柱であっても夜通し駆けたら眠たくなる、霧雨いろはです。
水屋敷近辺で鬼を狩ったので、その日のうちに屋敷に戻って仮眠を取れたのは良かった。今日はまた夜が来る前に、一度煉獄家へと行っておく予定だ。すでに手紙で連絡はしているので、急遽キャンセルということにならずに済む。
煉獄家、もっと正確に言うなら現炎柱の槇さんと奥方の瑠火さんへの訪問だ。ここ数日、彼の心は荒れ模様であり、瑠火さんの病状も一層悪化している。元々予定に入れていたとはいえ、お館様からの頼みでもあった。
どうにもお館様は私に対して、やや威厳を崩した態度をとることが多い。無論、それは私と一対一の謁見か、あるいは手紙越しでのやり取りに限られる。私自身がそのような相手の方がやり易いのを汲んでいただいている、そういうことだ。
気を配っていただいている。こちらもまた柱として精進せねばなるまい。
それはそれとして、屋敷に手紙を送って数日留め置くという心臓に悪いドッキリはやめていただきたい。いや、確かに急ぎではない内容であるけれどさあ。
昼時を過ぎた頃。屋敷の者に頼んで手配してもらった果物を持って、煉獄家を訪う。瑠火さんの見舞いの品だが、果たして食べてもらえるのだろうか。
「こんにちは、霧雨いろはです。お邪魔しますよ」
「これは、お待ちしておりました水柱殿!」
快活、明朗。ハキハキとした大声に口元が緩むが、狐面のため見えることはない。長男の煉獄杏寿郎くんがお出迎えしてくれた。お父上は現在、道場の方にいるらしい。まだ鍛錬の方は辞めてないようだ。
では先に、瑠火さんの方へ顔を出そうか。そう頼むと、杏寿郎くんは分かっていたように瑠火さんの部屋へと案内してくれた。やはりもう、応接間まで移動する体力も残っていないらしい。
杏寿郎くんはお茶を淹れるために立ち去った。もう一人の息子である千寿郎くんは、乳母の元にいるようだ。
二人きりとなる。丁寧に頭を下げた。
「ご無沙汰しております、瑠火さん」
「頭を上げてください。お久しぶりですね」
息災とはいえない、こけて白くなった顔。そして今までと変わらない凛とした瞳。
強く美しい女性だ。この方に生まれ持った女性としての生き方を教われたのは、思いがけぬ幸運であった。私は師に恵まれている。
しばし、歓談を楽しんだ。手紙もいいが、やはりこうして言葉を交わすのもまた楽しいものだ。それが、遺言を残すためのものであることは分かっている。
穏やかな会話は、やがて静かになる。私と瑠火さんの共通の心配事といえば、一つだ。
「いろはさん。あの人と、息子のことを頼めますか」
「……後妻に収まれという頼みならば、つつしんで辞退させていただきたいのですが」
「そうではありません。分かっておいででしょう」
そう、分かっている。分かっていて誤魔化そうとした。
原作知識として、おぼろげな未来予知モドキができるから知っている。煉獄槇寿郎はこれから先、折れる。
「……一同僚として正直に申し上げますと、私は、槇さんはもう荷をおろして良いのではと思うのです。私の人生よりも長きに渡って鬼殺隊に貢献したのです。もう十分に戦ったでしょう」
「ええ……ですが、杏寿郎がいます。私はあの子に、強く生まれた者として生きるよう諭しました。あの子は荷を背負います。煉獄は鬼殺の一族ですから。
あの人は杏寿郎につらく当たるでしょう。杏寿郎はそれでも折れないでしょう。そしてそれをあの人が後悔する瞬間が来るのではと……」
まるで、未来を見てきたかのように言う瑠火さんの言葉が、実現する可能性が高いと知っている。柱という力があるからどうにかできるかもしれないが、確実なものではない。
それにしても弱音ばかりだ。こんなに弱音を吐く瑠火さんは初めて見た。やはり病は心を弱らせるのだろうか。
そんな状態ですることが夫と息子の心配ばかりなのだから、芯の部分はなにも変わっていないのだが。
「私自身もいつ死ぬかも分からぬ身、請け負うことはできかねます。その上で、一同僚と鬼殺隊の先達として出来ることをやってみます。どうかそれで、ご容赦いただきたい」
結局、私の出来ることなんて限られている。
養父ひとり救うことができなかったのだから。
瑠火さんとの会話を終えて、次に向かうのは道場だ。何度か来たことのある屋敷、勝手知ったる廊下を歩む。
その先には槇さんがいた。五体満足で十を超える年月を鬼殺に捧げるのがどれほど凄まじいことなのか、決して長くはない柱としての時間で知ったつもりだ。
「槇さん」
「ああ、話は済んだのか」
「貴重なお時間をいただきました。……一緒にいなくて良かったので?」
「なにを今更。女には女の秘密があるのだと追い出したのはお前たちだろうに」
「そういえば、そうでしたっけ」
まだ瑠火さんが今より少しばかり元気で、私が柱になる前の話だ。
しばし、沈黙。やがて、槇さんが視線を合わせぬままぽつりと問いかけた。右手には先ほどまで使っていた木刀が下げられている。
「俺には才能がない。お前にも」
そんなことはないだろう、と声が出そうになった。
鬼殺を続けて死んだ柱、肉体を欠損して引退した隊士、柱になれなかった隊士、戦場に立つことすらままならなかった隊士。
短い時間だが、たくさん見てきた。柱になった私は、間違いなく才能があるのだろう。長く柱を務めてなお健在のこの男は、そんな私よりもずっと戦い生き残る力は強い。
だが、私は“才能”がなにを言い表しているか知っている。そしてその“才能”と自身を並べたときに自分自身が凡才であることもまた、承知しているつもりだ。
だから、言葉を飲み込んだ。
「何を見たのですか」
「はじまりの呼吸。全ての呼吸は日の呼吸の劣化にすぎん。はじまりの剣士の日の呼吸と比べれば俺もお前も全てが塵芥だ」
「良いではないですか。劣化上等、たとえ猿真似であろうと最後に鬼舞辻無惨を殺せさえすればそれで良い」
一歩、道場の中へと踏み込んだ。傍に立てかけてある木刀を手に取る。勝手に使うことになるが喧嘩を売ってきたのは向こうだし、柱の給料ならば木刀の十本や百本の弁償など容易い。
「非凡の者がいないなら、凡人が戦わねばなりません」
「だから死んでいく。何者にもなれん、何を成し遂げるわけでもない」
「少なくとも貴方は死ななかったでしょう、槇さん。鬼殺隊という過酷な場所で貴方を救い続けたその呼吸、無価値とは言わせない」
一歩踏み込む。敵意に反応した槇さんが反応する。
───あとは、あっという間だ。
「水の呼吸、壱の型【水面斬り】」
「炎の呼吸、壱の型【不知火】!」
ガァン!と木刀が硬い音を奏でた。技の交差にも関わらず、衝撃を完璧に受け流したため木刀自身には一切のダメージはない。
この時点で、槇さんは私が何を求めているのか気がついたらしい。そのまま辞められるかと一瞬危惧したが、同僚のよしみか年上故の諦めか、槇さんはそのまま付き合ってくれるようだった。
甘えるように、そのまま互いに技を出し合う。
「水の呼吸、参の型【流流舞い】」
「炎の呼吸、参の型【気炎万象】」
互いに全力ではないが、本気ではある。
一瞬でも気を抜けば攻撃を喰らう。
木刀の切先が掠った狐面が砕け、頬の部分が露出する。
一秒があまりにも長く、瞬きですら惜しい。
「伍の型【干天の慈雨】」
「伍の型【炎虎】」
技の特性の違いによりぐっと押し込められる。一撃の重さが違うのは性差故だろうか。
だがこちらとて水柱、容易く押し込められるつもりもない。
一度の技につき一度の激突。長く感じられた短い時間も、やがて終わりが来る。
玖の型【煉獄】によってへし折られた木刀。持ち手部分しか残っていない、もはや木刀とも呼べぬ木片で、最後の型を打ち込む。
「───【生生流転】!」
刀身がない木刀で当たるはずもなく。側から見るだけでは不恰好としか言いようがない姿で、型の打ち合いは終わりを告げた。互いに汗に塗れ、息は荒い。時間こそ短いが、それほどまでに気力を消耗していた。
柱同士の稽古など、そうそうできるものではない。常に任務に追われ、下弦とはいえ十二鬼月の元に派遣されることだって少なくない。それと同時に継子と呼ばれる後継を育てていれば、時間はいつだって足りていない。半年に一回の柱合会議だって、開くたびに顔ぶれは変わる。
「満足したか」
「ええ」
だから、まあ、なんというか。
私自身も思いがけず、得難い経験を得てしまった感触があった。
緊張が解け、思わずため息がこぼれ落ちる。壊れてしまった木刀を拾い集めた。汗をかいた、念のため着替えを持ってきて良かったと思う。申し訳ないが、着替えさせてもらいたい。
その旨を伝えて、槇さんに背を向けて道場を出る。最後に背中越しに、言葉がかかった。
「お前はいつまで鬼殺を続ける?」
「死ぬまで」
ひらり、と手を振って引き戸を開けると、ガタン!と大きな音がした。どうやら杏寿郎くんがこっそり覗き込んでいたらしい。
柱同士の本気の打ち合い、滅多に見れるものではないしね。見取り稽古かな、気持ちはわかるよ。私だって他の柱が型の出し合いしてたら見たいもの。
「杏寿郎くん。すまないけど、着替えられそうな部屋に案内してくれるかな」
「は、はい!」
案内してくれる背中が若干ギクシャクしている。後ろめたく思わなくてもいいんだけどなー……。