黒歴史から逃げられない   作:小野芋子

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前回までのあらすじ
デジタルタトゥー系ポエマー主人公がu20の監督になっちゃった。


楽しく元気に怪我なく勝とう

 手を震わせながら、マイクのスイッチを入れた。

 

 深呼吸をする。大丈夫だ、入間灯。発言前にワンテンポやで。余計なことは喋るな。名前、役職、よろしくお願いします。この三点セットで人間社会はなんとかなるのだ。

 

「入間灯……臨時監督になった。よろしく」

 

 やったで工藤!無難な自己紹介や!

 

 脳内でスタンディングオベーションが起こる。紙吹雪が舞い、どこからともなく国歌が流れ、俺はトロフィーを掲げた。

 

 その余韻が消えないうちに、素早くマイクの電源を切った。

 俺はサッカーが関わると碌なことを話せないが、同時にサッカーが関わるとめちゃくちゃお喋りになってしまうという、社会生活において致命的な障害を抱えていた。

 

 つまり、口を開けば終わる。

 

 しかし選手たちは、ピッチの上からじっと俺を見上げていた。

 無言が長い。え、今ので終わりじゃないんですか。自己紹介しましたけど。よろしくって言いましたけど。よろしくされた側にも返事をする義務とかありませんか。

 

 すると見かねたアシスタントさんが、やたら爽やかな声で助け舟を出した。

 

「監督!チーム方針をお願いします!」

「ホヮァ……!?」

 

 まさかのフレンドリーファイアである。ここにいる奴全員俺の敵とも言えるので、正当な攻撃とも言えるか。

 

 咄嗟に口元を押さえる。

 危なかった。今、喉の奥から何かが這い出そうになった。サッカーの話題になると勝手に発生する、最悪のポエムである。俺の中に住んでいる中学二年生が、棺桶の蓋を内側から叩いている。

 

 抑えろ、入間灯。

 

 何を言うべきか。チーム方針。チーム方針ってなんだ。楽しく元気に怪我なく勝とう、でいいだろ。だめか。日本代表だもんな。

 

 その時、天啓が降った。

 待てよ!逆にそれでいいんじゃないか……!?

 

 そもそも俺の目的は、凡人だと証明することだ。

 優秀な選手たちに「こいつはダメだ」と思われて、俺を無視してプレーをしてくれればいいんだ。俺のような素人が上に立つべきではないと、全員が正しく判断して、監督から外してもらう。素晴らしい。

 

 よし!

 チーム方針は「楽しく元気に怪我なく勝とう」で決まりだ!

 

 ここに俺の個性✝厨二病ポエム✝ を入れることで、徹底的に意味不明な言葉になる。

 痛々しく、香ばしく、聞いた瞬間に全員が目を逸らすようなやつをかませ。

 そうすれば冴も、さすがに「マスターはもう終わった」と見切りをつけてくれるはずである。そうだ。あいつにも限度というものがあるだろう。

 

 俺はもう一度、マイクのスイッチを入れた。

 

「……ピッチに集う、不確定な未来の子羊ども。聞こえているか」

 

 スピーカーから響いた第一声に、選手たちが一斉にざわめいた。

 

 よし。最悪の掴みだ。

 

 このままいけ。もっと痛くしろ。もっと取り返しのつかない感じにしろ。ここで引いたら、ただの変な人だ。押し切れ。具体的には人として取り返しのつかないぐらいに。

 

「お前たちが今までに重ねた『勝利』は、ただの偶然だ。サイコロの出目に祈り、風向きに膝をつき、跳ねたボールがたまたまゴールに入っただけ」

 

 冴が頷いた。なに同意してんだバカ。

 偶然なわけないだろU20代表舐めてんのかお前。

 

「そんな不確かなものに、己のサッカーを差し出すな。これから俺たちが振るのは、運命のサイコロではない。お前たちの中に眠る、まだ名前もない欲望だ。勝つために可能性を畳むな。守るために足を止めるな。壊れるために燃えるな。闘争に酔い、だがその上で生きて帰れ。勝利を奪え」

 

 言いながら、内心で頭を抱えていた。

 俺は今、何を言ってるんですか?楽しく元気に怪我なく勝とう、がどうしてこうなるんですか?

 

 だが、止まらない。

 一度走り出したポエムは、ブレーキの壊れた自転車で坂道を爆走する小学生みたいなものだ。本人は泣いているのに、周囲から見ると勢いがあり、やりたくてやってるように見える。

 

「俺は、お前たちを偶然から必然へと書き換える。ボールがお前たちを選ぶのではない。お前たちがボールの軌道を、空間の呼吸を、勝利に至るまでの因果を支配しろ」

 

 ざわめきが起こる。『何言ってんだアイツ』か『うちの監督厨二病すぎ……?』のどっちかだろう。俺は続けた。もうやけくそだった。

 

「さすれば、ゴールとは『結果』ではなくなる。ただの確認作業だ。そこに至るまでの全てを定めた者だけが、最後の一点を当然のように受け取る」

 

 言い切った。

 

 完璧である。

 意味が分からない。何一つ分からない。喋った本人が一番分かっていない。これはいける。誰一人ついてこれまい。

 

「……理解を求めるな。追随を望むな。置き去りにされる者は、最初からそこまでの器だったというだけだ。己の心臓が鳴らす号令だけを聞け」

 

 ダメ押しで、俺についてこれない人は勝手にしてくださいとも言う。

 むしろこれでついてこれる人はこの国から出ていってください。怖いから。

 

 フィールドは静まり返っていた。

 

 冷え切った空気が、ピッチ全体を薄く覆っている。クソ滑ってるな。大成功だ。

 これで俺の平穏は守られる。平穏と同じくらい大事なものを失ってる気もするが……。22歳なのに何も成長してない己に目頭が熱くなる。

 

 沈黙を破ったのは、やはり糸師冴だった。

 

「……相違ないな、マスター」

 

 やめろ。

 

「それこそが、俺がアンタに教わったサッカーの本質だ」

 

 そんな本質教えてねえよ!

 てか今の話に本質に直結する部分あった?

 思わずガラス越しに冴を凝視する。冴はいつもの涼しい顔で、当然のことを言ったようにこちらを見上げていた。嘘だろ。

 

 お前は何なんだ?

 こんなのがレアール?世界的MFの卵?世界は大丈夫?

 

 俺からしたらとんだサッカーバカだが、社会的に評価されている冴に同意されると非常に困るので否定する。

 

「サッカーの本質を語るな糸師冴!サッカーは定義された瞬間に死ぬ。昨日の正解は今日の毒だ。ピッチにあるのは本質じゃない。不確定な衝動と、それを今この瞬間だけ形にする身体だけだ」

「すまない、マスター。勘違いしていたようだ。本質を語るのが野暮だったな」

 

 もうこいつ最強じゃん。どうあがいても俺が正しいという姿勢を崩さないじゃん。

 コウペンちゃんか何かか?全肯定フォローマンなのか?『良いこと言えてえらい!』じゃないんだよ。

 俺は今、失望されたくて言ってんだよ!その優しさを一ミリでも前監督に向けてやれよ!

 

 だが、冴の一言は想像通り重かった。

 

 さっきまで「何言ってんだこいつ」という顔をしていたU-20の選手たちが、目に見えて迷い始める。そりゃそうだ。普通なら意味不明なポエムで終わるはずだったものが、日本の至宝・糸師冴の口から「本質」という印鑑を押されてしまったのである。

 権威 is パワーである。こうやって独裁者って肯定されていくんだ。フーン。そういえば俺の異名の一つに『ピッチの独裁者』ってあったな。グッ!古傷がァ!!

 

 俺が胸を押さえて息を荒くしていると、何やら考え込んでいた選手が口を開いた。

 

「偶然から必然、ってことは」

 

 最初に声を上げたのは、オリヴァ・愛空だった。

 

 U-20日本代表の主将であり、守備の中心。資料にもそう書いてあった。ちゃんと読んだよ。臨時とはいえ監督なので。俺は社会性と能力に問題があるだけで、仕事は放棄していない。

 試合映像でも、こいつだけは妙に視野が広かった。相手の攻め筋を潰すというより、相手が一番正しいと思って選ぶルートを、最初から自分の守備範囲に入れている。

 誘い込むというより、相手の正解に付き合った上で、間合いと技術で押し込めてくる。攻め方を理解しているDFだ。

 

 その愛空が、顎に手を当て、何か面白いものでも見つけたように目を細めている。

 人間には、わからない方がいいこともあるのだと彼に伝えたい。

 

「俺たちが相手の攻撃を見てから止めるんじゃない。相手が一番正しいと思うルートを先に作っておいて、選ばせる。で、その先で潰す。俺たちの守備で、相手の未来を決めるってことか」

 

 違いますよ!?

 お前はすでに守備が上手いんだ。そこに思想を乗せるな。技術だけで十分怖い人間が、哲学を持つな。

 できるわけねえだろそんなの! ……できないよね?

 

「……ハハ。監督さん、顔のわりに言うことエグいね」

 

 エグいのはお前な。

 俺はただ、雰囲気でそれっぽい単語を並べただけである。偶然とか必然とか因果とか、それっぽい単語を適当に混ぜただけだ。守備哲学として成立させるな。

 

「ゴールが確認作業?」

 

 今度はエースの閃堂秋人が、眉間に皺を寄せながら呟いた。

 U-20日本代表のエースストライカー。資料にはそう書いてあった。華があり、得点感覚があり、誰よりも自分のゴールを信じられる選手。

 問題は得てしてそういう選手は超⭐︎陽キャである。俺や冴のような根暗MFと相性が悪い。

 

「よくわかんねえけど……」

 

 けど、じゃねえよ。

 スターはもっとこう、キラキラしていてくれ。難しい話を咀嚼しようとするな。

 

「つまり、俺が撃つ前から世界は俺のゴールを待ってるってことかよ」

 

 待ってねえよ!ポジティブすぎんだろお前!

 

「いいじゃねぇか。最高にスターっぽい」

 

 スターっぽいかなそれ。よく考え直そうよ。

 

 閃堂の目に、挑戦的な光が宿る。

 俺はお前の背中を押した覚えはない。むしろ全力で崖から遠ざけようとしていた。なのに何で助走つけて飛び出そうとしてるんですか?危ないですよ。戻ってきなさい。

 

「原因になる、か」

「空間の呼吸って、つまり味方の動き出しまで含めて読むってことだろ」

「いや、相手も含めてじゃねぇの。ボールの軌道だけじゃなくて、そこに至るまでの身体の向きとか視線とか」

「勝利を確認作業にする……偶然を消すってことか」

 

 ざわめきが、困惑から熱へ変わっていく。

 

 なんか思ってた反応と違うな。

 てっきり『監督の言葉の意味わかるやついる?いねえよなぁ!?』から『JFUに抗議だ!』みたいな流れで解任ルートを狙っていた。

 

 何でお前たちはそんなに前向きなんだ。今の話、普通に考えたら変なセミナーの導入だぞ。三時間後には怪しい金融商品が出てくる流れだぞ。なのに誰一人として席を立たない。純粋すぎるて将来が心配である。

 

 そして冴は、そんな彼らの変化を見ても、少しも驚いていなかった。

 むしろ、当然だと言わんばかりに俺を見る。

 

「完全に腐り切ってるドブカスどもじゃなかったみてえだな……」

 

 なに感心してんだ。今ちょうど厨二病というカビが繁殖しかけてるところだぞ。しかし、頭のおかしいキャラを演じ切らなければいけない俺に、この流れを止める術はなかった。自然と口が開く。

 

「いいだろう。ならば、その違和感をピッチへ持ち込め」

 

 1番のカビは俺です。

 

 お前の中の俺を、今すぐ俺に返せ。俺はそんな立派な人間じゃない。俺はサッカーになるとポエムしか喋れない、社会性の終わった元選手である。あと人前で話すと手が震える。臨時監督という肩書きも荷が重い。

 

「マスター」

 

 冴が、ピッチの中央からこちらを見上げた。

 

「続けろ。こいつらはまだ、アンタの言葉を受け取れる」

 

 受け取らないで。返品して。着払いでいいから。

 

 俺は観覧室のガラスに、ゴツン、と額を打ち付けた。痛い。夢ではないらしい。最悪である。しかし現実ならなんで俺は監督になってるの?という新たな疑問も生まれる。

 

 ピッチでは、U-20の選手たちがまだ話し合っていた。

 

 彼らは疑問を共有し、解釈をぶつけ合い、勝手に熱を上げ、勝手に何かを掴みかけている。俺がかつて一人でノートに書き殴っていた『可能性発火論(ポテンシャル・イグニッション)』なんていう、思い出しただけで胃酸が逆流する自己満足とは、あまりにも次元が違った。

 

 こいつらは本物だ。

 本物が、俺の偽物みたいな言葉でなんか変なところに伸びようとしている。

 

 俺は額をガラスに押しつけたまま、静かに項垂れた。

 日本サッカー終焉の未来が見える。

 

 これはもう、俺と冴のチャチな黒歴史を取り返すための戦いなどではない。このまま止まらなければ将来有望な若人たちが厨二病化するのだ。

 誰でもいいから突っ込んでくれ。今ならまだ間に合う。せめて「監督それはちょっと」と言ってくれ。俺はその一言で人間に戻れる。

 

 ただでさえ注目度の低いユース時代に迷言打線が組まれているんだぞ。このまま大負けかなんかしてネットではなく地上波で取り沙汰されたら、今度は本当に地元の恥になりかねない。

 

 だが、もう遅い。

 

 (権威)が肯定した。

 愛空(キャプテン)が解釈した。

 閃堂(エース)が乗った。

 

 そしてU-20の選手たちは、俺の言葉を、理解不能な戯言ではなく、掴むべき何かとして受け取り始めている。

 

 ここで俺が「いや、今のは適当です」と言ったところで、場は余計に終わるだけだ。監督が自分の言葉を信じていないチームなど、最初から壊れている。たとえその言葉が、過去の俺がノートに封印した黒歴史の亜種だとしても。

 

 せめて、壊すなら最後まで壊せ。

 

 俺は額をガラスから離し、震える手でマイクを握り直した。

 心臓がうるさい。逃げたい。今すぐ帰って布団を被りたい。近所の小学生クラブで球出しマシーンとして余生を過ごしたい。

 

 それでも、ピッチの上の若者たちは俺を見ていた。

 真剣な顔で。

 未来のある目で。

 俺の黒歴史を、何かの種みたいに握りしめて。

 

 吐きそうだ。けれど、もう引けない。

 

「……ならば行け」

 

 スピーカーが、俺の声を拾う。

 

「今、お前たちの内側で燃えたものを疑え。疑って、削って、それでも残った熱だけを信じろ。偶然に縋るな。俺の言葉にも縋るな。お前たち自身の足で、今この瞬間を正解に変えろ」

 

 ピッチの空気が、変わる。

 そして、U-20の選手たちが、ぎこちなく動き出した。

 

 まだ形にはなっていない。

 むしろ、全員が全員、自分の中に生まれた違和感を持て余しているように見える。

 けれど、さっきまでとは違った。

 ただ指示を待つ空気ではない。誰かが決めた正解に従う空気でもない。

 

 俺の黒歴史を燃料に。

 俺の胃を犠牲に。

 未来ある若者たちが、何かよく分からない方向へ、一歩目を踏み出してしまった。




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