久方ぶりに外に出て、肌を刺すような冷気と月の光に泣きそうになった。これほどまでの
もし転びでもしたら、延々引きずられるのは目に見えている。引きずられたくなければ歩くしかない。
とあるお堂にたどり着いた。家主はいない。とうの昔に打ち捨てられたのか、食べられたのかは知らない。
そこで待っていた鬼がいた。紫と黒の上着に袴、身長は高く、存在そのものに夜の大木を具現化したかのような重さがある。腰には、刀が一振り。
久方ぶりの上弦との邂逅に、肉体的・精神的な疲労がかき消されていく。全身が歓喜に打ち震える。
どうやら私の喰われたがりは健在のようで。良いのか悪いのかわからん。
「待っていた…その者が、私が育てる…鬼殺隊士か…」
「は。素質は十分かと存じますわ、黒死牟様」
「どうもはじめまして、元水柱の霧雨いろはと申します!上弦の壱、黒死牟様、どうぞ私を食べてください!」
「食べぬ…柱となる鬼殺隊士として…育てよう…」
そんな。食べてほしいのに。
生きたまま鬼殺隊士を食べるって、よくやったでしょ、黒死牟。どうして私にはやってくれないの。その大きな口で肉を断ち血を啜り骨を噛み砕いて飲み下してくれるだけでいいのに。
本気で残念がる私を尻目に、螳琊奼は私を預けると去っていった。
それにしても、また育てられる側に回る日が来ようとは。長らく育てる側にいたから、随分と新鮮な心地だ。透き通る世界に入り、黒死牟を観察するが、鬼であることを差し引いても鍛え上げられた身体をしている。血鬼術などなくても、生半可な柱なら簡単に打ち倒してしまうだろう。
「成程…素質は充分…肉体もまた練り上げられている…衰えはあるが…月の呼吸、習得できるやもしれぬ…」
「元柱、ですからね」
「精進するが良い…見事産屋敷の首を献上した暁には…私が自ら…喰らってやろう…」
「本当ですか!?ありがとうございます、精進致します!」
鬼舞辻無惨が黒死牟に私を喰う権利を下賜したか。朗報だ。うっかり無惨が私を喰う可能性が低くなった。
そうして始まった機能回復訓練、そして型稽古だったが、控えめに言って死ぬかと思った。
月の呼吸の習得難易度があまりに高すぎる。なんなのこれ。さすが日の呼吸に対する月の呼吸ですわ後継者が現れなかったものさもありなん。
月の呼吸、そもそも一つの武芸を一定の練度まで高めてからじゃないと習得できない。そして型を使える、使いこなす、極めるは別の話。おそらく螳琊奼の人間時代は、使える、の部分で止まったのだろう。私は元水柱の経験値があるからなんとかなっているだけだ。
そうして鍛錬して、それなりの月日が過ぎた。ある程度月の呼吸は使えるようになったが、黒死牟はまだ納得していないらしい。
確かに水柱だった頃の水の呼吸と比べたら微妙な出来栄えだ。でも最終選別には十分だと思うんだけどな。完璧主義だなこの男。生真面目とも言う。
時折、黒死牟はお堂を留守にする。というか割合としては半分くらいは留守にしている。私は鬼ではなく生きた人間のため、食物をはじめとしてさまざまな物資が必要になる。その辺を調達したり、人間を喰ったり、鬼殺隊を狩ったり、青い彼岸花を探したり、色々あるのだろう。
「私はしばし…留守にする…鍛錬を…弛まず…励むがいい…」
「はい、行ってらっしゃいませ」
私は留守にできない。物理的に鎖で繋がれているものでね。それに鍛錬に終わりがないので、私はもうずっと型を我が物とすることに全てを費やしている。
月の呼吸は難しいんだよ。最近なんとか使いこなすの領域にたどり着けるかもしれない、という場所まで来た。だけど、極めるまで至れるかは未知数だ。
そうして鍛錬をして、身体を休める時間。暇なのであちこち見てまわっていたら、倉庫代わりの空間に変な壺があった。
「…………」
どこかですごく見たことあるような壺だ。
試しに手に取って撫で回す。
持ち上げて、壺の口の部分に声を吹き込んでみる。
「王様の耳はロバの耳」
特に反応なし。
少し声を大きくしてみるか。
「王様の耳はロバの耳ー!」
やはり反応なし。
ちょっと楽しくなってきた。
「なんで食べてくれないんだーー!!童磨のバカヤローー!!」
すうっと息を吸い込む。元柱の肺活量を舐めるな。
「生臭いんだよこの壺ーーー!!!」
あースッキリした。
さて、掃除でもするか。
「私の壺が生臭いだとおオオオオオ!!!!!」
背後から絶叫が響いて思わず肩を跳ねさせた。聞いてたの?
というかあの壺、やっぱり上弦の伍、玉壺の端末だったか。太陽の光に晒しても効果はあるのか試してみなければ分からないが、あれほどまで鬼の気配が希薄なのか。あれ自体は本物の壺であるのかな。
それはそれとして刀を構え、ひと呼吸で透き通る世界に入る。向こうも私の今の立場を分かっているだろうけど、それはそれとして本気だ。
「壱ノ型【宵の宮】」
単純明快な居合い、故にこそ技量の差が残酷なほどに現れる。やはりまだ完全ではない、腕を切り落とすまでには至らないが、攻撃を逸らすことはできた。
夜明け前、下手に攻撃しすぎて不興を買いたくはない。とりあえず凌げればそれでいい。
「ヒョヒョッ、黒死牟様が鍛えているからと聞いて興味があったが、やはり異常者には私の崇高な芸術は理解しきれぬか…ヒョヒョ、それも仕方なし」
突発的に始まった上弦との戦闘だが、足首に纏わりつく鎖が圧倒的に邪魔だ。あと鬼から見ても私は異常者判定なのね。うーん、妥当。
さて、どう切り上げるかなー……と思ったところで背後に感じる、圧倒的な気配。
ぞわりと首筋が泡だった。即座に納刀して振り向き、首を垂れる。
「黒死牟様。お早いおかえりでしたね」
「玉壺…何をしている…」
おや、お怒りだ。
玉壺が黒死牟の教え子、ひいては持ち物である私への危害は、序列への反抗とみなされたか。
確かに、私の継子に鬼殺隊の誰かが一方的に危害を加えたら柱という地位も関わってくるからな、納得はいく。
さて、黒死牟と玉壺の会話……というより詰問だなこれ。詰問が終わり、しゅるりと玉壺が消えていった。後には私が残される。
「見ていた…月の呼吸…極めつつあるな…しかし…まだ、余地がある…」
「はあ……身体能力の許す限りの一閃でしたが、まだまだ黒死牟様の領域には辿り着かぬようです」
「やはり…痣なしでは…届かぬか…」
「痣……はじまりの剣士たちが出していたとされる痣ですか」
「知っていたか…」
「噂程度です」
「ならば…話は早い…」
嫌な予感がひしひしと。
「脈拍を上げ…体温を高めることで…痣者となる…痣を出すがいい…」
「……あの、申し訳ありませんが一つ伝えさせてください。私、もうすぐ二十三です」
痣者は二十五までに死ぬ。二十五歳で死ぬ、ではなくて、二十五歳までに死ぬ、である。
もうすぐ二十三。一応予定している最終選別を終えて少ししたら二十四となる。
寿命が削られるのは構わないけど、せめて柱になってからの方が良いのではないか。最悪柱になる前に死ぬぞ。寿命で死ぬぞ。
「死にたくなければ…鬼となるがいい…」
「あのですね、私は喰べられたいんです。鬼になりたいのではなくて」
そこに帰結しちゃうかあ。
そもそも私、後天的な特殊体質だけど本当に鬼になれるのか?
「鬼殺隊は…常に人手が足らぬ…」
「経験済みです」
鬼が常に仕事増やしてくるからな。
大人しく討伐されてくれればもっと休み取れたのに。
「柱もまた…すぐに穴が空く…」
「存じております」
本当にな!!!あんたら上弦のせいでな!!!
「強ければ…短期間で…柱の座に至る…柱となれば…お館様に目通が…叶う…」
「私の代もそうでしたから、そうなりますね」
「その時に…首を獲るがいい…痣者であるならば容易い…」
「最短でしたら、柱になる際に十二鬼月を討伐する必要が生まれます。下弦を討伐してよろしいので?」
念のため聞いておこう。言質はあればあるほど良いとされる。
私の問いかけに、黒死牟は一切の動揺も躊躇いも見せず、言い切る。
「無論だ」
「…十二鬼月は痣が無くても討伐できた者も多い。それでも痣を出せと?」
「そうだ…痣者となったお前の…たどり着く先に…興味がある…」
それが本音か。さっさと言ってほしい。
それにしても、一応は同じ頭領を持つ者であるはずなのに、こうも簡単に犠牲を許容するか。鬼の同族嫌悪の呪いというものをこういう場面で実感する。
「痣を…出して見せよ…」
「はい」
まあ、痣自体はいずれ必要になるし、覚えて損はない。
また死にかけるだろうけど、頑張りますか。
偶数日投稿のため、次の投稿は8月2日となります