黒歴史から逃げられない 作:小野芋子
「——2013年U20日本代表チームに加入。同年コロンビアで開催された本戦にも出場し、初戦VSアルゼンチンでOMFとしてチームの戦術棟として1アシスト1ゴールを決めるも敗退。突如負けた場で引退宣言をし、監督やチームメイトが引き止める間もなくプロ契約も解除し、引退。その後の消息は不明というのが入間選手の経歴です」
「おー詳しいね、アンリちゃん」
「当たり前ですよ!私と同い年ですでにプロ入り。あの時代、入間選手を意識しなかった高校生なんていません!」
椅子にふんぞり返り、カップ焼きそばを啜っていた絵心甚八は、興味深そうに目を細める。
「日本じゃU20W杯なんてろくにスポット当たらなかったのに、彼の時はすごかったね」
「1人いるだけで戦況を変える『幻のファンタジスタ』……ロマンがありますよね。『日本の至宝』は今じゃ糸師冴選手の代名詞ですけど、あのままサッカーを続けていたら入間選手の異名になってたと思います」
「俺も注目してたよ。この国はストライカーはいなくても、MFやDFに関しては時々金の卵を産む。まあ彼の場合、周りのフォローのために中盤に入らざるを得ない、という感じだったけど」
絵心の辛辣な評価に、アンリは少しだけむっとした表情を見せる。
「そんな言い方……。でも、確かに彼のプレーは、当時のU-20の中では異質でした。全く役割に縛られず、アシストも得点も守備も状況に応じて臨機応変に切り替える……入間選手にボールを集めるからワンマンチームだなんて呼ぶ人もいましたね」
「確かにアレは強かった。海外に行っても目立ってただろうよ」
絵心はリモコンを操作し、画面の映像を切り替える。そこに映し出されたのは、数日前の、世界中を騒がせた糸師冴の記者会見だった。
『俺は生まれる国を間違えた。それだけだ』
「入間灯が引退時に残した言葉と、一字一句同じだ」
記者が『入間灯選手の言葉ですか!』と食いつき、冴が『あの人は俺の師匠《マスター》だ』と答える場面で、アンリは信じられないといったように目を見開いた。
「知ってましたか絵心さん!?あの糸師冴が、入間選手に師事していたなんて……!」
「知るわけないデショ。サッカーそのものに見切りをつけたヤツが後進育成に手を出してたなんて誰も知らない。いったい何を考えてんだかさっぱりだよ。傲慢なのか、気まぐれか……。まあ理由なんてどうでもいい」
絵心は口の端を吊り上げて笑う。その目は、新たな研究対象を発見した科学者のように、ギラついていた。
「凡人どもは『悲劇の天才』だの『孤高』だの言って感傷に浸ってるが、俺の見立ては違う。入間灯は、己の理想のサッカーを表現できる『他人』がいなかったから、サッカーを辞めた。自分の『完璧』を再現できないことに痺れを切らして即引退だなんて、まるで他人を顧みない独裁者だ。入間にボールを集めるだけで一流気取りのチームメイトは、アイツにとって出来の悪い駒だったのさ」
「エゴイスト……」
「そしてその引退後に育て上げた理想の駒が、もう一人のエゴイスト、糸師冴だ。面白いじゃないか。日本フットボール連合のジジイどもが、糸師冴をU-20代表に招集するために、自分勝手なエゴイストを監督に据えようとしてる。あのぬるま湯チームが最高の蠱毒になるぞ」
「あ、絵心さん。先ほどJFUから連絡があり、正式に入間灯氏のU-20臨時監督就任が決定したと……!」
「さて何を企んでる、サッカーを捨てた亡霊は」
アンリの報告に、絵心は喉を鳴らして笑った。
冴をぶん殴り、胸ぐら掴んで「俺の言葉を引用するな!」と言って解決するなら最高なんだが。
スペイン生活を経てかったい心臓にモサモサ剛毛を生やした糸師冴にそんなことを言ったって、入間風厨二ポエムを全国放送に垂れ流してネットにオモチャを供給し続ける未来しか見えない。
つまりは誠心誠意、正面からアイツをどうにかしなければいけないのだ。
その頃、監督らしくきっちりとスーツを着込んだ俺は、日本サッカー連合の役員を前に最後の交渉を行っていた。
提示した条件は三つ。
1.メディア対応は一切行わない。俺に関する質問も全てシャットアウトさせること。
2.俺の過去を詮索しないこと。
3.選手選考、戦術、練習メニューは各選手の自主性を優先する。
常識的に考えれば、ライセンスも持たない新人が提示するような要求ではない。だが、そもそもそんな素人を監督に据える相手もおかしいのだから、どっちもどっちだろう。
条件1と2は説明不要。これ以上俺の黒歴史を全国に広めないための完全シャットアウトである。
そして条件3は、冴の我儘に巻き込まれてしまった現行U-20チームに対する配慮だった。
つまりは俺という存在を完全に無視してほしいという、密かな意思表明である。俺は壁のシミ、いや部屋の隅のカス。そう、カスになりたいのだ。カスのことにいちいち言及する奴はいない。誰の記憶にも残らず、ただそこに在るだけの存在になりたいのだ。
しかし、目の前の会長は、俺の無茶苦茶な要求をまたしても盛大に深読みしているようだった。
「いいよいいよ!実に合理的だ!相手チームの監督だってモニター越しでしか基本会話しないし、技術的なこととかほとんど教えてないもんね!」
相手監督やる気ねぇな。
「いやぁ〜、冴くんが前監督を泣かせて辞退させた時はどうなることかと思ったけど、入間くんが来てくれて本当によかった!」
冴、おま、何してんだよ……!
泣かせて辞任に追い込むとか、担任追い出して学級崩壊させるクソガキじゃないんだぞ!?かわいそうだろ!
あまりの衝撃に言葉を失っていると、俺の心を見透かしたように会長が言う。
「入間くんからも言ってあげてよ、マスターなんだから!」
「チッ……!」
マスターと呼ぶな!と叫びたい衝動を舌打ちで抑える。
怒りを抑えろ入間灯。
かつてユースの監督にブログでこっそり『あの子はピッチでしか生きられない』と、名指し社不判定されたことを忘れるな。あれを見つけた日、俺は丸二日布団から出られなかった。
『イッチ、衝動で発言する前にワンテンポ置くんやで』
スレ民は俺の敵であり、友であった。
もう入間灯迷言打線は組ませないと決めたんだ。
息を吐く。厨二病発言はしない。己を過度に飾ろうとするな、俺。
「その呼び名は、俺を過去という名の軛に繋ぎ止める呪詛だ……。俺はもはや誰の『師』でもない」
「そうそう!入間くんの伝説はこれからだからね!いよっ、日本のマスター!」
俺は左足で机を蹴り上げ、ペンを投げた。
そして、U-20代表チームとの初顔合わせの日。
俺は約束通り、トレーニング施設の特別観覧室に陣取り、窓ガラス越しに選手たちを見下ろしていた。スピーカーに繋がれたマイクが、目の前にぽつんと置かれている。
フィールドには、各Jリーグクラブの逸材たちが集まっている。綺羅星のような陽キャたち。その中心には、涼しい顔で立つ糸師冴の姿もあった。最近あの憎たらしい顔を見るだけで胃がムカムカしてくるのだ。
『監督、お言葉を』
インカムから無慈悲な声が届く。
ずっと黙って彼らを見下ろしている俺に痺れを切らしたのだろう。
マイクを前に、俺は冷や汗をかいていた。
(ダメだ……)
ここ最近、サッカーと無理やり関わらされるようになって嫌でも再認識させられた。
もう引退して5年も経ってるし、俺も大人になったし大丈夫やろ!とか思っていたが全然改善されていなかった悪癖。
俺はサッカーが関わるとポエムしか話せない。
ピッチ上で渦巻く無数の可能性、相手選手の思考、視線の死角……それら全てを同時に処理して導き出す行動を、どうやって説明しろと?
「なんとなく」とか「感覚で」としか言えない。それを無理やり言葉にしようとすると、この口が黒歴史ポエムを勝手に出力してしまうのだ。
コミュ障で、日常会話すらまともにできない俺が、サッカーという22人で行うチームスポーツを言語化できるはずがなかったのだ。
目の前のマイクが、公開処刑装置に見える。
挨拶程度は普通にできると信じ、俺はマイクのスイッチを入れた。
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