用宗での騒動は、ユイ先生による空気清浄機破壊をピークに終わったはずだった。
終わらせたはずであった。「筆を置くことにする」などと、さも既に一人前の文士であるかのような赤面ものの悪文を添えてまで、強引に終わらせたのだ。
自戒と内省、終わらない自己嫌悪が生活の日常であるわたしにとって、自身の失敗を詳らかにすることはさほど難しいことではない。むしろ失敗がなければ書く内容に欠いて困窮することは目に見えている。詰められるのも怒られるのも、喉元過ぎればありがたいネタ元だ。
しかし、他人の失敗はそうはいかない。人の目をうかがって生きているがゆえに、それは最も警戒すべきテーマだと重々承知してきた。
わたしのように自分の失敗をへらへらと開陳することに全く抵抗がない人種がいる一方で、ささいな指摘であっても瞬間湯沸かし器的に最大火力で応じる人種も世の中には少なくない。じゃれ合いのつもりが一生をかけた闘争に発展するのは避けたいものだ。
加えて「人の気持ちがわからない」とたびたび非難されるわたしに、失敗に直面した他人の心理を推し量ることができるはずもない。自分自身の分析で十二分に手一杯なのだ、適当にでっちあげるのだって面倒で、憚られる。
だからこそ、ユイ先生について書かざるを得なかった今回の用宗再訪では、筆も指も運びがおそろしく鈍重で遅筆の極みとなり、やっとの思いで、もうこりごりと喘ぎながら、なんとかケリをつけたのだった。
それが!こともあろうに!書き上げた代物を人様の目に触れるようにした瞬間、
『なんで一番大事な話を書かないのかな』
チャットで飛んできた観音さんの開口一番がこれである。
現実と観音さんは非情であり、厳しく、ままならない。
「あーあ。あーあ。あー!あー!」
わたしは犬のように唸りながら思わず天を仰いだ。
すぐに目を通してもらえたことをまず喜ぶべきだろうか?
いいえ。今回ばかりは、そうは思わない。これは想定を意図的に避けていた最悪の事態で、続く観音さんの発言を追わなくても面倒なことになると確信したからだ。それも、とても、とても面倒なことになると。
『はるか君も僕の横でこう言っているよ。ひろせちゃんだけがお行儀よく、いい子になるのは許さないよって』
参った。どうやら、はるか先生も揃って気炎を上げているらしい。チャットなのに横ってなんだ。つくづく思うのだけれど、なんであの二人はいつもどこでも一緒にいて、事あるごとに観音さんは「僕の女」的な発言を繰り返すのだろうか。そんなの周知の事実であるのに。
『だからね、あの一件もひろせちゃんには面白おかしく書いて欲しいなって』
ほらきた。ほらきたよ。いったい何が「だから」なんですか?
チャットだけであれば、万が一でも有耶無耶にできる可能性があったかもしれないのに、二人だけで盛り上がって、もう話はついてしまったらしい。
そう。観音さんが指摘した通りにわたしは、あの旅行の最後に起きた「大事な」事件を書かなかった。それは単に面倒だったからではなく、上述の如き理由で、語られるべきではない他人の失敗だと思ったからだ。
つまるところ、笑うに笑えない話なのである。
四苦八苦して書いたチケット紛失や空気清浄機破壊などはまだかわいいもので、実際にそう書けたのかは別として、面白おかしくできる余地は十分にあった。
だが、しかし、こちらは違う。起きたことは地味であっても、失敗の質が違ったのだ。面白おかしくという悪意のない注文には、だからこそ、参ってしまった。何より、わたし自身も胆が冷えたので、正直あまり積極的に思い出したくない。
いや、もったいぶるのはよそう。どうせわたしに拒否権などありはしないのだから、どれだけ億劫でも書くしかあるまい。既にいついつまでに書くという約束も通り過ぎているけれど、仕方ないじゃない。
ようやく抵抗を諦めて吹っ切れた気持ちで筆を弄び始めると、なんだか無性に腹が立ってきた。前回までの続きとして扱わなければならないから、終わらせたはずの、自身の赤面する文章を読み返さなければならない。途中からならともかく、文末なんていつも殴り書きだから、これには結構な苦痛が伴う。
誰のせいか?ユイ先生のせいだ。ユイ先生の責任に他ならない。
思えば、わたしがこれだけ彼女に配慮する必要なんてあったのだろうか。
チケットだって空気清浄機だって最後の事件だって、それこそ面白いぐらいに他の誰のせいでもなく、すべてに偶然居合わせてしまったわたしはただの不幸な被害者じゃないか。
被害者には救済が必要だ。そして今回の場合、わたしはわたしが救済するしかない。
なあんだ。遠慮なんてはじめから要らなかったんだ。
そうであれば、わたしは呵責なく忖度なく、高らかに他人の失敗をここに記そう。
ユイ先生のあまりのポンコツぶりに、観音さんがホンモノの怒りをみせた話を。
―――
二点を結ぶ最短距離は数学だの数字だのにめっぽう弱いわたしでも直線だと知っている。
そして、これが机上の二次元ではなく現実の地図上であっても、大きな山やら谷やら、川という立体的な障害がなければ同じことだ。
何も星空の彼方を目指したり、別の次元に跳躍しようとしたりしているわけでもない。またクレタ島の地下に閉じ込められたわけでもない。多少は建物やインフラ施設によって左に曲がったり右に曲がったり遠回りを強いられることがあったとしても、誰がナビゲートしても大きな差は生まれない。
現代日本において徒歩での移動に、そういくつもの選択肢があることの方が珍しい。
そのはずである。そのはずであるのだが、現実はままならないもの。
特にユイ・アラモード、彼女の手にかかれば。
静岡の夜の街中で、わけのわからない長距離を歩かされながら、とりとめのない妄想に逃げていたわたしは事の発端を思い出す。
わたしたちに課せられた役割と目標は極めてシンプルだった。
先遣隊として旅の最後の打ち上げ会場、WCB直営のビアバー包(パオ)に先に到達すること。たったそれだけだ。
レンタルしたバスを返却できる場所が限られていたために、わたしたちは静岡駅から少し離れたところで降車することになった。
予約した時間が差し迫っている!と、ユイ先生は車両が落ち着く前から先遣隊を送ることを繰り返し声高に主張し、足取り軽く外に飛び出すと有志を募った。
バスの返却ともなれば普通車よりも確認に時間がかかるかもしれない。また全体の荷物が多かったため、早めに到着できるであろう身軽な先遣隊を送るのは理に叶っているように思われた。
しかし今思えば、この時点でさえ取り立てて切迫した事態ではなかったのだ。無線封鎖が敷かれているわけでもなく、会場に時間通り間に合わなければ誰かが死ぬわけでもない。「少し遅れる」と一報を入れるだけでも十分であったはずだ。
ただただ、皆疲れていた。
トラブルと呼べるトラブルは既に起きた後だったので、油断していたのだと思う。
他ならぬわたしも、あの思いがけない起床から始まり、山を越え谷を越えの長い一日がようやく終わろうとしている中で、抗いがたい眠気と格闘していた。白状すれば、マドカさんの駆るバスに揺られながら半分寝かかっていた。
そのマドカさんをはじめとした主体的に動き大活躍だったメンバーの肉体的精神的疲弊は言うまでもなく大きく、またそうでないメンバーもそこから自律して動くには十分脳の容量を減らしていたのだろう。そこにきて唯一ハツラツとしていたのがユイ先生だ。
明け方から無意味な爆音によってわたしたちに「思いがけない起床」をプレゼントしてくれた唯一にして主たる要因である彼女はやたらと、どこか癪に障るくらいに元気だった。睡眠というものは極めて不公平な代物で、妨害する側と妨害される側の非対称性は極まっているのが相場らしい。
今回だけでも色々あったとはいえ、クラフトビールといえばユイ・アラモード、ユイ・アラモードといえばクラフトビールなのであるから、彼女の発案がいかに奇妙なものであっても、あの瞬間に敢えて反論する気力のあるメンバーは皆無だった。
最後の事件の始まりである。
一番後ろの座席に陣取っていたため、のそのそと遅れて車両から這い出たわたしは、話を強引につけたらしいユイ先生のたまたま近くにいたせいで先遣隊に加わることとなった。
それにしても、なぜ全てのインシデントにわたしは巻き込まれてしまったのだろうか。いくら物書きとして「美味しい」ことだったとしても、選ぶ権利くらいあってもいいじゃないか。この旅行に誘ってもらえた時点で運を使い果たしてしまい、ユイ先生と一蓮托生になる業を背負わされたのではなかろうか。きっとそうだ。
とにかく、先遣隊の道連れは観音さん、ユイ先生、この集まりの古参でもあるツムギさん、わたし。ツムギさんに至っては、先遣隊にも関わらず前日の飲み会で余った皆の荷物を両手に抱えていた。
わたしはと言えば、ほぼ何も考えていなかった。寝ぼけまなこを擦りながら、ただ歩いて移動するだけだとタカをくくっていたのが運の尽き。これからどこに移動するのか、それがどのくらいの距離になるのか、自分で全く調べようとしなかった。
でもしょうがないじゃない。ユイ先生が会場に行ったことがあって、場所もルートも熟知していると自信満々に強弁するのだから、敢えて調べるまでもないと思うのは自然なこと。わたしは素人、向こうはプロなのだから、疑う方が失礼にあたるというものだ。
観音さんもおそらく同じ考えだったようで、あえて手元に地図を出していなかった。ツムギさんは両手が塞がっているので、確認しようもない。
つまり、後から悔やむことになる「やってはいけないユイ先生任せ」を始めてしまったのだった。
意気揚々と進むユイ先生の後を黙って付いてゆく。
右に曲がり左に曲がり、長い長い直線が過ぎる。進む、進む。歩く、歩く。けれども着く気配は微塵もありません。しばらくすると観音さんが耐えかねたようにぽつりとこぼした。
「だいぶあるね」
「すぐですから」
対するユイ先生は取り付く島もない。
だいたいにおいて、観音さんとユイ先生のやり取りは会話になっていなかった。「だいぶあるね」の言外に込められた意味がわからない人ではあるまいに、そして「すぐ」と呼べる距離はとうに通り過ぎていた。
それでもこの時には「まあ、そんなものか」と鈍い頭で納得したのだけれど、少しずつ、わたしと観音さんは顔を見合わせるようになった。
歩き始めてから20分ほどして静岡駅近くに差し掛かると、ユイ先生が奇怪な動きを見せ始めたのだ。目前に分岐が現れると、何故か必ず左に逸れる。分岐が道だろうと階段だろうと関係ない。絶対に左を選ぶ。直進できる道が見えているにも関わらず、だ。
ユイ先生を信用していることになっている手前、わたしたちも同じ道を辿るわけだけれど、この意味のない遠回りが積み重ねられていることに不安を覚える。
わたしは最初、冗談か、何か政治的な立場の発信なのかと思った。かかる国では、NO LEFT TURNの交通標識が政治的な意味をもって扱われることがある。左ではなく右側、つまり保守を目指せというメッセージが込められたものだ。ユイ先生の場合は左でも、それを実際の行動で表現しようとするのはなかなか興味深いものがある。
オーケイ。敢えて言うまでもなく、人の考えは自由だ。イデオロギーの左右にだって口を挟むつもりはない。ユイ先生は万感の思いを込めて、言葉ではなく行動で自身の思想信条を示そうとしたのかもしれない。しかし、このタイミングで?
と茶化せるのは1回目や2回目だけであって、3回にもわたるとさすがの観音さんもしびれを切らした。
「さっきから毎回左に曲がっているけど、なにか理由でもあるの?」
「以前はこっちのはずだったんですよ」
ユイ先生の返答で既に怪しかった雲行きが荒天の様相を呈してきた。嵐である。こっちのはずだったと言われても、道はまっすぐに続いているのだから、まるで説明になっていない。それよりも、本人はおかしいと思わないのだろうか?
分岐で必ず左に曲がるのは控え目に言っても、全体が見えない迷宮に閉じ込められた時、ゲームで入り組んだダンジョンのすべてのアイテムを回収したい時、そして右折ができない初心者ドライバーだけだ。徒歩で実行する人物がどこにいる?
ここにいる、ユイ・アラモードだ。冗談じゃない。
観音さんも相当に我慢していたのだろう、薄くため息を吐き出し、ツムギさんとわたしに視線を流しながら切り出した。
「ユイ先生、本当に道はこれで合っているのかい?」
これも道が合っているのかを聞いているわけではない。直進できる場所を直進できていない時点で合っているわけがないのだから。
「ええ、もうすぐですから」
これもまた答えになっていない。
「さっきもそう言ってたじゃないか」
「もうすぐのはずなんです、大した距離じゃないはずなので」
暖簾に腕押し、糠に釘、ユイ・アラモードに一問一答。左に曲がる理由は謎のままだった。この後もずっと解明されることはないのかもしれない。だが、それでさえも今は最も重要な問題ではない、困ったことに。
わたしたちが困惑し、そして無言で非難の意を表明したのは言うまでもない。もうすぐのはず、大した距離じゃないはず。それなら、わたしたちは既にどれだけ遠回りをさせられて、更にこれからどれだけ遠回りさせられるの?
致し方ないと苦い顔で観音さんがスマートフォンを取り出す。液晶の光に照らされた彼女の表情はとても硬い。
ユイ先生の飄々とした、若干人間離れした態度に虚を突かれたわたしだったが、それよりも寒気を覚えたのは続く観音さんの言葉だった。
「こんなに距離があるなら最初からタクシーに乗るべきだったね」
言葉だけなら、文字だけであればなんてことない。ただの指摘だ。「なぜ」や「どうして」を付け加えて、もっと冷たく、突き放して、罵るような言い方はいくらでもある。
が、この時わたしが観音さんの言葉の端から明確に直観的に感じたのは怒りであり、わたしの反応は恐怖だった。脚が固まり、腹の中身がぐっと重くなる。その勢いで、一線を飛び超えるような感覚。
観音さんとのお付き合いは奇妙な運命に導かれて短くない。わたしや他の人が彼女を怒らせてしまったり、機嫌を損なってしまったりする瞬間を目撃することは少なからずあったものだ。そういった時でも不満そうな顔はほとんどただのポーズであって、観音さんが怒りをそのままに引きずっている姿を、わたしは幸運なことに見たことがなかった。
しかしそれでも、あるいは、それだからゆえに、初めて聞く声音、温度が感じられた。感じてしまったのだ。刃物が肌を撫で、表面を裂いて奥に入り込むあの金属の冷たさと溢れる血潮の熱さ。アンビバレントな痛み。
一気に血の気が引いたわたしは、自身の感知したものを悟られたくなくて、慎重に観音さんとユイ先生を見比べる。
観音さんが何に怒っているのかは明白だ。この理由のない遠回りに巻き込まれたのがわたしや観音さんだけであればまだよかった(よくはないが)ものの、荷物を持ったツムギさんまで巻き込んだのがよくなかった。
ツムギさんは自発的に善意で、皆の分の荷物を抱えているわけで、彼女にこれ以上の負担を強いるのは余程の理由がなければ道義的に問題がある。そしてより重要であるのは、彼女は観音さんの友達だということ。ユイ先生が同じ友達であっても、そこには信頼の問題がある。
観音さんはツムギさんやマドカさんたちの信頼を受けて、一義的には信頼を背負っている。そして観音さんがユイ先生に任せていたのはプロとして信頼を寄せていたからだ。そこが損なわれると、信頼の連鎖は崩壊する。
つまり、間接的に観音さんが信頼を裏切ったともとれてしまう。その意味において、ツムギさんが今被っている状況に観音さんが自分事以上に怒るのは自然なことなのだ。
さらに付言するならば、観音さんが実際に怒っている理由は信頼のやり取りや不義理といった問題以上に、そういった仕打ちをツムギさんに課してしまったやるせなさと申し訳なさによるものではないだろうか。
だからタクシーや距離そのものが問題なのではなかった。問題は、信頼だ。
これがわたしにとって恐ろしかった。だから友達関係は恐ろしいのだ。相手に信頼や期待がなければ、感情の混じった関係がなければ、当人たちの間に何かよくないことが起きたとしても、それは実務的あるいは経済的に淡々と処理することができる。
しかし友達となれば話は別だ。友達同士であれば信頼の名において、ある程度までのトラブルであれば他人よりも遥かに簡便に処理することができるが、目に見えない閾値を超えると、それは決定的な破綻に繋がる。この破綻は他人の場合とは違って補填しようがない上に、大抵の場合、修復できる可能性は限りなくゼロに近い。最初から他人の方がマシだった、となりかねない。
友達と呼ばれる気恥ずかしさやはにかみの裏には、いつも恐怖が張り付いている。最近ずっと平和ボケしていたわたしの頭に、この恐怖がどっと流れ込んできたのだから、たまったもんじゃない。打ち上げ会場に向かうだけでこんな気持ちになるなんて、誰が予想できようか。
けれどけれども!観音さんから発せられたあの空気と同じくらいにわたしを驚愕させたのは、かかるユイ先生の反応だった。
無。あるいはまったくの静寂。凪として、波風立たず。
暖簾や糠の方がまだ元気よく反応するものだろう。ユイ先生に与えられる飄々という形容詞は度が過ぎていて、わたしがひとりで膝を地につきそうになっているのが馬鹿らしくなるくらいだった。唯我独尊の唯はユイ・アラモードのユイなのだ。
これは強い。もう、わたしの理解を超えていた。ここまでくると、わたしの知る尺度で計ろうとするのが間違いなのではないかと思えてくる。観音さんの顔はもう怖くて見ることなんかできるわけがなかった。
ユイ先生は話が終わったと思ったのか、あるいは単に話を聞いていなかったのか、すぐにまた謎のナビゲーションを再開してしまった。その時点で全体の距離の半分ほどであったそうだが、わたしたちはまた大変な距離を歩かされることになる。
その間もユイ先生は「もうすぐ着く」の一点張りで、それ以外の回答は期待できず。冗談ではなく実際に必要な距離の倍ほど歩かされた気がした。
わたしたちが打ち上げ会場に辿り着くと、先遣隊とは一体何だったのか、後続のはるか先生たちに追いつかれてしまい、ビールの注文さえ抜かされてしまって観音さんが口をずっと尖らせていたあの光景は、しばらく忘れることができないだろう。
―――
後日確認したところ、移動に必要な距離は1.7km、徒歩で25分。左右に曲がる回数は3回。45分近くもわたしたちはどこを歩かされていたのだろうか。どれほど左右に振れたか思い出せもしない。ログを取っていなかったことをとても後悔している。
ユイ先生はといえば、これも限りなく徹底していて、この事件について追加で何かを語ろうとする様子は一切なかった。
わたしやはるか先生のように必要以上に言い訳するタイプであれば、何を言ったのか何を言わなかったので言葉の表裏から、本当の考えがわかる時もあるだろう。だが、この点についてユイ先生は全くの人外で、わたしには胸の内をまるで推し量ることができなかった。
まともな弁解はなく、言い訳もない。潔さが明後日の方向に放り投げられているのだ。思い返せば、チケットでも空気清浄機でも、彼女は何も言わなかった。これがよくない。
観音さんはたびたび「僕は人間の気持ちがわからないからね」と全くの冗談を自嘲的にのたまうけれど、その前提をすっ飛ばして「ユイ先生はわからない」と匙を投げた。
この事件を書け書けとはるか先生観音さん両氏に散々にどつかれたので辛抱たまらず、
「あの時は一線を超えていたんじゃないんですか」と尋ねると
「本気で怒った時は無視するだけだから、そうでもなかったよ」
それがまた背筋が凍るほど恐ろしくて、凹んで、聞かなければよかったと暗澹たる気持ちになった。
以上の不可解な事件の数々を総合するに、わたしはひとつの重大な結論に至った。
そうだ。ユイ・アラモードは宇宙人だったのだ。
この際、ユイ・アラモードなる怪(人)物が四次元生物なのかヴァイツェン星人なのかダブルドライホップ星人なのかヤキマクライオペレット星人なのかはもはやどうでもいい。知りたくもない。
しかし彼女が宇宙人であれば、全ての辻褄が合い、わたしもエッセイで他人(人間ではないので)の失敗を公然と非難した責を負わずに済む。
チケットを失くしたのも、空気清浄機をぶっ壊して無言なのも、分岐で無意味に左に曲がるのも異星の慣習であれば、誰が文句など言えようか。それが彼女らの流儀なのだ。
ユイには人の気持ちがわからぬ。ユイは宇宙人である。
小説を書き、飲んで遊んで暮らしてきた。
けれどもクラフトビールに対しては、人一倍に敏感であった。
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(Appendix 遠すぎた包 終わり)