冨岡義勇:甲・継子
主人公が柱を辞めてなかった世界線の柱合裁判
那田蜘蛛山で拘束された炭治郎が揺すられて目を覚ますと、そこは開けた庭だった。後ろ手で拘束されて地面に転がされている。
炭治郎を起こしたのは、二年前に炭治郎と禰豆子が出会い、那田蜘蛛山でもまた二人の命を救った冨岡義勇だった。
「起きろ、炭治郎。もうすぐ柱が揃う」
「義勇さん」
この男は炭治郎の兄弟子に当たる。現在は甲という地位にいる義勇は拘束されてこそいないが、刀を持たずに炭治郎の横に座っている。
その前に、続々と到着した柱たちが二人の前に揃う。全員が義勇、および炭治郎の取った行動を問題視しているようで、厳しい言葉を投げかけてくる者が多い。
「継子が鬼を庇うとはなあ、冨岡」
「うむ、どういうつもりだろうか」
「霧雨さんは知っているのかしら?」
「どちらにせよ監督不行届だろう。連帯責任だ」
霧雨さん、という言葉に炭治郎が反応した。霞む目を凝らして柱たちの顔を見れば、一人、かつて会ったことのある
「霧雨さん?」
「お前、水の呼吸の使い手なのに霧雨いろはを知らないのか?」
「い、いえ、知ってます!」
何かあったら霧雨いろはを頼るといい、と言われたのはまだ家族が健在であった頃。しかし炭治郎は名前こそ知っているものの、いろはの容姿や人となりを一切知らないことに気がついた。どう話をしようかと悩む中、隣に座っている義勇がふと何かに反応する。それに追随するような形で、柱が一方向を向いた。
「どうも、只今到着しました。揉めてる?」
「おー揉めてるぜ、派手にな。知らないとは言わせないぜ?霧雨さんよ」
そこにいたのは一人の女性だった。鱗滝の作ったものと同じ狐面を身につけているため表情は伺えず、身長は柱の面々の中でも下から数えた方が早い。黒地に青と紫の紫陽花が描かれた羽織を着ている。
遅れて到着した霧雨いろはは、他の柱からもたらされた詰問を全て受け流して義勇の前に立った。
「義勇、弁明」
わずか二言、その中に言い知れない圧力を感じ取り、炭治郎が息を呑む。義勇は内心を感じ取れない無表情のまま、自身の直属の上司であるいろはを見上げて口を開いた。
「……何も言うことはない」
「言うことが無いわけないでしょう、おばか」
ずびし、と手刀が義勇の頭に振り下ろされた。結構な音が鳴り、義勇は頭を抑えて悶絶する。はあ、とため息をついていろはが頭を抑えた。
「いろは殿、これらの事態は把握していたのだろうか?」
「……杏寿郎くんの言う通り把握しておりましたよ」
「冨岡だけではなく柱である霧雨まで鬼を見過ごしていたと?どういうつもりだ」
「把握した上で黙認していたのは私だけではありません、お館様もです」
「なんだと?」
「二年前に私は義勇から報告を受け、そのままお館様へと報告しました。お館様は彼らの存在を黙認し、私自身にも沈黙を望まれた。無論、懸念は重々承知。私と義勇の判断に追従してほしいとまでは言わない。ただ、お館様が二年間の沈黙を破るその瞬間までは、処断を待っていただきたい」
柱たちの敬愛するお館様の名前が出たことで、ひりついていた空気にわずかな変化が起こる。納得はしていないが、それでもこれから始まる柱合会議を待ってもいいという、ほんのわずかな猶予期間。
それを獲得したことを確認したいろはは、もう一度ため息をつきながら義勇の前に座り込み、手を伸ばして義勇の頬を掴むと、盛大に引っ張った。
「……という内容を!庇った張本人である君がやらないといけなかったんだよ!お分かりか!」
「いひゃい」
しばらく満足するまで引っ張ったせいで、義勇の両頬は真っ赤になった。義勇はヒリヒリする自分の頬を労るように両手で揉みながら、ぽつりと反論する。
「俺は柱じゃない」
「知ってるわ!君は甲で継子なんだから柱で師匠の私に責任が及ぶことは当たり前だ!私に責任を投げる行為をサボるんじゃない!」
義勇への叱責を終えて、いろはが立ち上がる。視線が義勇から炭治郎に移ったのが分かるが、狐面のため表情は伺えない。それを察したいろはが狐面に手をかけてずらした。一人の女性の表情が顕になる。
「それから、竈門炭治郎」
「は、はい!」
「直接会うのは初めてだから聞くけどね、どうして鬼のことを庇ったのかな?」
「……へえ」
「鬼を庇っているのではなかったか?」
「私が信頼しているのは義勇の判断であって竈門炭治郎でも禰豆子でもない。だいたい、人を喰わぬ鬼など私だって半信半疑だ」
「半信半疑なのに鬼を見逃したのですか?」
「長年鬼舞辻無惨に接触できていない今、現状の打開は急務。大博打ではありますが、もしそれが本当なら賭けるに値すると思った、それだけ」
言外に竈門兄妹のことは信用できないと告げ、いろはが炭治郎を見下ろした。場合によっては禰豆子が殺されかねないと知り、炭治郎は慌てて声を上げた。
「禰豆子は人を喰べない鬼なんです!」
「根拠は?」
「二年間、ずっと眠り続けて人を喰べずにいました!」
「それは“眠っている間”の話でしょう?今竈門禰豆子は起きている。起きている竈門禰豆子が人を襲わないと何を持って判断したの?」
「二年前、禰豆子は俺を喰べずに守ろうとしてくれました」
「眠る前の話でしょう?今は?」
炭治郎の主張は淡々と否定されていく。分からず屋、と炭治郎の怒りが蓄積されていく。それを感じ取り、いろはは仕方なしにしゃがみ込んで炭治郎と顔を近づけた。他の柱は、傍観体制に入っている。
「鬼は人を食う。それが大前提。少なくとも私は、生まれてこの方、人を喰わぬ鬼に出会ったことが無い」
「目の前にいるんだ!良い鬼と悪い鬼くらい、柱なら見分けてみろ!」
「それに何秒かかる?私はそれをわざわざ見分けるために君にどれだけの時間を掛けろと言うんだ?」
いろはが人差し指を空に向けた。
「講義の時間です、実例を挙げて説明しましょう。とある鬼がいました。手元に置いていた子供を喰べようとしていました。その鬼は非常に外面が良くて、周囲の人間と交友関係を築ける程でした。それでも人を喰うことは辞められませんでした。
その鬼はいざ子供を食べようとして、寸前、頸を斬られて死にました。もしも言葉を交わしていたら、鬼の甘言が本当かどうか見極めようとしていたら、子供は死んでいたことでしょう」
炭治郎はその実例を語るいろはの感情が、どこか寂しさと悲しさを含んでいることに気がついた。その鬼と知り合いだったのかもしれないが、感情の裏側にある事実までは読み取れない。
す、といろはの目が細められた。
「鬼は悪鬼であることが前提です。それを覆したくば君が証拠を持ってきなさい。義勇とて甘くは無い、大博打を仕掛けるに値する“何か”を見せたから譲歩したのでしょう?」
「……はい」
「義勇には証拠を見せて、私たち柱には自分で見極めろと言い、言葉だけで分かってもらおうとするのは甘ったれにも程がある。君は何様だ?」
「霧さん」
「はい、ではここまでにしておきましょう」
義勇が咎めるように呼びかけたことで、いろはは引いた。強めに詰められたことで意気消沈してしまった炭治郎を見て、杏寿郎が苦笑する。
「厳しいな」
「ここで甘やかして何になると?どちらにせよ、禰豆子が人を襲わないという証明は必要だしね」
何より、とほんの少しだけいろはの唇が動き、言葉にならないうちに再び狐面で顔を覆ってしまう。
続く風柱、不死川実弥の登場により再び賑やかになり、いろはの言いかけた言葉は結局形になることはなかった。