もちもちむねむね再訪記   作:ひろせとら

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もちもちむねむね再訪記(1/2)

杞憂

 

 この一年でわたしの交友関係は一気に広がった。向こうにとっては単なる知り合いかもしれないけれど、人との関係が希薄なわたしにとっては彼女たちとの関係は相対的にとても大きい。

 

 なにしろ、これまで指で数えられる程度だった世界が二倍三倍にも広がったのだ。離れること、失うことを恐れて人との接触を恐れていたわたしにとって、この変化は悪くない影響を与えているのだと思う。

 

 ただ、わたしの心中が穏やかではないこともまた事実だった。この新しい交友関係は、はるか先生や観音さんとの関係性ありきで、わたし自身の人としての魅力は一切関係ないからだ。

 

 むしろ鳴物入りで登場したわりには大したことがないじゃないか、というのが妥当な評価だろう。虎の威を借る狐のごとく、彼女たちとの関係を梃子に、交友することを強要してしまっている気がしてならない。

 

 このようなことを考えてしまうこと自体が友好に対する一種の裏切り行為であることは否めない。が、わたしの本性は観音さんが喝破したように誰からも嫌われたくない一心の臆病さであり、つまるところ自分本位な利己心のたまもので、ああ。うんざりする。

 

 書くことは癒しになるという。わたしが癒されるためにはあまりにも書く量が足りていない。それに、同じことを書いてばかりだ。

 

 泣き言はこれくらいにしておこう。こうして何事にも不必要な深刻さで臨むわたしであったが、後から考えてみると今回ほど深刻さが不要であった旅も少ないのだから。

 

 この話はいたってシンプルだ。観音さんたちの長年のご友人である円……マドカさんとしておく――に静岡用宗に所在する、日本クラフトビール界をリードする醸造所であるWCB(West Coast Brewing)訪問に誘われて、同行させてもらった。

 

 マドカさんたちとお知り合いになってから旅行に誘われるまでの関係になれるとは思っていなかったために、お誘い自体が素直に嬉しくて。

 

 はるか先生と観音さんに会うのは少し億劫だったものの、参加しなかったら後悔するくらいに、これ以上なく愉快なセッションとアクシデントで溢れていた。

 

 以下の散文は、特に印象的だった出来事を並べた雑記である。

 

―――

 

始まりは嵐のごとく

 

 静岡駅に近付き車内のアナウンスが流れ始めると同時に、車窓を水滴、いや水流が埋め尽くす。新幹線だというのに車体を叩く雨の音がとてもやかましい。風景だったものは灰と白にすっかり染まってしまった。

 

 旅行中の天気。こればかりは現代に至ってもどうしようもなく、常にやきもきさせられる。ビールを飲みに行くことが旅の目標であるので天気は関係ないといえば関係ないし、挑戦的なアクティビティの予定もない。

 

 それに駅からはマドカさんがバスを出してくれる至れり尽くせりの旅程なので足の面でも憂いはないはずだった。にも関わらず、幕開けの前から不穏な空気を感ぜずにはいられなかった。

 

 駅に降り立ったまさにその瞬間、轟音、近くにずどんと落雷があった。どうにも不安だ。そしてその不安は想像以上に早く、あまりにも早すぎるタイミングで的中することになる。

 

 怠惰なわたしは指定席を取るのが最後の一席になるくらいあまりにも遅かったので、ホームの端からのろのろと歩みを進めていた。すると、見慣れた後ろ姿が視界に入った。

 

「あ、ユイ先生だ!おはようございます!」

 

 ベンチにバッグを置き、背を向けているユイ先生から返事はなかった。焦る手付きで、しきりにバッグをガサゴソと引っ掻き回している。親近感の湧く光景だった。

 

「ユイ先生?どうかされたのですか?」

 また返事がない。明らかに心そこにあらず、バッグの中身を全てひっくり返さんばかりの勢いだ。意外に少ない荷物が丸見えになってしまっていて、何とも言えない気分になる。

 

「ああ、広瀬ちゃん。あのね、見つからないんだよ」

 ようやくわたしに気付いたユイ先生は驚くほど憔悴した顔でぼそりと呟いた。

 

「間違っていたら申し訳ないんですけど、もしかして新幹線のチケットだったりします?」

 まさかね。

 

「そう、持っていたはずのチケットがないんだ」

「おっおー」

 

 掛ける言葉が見つからない。

 

 これは、なかなか。穏やかではない始まり方ではないだろうか。いや、厳密には肝心の旅行はまだ始まってさえいないのだ。

 

 ユイ先生は何度も何度もバッグの同じポケットをまさぐり、服のあちこちを叩いている。

 

 わかる、わかります。焦ります。性格上、この手の大事なものを失くすイベントにはわたしも事欠かない方で、それゆえにチケット類が必要な時はいつも固く、ずっと握り締めるようにしている。

 

 現に今も、下車するずっと前からチケットを親の形見のようにぐっと手の中に収めていた。

 

 わたしのチケット喪失最短記録は空港でのバス乗り換え。券売機で買った後、待合所の椅子に座るまでのほんの一瞬で失くしたのだ。今思えば券売機から取り忘れてたのだとか、その際すぐに落としたのだとか、いくつかの可能性が考えられるのだけれども、さすがのわたしもうっかりでは済ませず、我ながらどうかと落ち込んだので、以来チケットを握り締める癖がついた。

 

 だからユイ先生の焦りと自分自身への呆れは痛いほどにわかる。でも傍から見る分には、こう、ニヤけずにはいられない。そうなのだ、ユイ先生はばっちりきっちり決めているようでいて、実際はかなり抜けている。そこに人間的魅力があるのだ。

 

 先生が焦っているのを眺めながら、失くすのがわたしじゃなくて良かったと仄暗い安堵に浸っていると、

 

「なぜだか傘もないんだよね」

 

 彼女は肩を落とし、すっかり黄昏てしまっていた。わたしは思わず吹き出しそうになるのを必死に抑えた。はるか先生が最近こぼす、「かわいそうはかわいい」の意がわかった気がしたものだ。

 

 居合わせてしまったからにはそれじゃあと置いていくわけにもいかず、しばらくガサゴソに付き合っているとユイ先生はとうとう諦めたようで、改札に向かうことになった。

 

 これ幸いと別れて、集合場所に急ぐ。まだ時間はたっぷりあったけれど、待っている皆に伝えなければならない。面白いからではなく手続的な、つまり報連相の問題だ。いいえ、認めます。先生には申し訳ないけれど、こんなに面白い話はない。わたしは早く誰かに喋りたくて仕方がなかった。

 

 

 既に集合場所に着いていたはるか先生たちに挨拶もそこそこに事の顛末を伝えると、はるか先生はぎこちない笑みで首をかしげ、観音さんは顔をしかめて大きな大きなため息をついた。

「なにやってんだか…」

 

 幸い、マドカさんが走らせるバスが駅に着くまでには余裕があった。これが遅刻に繋がっていたら笑い話にできなくなるので、ユイ先生にとっても皆にとっても、そしてわたしにとっても幾分か救いがあったといえよう。

 

 ユイ先生は遅れて合流すると、事の次第を早口で述べたてる。チケットを買いなおす必要はあったものの、今度は彼女の手にしっかりと握りしめられた書類で手続きすれば払い戻しを受けられるのだとか。

 

 よかったですねえと周囲が声をかける中、

 

「だから今どきは電子化しないとダメなんだよ」

 

 観音さんは呆れ顔を隠さず一刀両断。しかし、ただ斬られるユイ先生ではない。

 

「そうすると今度はスマートフォンを失くすんです。そちらの方がこのご時世では何倍も手痛いわけで、チケットを電子化せずに分散させるのは私なりのリスクヘッジなんですね」

 

 さすがはヨタ話のうまいお姉さん、略してヨタ女。返し刀も理屈は通っているようでいて、滅茶苦茶だった。端から失くさないようにする選択肢がないのが、ユイ先生らしい。観音さんは「ダメだこれは」と言わんばかりに首をぶんぶんと振ると、この話は終わりと無言の圧を放った。

 

―――

 

ビールじゃない

 

 あいにくの雨は次第に勢いを増していった。清水港で昼食を経たのち、マドカさんたちの尽力によって夜の宴会とBBQに向けた買い出しが終わると、予定を繰り上げてWCBのタップルームへ向かうことになった。荷物を降ろし、宴会前の駆けつけ一杯といったところだ。

 

 天気がどれほど悪かろうと美味しいものは美味しい。それが気の置けない仲間たちと一緒なら尚更だ。多少のトラブルこそが旅の醍醐味で、なんてことないリセットにも彩りを添えてくれる。と、はるか先生なら書くのだろうか。

 

 バスから降り立つと、それまで朝の出来事で萎んでいたユイ先生は急に元気になったようで、水を得た魚の如く、小雨も気にせずにぐんぐんとタップルームに向かっていった。

 

 不幸中の幸い、あるいは怪我の功名か、いつも大賑わいのタップルームは連休初日にも関わらず空いていて、18人の大人数でもスタンディングですんなりと入ることができた。

 

 樽に繋がった20種近いビールの解説がユイ先生によって始められるかたわら、多少は勝手を知っているわたしや観音さんたちは早速注文を始める。

 

 もちろんわたしはスムージービール一択。缶ではサワーとしてリリースされていた液種が、ここ醸造所直結のタップルームではドロドロのスムージースタイルでも提供されているそうだ。ドラフトで飲めるばかりでなく、缶では出会えないビールと出会えるのがタップルームの嬉しいところ。 

 

 濃い紫色の濁った液体がなみなみと注がれたチューリップグラスを前にして、思わぬ収穫に小躍りしそうになる。わたしが知る範囲では、WCBがリリースしてきたビールの中でも珍しいくらいに濃度が高いはずだ。そしてスムージーは濃ければ濃いほど美味しいと相場が決まっている。

 

 ユイ先生の微に入り細を穿つご高説を賜って、なお全員分のビールが揃うのを待つわけにもいかないので、各員で三々五々、誰かの注文が届くたびに何度も何度もカンパイに興じることになった。これもこれで堅苦しくない集まりならではの楽しさがある。

 

「広瀬君は慶子君と同じで、本当にそういうのばっかり頼むよね」

 テーブルを挟んだ向かいに立つ観音さんは片眉を吊り上げながらおもむろに切り出した。観音さんの手元には飲み比べ用の小ぶりなグラスが並べられる。もちろん見ただけで銘柄はわからないけれど、色からしてどれもIPAかヘイジーIPAなのだろう。

 

「そういう観音さんこそ、たまには他のものも試してみてはいかがですか?」

「飲んだことがないわけじゃないんだ。美味しいことは知っているから、別にいいんだよ」

「でもビールじゃないと?」

「その通り、僕はビールを飲みに来たのだから。そして、こういうのがビールと呼ぶんだ」

 そう言い放つと、観音さんは少しだけ濁った濃い黄色のビールを口にして「これこれ!」と唸った。

 

「二人とも、また言い争うつもり?」

 はるか先生は苦笑いを浮かべながら届いたばかりのビールを掲げる。

 

「まさか、挨拶みたいなものさ。ねえ、広瀬君」

 グラスを交わしながら、観音さんは挑発するような視線を向ける。

 

「ええ。争いだなんて恐れ多い。さすがにわたしも観音さんの石あた……」「聞こえてるよ」

「好みについては慣れてきましたから。はるか先生は試しにいかがですか?多分、今日ある中では一番甘いはずですよ」

 

「これはまた凄そうだけど、じゃあひとくち頂いて。うん、うんうん。これは美味しいね!」

「ふっふっふ」

 わたしは勝ち誇った顔で観音さんを見やる。が、もちろん彼女は我関せずといった白けた顔で「まあ、頑張りたまえ」と呟いた。

 

 次々と運ばれてくるビールを迎えてタップルームはカンパイ、カンパイの大盛り上がり。ようやく講演が終わったらしいユイ先生も満足気なえびす顔で近付いてきた。

 

「ユイ先生、お疲れ様!」

 上機嫌になり始めたはるか先生が元気よくグラスを掲げる。

 

「どうもどうも。いやあ、やはり飲み慣れていない方にオススメを伝えるのは緊張しますが、ビアギークとしては心躍る瞬間でありますね!彼女たちにもぜひしっかりとクラフトビールの沼に沈んで頂かないと!」

 

「頼むよ、ユイ先生。先生がしっかりしてくれないと、このモラトリアム小僧が皆の道を踏み外そうと画策するだろうからね」「モラトリアム小僧」

 観音さんはユイ先生とわたしを見比べながら釘を刺してきた。

 

「観音さんもそんな言い方」

「はるか君、我々が彼女にどれだけ煮え湯——いやビールを騙るビールではないものを飲まされてきたのか、忘れたわけではあるまいね」

 

 はるか先生は観音さんの眼光に気圧されてのけぞりながら、巻き込まれたくないと言わんばかりに困った笑みを浮かべた。

 

「忘れてはいないですけど、ねえ。あれ、でも広瀬ちゃん。なんだか嬉しそうだね?」

「ふふ、はるか先生。どうかお気になさらず。いや失礼、にやけが止まらないのです」

 

 わたしは、自分でもわかるほどに口角をあげて不敵な笑みを浮かべていた。

 

「だって周りを、皆さんのグラスを見てください。ほら!」

 

 20に迫る種類のビールが用意されているにも関わらず、全体の半分ほどがわたしと同じ紫色のドロドロが注がれたグラスを手にしていた。

 

「大人数で飲んでいて半数近くが強要されていないのにスムージーを選ぶ。わたしにとっても初めてのことです。もはや多数派でしょう!こんなに多くの同志に出会えて、嬉しくないはずがありません」

 

 わたしは両手を広げて、ここにスムージー党の誕生を高らかに宣言してみせた。

 

「ビールが得意でなければ、飲みやすいは飲みやすいだろうからね。ビールじゃないから」

 観音さんは憮然たる面持ちだ。

 

「この期に及んでまだそう仰いますか。だいたい、タップルームで繋がっているのですから、スムージーも立派にビールなのですよ」

「いいや、ビールじゃないね」「ビールです」

「スムージーはビール」「じゃない!」「です!」

 

 エスカレーションラダーを上げ始めたわたしたち。見かねたユイ先生が仲裁に入ろうとする。

 

「まあまあ、ビールが何かどうかは確かに議論の余地がありますが、この懐の広さもまたクラフトビールならではのものですから」

 

「ユイ先生まで……。あッ!はるか君!?」

「えへへ、美味しかったんで私も頼んじゃいました」

 はるか先生の前にはいつの間にか件のスムージーがパイントグラスで置かれていた。

 

「くっ、ユイ先生!」「ちょ、勘弁してください!私のせいでは」

 珍しく数的に劣勢となった観音さんはユイ先生に掴みかかる勢いだ。ふふ。

 

「いいや、先生にも責任があるね」「そんなあ」

 ユイ先生は観音さんに詰め寄られて顔をくしゃりをしかめた。

 

「僕はね、ホップの華やかな香りが好きなんだ。愛しているとさえ言ってもいい。クラフトビールに求めるのはまさにこれで、だからこそ、ヘイジーIPAというスタイルが気に入っている。なのに」

 

 観音さんはぎろりとわたしを睨んだ。いつもならその気迫に逃げ出したくなるけれど、この場においては涼しい風だ。

 

「先生の薫陶を受けたはずの広瀬君ときたら、美味しいビールを飲ませるといいながら持ってくるのは青だの緑だのとんだゲテモノばかり。いったいどんな教育をしたのかな?」

 

「そんなモンスターペアレントみたいなことを急に言われましても」

 

 とばっちりを受けて小さくなってしまったユイ先生が面白くて、わたしはさらに燃料を投下したくなった。

 

「今のお話を聞いていて思ったんですけど。わたし、ホップが好きじゃないのかもしれません」

「なに?」

「IPAもヘイジーも基本的に得意ではないですし、そもそも一般的なラガーより苦くなるともうダメで、ドイツビールにしても小麦というかウィートがきいたスタイルが好きですし」

 

「戦争か?」「いいぞ!」「もっとやれ!」

 開戦前夜の盛り上がりに差し掛かろうとする中、ユイ先生が両腕をあげて制止した。

 

「わかった気がします。思うに、広瀬さんもホップが嫌いではないはずなのです。お二人の好みはホップの表と裏に当たるといえるでしょう」

 

 ユイ先生はグラスをごくりと飲み干して続ける。

 

「どういうことかというと、ビールであれば醸造過程でホップは必ず入っています。ホップがなければ、さすがにビールとしては成立しない。

 しかし、ホップ以外の原料が活躍する幅も大きく、ホップは主役ではなく助演になるわけです。つまり裏ですね。特に広瀬さんの好きなスムージーは後からフルーツを投入するので、どうしてもホップの印象は薄くなる。

 対して、観音さんのお好きなスタイルはドライホップなどの工程を重ねることで香りと苦味が大きく押し出されることでホップは主演、表になる。どちらのスタイルもあり得るのが、先ほども申し上げたクラフトビールの幅ということになるわけです」

 

 確かユイ先生はこんな感じのことを仰っていたのだと思う。だと思うというのは、数杯飲んでアルコールが回ったユイ先生は何を言っているのかわからなくなることがたびたびあって、後半はかなりの意訳を必要としたのだ。

 

 このユイ先生の解説が終わるやいなや、マドカさんからタップルームからの移動が告げられ、戦いは次の会場へと持ち越されることになった。

 

(続く)

 

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