案内された空き部屋で着替え部屋を出る。さて、木刀の分の弁償代を今出してから帰ってもいいのだが、せっかくの機会になりそうだから少し利用させてもらおうかな。
「杏寿郎くん。少しいいかな」
「はい!」
「そう畏まらないで。お説教じゃないからね」
ピシィ!と背筋を伸ばした若き杏寿郎くんを縁側に座らせて、自分も一人分の空間を開けて腰掛けた。狐面は予備を持ってきていないので、頬から口にかけて中途半端に露出しているのが気になるのか、杏寿郎くんの視線がチラチラこちらを見ている。
分かりやすい。
「実のところ、謝るのはこちらです。借りた木刀を一本折ってしまってね」
「いえ、構いません。柱同士の稽古ともなれば仕方ないでしょう」
「それはそうなんだけど、やっぱりお借りしたものを壊しっぱなしなのも、ちょっとね。ただ、今はちょうど手持ちを切らしているんだ。近く鎹烏に代金を持たせるので、それでいいかな」
嘘である。多少の金なら常日頃から持ち歩いているから木刀一本程度ならどうにでもなった。これは金子ついでに杏寿郎くんに手紙を送るための方便作りだ。
それに気づかず、杏寿郎くんは了承した。うんうん、そういう素直なところは君がもうちょっと小さな頃から変わらないねえ。
たった三歳、されど三歳。十代にとってこの差は結構大きいものだ。加えて入隊前の剣士未満と柱ともなれば、実力差は隔絶している。
「君も槇さんの後継として炎柱になるのかな。選別を突破したらすぐに継子かあ」
「いろは殿は継子がいらっしゃらないと聞きました」
「んー、水柱だから水の呼吸の使い手を……と思っているんだけど、なかなかね。ただ私の育手の元にいる弟弟子が新たに選別を突破したようだから、一度会ってみて、良さそうなら継子にしようと思ってるよ」
継子問題は……うん、冨岡義勇でいいだろうというのが本音だ。凪を開発するようなつよつよ柱だ。一瞬、この間槇さんが遠方に鬼狩りに出かけて保護した伊黒小芭内とか、最近忍者から鬼殺隊に転身したらしい宇髄天元とか頭に浮かんだけど、結局のところ私は時期が来る前に水柱の座を明け渡すことになるから、次期水柱を育成するのが筋だろうという結論だ。
こうして頭にある顔ぶれを並べてみると、現段階ですでに岩柱の行さんがどれだけ外れ値であるかわかる。
なんなんだろうあの人。
「槇さんに、才能がないとか意地悪なこと言われたりしてない?」
「はい!あ、いいえ!えっと……」
「言われたんだね。まったくあの人は」
奥方が敷地内にいる上に息子の前だから本当は良くないけど、これくらいは言う権利あると思う。
断ったとはいえ頼まれたんだぞ。しかも今後、槇さんを除いた最先任確定の柱だ。それくらいの愚痴は許してほしい。これから先すごく荒れる槇さんの尻拭いするのほぼ確実に私なんだけどなあー。
「ち、父上は立派な方です!鬼殺隊の柱として、強きものとして、多くの人を助け続けた!」
「うん、知ってる。すごい人だよ、槇さんは。
だから大丈夫。槇さんの息子たる君はちゃんと強い。そりゃあ、才能はないかもしれないけど、それは私も槇さんも行さんも一緒だ。気にするな」
さて、杏寿郎くんが持ってきてくれたお茶も飲み干したし、任務の時間も迫っている。今からここを出て食事をかきこんで準備をしたらちょうどいいくらいだろうか。
帰るかな。
「じゃ、私はそろそろお暇させてもらいます。鍛錬によく励むように」
「はい!」
「君と、柱として肩を並べる日を楽しみにしていますよ」
軽く頭をポンポンと叩いて、うわっなんとも言えないこの感触クセになりそう。私の髪の毛はごく普通に真っ黒なので、感触まで想像がつかなかったが良いところのお坊ちゃんらしい感じのする髪の毛だ。この辺りは瑠火さんのこだわりかな。
最後にもう一度瑠火さんと挨拶を済ませてから煉獄家を出た。
何ができたとは言わないが、それなりに収穫のあった……というか、ギリギリの貴重な時間に煉獄家に行けたのではないだろうか?これ。
そう思いながらゆっくりめに歩いていたら、なんか背後からバギィ!と固いものに固いものをぶつけたような硬質な音が聞こえてきた。音の種類的に、木刀が折れた音ではない……なんだろうこの音。
まあ、何かあったら槇さんが駆け付けてるだろうし心配するほどのものではないか。
「次の任務地は?」
烏に問いかけると、とある土地の名前と近場の藤の家紋の家の場所を告げられた。うんうん、次の移動先での予定が立てやすくてありがたい。槇さんは私の任務地から逆方向の任務があるようだ。ということはもうそろそろ出立か、柱って大変だよね。
「了解。先に行った者たちに、深追い無用情報の収集に努めるよう伝えて」
伝達を任せて足を向ける。そうして私が水屋敷に帰ってこれたのは、ひと月ほど後のこと。
その間に、瑠火さんは亡くなったようだった。
通夜にも葬式にも出られなかったが、それも仕方あるまい。鬼は待ってくれないのだ。
任務地から電報を送るより他にできることなどなかった。
それでも、なんとか時間を空けて線香をあげに煉獄家を訪ったが、その頃には槇さんは完全に心が折れたようだった。ただ、私個人としてはそれを責められる筈もなし。
先代のお館様が耐えきれず自死し、さらにお館様のお二人の弟君、先代の奥方までもが亡くなったその時も、槇さんは柱であった。柱として、お館様を支える役目を全うしたではないか。それ以上をやれというのは、当時を知らぬ私には言えたものではない。
手を合わせてから、槇さんの部屋に向かう。あえて無作法に襖を開けると、その先で槇さんが横になって酒を飲んでいた。金子を送ったときの返信として、酒量が増えていると相談の手紙が送られてきていたのを思い出す。
「槇さん」
背中に声をかける。返事はない。
聞こえているだろうに、イラッときた。
境遇に理解と同情を持つことと、現在の相手の反応に対しての苛立ちはまた別物だ。だいたい、息子に対するあの態度まで肯定するつもりはない。
どうしても私の鬼の養父と比べてしまう。私を食べようとしていたという点については擁護の余地はないかもしれないが、それでも私は養父から冷たくあたられたことはないので。
「槇さん……炎柱、煉獄槇寿郎!」
ようやっと、槇さんが反応した。
槇さんとの歳の差は、実に親子ほどもある。それでも同僚だ。同僚だからこそ言えることもあるだろう。
「水柱、霧雨いろは。汝の嫡男、次代の炎柱、煉獄杏寿郎を貰い受けます。よろしいですね」
継子……になるのかどうかは、行さんに相談してみるか。こういう時は誰かに相談するに限る。
ただ継子になってもならなくても、杏寿郎くんは私が面倒を見る。決めた、たった今決めた。道を進むというなら先達は必要だというのはむかしむかし、仁和寺の頃から決まっている。自明の理というやつだ。
槇さんは相変わらず背中を向けているが、拒否されないことは分かっている。その程度の付き合いはあった。
「好きにしろ」
「どうも」
言質は取った。好きにさせてもらおうか。
そして、会話が終わって部屋を出た途端、ガァン!という変な音がまた聞こえた。以前も聞いたけど、なんなんだろうこの音。千寿郎くんが驚いていないといいが、槇さんが無反応なら放って置いてもいいや。
最低限、危ないことではないのだろうし。