アンナからの電話も終わってココアを飲んでララも蘇生した。
とりあえず一休みして元気は戻ったので、ウェンを連れて外に出る。外に出ると待機していたチビが直ぐに近寄って体を擦りつけて来る……本当にでかくなっても動作が子犬のままなんだよなぁ、コイツは。そういう所が可愛いんだけど。そう思いながら光るページが舞う中で、白紙の物語が現れる。
「はあ、寒いな」
「寒いー」
「寒いなら2人とも暖炉の前に戻っても良いんだぞ?」
「冗談言うな」
「私も興味あるかも」
一緒に外に出てきた久遠と灯に肩を揺らして勝手にしろと言っているとチビが体を寄せて来る。コイツのおかげで外は暖かいんだけど、家の中にデカくて中々入れられないのが可愛そうなんだよなぁ。それに第6世代も獣型でデカいし。最終世代までは自由に家の中に入れられないのはちょっと申し訳ない。
「ありがと、チビ……さて、ウェン、準備は良いか?」
「うす! 気合十分っす!」
斧を片手に、幽霊の少年はこれ以上なく気合とやる気に満ちている。その心には運命への反逆の炎が灯っている。その炎こそが未来へと進む為の灯火になる。それが絶えさえしなければ未来は変わる……筈だ。
メタ知識的には何が起こるかは知っている。だが現実で経験したわけではない。だから確約する事が出来る訳ではない。
「ウェン、俺は何が起きるのか、どうなるのかを知っている。でもこれを口にした瞬間未来が変わるかもしれないし、或いは結果も変わってしまうかもしれない。そもそもお前は今知った事、学んだ事、身に付けたものは全て忘れてしまうだろう」
「忘れちゃうんすか!?」
「あぁ、これは単純な過去の再現じゃなくて一種の時間遡行らしいからな。過去に戻って、その時をやり直すんだ。だから未来で得たものは何一つ持ち込めない。解るか? お前は元からあるものだけで運命に挑まないとならない。そうしないとタイムパラドックスが起きるからだ」
……らしい。少なくともそういう設定だった筈だ。細かい事情、設定は正直勘弁してほしい。ちょっと難しい話になるから俺に説明しきれるかは解らない。
だが未来で、本来この説明を行うNPCは、イベントキャラクターはこう言っていた。
「今、お前の胸には運命へと反逆する為の焔が宿っている。それが唯一持ち帰れるものだ。それこそが暗闇に満ちた時代と運命を照らす事の出来るランプの火だ。今はまだ種火でしかないが、世代を経て、受け継ぐたびにより大きな炎へと変わって行く……お前はその1歩目だ。まだ弱く、小さな光だから大きな変化は齎せない。だけど全ての始まりになる」
「……覚悟、それだけがオイラが持ち帰れるもの」
頷く。
曰く。
「―――想いは、時をも越えるらしい」
「想いは、時を越える」
だからそれだけが持ち帰れるもの。教えた全ては無意味になる。だけど覚悟は、意思は、それだけは時を越えて受け継がれる。だからタイムパラドックスを起こさずに過去を変える事が出来るようになる。その結果も結末も知っているが、語る事はない。
「準備は……いや、覚悟はいいか」
俺の言葉にウェンは目を閉じ、それから静かに目を開けた。
「あるっす。何でもするっす。どれだけ惨めで、無様で、それでも少しでもあの結末を変える事が出来るなら……!」
微笑んで白紙の物語を掲げる。
「聞こえたな白紙の物語よ! 今、ここに覚悟は示された! 幼き少年の願い! 運命への挑戦を求める! 未だにその火種はか弱く、暴風の中で掻き消えそうな程だけれども! それでも、運命に挑む気概や良し! さあ、物語を書き直すぞ!」
掲げた白紙の物語が開き、ページが大量に溢れだし、光りながら世界を舞う。牧場を飲み込む様に全てが舞い上がるページに埋め尽くされ―――何時の間にか観客席から物語を眺めるように劇場の席についていた。
ステージの中央に戻されたのはウェン。その死体が転がっており、滅んだ村の姿がある。
一瞬の停止。それから時間が巻き戻って行く。
折れた骨が戻り、命が宿り、村の滅びが無くなり、そしてゴブリン達が再配置され、出会う、その直前まで時間の全てが巻き戻った。手を伸ばしてもオーディエンス側からは届かない。出来るのは見守り、選択肢を尊ぶ事。
そしてブザー。
物語の再演が始まる。
ゴブリンの一団を発見した所まで時間は巻き戻った。団長たちが村を出る所まで巻き戻るまでの力は……ない。だからここから、絶望的な状況からウェンの物語は再開する。ここから100点の結末を導くだけの力が彼にはない。
それを本人も理解している。そしてそれを忘れている。だけど、その胸に宿った勇気だけはその中に残ったままだ。
だから―――ウェンは再び、無謀だと解っていても立ち向かう。危機を伝える合図を空に打ち上げ、それは再び始まる。
「うおおおお―――!」
斧を振り上げて、一番近い所にいた、ゴブリンキングの配下へと振り下ろした。
自警団の団長から学んだ技は大したものじゃない。飛び掛かって振り下ろす。それだけだ。だがそれがウェンにとっての最高火力であり、一撃必殺の威力だった。頭に斧を叩き込まれたゴブリンは即死して、ウェンは着地した。
「うあー! うおー!」
吠えながら2撃目。ゴブリンを2匹処理し、斧をゴブリンキングへと向けた。蠅へと向ける様な鬱陶しい視線だが、それが決して無視できない蠅だとゴブリンキングは理解した。ゴブリンキングがウェンを見た瞬間、ウェンは背中を向けて山の中へと逃げ出した。
「っ! こ、こっちっす! ど、どれだけ情けなくても、絶対に時間稼ぐっす……!」
涙をこらえながらウェンは走り出す。一握りの勇気。どれだけ情けなくて、どれだけ格好悪くても、それでも絶対に村を守るという覚悟。運命を変えてやるという意思。
それが無意識に存在していた英雄願望、ゴブリンキングへと切りかかるという行動を変えた。
『いいか、ウェン。逃げる事は何も恥ずかしい事じゃないんだ』
『冷静に、冷静になるんだ。冷静さを欠いたら負けだぞぉ』
『最強である必要なんてどこにもないんだ。最後に勝てば良い』
「最後に、勝てば良いんっす。最後に勝てば……オイラじゃなくても、良いんだ……!」
もはやウェンはこの時点で自分の運命を察していた。逃げきれない。勝てない。絶対に殺される。それでも頑張るのか? 当然だ、頑張る以外の選択肢は存在しない。
だって、ウェンはこんなにも彼の故郷を愛しているのだから。薬草畑の世話も、揶揄ってくる自警団の事も嫌いだと思った事は1度だってない。面倒だとか逃げたいとか何度も思ったけど。それでもそれは全て、ウェンの一部なのだ。
「頑張れ、オイラ! 教えられたことを全部使って……うわっ!」
追いついてきたゴブリンが襲い掛かって来る。雑魚ゴブリン相手であってもウェンにとっては同格の相手だ。必死に攻撃を回避し、土を蹴り上げて、それから斧を振り下ろす。冷静さを失わないように気を付けながら振り下ろした斧はゴブリンを1匹仕留め、続いた2匹目、3匹目に殴り飛ばされる。
「うぐっ、あがっ……ぐっ……!」
痛みで呻きながらも懐に何時も入れているポーションを取り出して飲み、再び走り出す―――所をゴブリンキングが回り込んでいた。
その目は明確にウェンを敵として捉えていた。視界で捉える事の出来ない程の速さで拳が振るわれ、ウェンの姿が木々を砕きながら吹き飛ばされる。即死する程の威力を、ウェンはポーションの瓶を口に噛み、砕く事で対応した。
全身の骨が砕かれながら再生する。
「はあ、はあ……はあ……痛いよぉ……」
涙が零れる。あんなのもう2度と受けたくない。それでもまだ……まだ足りない。ポーチの中から持たされていた煙幕を取り出し、それを投げながら次のポーションを取り出す。出番は近いだろう。そう思いながら煙幕に紛れながら逃げようとして、ゴブリンキングが敵として自分を見ている事実に、気づいた。
「それで、いいっす。こんな雑魚で時間潰してる時点でオイラの勝ちっすから」
来い来い来い来い来い―――来い!!
心の中で叫びあげる恐怖を押し殺して来いと声に出し続ける。それにゴブリンキングは反応し、ウェンを追いかける。木を避けないといけないウェンとは違い、生物として明確な上位にあるゴブリンキングは木々をへし折りながら突っ込んでくる。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ! 死ぬっすよこんながっ―――」
避けられない。吹き飛び、地面を転がり、瀕死の重傷を寸前の所で命を繋ぎ、死ぬ前にポーションを飲む。これほどポーションを備えている事、作ってきたことに感謝する日はなかった。その感謝を両親に伝える事はもうできないけど、それで良い。
自分の献身が何かを変える事が出来るなら。
出来るなら―――そう願って吹き飛び、転がり、そして血反吐を吐き、手がへし折れる。
何度も何度もポーションを飲んで、地面に転がって、ポーションが途切れて、そしてやってきた。
「コイツ……!」
「ウェン、無事か!?」
「クソ、ゴブリンキング!? どっからやって来た! 団長を今すぐ呼び戻せ! 俺達じゃ勝てないぞ!」
「はあ、はあ、はあ……」
稼いだ、僅かな時間は村に残っていた自警団を呼び戻す事に成功した。1人が限界を超えた速度を出して村を出た仲間たちを呼びに行き、残りが足止めの為にゴブリンキングと戦い始める。ウェンよりも遥かに強い者達、日々を戦う為に過ごし、鍛えてきた者達。
それでもゴブリンキングは明確に上位の怪物。
この中で1人としてこの怪物に勝てる者はいない。
もはやポーションを切らし、動けなくなったウェンは1人、また1人として倒れて行く姿を見る事しかできなかった。勝てない。その絶望感がウェンの胸に差し込む。運命はそう簡単に変わらない。全ての敵対者を迎撃したゴブリンキングは大きく減ってしまった手勢を連れて村へと降りて行く。
再び、村が襲われる。
ゴブリン達が生存権を確保する為に村を襲い、薬草を踏みにじって行く。ウェンの家もまたゴブリンキングによって―――滅ぼされなかった。
「―――やってくれたな」
大剣を肩に担いだ一人の男が帰って来た。賊を皆殺しにした男は返り血で真っ赤に染まっていた。それはまるで男の怒りを証明するように。村が半壊し、村人の多くは死んでいる。それでも残された僅かな者を守る為に男は大剣を振るい、ゴブリンキングを両断した。
一瞬。それで勝敗は決した。
残されたゴブリン達も帰って来た自警団によって殲滅された。それを見届けて涙を流しながらウェンは安堵の息を吐いた。少しだけ……少しだけでも残されたものがある。それなら少しは頑張った意味はあったのかもしれない。
運命の大筋は変わらない。ウェンの命も、村の運命も同じ道を辿ろうとしていた。
「―――! どこだ! クソ、死んでるっ! いや、この気配は! ウェン! お前か!? なんて、事だ、お前まで……」
「だ、団長」
「まだ、生きてるのか!? これを、これを飲め! 早く……!」
それは生命の秘薬。死神に心臓を握られても蘇る事が出来ると言われる最強の霊薬。飲めばその瞬間命を取り戻す天上の酒。エリクシル、或いはエリクサー。それがこの村でここ数か月かけて作られたものであり、最後の1本であると察した。
飲めばウェンは助かるだろう。命を吹き返すだろう。
それに文句を言うものは恐らく、1人もいないだろう。
だが、もはやまともに動かない手を動かし、それをウェンは遠ざけた。
「ウェン!!」
「い、いいっす……お、オイラが飲んでも……しょうがない、っすか、ら」
尽きそうな命の中、ウェンには運命の流れが漸く見えていた。自分が最初の火種を手にしている事が。自分がこれからの流れの最初の1人である事が、これが始まりである事が……そして自分の役割が何なのかを、運命の分岐点の前に立って理解した。
「そ、それは、きっと、本当に必要な人が……来るっす……」
残された全ての命を燃やし尽くし、必要な言葉を残す。
「そ、それを、届けるっす、団長。本当に、本当に必要な人の……為……に……」
「ウェン、おい、ウェン、しっかりしろ、頼む、もう―――」
団長の声はもはやウェンには届かない。力尽きたウェンは己の運命を果たした。命は尽きて、悲劇は覆らない。もはやこの村が新しいポーションやエリクサーを生み出す事はないだろう。だがその最後に、最後の1本、霊薬をこの世に産み落とす事に成功した。
それは惨めに逃げ回って、必死に稼いだあの僅かな時間が存在して初めて完成させた希望だった。
白紙の物語、第1章―――ここに完結する。