ル・アーヴル港湾施設の鋼鉄が鈍く光る。
その湾口に、ゆっくりと二隻の帆船が入ってきた
――クワ・トイネ公国の使節船と、クイラ王国の外交船である。
風を受けた白帆は疲れ切り、木製の舷側には潮の白痕が浮かぶ。
異界の海を渡ってきたその姿は、まるで中世の亡霊のように現代の港に不釣り合いだった。
「……あれが、この国の船……?」
甲板に立つクワ・トイネの外務卿、リンスイが、遠くを見つめながら呟く。
視線の先、港外には鋼鉄の巨艦が静かに浮かんでいた。
それは帆を持たず、煙突もなく、ただ静かに海を割っている
――アキテーヌ級フリゲート「アキテーヌ」
その姿は、まるで神話の竜が眠るかのように威容を放っていた。
クイラのメツサルはその異形の艦を睨み、低く唸る。
「……風も無しに、海を進むなど……魔法か、悪魔の術か。」
港内では既にフランス海軍の儀仗兵が整列していた。
濃紺の制服、白手袋、無機質な統一感。
彼らの動き一つに無駄がなく、まるで機械のような規律を保っていた。
埠頭に到着した外交団の乗る艀が静かに接岸する。
金属の甲板に足を下ろした瞬間、リンスイはわずかに眉を寄せた。
足裏に伝わるのは、石に似た硬い感触。
それは彼の世界に存在しない「人工の地面」だった。
出迎えたのは、白髪の壮年紳士――
フランス外務省外務次官、ロシュフォール。
「フランス共和国を代表し、皆様のご来訪を歓迎いたします。
遠路はるばるの航海、さぞお疲れでしょう。」
その声は穏やかだが、抑制の効いた重みを帯びていた。
リンスイは深く一礼し、外交官としての口調で応じた。
「ご丁寧な出迎え、感謝いたします。我らはクワ・トイネ公国より、友好と理解を求めて参りました」
ロシュフォールは小さく頷き、目線を彼の背後の帆船へと向けた。
「……なるほど。あのような帆船で、はるばるこの大洋を。――勇気ある旅ですな。」
柔らかな言葉とは裏腹に、その瞳の奥には冷たい観察の光が宿っていた。
彼は既に、外交官として“彼らの文明水準”を見抜いていた。
船の構造、服飾、甲板の木質、金属加工の痕跡。
それらの情報が、彼の脳内で精密な地図のように整理されていく。
「……貴国の技術と文化について、ぜひ詳しくお聞かせください。
そして、我々のこの“世界での立場”についても――互いに理解を深められればと。」
「この世界での……立場?」
クイラの外交官、メツサルが問い返す。
その声にはわずかな警戒が混じる。
ロシュフォールは表情を崩さず、言葉を続けた。
「ええ。我々フランス共和国は――気づけば、この“あなた方の世界”に存在していた。陸地も、星々の配置も、我々の知るものとは異なります。しかし我々は、平和的な関係を望んでいるのです。」
海風が吹き抜け、背後の旗が翻る。
トリコロールの青・白・赤が、異界の空に映えた。
リンスイは一瞬だけその旗を見上げ、静かに答えた。
「……貴国が“移り来た者”であると。理解しました。――ならばこそ、我々は、共にこの世界の理を見極めましょう。」
ロシュフォールの口元がわずかに動いた。
それは外交官としての笑みであり、同時に、捕食者が静かに牙を隠す微笑でもあった。
パリ、エリゼ宮。
重厚な扉の向こうで、深紅の絨毯が静かに敷かれている。
この場所で異界の来訪者を迎えるのは、共和国史上初のことだった。
壁にはフランスの地図が掲げられていたが、いまやその地形は存在しない。
代わりに、対岸の未知の大陸――ロデニウス大陸の仮想図が投影されている。
隣の机では、**DGSE(対外治安総局)**の分析官が常時記録を取り続けていた。
ゆっくりとロシュフォールが椅子に座り、前に置かれた水のグラスに目を落とす。
向かいの席には、クワ・トイネ公国の外務卿リンスイと、クイラ王国の代表メツサルが並ぶ。
その後方には制服姿の護衛たち。誰もが、空気の重さに息を詰めていた。
「――まず、改めて申し上げます。」
ロシュフォールの声は低く、明瞭に響く。
「我が国フランス共和国は、数日前にこの世界へと転移しました。原因は不明、帰還手段も確認されていません。しかし我々は、いかなる理由であれ、この地において責任ある国家として行動する義務を負っています。」
リンスイが静かに頷く。
「その覚悟、理解いたしました。……では、あなた方の国がこの“転移”をどのように認識し、どう動くおつもりなのか。我らとしても、この世界の秩序が乱れぬよう懸念しております。」
ロシュフォールの目が一瞬だけ細まった。
「――“秩序”という言葉をお使いになるとは。興味深い。」
メツサルが腕を組み、わずかに身を乗り出す。
「ロシュフォール殿、あなた方の軍が先日、ロウリア王国の軍を壊滅させたという報告を我々も受けております。
……あれは貴国の意志か、それとも偶然の衝突か。」
室内にわずかな沈黙が落ちた。
窓の外では、セーヌ川を渡る風の音だけが響いている。
「正当防衛です。」
ロシュフォールの声は、氷のように冷たく均一だった。
「彼らは我々の艦隊に対し、無警告で攻撃を仕掛けました。我々は警告を発し、回避を試みましたが、攻撃をやめなかった。――結果として、我が国の防衛義務が遂行されたに過ぎません。」
リンスイがわずかに息を呑む。
「しかし、王国が滅びたと聞いております。……まさか、全て?」
「はい。」
短い返答が、鉛のように重く落ちた。
ロシュフォールは視線を逸らさず、まっすぐに二人を見据える。
「我々の価値観において、“侵略者”は放置できません。これは国家の威信の問題ではなく――市民を守るための、最小限の措置です。」
外交官としての言葉だった。
だが、その背後には共和国の鉄の意志があった。
“フランスは、この世界でも主権を侵されることはない”。
やがて沈黙を破ったのは、クイラのメツサルだった。
「……理解しました。ロウリアは我々にとっても野蛮な隣国。彼らが滅びたとしても、涙を流す者は多くありません。」
リンスイがその言葉を咎めるように視線を送ったが、ロシュフォールはあくまで穏やかに微笑んだ。
「なるほど。そういう関係でしたか。では、率直にお伺いします。――この世界において、“国際秩序”を保つのは、どの国家なのでしょう?」
リンスイは言葉を失う。
“国際秩序”という概念が、そもそも存在していないのだ。
それぞれの王国、公国、神聖同盟――それらが勢力争いを繰り返すこの世界で、秩序など夢物語に等しい。
ややあって、リンスイがかすかに口を開いた。
「……正直に申し上げます。この世界には、統一された秩序も、共通の法も存在しません。それぞれが領土を守り、交易を交わすのみ。争いも、常に……絶えません。」
ロシュフォールは無言で手元の書類に何かを書き込んだ。
ペン先が紙を擦る音が、会議室に小さく響く。
「――ありがとうございます。おかげで、我々の立場が明確になりました。」
その声には、外交的微笑の裏で、現実主義者の冷たい決断があった。
リンスイが慎重に言葉を選んだ。
「ロシュフォール殿。あなた方の技術と知識は、我々にとって想像も及ばぬものです。……もし許されるなら、交易と文化の交流を――」
ロシュフォールは頷いた。
だが、その微笑の奥には一片の計算があった。
「もちろん。互いに利益を得られるのならば。我々は“対等な友”として歩むことを望みます。」
――対等。
その一言に、リンスイとメツサルの背筋がわずかに強張った。
この国がどれほど強大か、もはや隠しようもない。
そしてフランスも、それを理解させるためにここにいる。
会談が終わるころ、ロシュフォールは立ち上がり、窓の外に掲げられたトリコロールを見上げた。
「さて――この旗は、新たな世界でも、同じ意味を持つのか。
それは、これからの我々次第でしょうな。」
パリ第七区。
軍事省の地上部分からさらに二層、深く潜った場所に“統合参謀本部作戦会議室”がある。
防音と電磁遮断が施された灰色の壁、中央に鎮座する円形テーブルには、陸・海・空・海兵それぞれの制服を纏った士官たちが静かに並んでいた。
部屋の空気は、戦場の硝煙の名残のように重い。
中央のスクリーンに映るのは、ロウリア王都ジン・ハークの航空写真。
ところどころ煙が出る街の中心に、青・白・赤のトリコロール旗が翻っている。
会議の指揮を執るのは統合参謀本部長、ド・ヴィル大将。
皺の刻まれた手でタブレットを操作しながら、静かに報告を始めた。
「――作戦“エジード”は完了した。主要戦闘は24時間以内に終結。首都を完全制圧。非戦闘員の保護完了、捕虜は計3,214名、戦死推定15万。こちらの損害は――」
彼はわずかに間を置き、数字を見下ろした。
「――死者12、負傷者37。損耗率、0.03%」
室内に、誰も声を発しなかった。
あまりに一方的な数字。それがこの“異世界戦争”における現実を雄弁に物語っていた。
デュラン空軍参謀総長が報告書をめくる。
「C-130Jによる第11落下傘旅団の降下成功率は100%。輸送機編隊の被弾なし。全航空団も被害無し。地上制圧後の空域管理も完了済みです」
続いて、モロー海軍参謀長が低い声で続けた。
「艦隊は全艦無傷。ロウリア沿岸の封鎖を維持中。敵海上勢力は壊滅。……特筆すべきは、帆船相手に対艦ミサイルが過剰すぎたことだ」
場にわずかな苦笑が漏れたが、すぐに消えた。
ド・ヴィル大将は手元の資料を閉じ、顔を上げた。
「――報告を総合する。作戦“エジード”の目的、すなわち敵王国の軍事的無力化、ならびに大陸西岸の確保は達成された」
その声は、淡々としていながら、どこか誇りと安堵が滲んでいた。
「だが、問題はここからだ」
彼はスクリーンを切り替えた。そこには、先ほどロシュフォールが受け取った地図が表示された。
「これはフィルアデス大陸と呼ばれる大陸だ。今回我が軍が制圧したロウリア王国があるロデニウス大陸の向こうにある大陸だ。ここには第三文明圏と呼ばれる文明圏が存在する。――問題なのはここからだ。この大陸には『パーパルディア皇国』という大国が存在する」
「その“大国”のどこが問題なんだ?」
モローが質問する。
「GIGNがロウリア王のいる城で発見した資料を解読すると、背後でその『パーパルディア皇国』が支援を行っていた事が判明した」
会議室がざわめく。
ド・ヴィルは話を進める。
「おそらくロウリアに支援を行い、ロデニウス大陸を植民地にする予定だったのだろう。しかし我々がロウリアを制圧したことにより、その予定が狂い怒りの矛先をこちらに向けているだろう。外務省は出来る限り平和的な解決を目指しているが、ロウリアとの外交の二の舞になる可能性が高いと思われる」
「戦闘はほぼ確実にと捉えても?」
「ああ、そう捉えていいだろう」
モローがため息をつく。
すると今まで口を閉じていた陸軍参謀総長のルフェーブルが話出す。
「周辺国から『大国』と呼ばれているなら、規模はロウリアを遥かに上回ると考えていいだろう。今回のエジード作戦で我々は半分近くの兵力を投入した。相手の規模が遥かに上なら技術では圧倒的に上でも物量で抑えられる可能性がある」
「なら軍拡ではないか?」
モローが部下に指示し、スクリーンにあるものを写し出す。
「海軍は現在、ナバル・グループと共にシャルル・ド・ゴールの同型艦と新型の駆逐艦を建造予定だ。それに伴い人員の増強、装備の更新を行う事を考えている」
「陸軍としても軍拡には賛成だ。現在予備役を総動員しているが人員が足りないからな」
ルフェーブルも賛同する。
デュランが手を挙げた。
「パーパルディアに外交官を送るなら空母を随伴させてみればどうだ?我々の軍事力を示して攻めるのを躊躇わせればいい」
「そうだな。その方向性でいこう」
「では当分はパーパルディアを仮想敵国として見ていく方針で行こう」
エリゼ宮
「ロシュフォールさん、また別の国の船を海軍が発見したらしいです」
「本当かね?……国の位置をまだ見せてないのにどうして来れるのか」
クワ・トイネとクイラの外交団を見送ったロシュフォールは部下からの報告に苦笑いを浮かべる。
「ロデニウス大陸にたくさんの船が行ったり来たりするからじゃないですか?」
「多分そうだね。さて、次はどんな国なのか」
パリの青天を雲が覆い被さろうとしていた。
読んでくださりありがとうございます。
外交って描くの難しいですね……。
ここからは少し外交シーンが増えると思われます。
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