アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
四国沖での実戦テストを完璧な形で終えたイージス艦「こんごう」改は、堂々たる威容で、再び横須賀鎮守府の港へと帰投した。
埠頭では、多くの鎮守府関係者と艦娘たちが、その歴史的な帰還を出迎えていた。
「──以上が、本航行における全戦闘記録及び、資源消費報告となります」
司令官室で行われた最終報告の席で、艦長役を務めた士官が、誇らしげに締めくくった。
最終的な資源消費量は、決して少なくはなかった。戦艦ル級との全力戦闘において、対艦ミサイルを多数使用し、クラインフィールドを最大出力で展開し続けたため、その補給と修復には、扶桑型や伊勢型といった、正規戦艦一隻分に相当する資材が費やされた。
だが、その報告を聞いた参謀たちの間に、以前のような動揺はなかった。
むしろ、その表情には、確かな満足感と、未来への展望が浮かんでいた。
扶桑型一隻分のコストで、戦艦ル級を中核とする敵主力艦隊を、確実に、そして安全に撃滅できる。
その事実は、これまでの深海棲艦との戦いの常識を覆す、驚異的なコストパフォーマンスだった。
しかし、この「こんごう」改がもたらした最大の成果は、単なる戦術的な勝利や、資材効率の改善ではなかった。
それは、人類が、艦娘という特異な存在だけに依存せず、大多数の凡庸な、しかし訓練を積んだ普通の軍人たちの手によって、直接的に運用できる、強力な対深海棲艦用艦船を、初めて手に入れたという事実だった。
これまで、深海棲艦との戦いは、艦娘という、少女たちの自己犠牲的な奮闘の上に、かろうじて成り立っていた。それは、人類にとっての希望であると同時に、あまりにも脆く、不確かな防衛線でもあった。
だが、これからは違う。
熟練したクルーが乗り込み、艦娘がその魂で艦を動かし、そして一般の国民が見慣れた、信頼する「盾」が、最前線に立つことができる。
それは、戦争の主導権を、再び人類の手に取り戻すための、大きな、大きな一歩だった。
報告を終え、敬礼する士官と、その隣で誇らしげに胸を張る金剛の姿を、瑞丸中将は満足げに見つめていた。
そして、彼の視線は、部屋の後方に控える、黒衣の客員提督へと向けられる。
新井木厚士は、何も言わず、ただ静かに、その光景を見守っていた。
彼の表情からは、何を考えているのか読み取ることはできない。
だが、そこにいた誰もが、理解していた。
この鎮守府に、そしてこの世界に、新たな時代が訪れたのだと。
それは、未来からの来訪者がもたらした、希望の光なのか、あるいは、さらなる戦いの激化を招くパンドラの箱なのか。
答えは、まだ誰も知らない。
ただ、歴史の歯車は、確実に、そして大きく、動き始めていた。
横須賀の港には、静かに並び立つ、二隻の霧のイージス艦。
一隻は、一心同体の相棒と動く、孤高の剣。
そしてもう一隻は、人類の未来を護る、量産の礎となる盾。
霧のイージス艦「こんごう」が、これから始まる新しい物語を、静かに待っていた。
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イージス艦「こんごう」改が、戦艦ル級を撃破して横須賀に帰投した、わずか数日後のこと。
瑞丸中将は、再び新井木厚士を司令官執務室へと招いた。
その部屋には、前回のような緊張感はなく、むしろ未来への熱気と興奮が満ちていた。
「新井木一佐。君が我々にもたらしてくれたものが、どれほど大きな意味を持つか、改めて伝えさせてほしい」
瑞丸中将は、いつもの人の良い笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には、一国の防衛を担う将帥としての強い光を宿していた。
「『こんごう』の戦果報告は、直ちに海軍司令部、そして政府へと上申された。昨日、緊急の国防会議が開かれ、そこで一つの計画が、全会一致で承認された」
彼はそこで一度、言葉を切り、厚士の目を真っ直ぐに見つめた。
「君たちに、あと4隻。同じ仕様の霧のイージス艦を、建造してもらいたい」
それは、厚士の予想通りの、しかし想像以上に迅速な決定だった。
「呉、舞鶴、佐世保、そして大湊警備府。日本の海を守る、全ての主要拠点に、この新しい『盾』を配備する。これはもはや、横須賀一鎮守府の計画ではない。日本の未来を賭けた、国家プロジェクトだ」
背後に控えていた長門が、静かに補足する。
「もちろん、建造費用は国家予算から捻出される。資材も、ベースとなる船体も、国が責任を持って用意しよう。君たちには、これまで以上の、最大限の支援を約束する」
彼らの申し出は、もはや「依頼」や「発注」というレベルを超えていた。それは、未来からの来訪者に対する、国家としての「懇願」に近いものだった。
艦娘という、あまりにも不確かで、自己犠牲的な力に依存しきっていた、この国の防衛体制。その脆弱性を、彼ら自身が誰よりも痛感していたのだ。
そこに現れた、「人類の手で制御できる、確実な力」。これに飛びつかない理由がなかった。
厚士は、その熱意に満ちた要請を、静かに聞いていた。
彼にとって、この展開は全て計算通りだった。
「……お受けしない理由がありません」
厚士は、静かに、しかし力強く答えた。
「我々の技術が、この国の守りの礎となるのであれば、これ以上の栄誉はありません。大戦艦キリシマ、及び霧のイージス駆逐艦きりしま、そして私、新井木厚士が持つ全ての技術と知識を以て、この国家プロジェクトの完遂をお約束します」
その言葉に、瑞丸中将は心からの安堵と感謝の表情を浮かべ、深く頷いた。
こうして、日本各地の港で眠っていたイージス艦たちが、次々と横須賀のドックへと運び込まれることが決定した。
「みょうこう」「ちょうかい」「あたご」「あしがら」……。
彼女たちが、霧の技術によって新たな魂を吹き込まれ、再び日本の海を守るために生まれ変わる日が、すぐそこまで来ていた。
新井木厚士という、たった一人の漂流者が投じた一石は、今や鎮守府という池を越え、国家という大海原全体を揺るがす、巨大な波紋となって広がっていったのである。
霧のイージス艦の量産計画が国家プロジェクトとして承認され、日本各地からベースとなる護衛艦が横須賀へと回航され始めた頃。新井木厚士は、再び瑞丸中将と司令部の主要メンバーとの会議の席についていた。
「量産計画の始動、誠に喜ばしく思います。しかし、実行にあたり、一つ、看過できぬ問題点が浮上いたしました」
厚士がそう切り出すと、会議室に緊張が走る。
「申してみたまえ、新井木一佐」
瑞丸中将が促す。
「はい。現在、霧の艦艇を建造・改修できるのは、この世界では大戦艦キリシマ、ただ一隻です。彼女がその船体を展開し、工作艦としての役割を果たさなければ、計画は進みません。ですが、これは同時に、量産期間中、我が軍最強の『剣』であるキリシマが、ドックに完全に縛り付けられることを意味します。もしその間に、深海棲艦の大規模な侵攻があった場合、我々は最も強力な迎撃戦力を、自ら封じることになりかねません」
その指摘は、誰もが薄々感じてはいたが、あえて口にしてこなかった、計画の最大のアキレス腱だった。参謀たちの顔が、険しくなる。
その懸念を提示した上で、厚士は解決策を告げた。
「つきましては、このリスクを回避するため、皆様に新たなるご提案がございます。──生産・整備に特化した、新型の『工作艦』を、一隻、新規に建造させていただきたい」
「工作艦、だと……?」
「はい。その名を、仮に『工作艦キリシマ』とします。この艦は、戦闘能力を最低限の自衛レベルに抑える代わりに、ナノマテリアルの生成能力、そして複数の艦艇を同時に改修できるだけの、高度な工作能力に特化させます。いわば、移動する未来の工廠です」
厚士は、手元の端末から、その設計概要をメインスクリーンに映し出した。そこに描かれていたのは、戦艦というよりは、巨大なドック艦や潜水母艦に近い、特殊な形状の船だった。
「この『工作艦キリシマ』が完成すれば、大戦艦キリシマは本来の戦闘任務に専念でき、同時に、量産計画もより安全かつ効率的に進めることが可能となります。また、将来的には、この工作艦を他の鎮守府へ派遣し、現地で改修や整備を行うことも可能となるでしょう」
完璧な提案だった。問題点を指摘し、その完璧な解決策を提示する。
だが、当然、タダでは済まない。
「……素晴らしい提案だ。だが、これだけのものを造るとなれば、コストも相応にかかるだろうな」
瑞丸中将が核心を突く。
「ご明察の通りです」
厚士は、きっぱりと告げた。
「この『工作艦』は、霧の技術の根幹であるナノマテリアル・プラントを、大戦艦キリシマに匹敵、或いはそれ以上する規模で搭載する必要があります。そのため、建造に要求される資材は、先日ご提示いただいた『大型艦建造』で消費される資材と同等とお考えください」
「大型建造級……!」
参謀たちから、どよめきが起こる。それは、大和型戦艦を建造するのに匹敵する、莫大なコストだった。
しかし、そのどよめきを、瑞丸中将の力強い声が制した。
「静粛に!」
彼は、スクリーンに映る『工作艦キリシマ』の設計図を、まるで恋い焦がれるような、熱の籠もった目で見つめていた。
「……安いものだ」
「ちゅ、中将閣下!?」
「安い、と言ったのだ」
瑞丸中将は、参謀たちを、そして厚士を、力強く見据えた。
「我々が手に入れようとしているのは、何かね? 我が国の未来を護る、新しい国防の礎だ。その生産ラインを、安全かつ安定的に確保するための投資だと思えば、大型建造一回分のコストなど、むしろ破格ですらある!」
彼は、厚士に深く頷いてみせた。
「新井木一佐。君の提案、全面的に承認しよう。直ちに、政府及び海軍司令部に上申し、予算を確保する。君は、心配せずに、最高の工廠を造ってくれたまえ」
その即決に、厚士は深く、そして静かに敬礼を返した。
こうして、霧のイージス艦量産計画は、その中核となる「移動工廠」の建造から始まることとなった。
それは、新井木厚士という男への、この国の指導者たちからの、絶対的な信頼の証でもあった。
瑞丸中将による全面的な支援の約束を取り付けた翌日。横須賀鎮守府の第1ドックは、かつてないほどの規模のプロジェクトの始動に、活気づいていた。
国家予算が投じられ、大型艦建造に匹敵する、天文学的な量の資材──燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト──が、巨大なクレーンによって次々とドックへと運び込まれていく。
その中心に、大戦艦キリシマが静かに佇んでいた。
生み出されるのは、霧のイージス艦の量産と整備を一手に担う、新型の『大工作艦キリシマ』だ。
そして、その前代未聞の建造作業は、誰もが予想しなかった形で開始された。
「アツシ、本当にやるのか? 私一隻でも、時間はかかるが建造は可能だぞ」
ドックサイドに立つメンタルモデルのキリシマが、隣の厚士に確認する。
「ああ、やってくれ」
厚士は、きっぱりと答えた。
「日本の防衛線に、一日でも早く、新しい盾を届ける。そのためには、最速の方法を選ぶ」
厚士の視線の先。ドックには、大戦艦キリシマだけでなく、その傍らに、先日完成したばかりの霧のイージス駆逐艦「きりしま」の姿もあった。
「大工作艦の建造は、大戦艦キリシマと、イージス駆逐艦きりしまの、二隻による共同作業で行う!」
厚士の号令と共に、二隻の霧の艦が、同時にその能力を解放した。
大戦艦キリシマから伸びる、巨大でパワフルな無数のアーム。
そして、イージス駆逐艦きりしまから伸びる、より小型で、精密作業を得意とするアーム。
大小二つの手が、運び込まれた資材をナノマテリアルへと変換し、何もない空間に、未来の工廠の骨格を組み上げていく。その光景は、まるで熟練の職人親子が、息の合った共同作業で巨大な芸術品を創り上げているかのようだった。
一隻で取り掛かるよりも、二隻での共同作業の方が、単純計算で倍の速度で進む。
厚士は、この建造期間中、自分たちの最強戦力である二隻がドックに拘束されるというリスクを、承知の上でこの手を選んだ。
「キリシマ、わかるだろ?」
厚士は、建造の様子を見守りながら、隣のメンタルモデルに語りかける。
「この大工作艦さえ完成してしまえば、あとは簡単だ。日本中から回航されて来たイージス艦を、あいつに任せればいい。俺たちは、本来の『剣』としての役割に戻れる」
そして、彼は鎮守府の建物を、そしてその向こうに広がる日本の海を見つめた。
「それに、俺たちが動けない間も、この鎮守府はもう、丸裸じゃない」
彼の視線の先には、ちょうど警備任務のために出航していく、近代化改修イージス艦「こんごう」の姿があった。そのブリッジには、人間のクルーと、誇らしげな金剛の姿が見える。
「霧のイージス艦『こんごう』が、もう就役しているんだ。彼女が、俺たちが動けない間の鎮守府近海の警備を担ってくれる。同時に、これから配備される姉妹艦のクルーたちのための、最高の訓練艦にもなってくれる。まさに、一石二鳥だ」
それは、完璧に計算され尽くした、戦略的な役割分担だった。
最強の戦力を未来への投資として一時的に封じる代わりに、その間に、人類自身の手による新しい防衛体制の練度を、最大限に引き上げる。
「だから、俺たちが動けない間は、艦娘たちと、あの新しい『こんごう』に、少しだけ頑張ってもらうさ」
厚士の言葉に、キリシマは何も言わず、ただ静かに頷いた。
二隻の霧の艦による、息の合った共同作業で、未来の工廠の骨格が、日ごとにその姿を現していく。その光景をドックサイドから見守っていたキリシマは、ふと、根本的な疑問を隣に立つ厚士に投げかけた。
「……なあ、アツシ」
「ん?」
「貴様は、あの人間たちに、あまりにも与えすぎではないか? 新しい艦を作り、新しい工廠まで作ってやる。だが、ここまでお膳立てをしてやって、あの人間たちが、力をつけた後で、我々に牙を剥かないと、どうして言い切れる?」
それは、力こそが秩序であるという、霧の艦隊の価値観からすれば、至極当然の懸念だった。与えすぎた力は、いずれ与えた側自身を滅ぼしかねない。
その問いに、厚士は巨大な建造物から目を離さず、静かに、しかし確信を持って答えた。
「その可能性は、ゼロじゃない。あり得なくはないだろうな。だが、少なくとも、この日本の、横須賀鎮守府の瑞丸中将は、そんな愚行はしないさ」
「なぜだ? 人間など、移ろいやすい生き物だろう」
「メリットがないからだよ」
厚士は、きっぱりと言い切った。
「考えてみろ。彼らは今、ようやく深海棲艦という脅威に対抗するための、確実な『護国の盾』を手に入れたんだ。その盾を量産してくれる、この新しい『工廠』も、だ。その生産ラインは、お前の制御下にあるこの大工作艦が握っている。そんな状況で、わざわざ…大戦艦キリシマと、俺が乗るイージス駆逐艦きりしまを、同時に敵に回すメリットがどこにある?」
「……」
キリシマは黙り込んだ。理屈としては、理解できる。
厚士は、さらに続けた。その声は、わずかにトーンを落とし、まるで秘密を打ち明けるかのように響いた。
「それに、ちゃんと『保険』も掛けてある」
「保険?」
「ああ。あの霧のイージス艦『こんごう』のユニオンコア。あれは、命令に忠実な、ただの機械だと説明しただろう?」
「うむ。自律思考はしないと」
「そうだ。そして、その『命令』の最上位アクセス権限は、どこにあると思う?」
厚士は、そこで悪戯っぽく笑い、キリシマを指さした。
「お前だよ、キリシマ。あの艦のユニオンコアの基礎設計は、お前のコアをデチューンしたものだ。つまり、いざとなれば、お前の大戦艦としての指揮権限で、あの『こんごう』や、これから造られる姉妹艦たちのコントロールを、強制的に奪うことができる。そうだろ?」
その言葉に、キリシマは目を見開いた。彼女自身、そこまでは意識していなかった、システムの根幹に関わる部分。だが、厚士に言われてみれば、確かにその通りだった。
厚士は、肩をすくめてみせた。
「『備えあれば、憂いなし』って言うだろ? 俺はちょっと心配性でね。『備えあれば、嬉しいな』ってくらいに、色々準備しておくのが好きなんだ」
それは、瑞丸中将たちに見せている、誠実な協力者としての顔とは、全く別の顔だった。
相手を信頼し、最大限の協力を惜しまない。しかし、その水面下では、万が一の裏切りに備えた、完璧な安全装置を、何重にも張り巡らせておく。
その底知れない深謀遠慮に、キリシマはもはや、呆れるのを通り越して、感嘆するしかなかった。
「……貴様は、本当に、食えない男だな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
厚士はそう言って笑うと、再び、組み上がっていく未来の工廠へと視線を戻した。
彼が築こうとしているのは、単なる軍事的な協力関係ではない。信頼と、そして万全の備えという、二つの柱によって支えられた、決して揺らぐことのない、共存共栄の関係だった。