ミノタウロスの皿、あるいはテセウスの船   作:サブレ.

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雨の中の客人

退任前の引き継ぎ作業が立て込んでいる霧雨いろはです。

柱という立場上、ある日当然蒸発というわけにもいかないのでね。

 

雨音の中、水屋敷に併設されている道場で一人、木刀を手にして立っている。

呼吸を媒介として、全身に巡る力を認識する。やがて生まれ持った自己と、養父から与えられた自己、二つを別のものとして認識できるようになる。

ひと呼吸で、全てが静かになっていた。世界の明度が上がり、時間はゆったりと流れている。

ひと呼吸で、その状態を解除した。ほうっとため息をつく。

ここに至るまでに長かった。なんなら自分で透き通る世界を理解する前に、引き継ぎの一環として義勇にこれを教え始めていた。

おかげで義勇は大変な苦労をしていた。ごめん。

数時間に及ぶ鍛錬がひと段落したのと同時に、扉が開いた。待機していたらしい元隠の使用人が入ってくる。

 

「霧雨様、失礼します。幾つかご報告が」

「どうぞ。何かあった?」

「風柱の不死川実弥様が近くで任務を終えたものの負傷しているため、水屋敷にて休養を願い出ています」

「許可。健啖家が増えるから調理当番には申し訳ないけど、対応してあげて」

「冨岡様の鎹鴉の寛三郎が、鱗滝様宛の私信を間違えて水屋敷に持ってきています」

「何故……って、この間鱗滝先生が水屋敷に来たからか。もう帰ったのに。瑪瑙が待機してるから瑪瑙に手紙を引き継いで。寛三郎は休ませたあと主人のところに帰ってもらおう」

 

手紙の中身は私の指導への愚痴と、鱗滝先生がどれだけ素晴らしい師匠であったかだな。

 

「炎柱様より手紙が届いております」

「またか!急ぎじゃないなら後で確認するから私の部屋へ運んでおいて」

「岩柱様より手紙が届いております。内容は、次回の柱合会議について」

「置いておいて。これも後で読む」

「最後になりますが、鎹鴉の音羽が水屋敷に来ております」

「……音羽(おとわ)が?」

 

音羽。最近はもっぱら私付きとなっているとある隠の鎹鴉だ。

宇髄天元とほぼ同時期に柱となり、半年ほどで片目の視力と利き腕の握力を失ったために隠へと転向した後輩がいた。元柱としての勝負勘等は私自身も信頼を置いていて、ここ二年ほどは一緒に仕事をしてばかりいた。

 

「話は聞けそう?」

「いえ。随分と衰弱しています。今は他の隠が世話を」

「まずは体力の回復に専念させて、話が聞けそうなら呼んで。それと、手紙は持ってなかったんだよね」

「……はい」

 

そうか。

 

「風柱の到着はいつ頃になりそう?」

「七時ごろとのことです」

「了解した。すまないけど、先に風呂に入りたいので湯を沸かしてほしい。二度手間になるけど、風柱が来る時間に合わせてもう一度沸かしなおしてあげて」

 

かしこまりました、と隠が頭を下げた。

 

 

 

「よォ霧雨さん、邪魔するぜ」

「実弥くんいらっしゃい。お風呂沸いてるから泥を落としておいで。まあ、沸かしたの私じゃないけど!」

「お……いやなんでもねえ」

「あはははは」

 

雨の中、先ぶれの通り不死川実弥が怪我を抱えてやってきた。程度がそこまで酷くないのも、予想通り。ただこの雨に打たれたのと出血で身体が冷えているようだ。

 

「冨岡は?」

「別任務で遠隔地。明日の昼頃に戻ってくる予定。君たち仲悪いものね」

「いやそんなことは、ねえけど……」

「確かに、義勇はあまり嫌ってないけどね。着替えと薬と包帯は隠が用意してあるからそれ使って。一時間後にご飯」

「世話になる」

 

手拭いで乱雑に血と水と泥を拭いつつ、実弥くんが隠に案内されて風呂のある場所へと去っていくのを見送ってから、こちらは鎹鴉の休場へと足を向けた。

瑪瑙は鱗滝先生の元へと遣わしたのでいない。いるのは音羽だけ。今は小さな部屋に火鉢を焚いて、布を敷き詰めたカゴの中で羽を休めている。

 

「寒さで凍えて、雨が降ってる中、飛んで帰ってきたんだね。あの子はどうなったの」

「食ベラレタ」

「そう。どこで?」

「村ノ近ク。日輪刀ダケ残ッタ」

「案内役の信者は?」

「一緒ニ」

「去った方角は?」

「ワカラナイ。温メルノニ必死ダッタ」

「……そう、ご苦労様。ゆっくりおやすみ」

 

見送ることになると分かっていたのは花柱胡蝶カナエだけじゃない。原作に登場しなかっただけで柱はたくさんいたし、老齢で引退する人なんてほとんどいない。体の一部を失うか、遺体として戻ってくるか、その遺体すら残らなかったか。

私が万世極楽教を探さなければ、あの後輩は傷を抱えながらも家庭を持って、穏やかに誰かと笑い合う未来があったかもしれない。結婚しなくても何か得意なことを見つけて店を持ったり、そういう道だってあったかもしれない。

でも、そうはならなかった。

 

やはり、私が直接出なければならないか。

 

 

 

今日のご飯も美味しかった。実弥くんもいることだし、あとでお酒のアテのするめも開けちゃおうかな〜。ということで立ち上がった。実弥くんは饅頭をもりもり食べている。

 

「ん、これ美味え」

「カナエちゃんのお勧めだからね。たんとお食べ。私が用意したものじゃないけど」

 

食べながら実弥くんのことを観察する。育ちのこともあるのか、所作そのものは洗練されているとは言い難いが、どこか他者と何かを食べることへの慣れを感じる。騒がしい家庭で育ったんだろうなあ。

食後のお酒は〜熱燗にしようかな〜。

 

「なあ、霧雨さん」

「うん?」

「アンタ、鬼を救うってあり得ると思うか?」

「人を喰わないなら救えるんじゃないかな。人を喰ったら……干天の慈雨とかで命を終わらせるなら想像つくけど」

 

するめ……あった。実弥くんの分も出しちゃおう。どうせもうすぐ辞めるし残してても仕方ない。

 

「人を喰ったことがねえ鬼なんているのか?」

「いるでしょう、普通に」

「は?」

「ごめん、今のは私の言葉が足りなかったね。お酒飲む?」

「いらねえ」

 

隠の人はもう帰ったので自分でお酒を用意せねば。徳利に酒を注ぎ入れ、お湯を沸かしている間に茶葉と湯呑み、お猪口を取り出した。ほうじ茶でいいよね。

 

「鬼だって元は人間でしょう?人を喰った人間がそこら中に居てたまるか、という話。鬼に転化した直後なら、誰だってまだ人を喰ってない鬼だよ」

「トンチじゃねえんだからよォ……じゃあ鬼になった直後に縛り付けて蔵に放り込んだら人を喰わねえ鬼じゃねえか」

「そうだよ?どんな手段であれ、人を殺してない」

「あァ?そんな奴いるのか?」

「いる……いや、正確には居た。柱になる前に見たことがある」

 

お茶を淹れ、徳利を温める。スルメも炙っているのでいい匂いが立ち上った。

湯呑みを持って実弥くんに手渡す。盆の上に徳利とお猪口を乗せた。

 

「鬼の知識がある者でね、老いた祖父が鬼になったので蔵に閉じ込めて殺さないでくれと懇願してきた。人を喰らい殺す前だから人と同じだとね。仕方ないから数日待機して、それから帰ったよ」

「その鬼はどうなったんだァ?」

「小窓から入ってくる日光で焼かれて死んだ。その時の孫の、なんともホッとした笑顔。最初は奇跡を待っていたんだろうけど、時間が経ってそんな体力も気力も尽きて、頭が冷えたんだろうね。でも、祖父に人を殺させなかったのは凄かったと思うよ」

 

よくもまあ、やり遂げたものだ。

祖父が人を喰ったら自分も死んで詫びますと言った、その胆力は確かに本物だった。

 

「救えるとしたらそれくらい頑張って、人を喰うという悪さをしなかった鬼だけかな。それ以外はね、無理だと思うよ」

「無理か」

「無理だね。なまじ救ったとて、自身が人を喰ったという事実に精神が耐えられず自ら救いを拒否する。耐えられるならそれはそれで、元が救いようのない人間だったということだし」

 

実例をついこの間見てきたばかりだ。

 

「悪さをしなかった鬼なんて、それくらいしか見たことないなあ」

「そういや霧雨さんの親父」

「喰うために子供を買って育てて喰らったから、地獄行きだろうね。私にとってはいい父親だったけれど、いい家族と悪い鬼って両立するしねえ」

 

……いい家族といい鬼が両立するって、もしかして凄まじい難易度なんじゃないだろうか。

 

「個人的な所感だけど、人間と鬼を地続きで認識していいのは人を喰らう前までだよ。その後はもう、駄目だ」

「……そうかァ」

 

うん、酒が美味い。

最後に杏寿郎くんと酌み交わすのもいいかもしれないな、これは。

 




「〜〜〜というわけで透き通ったかのような世界が見えたような見えなかったような感じになったので、これに安定して入ることが肝要」
「そうか」
「ただ入り方も何もかも分からない。というわけで義勇、この説明で入れたりしない?ついでに私に教えてくれたりしない?」
「そのような曖昧な話でできる筈ないだろう」
「私もそう思う。でもできるようになって。そして凪みたいに私に教えて」
「無茶が過ぎる」
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