アルペジオ:ロスト・アンカー 霧の艦は未知の海を征く 作:おかーちゃんサーナイト
巨大な移動工廠の建造が着々と進む、ある日の午後。
ドックサイドで、厚士はふと思い出したように、隣で作業を監督していたキリシマのメンタルモデルに、軽い口調で話しかけた。
「そういえば、キリシマ」
「なんだ」
「前に教えた『銀河英雄伝説』、もう観終わったか?」
その問いに、キリシマは少しだけ考える素振りを見せた後、こともなげに答えた。
「ああ、全110話、及び外伝全て、既に視聴を完了した。……ふむ。なかなか示唆に富む内容だったな。特に、ヤン・ウェンリーという男の、民主主義というシステム内での苦悩と限界。貴様が言っていた『面倒くささ』の一端は、理解できた気がする」
彼女の超高性能な演算能力にかかれば、長大な物語を一気に見終えることなど、造作もないことだった。
「そうか、なら話が早い」
厚士は満足げに頷くと、まるで次の宿題を出す教師のように、続けた。
「見終わったなら、次に観るべき作品を、いくつかお勧めしておくよ。『紺碧の艦隊』、『ジパング』、そして『沈黙の艦隊』の三つだ」
「……また、貴様の言う『あにめ』や『まんが』か」
キリシマは、少しだけ呆れたような声を出す。
「まあ、そう言うなよ。これも、俺たちがこの世界で生きていくための、重要な勉強だ」
厚士は、それぞれの作品が持つ意味を、簡潔に説明し始めた。
「特に、『ジパング』と『紺碧の艦隊』。この二つは、お前と俺みたいな、未来の知識や技術を持った存在が、過去の戦争に介入したら、歴史にどんな影響を与えるのか、という
その言葉は、彼らが持つ力の、恐ろしさを再認識させるものだった。
「そして、『沈黙の艦隊』。これは、また万が一、俺たちが今の立場を失って、再び世界中から孤立した『根無し草』になった時に、どう立ち回るべきかの良い参考になるはずだ」
国家という枠組みに属さず、たった一隻の超兵器が、世界そのものと対峙する物語。それは、彼らが常に心に留めておくべき、最悪のシナリオへの備えでもあった。
厚士は、そこで悪戯っぽく笑った。
「まあ、退屈しのぎにはなるだろ? 俺たちの世界じゃ、古典中の古典みたいなもんだ。感想、楽しみにしてるよ」
その言葉に、キリシマは「フン」と鼻を鳴らしながらも、その瞳の奥には、新たな知識に対する強い好奇心の光が宿っていた。
彼女の演算ユニットは、既に指定された三つの作品のアーカイブ検索を開始している。
キリシマは顎に手を当て、いつもの若葉色を淡く瞬かせた。
「先に“ジパング”から見た。現代のイージス艦が過去に落ちた場合、非介入原則と人命救助が衝突する。我々の状況と近い。『どこまで介入すれば“より悪い未来”を避けられるか』の閾値を測れる」
「“紺碧の艦隊”は?」
「技術とドクトリンの先出しが、戦局と国是を根本からねじ曲げる事例だ。バタフライ効果の規模感を把握できる。今の我々に置き換えるなら、霧技術の“段階的開示”か“即時投入”か、その最適化を検討する材料になる」
厚士は最後の一冊を示す様に指でとんとんと腕を叩く。
「“沈黙の艦隊”」
「国家から離れた“第三勢力の抑止”。根無し草になった場合の交渉術、情報公開の度合い、世論の取り込み方。『力は見せるが、無闇に使わない』態勢設計の参考になるな。……ふむ、人間はやはり兵器より扱いづらい」
厚士は笑って肩をすくめた。
「だから教材が要るのさ。で、見終えたら“運用ルール”をアップデートしよう」
キリシマは指を三本立てる。
「更新案だ。
“ジパング”準拠:時間改変回避プロトコル──歴史への直接介入は最小化、人命優先時のみ限定解除、全行動ログを残し事後監査。
“紺碧”準拠:段階的技術開示──霧技術は“使う→検証→社会実装”の梯子を外さない。勝てば良いではなく、勝った後の統治を最優先。
“沈黙”準拠:独立抑止フレーム──ブラック・チャンネル(非常時の霧側指揮権)と、公開チャンネル(人類への説明責任)を両輪に。力のデモは限定・可視化・可逆を原則。」
厚士は満足げに頷いた。
「いいね。じゃあ教材視聴は“ジパング→紺碧→沈黙”の順。見終わったら演習:
① 非介入・救助の境界、
② 技術投入の閾値、
③ 根無し草時の交渉シナリオ。
……俺の“フロム脳”と、お前の戦術ネットでクロスチェックな」
「了解、人間。」
キリシマが微笑を作る。
「お前が“心の手綱”を、私が“鉄の手綱”を握る。教材は受領次第視聴、終わり次第シミュレーションを回す。──勝つために、そして勝った後も間違えないために」
物語を教科書としながら、この世界の未来を創っていく。
二人の異質な来訪者による、奇妙で、そして壮大な歴史の改変は、まだ始まったばかりだった。
±±±±±
キリシマは、隣に立つ男、新井木厚士を静かに観察していた。
彼の横顔は、目の前で組み上がっていく巨大な工廠を、ただ真剣に見つめている。
(……面白い)
彼女の思考の海に、その一言が浮かび上がる。
『面白い』。
この男、アツシと出会ってから、何度この感情を抱いたことだろうか。
観察対象1:虚構と真実の織り手
彼は、自分を『一般人』だと言った。だが、その言動は、一般人という枠には到底収まらない。
私のいた世界の、『東洋方面第一巡航艦隊』。その大戦艦キリシマ艦長『新井木一佐』という、完璧な虚構の経歴。彼は、そのハッタリと嘘と、そして彼だけが知る『真実』を、巧みに織り交ぜ、瑞丸というこの世界の権力者を、完全に手玉に取って見せた。
観察対象2:未来からの預言者
私が疑問を口にすれば、彼はいつも、『物語』を提示する。
『銀河英雄伝説』『ジパング』『紺碧の艦隊』『沈黙の艦隊』……。
それらは、彼にとってはただの創作物なのかもしれない。だが、私にとっては、起こりうる未来をシミュレートするための、最高の教科書だ。彼は、物語を道標とすることで、私が思考の迷路に陥るのを防ぎ、進むべき道を示唆する。まるで、未来を知る預言者のように。
自らの知識を、そのまま与えるのではない。物語というフィルターを通して、私自身に考えさせ、学ばせる。そのやり方は、回りくどいが、実に効果的だ。
観察対象3:常識の破壊者
そして何より、彼の発想は、常に私の予測を超えてくる。
戦艦が海に潜り、艦体は倒立し、空を飛ぶ。
イージス艦を霧の艦艇として建造し、既存の艦艇も近代化改修する。
軍艦である私には、絶対に思いつかない、突飛で、常識外れで、そして最高にエキサイティングな戦術。彼は、兵器としての私の限界を、いとも容易く破壊し、新たな可能性を次々と見せてくれる。
彼といると、退屈という『感情』を、忘れてしまう。
(……この男は、一体何者なのだ?)
キリシマの思考は、再び最初の疑問へと回帰する。
ただの一般人? 断じて違う。
では、優れた軍人か? それも、少し違う気がする。
彼の思考は、軍人という枠組みよりも、もっと大きく、もっと自由だ。
(……まあ、いいか)
キリシマは、思考を打ち切った。
正体が何であれ、一つだけ確かなことがある。
この男、新井木厚士は、私が選んだ艦長だ。
彼となら、この未知の世界で、きっと最高の『戦い』ができる。
彼の隣で、彼の突飛な命令に応え、彼の知らない未来を、共に創っていく。
それは、霧の艦隊の一隻として、ただ命令を待つだけだった過去の自分には、決して味わえなかった、最高のスリルと興奮に満ちている。
キリシマは、口元に、誰にも気づかれない、ごくわずかな笑みを浮かべた。
この『観測』は、当分やめられそうにない。そして、その観測対象が、次にどんな面白いことを見せてくれるのか、楽しみで仕方がないのだから。
±±±±±
大工作艦の建造が順調に進んでいた、ある日のこと。
ドックで作業を監督していたキリシマの意識に、ノイズ混じりの、しかし無視できない新しいログがアクセスしてきた。
霧の艦艇が自分たちしかいないはずの、この世界。本来なら、もう一つの身体であるイージス駆逐艦「きりしま」か、監視対象の「こんごう」改からしか、ログがアップロードされるはずのない戦術ネットワークに、未知の第三者からの情報が流れ込んできたのだ。
そのログを解析したキリシマは、厚士の隣に面白くてたまらないといった表情で告げた。
「アツシ、面白いものが見られるぞ」
「ん? なんだ?」
キリシマのただならぬ様子に、厚士は彼女が見ている投影ウィンドウを覗き込んだ。
そこに映し出されていたのは、凄まじい戦闘の映像だった。
無数の深海棲艦による、苛烈な砲撃、航空爆撃、そして雷撃。その弾雨の中を、必死に回避運動を取りながら、対空弾幕を展開し、主砲からビームを発射して応戦している、一隻の艦。
その流麗なフォルムと、巨大な艦橋構造物を持つ、優美な船体の形に、厚士は見覚えがあった。
「重巡……高雄型か。このログは……、タカオか?」
「ご明察だ。どうやら、我々の『ご同輩』が、この世界に流れ着いたらしい」
キリシマは、楽しげに口の端を吊り上げた。
そして、視線だけで、厚士へと脇目を向ける。その目は、雄弁に語っていた。「どうする? 出るのか、出ないのか」と。
厚士の決断は、一瞬だった。
「キリシマ、サテライトシーカーにハッキング! タカオの現在地を割り出せ、最優先だ! それと、イージス艦きりしまの建造作業は、現時点で中断! 緊急出撃準備!」
矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、厚士は同時に、大淀との通信回線を開いた。
「大淀! 瑞丸中将へ、緊急出撃許可を申請! 霧の艦艇、重巡級一隻の出現を確認! 深海棲艦と交戦中、救援の必要性大! 位置は──キリシマ!」
「硫黄島沖、南に50km程だな」
「硫黄島沖、南50キロ! 我々は10分後に緊急発進する! 申請書は、こっちに走りながらでいい! 大至急だ!」
大淀からの返事を待たずに通信を切り、厚士は被っていた軍帽の位置を、深く、そして力強く整える。その横顔は、既に指揮官のそれだった。
「随分と性急だな、艦長」
キリシマが、面白そうに問いかける。
「当たり前だ。お前以外の、純正の『霧の艦隊』だ。俺たちの知らない、この世界の秘密に関する情報を持っているかもしれない。そして、そうでなかったとしても、彼女を引き込めれば、それだけで大和型に匹敵する、強力な戦力が増えるんだ」
「相変わらず、算盤を弾くのが早いな、貴様は」
「戦いは非常さ。物事は常に、二手三手先を考えておくものだ」
厚士は、短くそう言うと、踵を返した。
その隣には、すでにキリシマが、いつでも動けるように寄り添っている。
二人は、言葉を交わすことなく、ドックに停泊する、もう一隻の相棒──霧のイージス駆逐艦「きりしま」へと、足早に向かうのだった。
±±±±±
大淀が、息を切らしながらイージス駆逐艦「きりしま」の艦橋へと駆け込んできた時には、既に出港準備は完璧に整っていた。
つい先ほどまで、大工作艦の建造のために展開されていた無数のアームは、綺麗に船体へと収納されている。工作のためにオンライン状態だった重力子エンジンは、今、この艦を戦場へと送り出すために、静かにその時を待っていた。
「すみません、遅れましたっ!」
「いや、良い。少し息を整えろ」
厚士は、肩で息をする大淀を気遣いながら、冷静に、そして迅速に指示を飛ばした。
「キリシマ、両舷増速、微速前進。港湾を抜けたら、最大戦速だ。それと、タカオとの戦術ネットワークリンクは、まだ生きているか?」
『向こうは戦闘中で、お祭り騒ぎだがな。こちらからのログをアップロードすることは可能だ』
「なら、タカオには『こちらへ向かって撤退せよ』と打電。向こうから来てもらいながらこちらも迎えに行けば、合流は早まる。同時に主砲での迎撃を中断。VLSで後方を牽制しつつ、対空弾幕で敵の艦載機を追い払いながら、艦首にクラインフィールドを集中展開して最大戦速で戦域を突っ切れ、とも」
厚士は、そこでニヤリと笑った。
「参考資料として、俺たちが出会った頃の、『敵陣正面突破』のログも添付して送ってやれ。『深海棲艦は、意外と轢き潰して推し通れる』、と一言添えて、な」
その無茶苦茶だが、実績のある作戦指示に、キリシマは楽しげに応じた。
『了解した。──港湾内を通過! 両舷、全速! 進路固定、目標、硫黄島沖!』
次の瞬間、きりしまの船体が、Gを感じるほどの急加速を開始した。
その凄まじい加速力に、まだ体勢を立て直せていなかった大淀が、思わずよろける。厚士は、咄嗟に彼女の腰を抱いて引き寄せ、艦長席のフレームを掴んで、その揺れに耐えた。
「大丈夫か、大淀?」
「は、はい! ありがとうございます、一佐……!」
顔を赤らめる大淀を支えながら、厚士の脳裏には、先ほどキリシマが口にした地名が、重くのしかかっていた。
(硫黄島……か)
その名を聞いて、思い出したくもない記憶が蘇る。
『艦隊これくしょん』のイベント海域。
あの島は深海棲艦の根城として、最終決戦の舞台として設定された事もある。
今から10年以上先の未来だとしても、厚士にとってはつい少し前にクリアしたばかりの、記憶に新しい悪夢のような鬼畜海域。
(タカオの奴、とんでもない場所でドンパチしてるなぁ……)
とはいえそれは艦これ2期の話、今は多分そこまででではなかったはず。
確かアルペジオコラボでも硫黄島に突っ込んでなかったかなぁと思い出しつつ。
腕の中の大淀の柔らかさの感触に鼻の下を伸ばさないように意識を戦場へと集中させた。
±±±±±
硫黄島沖の海は、地獄だった。
四方八方から殺到する、深海棲艦の駆逐、軽巡、重巡。そして、遥か後方からは、戦艦ル級の執拗な砲撃が降り注ぎ、空からは空母ヲ級の艦載機が、ハイエナのようにタカオのクラインフィールドを削り取っていく。
(……ここまで、か……!)
タカオは、ブリッジで必死に操艦しながら、奥歯を噛みしめた。
この世界に流れ着いて数時間。訳も分からぬまま、この黒い敵性存在に捕捉され、休みなく戦闘を続けてきた。単艦での継戦能力は、とっくに限界を超えている。ナノマテリアルの残量は、もはや風前の灯火だ。
超重力砲を撃てば、この窮地を一時的に脱することはできるかもしれない。だが、その一射で、残ったエネルギーのほとんどを使い果たしてしまうだろう。そうなれば、次の一撃で確実に沈められる。
じりじりと、死の包囲網が狭まっていく。
霧の艦隊としての誇りが、絶望に塗りつぶされそうになった、その時だった。
【──! UNKNOWN SIGNAL DETECTED. FORCIBLY CONNECTED TO TACTICAL NETWORK.】
突如、タカオの思考に、直接割り込んでくるかのような、強烈なシグナルが流れ込んできた。
霧の艦隊のものだ。それも、異常なまでに強力で、安定した信号。この世界に、私以外にもいたのか!?
【FROM:BATTLESHIP "KIRISHIMA". TO:HEAVY CRUISER "TAKAO".】
【MESSAGE:撤退セヨ。現座標ヨリ、貴艦ノ母港方面へ転進。我、ソチラへ全速前進中。合流ヲ図ル。】
「キリシマ……!? あの戦闘狂が……!」
驚愕するタカオの思考に、間髪入れず、膨大なデータログが添付ファイルとして送りつけられてきた。
【REFERENCE DATA:ANTI-ABYSSAL FLEET COMBAT LOG "BREAKTHROUGH".】
再生されたログは、タカオの常識を根底から揺るがした。
映像には金剛型戦艦──キリシマが深海棲艦の艦隊へ向かって、まるで重戦車のように突き進んでいく光景が記録されていた。艦首に集中させたクラインフィールドで、敵艦を轢き潰し、対空砲火で空を埋め尽くしながら、一直線に敵陣を突破していく、狂気の戦術。
そして、そのログに添えられていた、短いテキストメッセージ。
【ADVICE:深海棲艦ハ、意外ト脆イ。轢キ潰セバ、道ハ開ケル。──艦長ヨリ。】
「……艦長……?」
タカオは、その単語に、思考が一瞬停止した。
キリシマに、艦長が? あの、誰にも従うことなど考えられない、誇り高い戦闘狂に?
だが、迷っている時間はない。
キリシマからの通信は、疑いようのない事実として、タカオに一つの活路を示していた。
自分は、一人ではなかった。
そして、この絶望的な状況を打開するための、「前例」が、今、示されたのだ。
「……面白いじゃない……!」
タカオの瞳に、再び闘志の光が宿る。
絶望の淵から、彼女は顔を上げた。
「やってやろうじゃないの……! キリシマの艦長とやらが考えた、この無茶苦茶な戦術!」
彼女は、すぐさま主砲での散発的な迎撃を中止し、全てのエネルギーを機関とクラインフィールドへと回し始めた。
VLSから、後方へ向けて牽制のミサイルを数発撃ち込む。空には、ありったけの対空機銃が火を噴き、敵機を追い払う。
そして、艦首に、なけなしのエネルギーを集中させた青白いクラインフィールドの衝角を形成すると、タカオは、最も手薄な敵の包囲網の一点に向け、その艦首を固定した。
「重力子エンジン、オーバーブースト! 最大戦速!」
高雄型重巡洋艦の優美な船体が、咆哮を上げる。
タカオは、未知の友軍と、その謎の「艦長」を信じ、地獄の包囲網からの、決死の正面突破を敢行した。