―――まだ二本足で立つ事も出来ない子猫のアーティは故郷である詩人と出会った。
『語ろう、この世の美しさを』
『わぁ……!』
獣人の里で生まれたアーティにとって外の世界は未知の塊だった。楽器一つで旅をし、人々を楽しませる吟遊詩人の語る世界の広さはまさに未知に満ちていた。語られる情景の一つ一つが彼女の心を魅了した。
『私! いつか旅に出るの!』
彼女がそう決意し、行動に移すのはそう遠くない未来であった。
里を出てたどり着いた街にはサーカスの一座が来ていた。身軽で、小器用なアーティは直ぐに自分をサーカスに売り込み、一座の芸人としての人生を歩み始めた。サーカスであれば各地を巡る事も出来るだろうという思惑もあった。
だがそこで彼女は芸というものと一生の出会いをする。
『皆が笑ってくれる、幸せそうに……あの時の私みたいに』
かつて子猫だったアーティを詩人の吟じる数々の言葉が魅了したように、サーカスでの芸は多くの観客たちの心を掴んだ。そうやって幸せになる人々の姿にアーティもまた、充実感を感じていた。彼女が芸人である事を天職として感じるようになるのは難しくなかった。
『芸を覚えました。楽器の演奏も覚えました……そうですね、口調ももうちょっとコミカルに……にゃ、と付けた方が解りやすいかしら? そうね、この方が親しみやすいわ』
芸、視線、振る舞い、マナー。一つずつアーティは身に付けた。やがて彼女は多くの事を学ぶと、好奇心と冒険心を抑えられなくなり、サーカスを抜ける事にした。惜しまれながらもサーカスを抜けた時には既に一人前の芸人として独立するだけの芸を身に付けていた。
『さあさ、是非見ていって欲しいにゃ!』
西は大陸の玄関口と言われる最大の港町へ。
東は交易で盛んになったと言われる島国へ。
西へ東へ場所を選ばずに巡り、様々な芸を身に付けたアーティは人々の笑顔を見る事を己の誇りとして旅をしていた。その情景は幼少期、詩人から与えられた感動から来ていた。誰かにこの喜びとワクワクを分けてあげたい。きっと踏み出す一歩になる。
それは黄昏が訪れた所で変わらなかった。
『寧ろここが芸人の本領ですにゃ。誰もが俯き、誰もが嘆き、誰もが苦しんでいる……こういう時代にこそ私達芸人が人々に笑顔をお届けしなくてはならないのにゃ……それが私達芸人の誇りであり仕事ですから』
アーティは黄昏に染まった世であれ笑顔を届ける事を諦めなかった。とあるすれ違う旅人が彼女に質問した。
『健気ねぇ、アンタはその献身と愛が報われると思ってやってるの? 止めておいた方が良いわ。この世界はそう遠くないうちに滅びるわ。その前に自分の時間を過ごす方が賢明よ』
『それでも旅をする貴女と一緒ですにゃ。貴女が黄昏が訪れても旅を止められないように、私も人に芸を届ける事を止められないのですにゃ。それにこれは見返りを求めての事ではありませんにゃ。私がそうありたいと思ってやっているのにゃ』
『美しい心ね……報われないのが本当に惜しいわ』
黄昏が世界を覆う中、アーティはとある都市へたどり着いた。多くの人が集まり、物も集まる、交易の中心点。人も情報も集まるここであれば自分の芸をより多くの人に見て貰える。そう考えたアーティは都市にとうちゃああ―――。
「チビ!! 白紙の物語を噛むな! こら!!」
「くぅん」
朗読している最中にチビが本を口で咥えて持ち上げてしまった。折角読んでいるのにこれじゃあ続きが読めない……なんて事はなく、パチン、と指をスナップすると手元に本が再出現した。
「くぅん……」
「悲劇の気配がするから先を知りたくない? 何時かはこの物語もお前の一部になるんだ、ちゃんと最後まで聞いておけ」
「わうん……」
「よしよし」
久遠がチビの頭を撫でて落ち着かせたとこで再び続きを読む。えーと、どこだっけ……あぁ、あったあった。
早速到着したアーティは自前の芸を披露しようとして都市に蔓延する空気が他の都市とは違う事に気づいた。彼女がこれまで巡って来た都市よりも空気が張り詰めており、どこか危険なものを感じた。その原因を探るべくアーティは聞いて回り、直ぐに原因を知った。
『教団ですにゃ?』
『黄昏とその女神を信仰する一団が今この都市に隠れてるのさ。奴らは対立を煽り、空気を悪くしてる。奴らが言うにはこれは全て試練なんだとさ。女神を喜ばせるのは悲劇を乗り越える力のみ。だからこそ率先して悲劇を作るのさ』
滅亡の女神を信奉する狂信者たちの存在は確かに確認されていた。だがこうやって、アーティの関わる範囲に出現するのは初めて見た。その存在にアーティは対抗心を燃やす。
『成程、なら私は彼らが空気を悪くした分皆を笑顔にすれば良いのですにゃ!』
こんな状況だからこそ自分は輝く。街角に小さなステージを構えたアーティは直ぐに自らの芸を披露した。
……が、全く見向きされなかった。
『そんな場合じゃない』
『笑顔? 押し付けてるだけだろ』
『それはお前一人の自己満足だ』
『なにが芸だ、そんなものがこの終末で役立つもんか!』
当然の反応だった。その時、アーティの披露する僅かな芸を楽しむ心を持つものはいなかった。辛辣な言葉がアーティを襲う。おひねりさえ貰えない日々が続く。宿代は直ぐに底を尽きた。
それでも彼女は演じることを止めなかった。
『お姉ちゃん凄い凄い!!』
『猫さんそれどうやったの!?』
何故なら彼女には小さな観客が確かに存在したからだ。
黄昏の到来と共におかしくなってゆく都市の空気に苦しみ、笑えなくなってしまった子供達。彼らは直ぐにアーティを見つけるとその芸に夢中になった。流通が死につつある中で彼女のパフォーマンスは貴重な娯楽だった。
そんな子供達の為だけに演じる事にアーティは本気で尽くした。そしてその心意気が次の仕事を生んだ。
『よお、この辛気臭い世の中でラブ&ピース謳ってる芸人ってお前か? ウチの酒場も最近は辛気臭くて敵わないんだ。いっちょ盛り上げてくれないか?』
『喜んで』
酒場でリュートを手に演奏を始めれば酒飲みたちも少しずつ前向きになり始める。沈んでた空気に僅かながら活気が戻り始める。それをその場しのぎと言うものもいる。だがそれでもいいとアーティは言う。
『良いのにゃ。明日に向かって進む力がそれでも生まれるのなら大健闘なのにゃ。お腹いっぱい食べて、笑ったらまた明日、ですにゃ。また明日、働いて頑張ったらまた会いましょう』
それが芸の持つ力だと彼女は信じて疑わなかった。
そして彼女の信じた力は実際都市の停滞した空気を動かし始めてた。小さい子供達の笑顔から始まった動きは少しずつ終末の停滞した空気に抗い始めてた。
『腹いっぱい笑うと確かに元気になる』
『もう少しだけ頑張ろうと思えるんだ。ほら、だって彼女を見てご覧よ? 私達なんかよりもずっと必死だ。あんな姿を見てたら自分だけ腐ってなんていられないよ』
そうやってアーティの名は徐々に売れだした。街角でパフォーマンスを始めれば人が集まり始める程度には。ゆっくりとだがかつて彼女がそうされたように、彼女も人に未来を見せられるようになっていた。
『アーティさん、よろしいでしょうか?』
そんな中でアーティにかかる声があった。もっと大きなステージで演じてみたくはないか、という誘いであった。
『アーティさん、貴女のステージならより多い人に希望を与えられるはずです!』
『自分には過ぎたステージに思えますが……それが皆のためになるなら喜んで!』
世界の片隅から始まった一匹の猫の旅はここで、一つの区切りを迎えようとしていた。無名から始まった旅路はここで名声を得て一つ上のステージに立とうとしている。
笑顔を、それだけをモチベーションと願いに歩んできた道筋はここに結実する……筈だった。
「わん!」
「チビだめだぞ」
「気持ちは解るが」
「わぅぅぅ……」
「……こほん。続けるな?」
チビの妨害を潜り抜けて続きを語ろうとするが、よく見ると尻尾と体で俺たちを抱き込んでるくせに前足で頭を押さえて耳をペタンとしてる。かわいいなコイツ……。
アーティはステージに上がる権利を得た。
それが仕組まれた事だと理解せずに。
そもそも、裏で煽動してた者たちはさらなる試煉を求めていた。この都市に与える大きな絶望を。希望を砕き、その中でも立ち上がれるものを見つけるために。
そういうものこそが神への供物にふさわしい。
『勿論、私はそんなことをやれとは一度も言ってないし、求めてもないけどね? 狂信者ってほんと困りものね』
彼らは悲劇とそれを乗り越える人の強さを演出したい。なら、より高く飛ぶ鳥が必要だ。落下の衝撃が大きければ大きいほど良い。そうして選ばれた供物がアーティだった。
当然、それをアーティは知らない。彼女の想いは本物で、その為に芸を磨いたのだから。
ただ、悪意がそこに向けられたというだけだ。
彼女のステージは大々的に宣伝された。弾き語りか? 演芸か? 或いは奇術か! 初めての大舞台に胸を躍らせる時を過ごし、少しずつその日は迫る。
高まる興奮。
期待されるステージ。
幕を開けるショー!
アーティはついにそこに立った! 期待され! 人に笑顔を届けるために! 多くの人の前に極めてきた芸を披露し―――そしてステージの中央で射られた。
それは一本の矢だった。殺すために放たれたもの。それがアーティに吸い込まれるように突き刺さった。人々を笑顔にするために努力した彼女の努力はその一瞬で全て踏みにじられた。
ゆっくり倒れる姿。
上がる悲鳴。
舞う血。
『だめ……』
藻掻くように漏れる声。だがそれが客席に届くことはない。悪意ある叫びがそれをかき消す。
『アイツがやった!』
『クソ! 敵がいるぞ!』
『仇討ちだ!!』
主語に欠けた叫び。だが衝撃で麻痺した脳みそにその叫びは良く届いた。一瞬で地獄絵図にシアターは包まれた。見物に来た客たちは一瞬で互いを疑いだし、殺し合う。
血で生まれた熱狂はそのまま都市を覆った。
水面下で高まってた緊張、隣人へと向けられた疑惑、そしてアーティへの期待。その全てが火薬庫に火を付けた。一瞬で感情は連鎖し、都市の崩壊が始まった。
『どう、して』
アーティの目に涙が溜まる。芸人として、人前で涙を絶対に流さないと誓った彼女は人々の前で、怒り狂い、隣人を殺す姿を見てしまった。瞳に絶望の景色が映る。
『なんで、こんな……』
おかしい。幸せにするはずだったのに。なのに今、皆は不幸になっている。私が悪かったの? このステージは分不相応だったの? 願ったことがいけなかったの……?
答えはない。
ステージ上に放置されたアーティは誰に手を差出されることもなく、最後に一滴だけ涙でステージを濡らすと息を引き取った。
そして……もはや名も残さぬ都市は、数多くの都市と同じ様に滅びた。
あとに残されたのは何処にでもあるような廃墟と誰も覚えていない悲劇だけだった。
「……おしまい」
「わん!!!!!」
「あ」
飛び出すように逃げた。チビが去って行って寒くなったなぁ、とか思っているとそのまま次回合体予定の子に体当たりし、他にも合体予定の子にも体当りし、雪の中に吹っ飛ばすとそのまま雪だらけの牧場を駆け回り始めた。
今の話の余韻を吹っ飛ばしたいみたいだ。
残された俺達は少し寒いので体をくっつけて暖を取りつつ、巻き込まれて吹き飛び死ぬララを見た。
「アーティは最後、死ぬ時に後悔したのだろうな」
「利用されちゃったからね。悔しかっただろうなぁ」
夢が叶うかもしれない所が実は罠で、利用されて死ぬしかないのなんて。自分が原因ですべてが崩れ落ちるなんて。
ほんと、耐えられないだろう。
それでも願う、笑顔にしたい、と。
「でも違うんだよね」
「違う?」
「アーティの願いはそうじゃない」
笑顔にしたいというのは彼女が最初から持っていたものだ。だがそれでは白紙の物語の運命を変える所まで熱量が届かないだろう。
本当に求めてるのは―――。
「まあ、これはおいおいかな。先にランクマの準備かな」
そろそろ中学1年も終わりだし、新年度から新しい環境にそろそろ挑みたい。卒業式を迎えた後から挑めるか、という所か。
……しかし今年もクラスメイトの顔は覚えられなかったな。