鏡を見る。
痣を出せるようになるまでに、多少の時間を要した。多少で済んだのはひとえに、黒死牟と稽古という名の実戦を踏んだことで一気に領域へと踏み込めたからだ。
死にかけた。死ぬかと思った。まあ死んでも食べられるだけなのでそれはそれで。
朗報としては、痣を出して上弦と相対すると、酩酊のような眩暈から解放されることがわかった。何故かはわからない。
黒死牟と生活する上でしょっちゅう酩酊には悩まされた。玉壺と相対した翌日も眩暈で寝込んだので、黒死牟の不興を買ったのはもはや懐かしい。
「細部は違いますが、黒死牟様と似た形の痣ですね」
「呼吸によって…痣の特徴は異なる…」
「では、私の体質が変わる前、別の形の痣が発現した可能性もあったのですね」
痣は出ないと悩み苦しみながら竹刀を振っていた時期が頭をよぎる。結局、この男のような圧倒的な生命としての格の違い、自身の死を幻視するまでの力を前にせねば痣の発現には至らなかったということ。
少なくとも私は、そういうふうに成長するのだ。上弦の弐の童磨を前にして透き通る世界に入門し、上弦の壱の黒死牟を前にして痣の発現に至った。
さて、鏡を見るのはこれくらいにして、最後の手合わせと行こう。これから肉体面の特徴を変えて、刀を手にして藤の家紋の家に行き、鬼殺隊の最終選別試験を受けることになる。
お堂の外へと出た。鎖はもうない。黒死牟の前から逃げられるとも思わない。
刀を抜いて、構える。向いには鬼がいる。夜の大木を具現化したような、一つの脅威がいる。
呼吸をひとつ、世界が透き通る。
呼吸をふたつ、鼓動と体温が跳ね上がる。
「では…来るが良い」
そう言われた瞬間に地面を蹴っていた。まずは純粋な踏み込み、そこから剣戟が始まる。
「……っ!」
強い。さすがは太陽の子の片割れにして上弦の壱たる黒死牟、純粋な剣技ですら並みの柱を上回る。殺す気で攻めているが、気を抜けば逆にこちらが殺されそうになる。
斬り結ぶ間に、型を出していく。
壱から、陸まで。
「よく…ここまで…鍛えた…」
「っ、どうも!」
褒められる。しかし喜んでばかりもいられない。最後の型を出し終わり、黒死牟は随分と満足したようだった。息を吐いて鼓動と熱を静め、透き通る世界から元の世界へと戻る。
幾度か黒死牟の腕をを脚を胴を斬った。それは全て完治した。加えて、黒死牟は私の剣技を見るために血鬼術を使わなかった。
剣技はいい。私の得意分野であり元柱としての意地がある。斬り結ぶことはできる。収穫だ。
だがここに、血鬼術が加わったら?
戦いそのものは成立するだろう。しかし体力の差と傷の治りを加味すれば、結果は見えている。そのままでは、負けることは自明の理。
やはり鬼と人間では根本的な生命としての格差がある。
何かで差を埋めなければならない。人数か、あるいは血鬼術で。
「なにか…あったか…」
「いえ、何も。長きにわたるご指導ご鞭撻、ありがとうございました、黒死牟様」
深く、頭を下げた。
少なくとも、水柱時代に至れなかった痣を出すことができたのは、間違いなく黒死牟のおかげだ。そこを履き違えてはならない。
月の型は全部で六つ。壱の型から陸の型まで。それらは全て修得した。
思いがけず、月の呼吸の継承者となってしまった訳だ。
頭を下げる私の肩に、黒死牟が手を置いた。優しい手だった。養父を思い出す。
なんだかんだ、私のことは気にかけてくれているらしい。
「励むが良い…我が弟子よ…」
「はい、師匠」
これで目的が産屋敷耀哉の首を獲るとか、鬼に喰われるとかでなければ感動的なシーンなんだけどなあ。
汚れた身を清め、新しい袴姿になる。羽織は、鮮やかな芒と三日月が入ったものがあつらえてあった。この人もだいぶ弟子に狂っている。
さて、この後は私の顔を変えなければ。
うう、嫌だなあ。
久方ぶりに螳琊奼とまみえた。相変わらず磔にされているが、今回は顔と髪色と目の色を変えるだけなので、それに関しては十日程度で済むらしい。
だが今回はもうひとつ、『卵産み』という作業が残っている、らしい。
そもそも、螳琊奼の血鬼術は人体への介入。それらは大別して『肉体面の干渉』と『精神面の干渉』に分けられる。今回は『精神面への干渉』も受けなければならない。
触手が人間に卵を産みつけ、卵が孵化することで宿主になにか一つ命令を下すことができる。時間はかかるが、この命令には絶対に逆らえない上に、人間の皮膚を傘とすることで宿主が日光の下に出ても消えることはない。『青い彼岸花を見つけ出せ』と命令すれば、数十年にわたって人間がその命令を遵守する。
なるほど、無惨がこの女を重用する訳だ。
「普通なら一人の人間に一つの命令しか下さないのですが、元柱ならば耐えられるでしょう?三つほど産ませてもらいますわ」
「ご随意にどうぞ。ところで、命令の内容は聞かせていただけるのか?」
「無惨様を傷つけないこと、私に逆らわないこと、青い彼岸花を見つけたら報告すること」
「……ふうん」
やはり鬼殺隊に潜入する以上、鬼全体にかかる命令は下さないか。青い彼岸花を探すのもまた予想内。もしも現在の鬼殺隊において青い彼岸花を所持していた場合、情報を得られるのは私しかいない訳だ。
それにしても『報告すること』、ね。念のためすこし深堀りしておこう。
「私の内部に触手が飼われるのなら、勝手に私の知ったことや位置情報は伝わる、と考えても宜しいか?」
「残念ながら、私の子は元柱の肉体に手一杯なのですわ。そのような器用な性質ではありませんの。ですのでね、こちらで連絡役を用意いたしましたわ。その者を介して報告してくださいませ。ここを拠点とさせますわ」
示された地図は、それなりに街中に近い温泉街だった。ここ、あるいはここの周辺の町に定期的に足を運ぶのか。
柱なら無茶言うなと叫ぶが、下っ端ならなんとかなる範囲だ。
「私がそれらを無視する、とは考えないのかな」
「あら、言ったでしょう。命令の一つは私に逆らわないこと。卵産みが終わってから命じれば、それを絶対に遵守する。そういう血鬼術でしてよ」
なるほどね。
鬼舞辻無惨が私のことを任せる訳だ。
素肌を触手が撫でまわし、顔に登ってくる。鳥肌が立つのを必死に抑える。やっぱり気持ち悪いなあこれ。
「……ああ、それと。ひとつお聞きしたくてよ」
「何かな」
「あのお方は……黒死牟様は、お前を弟子とお認めに?」
「ええ、それが」
何か、と問いかけ終わるよりも、
顔に激痛が走る方が早かった。
「いっ〜〜〜!?ぐ、い、ぁああああ!?」
痛い、いたい、痛い!?
大混乱に陥りながらもなんとか目を閉じて液体が目に入るのを防ぎ、顔を振って液体を振り落とす。
液体、!?痛い、なんだこれ、熱い!
「ああ、視力は問題ありませんことよ。私の可愛い子たちがそれだけは守ってあげましたもの。ふふ、血鬼術さえ無ければ危害を加えられないとでもお思い?」
「ぐ、ぅぅぅ!?」
「ええ、腹立たしいこと。私は教え子ではあっても弟子になれませんでしたのよ。先に月の呼吸に触れたのは私だというのに、ああ、腹立たしい、妬ましいこと」
六条御息所か貴様は!?
「大丈夫でしてよ、ちゃあんと傷は塞がりますわ。だって痣者ですものね。もっとも、傷跡については保証できないけれど……すぐに死んでしまうのなら、関係ありませんわね」
螳琊奼が私の髪の毛を掴んで無理やり引き上げた。顔の上半分が焼け爛れた私の顔を見て、満月のような瞳が私を映しだし、にまりと嗤った。
「まあ、なんて醜いのでしょう」
鏡を見る。
藤の家紋の家に行き、最終選別を受けたいということを伝え、対価を払って一晩の宿を借りた。原作の嘴平伊之助でさえ隊士になれた程度には、鬼殺隊の門戸は広い。入隊自体はなんとでもなる。一室を借りて、そこにある鏡をずっと見ていた。
流石に焼け爛れた顔をずっと見せられないので、顔の上半分は仮面で覆うことにした。まさか再入隊でも面を被ることになるとは流石に予想外だ。
目の色も髪の色も顔つきも、霧雨いろはの時代から随分と変わった。黒い髪と藍色の眼は、白い髪と金色の眼になり、さらに上半分は醜く爛れている。
だが、まあ。
「転生したと考えれば、こんなものか」
顔も、名前も、突然変わった。それでも生きていけるものだと知っている。
霧雨いろはは死んだのだ。そして、新しい名前の命がここにいる。
二度、鬼に喰われるはずだった。
一度は鬼狩りに、一度は鬼に救われた。
偶然にも命は続いている。しかし、一つの人間は死んでしまった。
生きていることと死んでいることは、それほど離れていないような気がした。
「月詠イナバさん。食事ができましたよ」
「はい、ありがとうございます」
焼け爛れた部分を隠すように仮面を着ける。
明日は最終選別だからと、まだ鬼殺隊ではない私のために腕によりをかけて食事を作ってくれたらしい。
礼を言って口をつけた。衣服の下、肩から胸の辺りでは小さな寄生体がうごうごと蠢いている。
準備は整った。
さあ、どこまでやれるだろうか。
霧雨いろは改め月詠イナバ
「なんか見たことあるような胡散臭さだな……」
「シャア・アズナブルとかラウ・ル・クルーゼとかネオ・ロアノークとかゼクス・マーキスで見たやつだ……」