おなかすいた。
現在、長襦袢一枚を着た状態で、壁から生えた鎖によって磔にされている。その状態で触手状のなんかキモい生物モドキに纏わりつかれて肉体をいじりまわされる、気持ち悪さがわかってもらえるだろうか。
絵面が春画。
さて、磔にされる以外にやることもないので、この血鬼術を整理しようか。
螳琊奼の血鬼術は、人体への介入、これに尽きる。ただ、人体を鬼化させぬまま変質させる血鬼術は他にもたくさんある。あるのだが、螳琊奼の特異性としては、この人体改造は『日光では治らない』というものがある。
血鬼術として、これは極めて異例だ。大抵の場合、日光を浴びることで血鬼術は霧散する。蜘蛛に変えられたって人間の姿に戻る。
それが螳琊奼の場合、戻ることはない。半永続的なのだ。恐ろしいことに。
弱いながら無惨に重宝されていたのもこれが理由であろう。
ただし弱点もあり、兎角、時間がかかる。鬼ならば耐えられても、人間ならば容易く発狂する程度には。
体感で数十時間ぶりくらいに、蔵の扉が開かれた。暗闇に慣れた目が、巫女服の鬼の姿を捉える。何か四角い荷物を持っていて、血の匂いがした。鬼が血の匂いをさせているのはいつものことだけど。
「まだ正気を保っていらしたのね、元柱。そうでなくては私がお預かりした甲斐がないというもの」
「霧雨いろはだ。私はそう思わないので食べていただけるよう童磨様に進言していただけません?」
「その名前は必要ないでしょう。我らが欲するのはその腕前のみ。元柱という肩書き以外はどうでもよろしい」
体感にして数日に一度、螳琊奼は様子を見にくる。血鬼術のおかげで様々な生理的な諸々を処理されているのが腹立たしい。そのため、どれだけお腹が空いても何かを食べさせてもらえることはないし、私はとにかく飢えた状態でだらだらとみっともなく涎を垂らすしかない。
発狂の理由、半分くらいは飢餓感が原因じゃないか。
「さんざ、月の呼吸の使い手を作ろうとしてしくじった貴様が、私で成功するとも思えないけどね。ならばさっさと喰われてしまいたい」
「あら、黒死牟様を除いて、私ほど月の呼吸に詳しい者もいなくてよ。月の呼吸の技術が断絶した鬼殺隊と一緒にしないでいただけますこと?」
「……まさか、貴様」
元鬼殺隊士、月の呼吸の使い手か。
私の推測が正しいと言うように、螳琊奼はうっそりと笑った。
「私は黒死牟様の御眼鏡に叶うことはついぞありませんでした。未だ憶えておりますわ、あのお方の素晴らしき剣筋を!確かに強さは日の呼吸に敵いはしませんでした。ですが、ですが!鬼殺隊とは夜を駆ける者!月の光に導かれ誘われ、惹かれるのは当然の帰結!」
つかつかと、螳琊奼がこちらに歩み寄った。頬をわしづかみにされ、視線を上に向けさせられる。爪が食い込んで痛い。鬼のものへと変化した金色の瞳が私の顔を覗き込む。
満月のような瞳だった。
「それが途絶えてしまうことを、黒死牟様はひどく恐れておりましたの。ええ、思い返すも腹立たしい、あの日の呼吸の使い手の能天気なあの瞳!同じ顔をしておきながら、黒死牟様の身を焦がすような苦しみを毛ほども理解せぬ心を持たぬ化け物!」
「……貴様が、理解を拒んだだけじゃないのか」
「理解!?アレに人の心があるとお思いであるのならば、元柱も随分と能天気なものですこと」
能天気か。大失態を犯したことだし、まあ、そうかもしれない。
「私とて一度は同じ色の刀を手にした身ですのよ。剣士として大成せず、せめて神職の出として舞型として遺そうと研鑽を重ねたこともありましたわ。しかし舞型は所詮舞型、剣術の代替にはならなくてよ」
「……舞」
「ええ!舞型が完成した瞬間に私は絶望したのですわ。こんな形で遺したところで意味がない!私が恋焦がれたのは月の呼吸であって醜い舞などでは断じてない!」
「……だから、人間を月の呼吸の使い手にしようと、作り替えることにしたか」
「その通りですわ。しかしなにをやっても上手くいかなかった。黒死牟様の御眼鏡に叶うような肉体を作ろうとすれば精神が壊れた。なれば精神を支配して一夜ほど月の呼吸をさせようとすれば肉体が壊れた。あの方のような才能を持つ者はついぞ手にできなかった。四百年!」
巫女服は、それが由来か。
もっとも、自ら舞うことも剣を取ることも放棄して久しいようだけれど。
螳琊奼の感情がどんどん昂っていくのがわかる。四百年手に入らなかったものが、目の前にあるという感動と興奮。感情の制御が効かないのか、身体の掴まれた部分がめり込んで痛い。
「水の呼吸の適正を月の呼吸に変えてしまえば、ついに私が望んだ月の呼吸の継承者が手に入る!」
「いっ!?」
「逃しませんことよ、元柱。我が手足、私が望んでついぞ手に入らなかった才能の塊、逃してなるものか……!」
「なにが、才能……!全ての呼吸は所詮、原初には遠く及ばないというのに、かはっ」
瞬間、肉体に纏わりつく触手の暴走を全身で感じ取り悲鳴が漏れる。またこの女の癇癪を受け止めねばならないのか。煽った私も私だが。
がしゃん、と音を立てて手首の枷が外れた。だからといって立てるはずもなく、そのまま地面にくずおれる。動いたことで空腹をより強く感じ取ってしまい、奥歯を噛み締めた。
ああ、おなかがすいた。
「……ああ、そうでしたわ。忘れるところでした。手土産を持ってきましたのよ」
「手土産、ねえ。饅頭でも食べさせてもらえるのかな」
「ええ。とっても気に入ってもらえる筈ですわ」
螳琊奼が持ってきていた箱を包む、一部が赤黒くなった大きな布をほどいた。血の匂いが強くなる。鬼のことだ、どうせろくなものが入っていない───
「………………、は?」
それを目にした瞬間、思考が止まった。
確かに、大きさはぴったりだけれど。
そんな、ことが。
「素敵でしょう?首から下は要らぬからと貰い受けまして、飾り立てるつもりだったのですわ。首というものは強さを誇示し敵に屈辱を与える、とても素敵なものですの」
「腐っても、鬼と化しても、戦国の者か……」
鮮やかな髪を持った男の頭部を、螳琊奼が楽しそうに撫で回す。そうして満足いくまで男の頭部を弄んでいたが、おもむろに床に倒れ伏す私の襟首を持ち上げると、引きずって移動させ、生首の前に落とした。解放されていない足首の枷が鎖を引きずり、じゃらじゃらと音を立てる。
「御饅頭ですわよ。お食べにならない?眼球ならば今の状態でも美味しく食べられるのではなくて?」
言われた瞬間、口の中の唾液が量を増した。
おなかがすいている。
苦しい、つらい。
泥でも雑草でも昆虫でも、何もかもが美味しそうに見える。
瞼の下に隠された眼球だって、噛み砕けるのならば、口にしていいのなら……。
でも、それでも。
「ことわる。誰が喰うものか。私は喰われたいのであって、喰いたいのではない!」
そう言い切ると、螳琊奼はつまらなさそうに鼻で笑い、私をひとつ蹴飛ばした。これは夜明けの前に道に飾り立て、藤の家紋の家を通して鬼殺隊に見せつけるのだという。
晒し物とするつもりか。怒りで脳髄がぐらつくが、今の私に怒るだけの資格はない。
そのまま、螳琊奼は去っていた。珍しい生首のせいか、ほんの少しだけ気持ちが緩んでいて、扉の隙間から外側が見えている。あらゆる気力を無くして、床に崩れたまま動けなかった。
……可能性があると、頭で理解していた筈だった。
そんなことはないだろうと、たかを括っていた。
そんな筈はないのに。私もあの人も等しく、原初の呼吸使いとは比べものにならぬほど、弱いと、互いに分かっていたじゃないか。
でも、それでも。
なにも、先に引退していたあなたが、先に逝くなんて思わなかったんだよ。
「……死んだか、煉獄槇寿郎」
無精髭を剃っていた。
片目が潰れていた。
身なりを整えて、よほどの強敵と戦ったのだろう。
唇を噛み締め、胸の内に渦巻く無力感と怒りと虚しさに必死になって耐える。それに比べて、なんて滑稽な自分、これでは観客のいないサァカスの道化師ではないか。
一度、強く床に拳を打ちつけてから螳琊奼の出て行った扉の先を見る。
そこにある気配を見つけた。
光明と呼べる、小さな気配を。
頭部の腐敗度から見て、槇さんの死からそれほど経っていなかった。荒れてても元炎柱、槇さんの危機に幾らかの手の空いた鎹鴉が、救援のために周囲を探索していても、おかしくない。
槇さんが死んだのはここから見て、弱い鬼、あるいは元柱の足で歩き回れる程度の場所。
ならば、可能性はあるということか。
「音羽!」
一羽の鴉が、こちらに気がついている。
これで、お館様に事態の全てを伝えられる。
元水柱の私に、元炎柱の首を見せつけて心を傷つけたかったのだろう。
嫌がらせが仇となったな、鬼!
本作は胡蝶カナエ生存、煉獄槇寿郎死亡でお送りします