技には、多くの出会いが存在する。新しいモンスター、まだ見ぬライバル、戦った事のないマスター……1歩踏み出せばその瞬間から大量の出会いと未知が待っているのだろう。
だがその反面、別れもある。
そしてその筆頭となるのが……。
「お前なんだよなぁ」
「わう!」
「元気良く吠えてるんじゃないぞ」
強くなる、上を目指すという事はこの毛むくじゃらを合体させて、新しいモンスターにするという事だ。ジジイが連れてきてから数年、コイツはすっかりと家族として馴染んだ。抱きしめて一緒に眠ったり、一緒に風呂に入ったり、毎日散歩や運動に付き合っている。
……もうこいつ抜きの生活を思い出せないぐらいには。
だけどこいつは凄く優秀だ。少なくともFランクでは無双できるようにトレーニングと調整を施したし、次の世代―――いや、コイツを組み込む血統の事を考えても、合体させて次の世代へとコイツの能力などを受け継がせたい。
だけどそれは、コイツとの永遠の別れを意味する。
そしてこれからも、好きになる、仲良くなるモンスターが何度も現れるだろう。
その度に次の世代へとバトンを渡す為に戦わせ、合体させてさよならを言う。
ゲームだったらただのデータだ、新しく捕まえてきて代替となる奴を置いておけばいい。だけどこいつは生きてる。美味しそうにご飯を食べて、寂しかったり苦しかったら自然と横にやってきて気遣ってくれる、優しくて可愛い家族だ。
それに別れを告げる―――。
「……難しいな」
じゃあチビの代わり新しいモンスターを連れて来い! ……というのも難しい。それぐらいチビそのものが優秀でレアなモンスターなのだ。恐らくジジイもそれを理解しててこれを連れて来てるのだろう。アレはそういう嫌がらせを好んでやる。
「……」
「ぅー……わう! わうわう!! がお!」
手から抜け出すと胸の上に着地し、やる気満々の表情で吠える。その姿は確かに戦わせろと、自分はもっと強くなりたいと主張する姿だった。
「解ってるのか? 姿形だけじゃないぞ? 考え方や意識まで変わっちゃうんだぞ?」
「わう!」
此方の心の内を読む様に吠える小さな姿に嘆息する。
「自信満々なお前の事が羨ましいよ」
チビを撫でて天井を見上げる。
「とりあえず週末にはEランク昇格戦をやるか……」
足踏みするよりは悩みながらとりあえず試す。チビの合体の件に関してはその時また考える。Fランクのままだと出来ない事が多すぎる。チビを合体させるにせよ、させないにせよ、先に出来る事をやってしまおう。
「嫌だなぁ、灯に嫌われるのは」
ただチビを合体する事になったら……妹が凄いぐずるだろうなぁ。
場合によっては嫌われるだろう。
そしてたぶん……本当にその時が来たら、チビを躊躇なく合体させてしまえる自分が一番嫌だ。