「カァァッ!花柱胡蝶カナエ、上弦ノ弐ト接触ゥ!救援ニ迎エェッ!」
「!」
瑪瑙がけたたましく救援要請を告げる。場所を聞きながら羽織と刀を手にして即座に窓から飛び出した。家紋の家の人ごめんね。
実のところ、カナエちゃんと童磨の件については意図的に考えないようにしていた。この件が起こった際に私が救援に行ける場所にいるとは限らない。槇さんのように、孤島に派遣されている可能性もゼロではないから。
ただ個人的な調べ物のために、花柱の活動範囲に顔を出すことが増えていたことが幸いした。どうやら救援可能な地点にいることができたらしい。
「案内!しのぶに連絡!」
「カァ!」
兎角、足を動かす。そうしてたどり着いた先の鬼を見た瞬間、背筋を冷たいものが襲った。
冷気。
圧力。
虹を宿したうつくしい瞳に刻まれた、弐の数字。
とろりとした声。
倒れ伏す蝶の模様の羽織を着た女の子。
地面に落ちた刀。
流れ落ちた血。
悠々と立つ、鬼が一体。
「───上弦の弐とお見受けするが」
「あれれ、二人目の君も、女の子?」
鬼だ。上弦の弐、童磨がいる。
一目惚れにも似た恍惚を感じる。狐面が無ければ、今の表情から感情を読み取られてしまったかもしれない。
嗚呼。
この男に喰われたのなら、一体どれほど幸福であることだろう。
あまりに魅力的な言葉だ。頷いてしまいたくなる。
「こんにちは。君も俺に食べられにきたのかな?」
「ええ、ええ。素晴らしい提案ですね。でも───断る」
地面には女の子が倒れ伏している。苦しみながら、生きるためにもがいている。
まだ、致命傷には至っていない。まだ助かる見込みがある。
ならば、喰われるわけにはいかない。
己が喰われることは構わないが、他の者が食われることを、許容している訳ではない!
目の前で一対一、背後には倒れ伏す胡蝶カナエ。まずは相手の目を自分に向けなければならない。普段なら絶対にやらない名乗り向上、まさかここでやることになるとはね。
「水柱、霧雨いろは。参る!」
叫ぶと同時に地を蹴った。狙うは一点、己が最速。
「漆ノ型【雫波紋突き】!」
喉元を狙うが、首を掠るだけで弾かれた。ただの防御でこの重さか、体勢がわずかにブレた。
その揺らぎを利用して身体全体を捻り、そのまま次の型へと移行する。常に身体を動かさなければ、待っているのは惨殺のみ。
動け、動かせ。
「弐ノ型【水車】」
ギィン!という甲高い音。わずかな間に行われる何十もの攻防の中で、身体が軋む音がした。技の反動ではない。今更そんなもので肉体が損傷するような鍛え方はしていない。ならば、理由はただ一つ、こいつの血鬼術。
だが、思っていた以上に負傷度は“小さい”。少なくとも、不可逆の傷は負っていない。
大丈夫、狙い通りに行っている。
「あれれ?思ったよりしぶといなあ」
「捌ノ型【滝壷】!」
上段から渾身の力で振り下ろした刀が、初めて童磨の腕を捉えた。しかし、鬼の腕力で無理やり弾き飛ばされる。それをうまくいなして屋根の上へと着地した。背中が斬りつけられて出血しているようだ。ひどく寒かった。
しかし───目的は達成した。
「……ああ、成程!あの子から俺を引き剥がすのが目的だったんだね!凄いじゃないか、これをやってのける子は初めて見たよ!」
童磨は私の対応のために場所を移動して、結果として私たち二人はカナエから幾らか離れた場所に立っていた。私が鎹烏にくだした命令のためか、幾分か早く駆けつけたしのぶが助け起こしている。救命は叶うだろう。
しかしこれは、目の前の鬼が舐め腐った態度を少しだけ改める理由にもなったらしい。夜明けまであと何分だ?耐えられるか?
分からない、とにかくやるしかない。
「霧雨さん!私も」
「胡蝶しのぶ、待機命令!」
ごめん邪魔!
「仲間外れは良くないよ」
「事情ってものがあるのでね。参ノ型【流流舞い】」
体勢を低くして足元に接近し、そのまま技を叩き込む。先程までとは違い、余所ごとを考える理由がなくなった分、技の練度が一段上がっているのを感じる。
だがそれでも足りない。
筋肉、血管、呼吸、全てを研ぎ澄ませ。私の身体だ、全て把握しろ。あらゆる無駄を削ぎ落とせ。
私ではない私がいる。この鬼に喰われてしまえと叫んでいる。
無視をした。これは私であって私ではない。
狙え。まずは四肢のどれかを切り落とす!
「肆ノ型【打ち潮】」
すぱん、と綺麗に刃が通る。それと同時に、肩から胸にかけて大きな傷が開いた。ようやくだ、ここでようやく一太刀。もっとも、相手はあっという間に回復してしまい、私の傷は塞がらない。ヒュウウウウ、と呼吸だけは止めないが、回復の呼吸に移行する暇がない。
落ち着け、見ろ。全てを見通せ。
今はまだ喰われるわけにはいかない。
確信だけはあるはずだ。
今ならば───全て、見えると!
「血鬼術【枯園垂り】」
「拾ノ型【生生流転】」
流石にまずいと感じたのか、ここにきて初めて童磨が血鬼術を使った。連撃を連撃でいなしきる。体表を滑ったのみ、戦闘続行可能。
氷技であることは知っているんだよ、ばーか!!!
「血鬼術【蔓蓮華】」
「陸ノ型【ねじれ渦】」
武器は鋭い二対の扇。扇は広げると面積があり、その分視界が遮られる。見ることのできない視覚が生まれる。
もちろん、それは私にとっても同じだ。
しかし今に限って言えば、全てが見えている。
だから、何をどこに“撃ち込めば”いいのか、見えている。
ねえ、童磨。私は剣士だから、今日の戦いは日輪刀しか使ってこなかったから。
刃以外の技がお前を襲うなんて、思ってもいないだろう。
わずかに指を動かす。最小の動きで袖から取り出したのは、小さな鉄の塊。
指で打ち出すことに特化させた、弾丸。
扇による視界の隙間を縫うようにして撃ち出す。結果は命中する前から分かっていた。
筋肉の存在しない場所、眼球へと、弾が吸い込まれ、着弾した。
流石の童磨も、鬼の天敵たる日輪刀と同じ素材の弾を体内に留められて、そのままとはいかないようだった。
「…………あれ、あれれ。おかしいな、治らない」
ぽたり、ぽたりと血液が地面に滴り落ちる。『弐』の字が完全に潰れていて、隻眼となった童磨がこちらを見ていた。
空はだいぶ明るくなっていた。夜明けまで、もう間も無くだろう。
「おっと、流石に分が悪いかな」
「尻尾、巻いて、帰れ」
「酷いこと言うなあ……じゃあね、また会おうかいろはちゃん」
童磨が去っていく。追いかけるだけの体力は残っていない。傷口は凍ってるし、出血も多い。肺が凍てついているが、治らないほどではないだろう。いつもなら慣れているお面がひどく重たく感じて、血濡れた手でお面を外す。
「……霜が下りてる?」
ああ、なるほど。あの霧の氷がお面で多少防げていたんだ。呼吸をしている以上全ては防げなかったみたいだけど、戦闘可能でいられたのはそのせいか。
遠くから私を呼ぶ声がする。隠が到着したようだ。その声に安堵すると同時に力が抜けてその場に座り込んだ。壁に背中を預けて、刀に体重を預ける。
「水柱様!ご無事ですか!?」
「生きている。胡蝶カナエは」
「すでに搬送済みです!」
「そう……」
疲れた。
腕の一本は切り落とせた。誘導がなければもう何太刀か入れられた。指弾も有効だった。
しかし、そこまでだ。もう一歩先が必要になる。
少しだけ、可能性は出てきた。
隠に背負われ、刀を預ける。今すぐに眠って、睡眠学習でさっきの記憶を脳に刻みつけたかった。
あれが、透き通る世界か。